東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

東京、温かいでごわす(13)(工:北川桜子)

2021年1月14日 (木)

こんにちは。実家で毎日ぬくぬく暮らしている北川桜子です。東京は毎日晴れています。実家には、太陽光のエネルギーを使って、家の中を温めるシステムがあるおかげで、青葉山の寮に比べてぽかぽかです。家族は外が「寒い寒い」と言いますが、青葉山に比べればなんのその。札幌で寮生活している中3の弟と、東京は温かいねぇ~といつも話しています。

ちなみにトップの写真は私が折った折り紙たちです。最近、私の中で、空前絶後の折り紙ブームが来ていて、前回のサンタさんに続いて第2弾というところ。

そんなことはどうでもいいんです、野菜の話をしましょう。

1.my children

インドネシア人の友達が3日に一回くらい野菜の写真を送ってくれます。

1月3日

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雪がすごいらしく、基本室内にいれてくれています。暖房をつけるときは、部屋ではなく、暖房のない寮の廊下に置いてくれています。よく見ると、葉が萎れてたりしていますが、おおむねひどいことにはなっていなさそうです。でもあんまり成長している感じもありません。

1月6日

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白菜の1番手前の葉っぱ、死んでますね。でも中心の葉は元気そうです。ホウレンソウは相変わらずよれよれ。こんなんでいいのでしょうか。カブは元気そう??

2.スーパーの野菜を見てみたぜ

自分の野菜報告だけでは薄っぺらい記事になってしまうので、スーパーの野菜と自分の野菜を比較して、自分の野菜がいかにしょぼしょぼなのか感じてきました。

かぶ

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自分のこぶし分くらいのかぶが5個入って330円弱。高いのか安いのかよくわかりません。1つ1つは自分が作ってるものより大きいし、葉もしっかりしているけど1個60円。安いのかな...高いのかな...野菜の価格はどうやって決まるのかなぁ、なんて。

ほうれん草

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こちらはほうれん草。葉が大きいし、6束入りで、約280円。1つ45円くらいか。これは安いのかな...育てているやつの何倍も大きいし、それを6束詰めて何袋も売るなんて農家さんすごい...知り合いで農家さんがいるのですが、農家は職業としてのコスパが悪いと言っていました。日本は食糧自給率も低いし、後継者不足もあるので、これは大きな問題だなぁと思ったり。

最後に白菜。

白菜

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手のひら2個分くらい縦の長さがある白菜。大きすぎますね。私が育てているのはミニ白菜ですが、それにしてもでかい。1/4個で100円弱。これは安い気がします。白菜って火を通しても固い部分はあまり小さくならないので、お得な感じします。

それにしても、農家さんすごい。

3.後期が終わってからの予定

なんと私、1月31日から、2月の半ばまで島根県の海士島に行くことになりました。(もしかしたら岡山県の西粟倉村かも。)(コロナで行けなくなる可能性も。)ここの記事でいうことでは全くないのかもしれませんが、人に言って気合入れたいので書きますね。

さとのば大学、という私のおもしろセンサーがガンガンに反応するものを見つけてしまい、コロナで部活もないし、バイトしかしない春休みなんて嫌だ!!!ということで、これに参加することにしました。つまり野菜がまた放置されてしまうんですね。oh,これは困った。後期が終われば記事を書かなくてもよくなるものの、やはり、収穫、調理は記事にしたい思いが強いので、13日に仙台に戻って、31日に海士島に行くまでに収穫、調理したいと思っています。確認したいのは、収穫の時期、というのは明確なタイミングがあるのでしょうか、ということです。教えてください。

海士島は、東京とも青葉山とも全く違う気候、植生でしょうから行くのが楽しみで仕方ありません。

ちなみにさとのば大学のURLです。 https://satonova.org/about/

おもしろセンサーが働いたものにはがんがん挑戦できる人間になりたいです。学生時代はその練習です。

4.終わりに

みんなの記事を読んでいて思ったのですが、みんな記事デコレーションするのがとてもうまいですよね。マーカー入れたり、文字に色付けてみたり。育てている野菜の環境が人それぞれなのと同様に、記事の書き方も人それぞれなので、自分の記事はしょぼいな、などは思ったりしないのですが、みんなすごいな~と思います。

