東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

2013年3月の記事です。

アメリカ西海岸からのお便り

2013年3月13日 (水)

 学生バイト一年藤田琴実です。

 さて、いきなりですが、私は今、短期留学と称してアメリカのカリフォルニアに来ています!!!滞在形式はホームステイ。University of California Riverside校で同じプログラムの参加者さんとともに授業を受ける日々です。実はこちらにきて早二週間以上が経過しております。毎日楽しくて、まだ日本には帰りたくないです(笑)
 こちらの気候は寒暖差が激しく、日中は30℃近くまで上がったかと思えば夜は10℃近くにまで下がったり。ちょいちょいおなかが痛くなりながらも元気に過ごしています。

P1000172.JPG さて、私が参加しているプログラムですが、多文化社会の学習が大きなテーマとして掲げられています。いろんなところに訪れて、いろんな人たちと交流して...。いろいろ考えさせられるような場面もたくさんあります。自分の英語力のなさが露呈し、話したくても話せない、ホストファミリーの方とも満足に会話ができない、というなんとも情けない状況に陥りつつもあります。現地の学生さんたちとも交流したいのですが、変なところで人見知りを発揮...。
 気づけば日本の学生さんたちと普通に日本語で会話...。プログラムも残り10日間、せっかくアメリカにいるのだから、極力英語を使っていきたいです。日本語は帰ってからたくさん喋れる!のですから!!(・_・;)

 本日はCalifornia School for the Deafに行ってまいりました。Deafとは耳が聞こえない人々を指します。彼らはASL(American Sign Language)と呼ばれるアメリカ手話で会話をしています。少しやってみましたが、うーん難しい...。何とか自分の名前と「こんにちは」,「初めまして」,「ありがとう」だけはできるようになりましたが。
 Deaf Schoolではプレゼンテーションをするということで、私の所属する班は折り紙をやりました。こちらに来た当初は、日本語もたまにあいまいなのにましてや英語をや、なんて思っていましたが、今度は英語すら通じない。ひたすらジェスチャーでなんとか伝えようとみんなで頑張りました。その結果、なんとか生徒の皆さんに手裏剣やカメラを作ってもらうことに成功!まあうまく説明できないところは私たちが半分やってしまいつつはありましたが。最後にASLで「ありがとう」と笑顔で言われた時はとても嬉しかったです。

P1000322.JPG 他にもアメリカの小学校でプレゼンをしたり、観光したり、スペースシャトルエンデバーを見に行ったり、人種差別・人権や多文化社会について学んだり。こんなに充実してる日々そうそうないと思います。今回の経験が自分の将来にどう影響するかはわかりませんが、きっと、なんかしらのかたちで生かせると思います。残り10日間、もっと英語でコミュニケーションできるよう頑張ります。

 光陰矢のごとし。時がたつのは早いです...。今回の経験をふまえて、これからは時間をもっと有意義に、かつ効率よく使いたいです。...使えたらいいな、と思います。

 皆様もよい春休みをー。


 学生バイト一年 藤田琴実


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3/11(金)、14:46から今日まで、その22(3/11)。

2013年3月11日 (月)

 昨日、一昨日の土日から、3.11関連のテレビが多かった。見ていてつらくなるものが多く、ほとんどのものは、そうでないものにチャンネルを変えた。津波などが見られないというのではなく、未だにこうなのかという思いの方が強い。テレビでも言っていたが、がれきが片付いたり、復旧、復興は始まっているものの、心が折れそうというか、限界までがんばっていて、いつになったら、そうでなくなるのか、沿岸部の方々でなくても、震災をうけた方々の心は、大なり小なり、そのような状況ではないだろうか。。。

 昼頃には、ずいぶん多くのたぶん、取材用のヘリコプターだろう、上空を飛んでいた。14:46には、研究室のメンバーで黙祷をした。とても長い1min間であった。これほど長いのだろうとか思えるくらい。。。。今日、こうした文章を書く時間がとれないかもしれないと思い、その21を先週記した。その間に、これという変化はもちろんないに等しい。水沢高校でのコアSSHの時に話に出た、関東大震災を復興させた「後藤新平」が、数日で復興させるためのグランドデザインをしたというのを聞いて、そうしたヒトが現在にいればということを。。。ただ、復興をさせるまでに、多くの現場で様々な経験を積んで、研鑽したからこそ、こうしたことができたということも。それは確かにそうなのかもしれない。機械にも、リスクマネジメント的なスイッチだったり、トラブルに備えたものが設置されている。しかし、そうしたものの多くは、実際に危機にならないと動かすことがほとんどない。常に、危ないものと思っているか、そうでないかによって、対応は、ずいぶんと変わるのではないかという気がした。可能な限りの経験をして、常に危機意識を持つこと、それが大事なのであろう。

DSCN5162.JPG 今週1週間くらいは、この、3.11にまつわることが多くのテレビ、netなどで取り上げられるであろう。それが年に1回ということではなく、もちろん、特集ということをいっているのではなく、常に、それぞれのヒトの心の中で、思う気持ちがあれば。。と思った、黙祷の時間であった。



