東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

俯瞰図、決断力、逆算力(1/8)

2013年1月 8日 (火)

 自家不和合性の研究を始めた頃に、病害抵抗性現象と比較した論文というか、抄録というか、review articleを読んだことがあった。当時は、自家不和合性と病害抵抗性には似ているところがあるのかなくらいしか、考えていなかった。そのときに、自分の研究に対する情報量が足りなかったのもあるかもしれないが、もっといえば、自家不和合性のことだけしか考えられなかったように思う。今時の言葉で言えば、領域融合というか、領域横断というか、自分に幅がなかったのだろうと言えるかもしれない。ただ、言い換えれば、鳥のようにもっと上からというか、俯瞰的に見たら、ずいぶん似ているではないかと見えたのかもしれない。つまり、木ばかり見ていて、森全体を見る力がなかったのだろう。では、今、森全体を見ているのか、もちろん、木の全体のバランスを見ながら。。。将棋盤くらいというと怒られるかもしれないが、あの面積なら見えるが、もっと広いところを見ていないといけないような。。最初の自家不和合性と病害抵抗性も今であれば、低分子ペプチドと受容体という関係の共通性が見える。今なら、モデル図というか、俯瞰図ができるので、共通性は見やすくなったのか、複雑になったのか。。。何とも言えない。。。

DSCN2195.JPG 何をするのかという点でいえば、学生の時に、植物育種学研究室というか、日向研究室を選んだので、今がある。あのとき、害虫研究室を選んでいたら、今は違う存在になっている。何かは、全く想像もできない。さらに、自家不和合性のテーマを選んだので、今がある。材料にとあるものを使うということから、すぐに選べなかったが、最終的には自分で納得して選ぶしかない。また、実験になれてくると、あれもこれもしたいというか、時間を有効に使えるようになると、あれもこれもと思う。しかしながら、どれからやるのかというのは、何かの紙に書いて、「あしたやること」とか書いていた。何の上だろうと考えると、当時は、今のように就職活動をするのに、Internetもなく、はがきで申し込んでいたのであろう。会社の概要というか、そういうものを手に入れるためのはがきだったような。それが束になって、研究室に来ていたのに、使うこともなく、年末の掃除で片付けられていたので、もったいないと思って、「あしたやること」を赤マジックで書いて、机の上に置いて帰り、翌日、それを見てやるようになった。これも、自分で何をやるのかということを決めていたのかもしれない。どれくらい効率的に実験ができていたのか、今ではよくわからないが、今なら、足やることというより、今年1年とか、半年の間に、何ができるかであろうか。本当はもっと先のことまで考えて、今はこれをしておかないといけないと、考える決断力がほしいものである。

DSCN2316.JPG 実験でも、論文書きでもなれるまでは時間がかかる。最初の論文は修論を英語にするということで書いたが、当時の言葉で、「4-base cutterの制限酵素でぼろぼろにされる」というのを使っていたが、ようは、自分の文章がないくらいまで日向教授に直された。1990年3月に修論を書き終えて、その投稿論文は1990年終わりか、1991年初めに投稿して、1991年の秋の国際会議の出席前にゲラが届いて、感動した。では、この当時、この国際会議にあわせて、論文を書くという逆算力があったか。。。。なかったような。。。もちろん、逆算をすることということもいわれなかったような。逆算をするようにいわれるようになったのは、野球の監督の言葉を見るようになってからのような気がする。そういえば、今は受験のコマーシャルで、「合格からの逆算」とかいうのをやっている位なので、昔よりなじみがあるのかもしれない。つまり、今の立ち位置を理解して、今からどれくらいの時間がかかるので、今の時間軸では、何をしておく。それより速ければ、少し余裕があるが、うっかりしていると、すぐに追い越される。

 あれからというか学部生、院生の頃から、20数年。何かをしようとするとき、少しは逆算して時間を計算して、何をやるかを決めて、そのfieldがどうなっているかを俯瞰的に見ることができるようになったのかもしれない。もちろん、想定外のことを可能な限り、想定しながら。。。なかなか難しいことであるが。。。今年もこの力を少しで鋭敏にしないということを考えさせられた、念頭からの会議であった。。


 わたなべしるす


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