性格が出ますね、本当に。"GOING MY WAY"で生きましょう笑

この記事書くのに5日間くらいかけたせいで、東京にいる間に書ききれませんでした。昨日仙台に戻ってきたので、今の野菜の様子を次の記事でまとめます。

コメント

北川さんこんにちは

 冒頭の折り紙がプロ級に綺麗ですね! これ特技として通用しそうです。

 東京は暖かくて雪もないのでしょう。いいことです。まあその分夏は暑く、私が夏に東京へ行って驚いたのは駅の待合で冷房をしている場所なのにも関わらず全然暑かったところです。それでも秋葉原には行くんですけどね。

 私は地図帳を見るのが趣味といえば趣味なんですが、よく等温線とか、最深雪マップとか見ます。ちなみに日本で夏と冬との温度差が小さいのは当たり前ですが太平洋海岸沿いの室蘭、八戸、いわき、房総、伊豆、志摩なんかですね。住んでみたいものだと思います。

 そちらの弟さんは中学で札幌の寮生活ですか。なんかホグワーツみたいで面白そうですね! グリフィンドールに10点!とかやってるのでしょうか。勉強してるだけかもしれませんが。それにしても札幌はいいチョイス、とっても素晴らしい街で、弟さんがこれからどこの大学に行こうと札幌はふるさとになるでしょう。私も札幌の「寒さの匂い」や「地下鉄のぴゅんぴゅん音」などが忘れられません。

 さて植物の方はほとんどインドネシア人の記事になりましたか。葉っぱが白っぽくなったよーなどよく観察しています。写真を見たところ元気といいにくい状態ですが、これは仕方のないことです。日照が得られなければむしろ凍らない程度の低温で代謝を下げてやり過ごすのが最適解です。外縁の葉から貯えを使い潰していくわけですが、この分だと中心部は保ちそうです。ホウレンソウは葉が曲がってますがこれは寒さに対する通常の反応、気にすることはありません。敢えて言えば低温で根が弱ってますので、土が黒く見えるほど水を多く与えなくても構いません。

 次はスーパーの野菜の話です。実は私はあまり野菜の値段に詳しくないのでコメントしにくいんですが、さすがに東京は高いと思います。仙台の安売り店だとホウレンソウ178円、ハクサイ丸ごと一個で200円とかでしょうか。

 その絶対的値段が安いか高いかと言われると何とも言えません。

 横道に逸れるのもなんですが、簡単に「物の値段」について論じてみましょう。北川さんも経済で言う「需給曲線」や「神の見えざる手」についてはよくご存じだと思います。大まかに言えばその通りなのですが、それ以外で物の値段が決まる場合があります。それもいっぱいあります。

 一つには「原価からの計算」言い換えれば「適正な価格付け」ということです。これは何かというと、需要と最大利益で値段が決まるのではなく、「順当さ」で値段が決まるとも言えます。例えるなら山の頂上に置かれてある自動販売機、缶コーヒー200円くらいします。ちょっと高いですね。しかし、これを500円にしても売れると思いませんか?利益が取れると思いませんか? つまり200円にした根拠は輸送コストとかを乗せただけであり、最大利益でなく「良心的」に販売しているのです。諸外国では最大利益を取って何が悪い、としか考えないことが多いのですが少なくとも日本では適正価格という考えがあります。

 次に農産物と工業製品では必ず利益率に差が出ます。これは「技術進展のスピードの差」による構造的なものです。例えるならトラクターが20年で性能が倍になったとします。しかし農業生産はとてもとても上がるわけがありません。とするとトラクターを作る会社は常に利益率を高く保つことができるというわけです。なぜならトラクターをどんどん安くするということはしない(価格の下方硬直性)からです。この産業間の差というものは、政治的介入がなければ本質的に埋めることができません。

 その次には需給曲線がそもそも農産物の場合にはきれいなカーブになりません。なぜならどんなに安くなっても人間が二倍飯を食えることはないのです。ですので供給が過多になればとたんに値段は暴落します。ならば供給不足の年なら暴騰するから釣り合うのでは? いえいえそうはなりません。一度生産放棄すれば早く復帰はできませんし、そもそも人間の生活は不安定では成り立ちません。これは、本来適地適作で素晴らしいことであるはずのモノカルチャーが問題だらけなのと同じ理屈です。