 わたなべしるす

 PS. 昨日までで、大学入試前期試験の合格発表が終わったようである。希望を叶えることができた方、そうでなかった方。さまざまであろう。残された後期試験に向けて、できる限りの力を出してほしいと。。。仙台から、祈っています。あと少しです。

 PS.のPS. 和歌山県日高高校で行っているコアSSHの報告書というか、和歌山県近隣の自然を集めた冊子をいただいた。とてもよくまとまってあり、生まれ故郷の愛媛の自然、今の東北の自然と比較してみたいと思った。ありがとうございました。

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2012年度追いコン

2013年3月10日 (日)

こんにちは。M1の大嶋です。

一昨日はラボの追いコンでした。
一年間は、長いようで短い期間でした。
先輩方には様々な場面で本当にお世話になりました。
今までありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
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残念ながら、僕は一次会には参加できず、二次会からの参加となりました。
名古屋から駆けつけてまいりました。
ということで、掲載した一次会の写真については、よく知らないという。
でも二次会に間に合ってよかったです。
バイトさんも二次会まで来てくれていたのですね。
人数多くてびっくりしました。


先輩方は引っ越しの準備などで、来週あたりから来られなくなるので、先輩との最後の飲み会となりました。
来週から、淋しくなります。


三次会はカラオケに行きました。
林さん歌うますぎですよ。
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追いコンって本当一年の締めくくりって感じがしますね。
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全体の集合写真です。(一次会)
先輩方のこれからのますますのご活躍をお祈りします。
では。

M1 大嶋


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3/11(金)、14:46から今日まで、その21(3/6)。

2013年3月 7日 (木)

 この記事を書き始めたのは、2011.03.17からであった。震災から、ほぼ1週間。netがつながり、web serverだけ動いていて、。。その前から、被害報告を求められていたが、netがないので、印刷もできない。。。もちろん、mailもという状態だった。それから、あっという間の24ヶ月がもうすぐ来ようとしている。前回これをつづったのは、ほぼ、1年前。その間に、劇的なことがあれば、きっと何かをと思ったのだろうが、スピードが大事なはずなのに。。。以前にも、鹿児島出張で、仙台空港での写真を掲載したこともあったと思うが、海の方を見て、松の木がないのが、何ともいえないというか、もの悲しい。。。

 来週の月曜日が、ちょうど、2年になるので、テレビでは、震災関連のことを見かける。自分自身では、昔行った奥松島とか、津波の被害が大きかったところには、どうしても足が運べない。もちろん、テレビでは見ることはあっても。仕事の関係で行くことのある場所、昨年、岩手県立釜石高等学校に出前講義した折には、津波被害を受けた建物なども見た。ただ、復旧、復興速度は遅いと。。。昨日も歴史関連のテレビ番組で、「富士山の宝永大噴火」の復旧・復興のことが。。。河川の土木工事が終わったのが、噴火から、75年ごとかいっていたような。。もちろん、時代と道具類などが違うので、ここまではと思うが、。。福島第一原発の問題も、予定通りという表現が使われていたが、福島にも何度か足を運んだものからすれば、また、新聞にある、各県庁所在地の放射線量を見ると、ゆっくりとという感は否めない。植物科学という、工学とは少し違う分野であるかもしれないが、同じ科学をやっているものとしては、何とかならないかと思うが、昔、放射性同位元素、いわゆる、ラジオアイソトープ(RI)を使って実験していた身からすれば、簡単になくならないことくらいは、想像できるが。。。それにしてもという感じがする。

DSCN5018.JPG 心の問題は、より複雑化しているように感じる。震災のモニュメントとして、被害を受けた遺構を残すのか、残さないのか。。。これに端を発して、その地域がまとまりを欠くようなことにならなければよいのだがと思う。今までの歴史を刻んだものとして、多様な遺構がある。それらも同じような歴史を背負ってきたのかもしれないが、その場所にあるのがよいのか、別の場所でもよいから、保存するのがよいのか、そうしたことを考えないと、復旧、復興の妨げになるのでは、どうかとも思う。もちろん、純然たる、心の問題は、より深刻化しているのかもしれない。。。

 こんなことを考えただけでも、24ヶ月、2年で何が変わったのか。もちろん、都心部は、ほぼ、復旧しているが、地下道を通ると、まだ、雨漏りがあったりする。あの日のままなのである。1日でも早い復旧、復興を祈りながら、少し早いが、2年目を迎える、3.11を前に、。。当日は、labでその時間、14:46に黙祷をすることにしたい。。。


 わたなべしるす

 PS. 震災後、研究室の壊れた被害を受けた備品は、ほぼ、全面的に入れ替えて頂き、実験ができるようになったと書いた。ところがと書くのは、どうかもしれないが、1ヶ月ほど前から、電子天秤が調子がおかしい。。。あのときに調べた時には、問題なかったので、もちろん、申請しなかったのだが、ここに来て、だめになるとは。。。冷静に考えれば、天秤にとって、大きな搖れがあるというのは、耐えがたきものだと思う。ただ、その時に、被害症状が出なければ。。。人間でも同じかもしれない。調べた時に問題なければ、異常なしと。実際にはそうでないことがというか、異常を抱えて2年近く動いていたのだと。。。何とも、不思議な巡り合わせと思いつつ。他に、こうしたことがないことを祈りつつ。

