東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

教訓、利便、イノベーション(1/17)

2014年1月17日 (金)

 昨日出張からもどったので、今日は時差がどこになっているのか、不明な状態。学生さんたちが楽しんで、お土産をどれにしようか悩んでいたのか、見ているのは和やかで。。。。昼でも眠いというか、。。。だが、今日から3日間。大学の関係で、出張。。。田舎道を走っていると、「3.11を忘れない、実測な復旧、復興を!!」というような立て看板もあった。確かに、3.11は震災の渦中にあった。偶然、乾電池で稼働するワンセグのテレビのおかげで、中にいるにもかかわらず、なにが起こっているのか、見ることができて、津波被害、原発のことなど、。。自分の置かれている立場もあるが、様々なことが見えた。ところが、1995年1月17日。その当時は、農学部で助手をしていた。朝、テレビをつけて、情報番組を見ていたら、関西の方でガラスが割れるような地震と。。。まさか、神戸の町があのようになり、阪神高速の高架橋が倒れるとは。。。17日はその当時は給料日であった。別にお金がなかった訳ではなかったが、給料日というイメージでその日を今でも覚えている。いつからか給料日が変わり、電子情報で見れるようになってから、それより、現金手渡しでない時からかもしれない、お金のすごさというか、お金の厚みを見て、すごいという気持ちにならなくなったのは。やっぱり、実物を見て、帯封が切られてないものを見れば、大事にしようと思うのではないか。少しお金に話題がそれたが、1.17の時には、お世話になっていた神戸大の先生に震災から数日して、電話で連絡ができたのを覚えている。声を聞いて本当にほっとした。あのときの教訓が3.11にどれだけ活かされたのか。また、3.11の教訓が近い将来来るであろう、東京直下型、東南海などでの大きな地震の教訓になっているのだろうか。19年目の今日、そんなことを考えさせられた。

DSCN1226.JPG 19年前から比べると、いろいろなことが便利になった。1995年、携帯電話を持っていたかもしれないが、かなり重たかったような。。。少なくとも純粋に電話機能だけだったような。mailは使えなかったような気がする。今は、パソコンの代わりのようになっている。。。自分にとって、遺伝子解析についてみても、1.0kbの遺伝子というか、cDNA, ゲノムDNA断片の塩基配列を決めるのには、大変な時代であった。今では、桁が違う。同じゲノム情報の位置を何回読むかによるが、今なら、特定の生物の全ゲノムの塩基配列を決めることができるだろう。プレゼンをするときは、まだ、ポジフィルムを使ったスライドでのプレゼン。そのあと、OHPの時代が来て、今のPower Pointを使ってのプレゼンになったのは、2000年を過ぎてからのような気がする。パソコンの早さ、使うHDの容量も全然異なる。1995年なら、MBくらいあればよかったような。今は、GB, TBの世界。CPUの速さは、どれくらいなのか。。。今となっては、わからないくらい速いと聞いたことがある。計算能力としては、スパコンと変わらないとか。もちろん、スパコンにかなう訳ではないのだが。。。新幹線も東北新幹線は、東京駅が開業していたような。。。ただ、北は、盛岡駅止まり。九州新幹線などなかった。ましてや、九州新幹線と山陽新幹線の直結というか、新大阪から鹿児島中央(こちらとしては西鹿児島という方が、わかりやすい。何のことはない、寝台特急はやぶさの終着駅。)を乗り換えなしというのは、考えはあっても、実際には。2011.03.11の数日前に新青森から鹿児島中央は新幹線でつながっているが、東京駅で直結して、新幹線に乗ったままというのはシステム上無理というのを聞いたことがある。ただ、一方で、在来線は数年のうちに、東北、常磐、高崎線と東海道線が直通するらしい。実際には、新宿経由なら、つながっている。常磐線以外。。。というようにつながれば、便利かと思うと、そうでもないとか。正月明けの有楽町駅近くの火事で新幹線は止まり、大変であった。品川から出発すればと思ったが、そうは簡単ではないらしい。。。便利になれば、全てがよいか。。。これも結構難しい。1つ1つをゆっくり考える時間が少なくなっているのは、速さに伴って失われたものかもしれない。。。何かを獲得したとき、何かを失うかもしれないことは、考えないと。。。もちろん、一石二鳥ということもあるかもしれないが。。。。

DSCN1258.JPG 日本は「イノベーション」は不得手とか。。。「同じことを考えるのは、世界に3人いる」と、指導教官であった日向教授によく言われた。そう考えれば、そんなに不得手ではないような気がする。考えていても、それを実行することが難しいときがある。ただ、どんなに難しいことでも実行できれば、世界は変わるのではないか。そんなことを29年間やった方がなくなったとか。1974年、小学校の頃にテレビを見ていて、フィリピン・ルバング島で終戦を信じず、潜伏して戦い続けた小野田さんが日本に帰ってきたシーンを見たのは、衝撃だった。そんなことをできる人がいるのだと。自分の任務を40年間遂行する。そんなやるという行動力があったことを思い出せば、今の困難な状況を変えることができるのではないだろうか。もう一度、これまでの歴史を振り返り、なにを考えれば、「イノベーション」になるのか。今までの成功、失敗体験を活かすことができれば、教訓にできれば、イノベーションもできるだろう。自分たちの実験と同じことを考えている人が世界には3人いる。その中で一番最初にできるようになればよいのだから。といってもその実行力が難しいのかもしれないが。。。そんな小野田さんが亡くなったというニュースが、1.17に流れたのも、教訓を活かし、粘り強く、がんばれと言うことなのかもしれない。そういえば、明日、明後日は、センター試験。寒波は入っているようですが、雪で混乱がというような状況ではないよう。。。SSH、科学者の卵、出前講義等でお会いした生徒の皆さん、ここからが勝負です。もちろん、人生は長いので。。。でも、気合いと根性で。がんばれ!!!!!、そのことが、きっと未来の日本のイノベーションにつながるのだから。


 わたなべしるす

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