 更にその次、これは国家間貿易の問題です。日本が工業で輸出競争力を持てば持つほど、「日本円が強く」なります。これは当たり前のことです。すると逆にドルで換算すると日本の農産物は割高になります。だから外国の農産物は安いし、日本の農業は何をしている、と批判を受けます。理解できたでしょうか。基本的に「円が強い」のは日本が強いのと同じであり、良いことなのです。輸出企業が円高で悲鳴というのは根本的に思い違いをしています。さて、そのことになると日本は既にその先へ行っています。これは「資本収支」「サービス収支」「貿易収支」「国際収支」などを理解した上の話なのですが、もはや日本は工業財の輸出で食っている国ではありません。外国への投資のリターンで食っているのです。そうなると、かつて「日本は工業で頑張ってるが農業はダメだなあ」というのがそのままそっくり「日本は金融で頑張ってるが工業はダメだなあ」に置き換わっています。だから今や日本は急速に工業生産でも技術でも負けつつあります。私の目の前のコンピューターもディスプレイも国産ではなく、とっくに技術で敗れ去りました。そうはいっても基幹部品を生産するのには日本はなくてはならない、日本の技術は健在、とよく言われますが嘘です。日本の教育界が崇め奉るフィンランドやスウェーデンではなく、受験競争学歴社会の隣国に破れました。

 しかしまあ、繰り返しですが円が強いのは良いことです。よく「外国旅行したら向こうでは物価が安い」と言われますが、これはアホウの言い方であり、円が強いだけです(尤も、相対的に円が弱い場合も多々ありますが)。比べるなら平均購買力単価ですね。ちなみに円高円安は「国家競争力」と「公定歩合」だけで決まるもので、投機で決まるのではありません。そしてその国家競争力の大元は文化ではなく「人口構造」にあります。出生率が下がる時に有利になる「人口ボーナス」を受け取る時に国家は強くなります。これからの世界を考えたら、もう人口ボーナスを受け取り終わった国ではなく、これから受け取るインドなどが有望かもしれません。ちなみに日本だけではなくアジア各国も人口減少が目の前に迫っていて、タイなども少子高齢化です。なぜ少子化が進むのか喧々諤々の議論がされているのはご存じと思いますが、実は誰にも分かりません。社会的なことか、科学的なことかさえも。ともあれ当面出生率が2より上なのはフィリピンやパキスタンなど少数です。お友達のインドネシアは大丈夫でしょうか。

 このため21世紀終わりで世界人口110億、これが人類の最高到達点と言われるのが現実化すると思います。

 そういえば日本は明治初期以来150年かけて人口四倍にしましたが、この後150年かけずして元に戻ると言われています。予測は予測なのですが(画期的再生医療や不妊治療ができれば別)。しかしそれが悪いことでしょうか。人口三千万人の国ではさすがに世界経済のメインプレイヤーにはなりませんが、しかしその程度でもプレゼンスのある国はいくらもあります(スペイン、アルゼンチンなど)。たとえ千五百万という室町時代人口になっても有名国です(今のベルギーなど)。五百万という奈良時代人口でも、例えばその人口のジャマイカがワールドカップに出てきます。

 話を農業に戻しますが、日本ならではの問題として「カッコ悪いイメージのある職業」が避けられます(英国米国では農業はクールなのに!)。そして人間という種の特性?なのか、人口の多いところに吸い寄せられます。結果、日本の限界集落は捨てられます。「安全で」「食って生きていける」というアフリカ諸国からすれば夢のような場所が放棄されていきます。そして逆に農業も「カッコ良く稼ぐ」、つまり少し手をかけるか変わった農法をして、値段を何倍にもして儲けるものが「成功」で「ビジネスセンスがある」とされます。本来から言えば、技術というものは「誰でも」「楽に」「エネルギーや資材をかけず」「大量に作る」ためにあるものです。それが進歩です。これは自分の依怙地なところですが、個人的に手作り製品は嫌いです。手をかけた職人の手打ち蕎麦よりも、誰でもいつでも安く作れる技術の到達点としての普通の蕎麦が好きです。その技術を作りあげたことこそが「人間らしい」と思うからです。