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生態系・基本・再評価(3/4)

2013年3月 4日 (月)

 あっという間に2月が終わり、3月も4日目。「2月は逃げる、3月は去る」とか言うらしいが、それにしても時間がたつのは、早い。特に、この時期と言うことなく。そんな年回りになったのだろう。というか、小学生の頃に6年間というのは、ものすごく長かった。ところが、今はあっという間。時間の流れは誰にも同じなのに。何か、理屈があったような気がするが、思い出せない。頭の中のいろいろなものが、きちんと整理できてないからであろうか。。。自分の脳みその中を見ることはできない。もちろん、最近の解析装置を使うと、脳みそのどこが働いているのかはわかるが、だからといって、そこにどのようなものがあるのか、何をしているのかは、大まかにしかわからない。田んぼであれ、畑であれ、森であれ、大きく見れば生態系。そうした中で、大まかには、どのような生き物、鉱物、水など何をしているのか、わかりつつあるのかもしれないが、脳みその細かな部分というのと同じような、生態系の中のこれという昆虫が、生態系全体にどのような影響をしているのかというのは、今の解析レベルでは、理解できない。と思っている。もちろん、単純系にすればできるのかもしれないが、身の回りの、田んぼ、畑を見ても、因子の数は、あまりに膨大すぎる。こうした生態系は、大きく見れば、調和していて、きれいである。夕日の当たる棚田の風景など、とてもきれいである。ただ、田んぼに入り、田んぼの中から見たら、光が足りなくて、枯れそうになった草もあるし、イネが生長したことで、繁殖できる昆虫もいる。それから、イネの生長と同調して大きくなる雑草も。こうした生態系という中にいるからこそ、様々な生物間相互作用が起きるので、複雑系となり、簡単に理解することが難しくなる。

DSCN5782.JPG では、単純にするために、蛍光灯の下で、ぺんぺん草のなかまの「シロイヌナズナ」を栽培して、実験・研究することもできるというか、行っている。蛍光灯の光が太陽の光と同じではない。質・量とも違う。栽培している培養液は、窒素、リン酸、カリという主要必須元素(たしか。。)と、カルシウム、モリブデンなどの微量必須元素というが入っていれば、よいのかもしれない。ただ、栽培に土を使うと、土の成分は、様々な鉱物であるので、水分、ミネラルの吸収が異なる。つまり、単純系ではなくて、複雑系になる。考えれば、考えるほど、単純系を作るのは、生物というか、生き物というか、植物というか。そうしたものを研究する上では、難しいのかもしれない。高校の物理の時間に台車をぶつけるという問題の時、仮定は、空気抵抗も摩擦もないようなところから始めたわけです。もちろん、そんな現実は存在しないので、たぶん。。。これくらい単純化できれば、考えやすい側面はあります。植物の研究をしていても、ある遺伝子が壊れた植物とそうでない植物を比較して、その遺伝子が何をやっているのかと言うことを調べます。その遺伝子が壊れて、周りに対して全く影響がないわけでではないはずなので、その遺伝子だけの影響というのは、かなり難しいのですが、何とか、その遺伝子の機能を考えようとするわけです。実際は、複雑系ですが。。。その意味で、どんなことをしても、単純なというか、基本通りというか、そうしたことを積み重ねることで、複雑で、trickyなこともできたり、考えたりすることができるのであろう。

 では、この基本というものは、どこにあるのだろうか。実験、研究をしていると、まず最初、研究室に入ったとき、右も左もわからない。どうしたらよいのかも。そんなとき、まずは、諸先輩方が何をしているのかを、観察することから始まる。早くに来てみて、先輩が何をやっているのかを、4年生の時は見ていた。自分の場合は、先輩というか、当時の助手をされていた鳥山(伸)先生であった。こんなことをしているのだなと言うことを数日観察していれば、覚えることができる。では、その先生よりも先に来て、やってみること、これで日常の基本を身につけたような気がする。では、実験はというと。。自家不和合性の研究を直接やっていた大学院生の先輩はいなくて、何がわからなくても、最初は、教授の日向先生に話を聞かないとできなかった。昔の論文から、今の論文まで。どんな研究があるのかということについても。。。そうした、昔の研究をふりかえるとき、実際にやってみようとすると、うまくいったり、いかなかったり。。。結構そうした時がある。逆に、古い記述を調べていたら、自分が今やろうとしていたことを書いてあったり。そうした基本を学ぶ時、昔というか、過去の事実をきちんと再確認、再評価することが、真の事実を突き止めるための、近道という言い方はおかしいかもしれないが、あるべき姿ではないだろうか。そんなことを考えながらの、愛媛出張であった。

DSCN5781.JPG
 わたなべしるす

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