 日本の食糧自給率4割弱、低いですね。ただやはり人口減少が始まり、まもなく日本人が一年で百万人ずつ減る時代が来ます。すると黙っていても自給率は上がります。しかしこれは農地そのものが減る(宅地や太陽光発電に置き換わって)ことや後継者不足のことがあるので何ともいえません。しかしまあこれは世界的情勢にもよります。そして技術的なことでは当面の世界人口増に食糧生産向上が今はバランスしていますが先は分かりません。このため、非常に多くのアプローチがなされています。「乾燥地農業」「光水分解」「人工光合成」「人工細胞」「人工培養肉」「昆虫食」「化学合成食糧」「木質分解」「野菜工場」、いくらもあります。このうちどれが本命になるのでしょうか。個人的には大阪大のレーザー核融合からのエネルギーで合成食糧ができたら面白いと思います。理系には夢があります。

 理系ということで北川さんも素晴らしい職につければいいですね。ひと昔前の建設会社のCMで「地図に残る仕事」というフレーズがありました。そういう仕事こそ素晴らしいと思います。私などは娘を育てるのが唯一絶対の生きがいでここまで来ましたが、何か自分ならではのことがしたかったな、という思いもあります。

 さて、北川さんは「さとのば大学」というのをよく見つけられました! そして自分が参加しようと行動するのが天元突破級に凄いです。これは本当に脱帽ですね。

 あとは自分が何を感じるかです。あ、ちなみに植生も面白いですね。植物に詳しければ、照葉樹林とか分かると思うのですが...... 私などは鉄道旅行が好きですが、乗っているとどんどん植生が変わっていくのを観察するのが楽しみです。しかし、ここであえて一つ注意があります。実はそういう「生きる力教育」というぼやっとしたことを掲げて活動するグループは世の中に多々あります。良し悪しを見分けるのは難しいことです。そこで「お仕着せの体験ツアー」ではなく、「どれほど考えさせられるか」ということを考え続けて下さい。田舎の生活、農業体験、街おこし、素晴らしいことです。しかし敢えていいますがいくら若い人が行っても本物ではありません。農業体験ならば「人間が生まれてから老人になって病気で死ぬまで」の貯えまできちんと生産できて初めて本物です。話は厳しい方向に脱線してしまいますが、よく「自給自足の人間らしい生活の村」とか、「食糧を自分たちで作る全寮学校」というのが意外に多くあります。しかし年を取ると国家からの年金で入院し、工業製品の医薬品を使います。

 これはまあどうでもいい議論なんですが、「学校など行かなくていい、役に立たない」という意見をよく耳にします。これは一面において真実です。なぜならその時間を使わないで済む人は確実に利益を得るからです。しかしながら全体的においては嘘になります。全体の知的レベルが下がれば例えば役所や病院の説明、標識さえもそのレベルに合わせなければならず、そのために払うコストは膨大になります。そして社会全体として犯罪の面でも生産力においても悪くなり、具体的には真面目な企業は潰れ、ちょっとした科学知識があれば絶対に引っ掛からない健康食品や健康器具などの会社ばかりが興盛します。例えばまともな知識があればコラーゲンは買わないし、電気風呂保温器も節電器も売れるはずがありません。つまり学校に行かないことは「祭りの神輿をかつぐことから抜ける」のと同じで、そういう人が多くなれば神輿は潰れて祭りそのものが無くなり、皆が困ります。まあ、学校に行かなくていいというのは「もっと実学にふった方がいいんじゃないか」と受け止めればいいのかもしれません。確かに、例えば幕末「論語」ばかりを寺子屋で教えていた藩より、「西洋科学」を教えた藩が強かったのと同じでしょうか。高尚さという次元では別ですが。

 さあ、この展開ゼミも終わりに近付き、私のコメントも持論ばかりになってしましました。最終報告は教授がコメントつけます。その期限をしっかり守って提出して下さい。

ラボスタッフ・オガタ

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