東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

【出前講義】平成26年度東北地区SSH指定校発表会・コメンテーター、審査員-2(1/25, 26, 29追記)

2015年1月25日 (日)

 前日に続いて、発表会。2日目は別会場でのポスター発表。1.5hr x 2 の3hr。たちっぱなしでしたが、できるだけ多くのポスターを拝見しました。物理、化学、生物、地学、数学、あるいはその複合領域があり、なるほど思うのから、もう少しdeepにやれば、おもしろくなるだろうにと言うのまで。。。研究というのを始めたばかり、これからこうして考えて、次へ進むと言うことは多くなるかと、ぜひ、このことをきっかけにより考える習慣になってくれればと。

DSCN5939.JPG 午後からは、閉会式。審査に関わられたそれぞれの先生から、たくさんのコメントを。その中には、科学的なものの考え方(観察、検証・実証、結論というプロセスの繰り返し)をしっかり身につけるようにと。生徒間交流をしてほしい、学会で発表をしてほしい、後輩への継承をしてほしい、課題研究から受ける効果を実感してほしい、ここで得た人脈を大事にしてほしい。人のために汗をかいてほしいと。。。とても心にしみるものがありました。渡辺からは、様々な学会で行われているような最初から全部説明するというのをやめて、必要なところを聞いて説明する形式にしてほしいと。また、今回の会の開催形式を是非、来年度にも継承してほしいと。。。

DSCN5950.JPG 最後になりましたが、岩手県立盛岡高等学校の和山校長先生、下町副校長先生をはじめとする関係の先生方、また、JST・主任調査員の田辺様には、大変お世話になりました。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。


 わたなべしるす

 PS. 1日目の夕方に速報記事が展示されていましたが、その追加版も。さらなる光速対応に感動です。下町副校長先生かと。。。ありがとうございました。

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DSCN5949.JPG PS.のPS. ポスター発表で審査の最後に、ふと、仙台市内の大学に近くにあるとある学校のポスターが。仙台市内の地図の場所と地名が一致していなくて、昔、農学部の助手の頃に住んでいた幸町が青葉区?????、それは、宮城野区の間違えではないか。。など、たた、ええええええ。。。。また、多賀城市の記載が違っていて。。。本当に仙台市で学んでいて、宮城県民なのだろうかと。。。宮城県の歴史、地理を学ぶこと、これは、サイエンスを学ぶのと同じくらい大事だろうと。。。仙台市、宮城県、日本国の歴史、地理、文化を知った上での国際化ではないかと。

DSCN5943.JPG PS.のPS.のPS. 発表の生徒さんの背中に、2017年の愛媛国体の広報が。。。みきゃんもいて。びっくりでした。こんなところで。。。愛媛と関係のある生徒さんでしょうか。その当たりの素性は、また、後ほど。。。。

DSCN5948.JPG PS.のPS.のPS.のPS. 1/26(月), 18:10. 盛岡三高副校長・下町先生からお礼のmailをいただき、ふと、先生が書かれているHPにいってみると。。。昨日、一昨日の記事が。そこに速報記事として紹介されたものがpdfとしてlinkされていました。渡辺の写真では見にくいという方。是非、そちらをご覧下さい。何がどの様に行われたか、また、その速さに驚くばかりですので。。。

 PS.のPS.のPS.のPS.のPS. 1/29(木), 12:10. 盛岡三高副校長・下町先生から、「SSH東北地区発表会の報告サイト」ができあがり、2日間にわたる発表、交流の様子が一目でわかるHPができあがったというmailを頂きました。こんな風にまとめることなく、日々発信している渡辺にとっては、なるほどと学ばせて頂きました。来月の盛岡三高での発表会も楽しみにしております。
 

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選抜、立ち上がり、若手(1/24)

2015年1月24日 (土)

 「春は選抜から」というと。。。植物の遺伝・育種であれば、実験に使う「アブラナ」のどの系統を残すと言うことかもしれない。さすがに、まだ、ガラス室では苗の状態で、自然の温度というか、低温で春化処理がされている。学生の頃よりも、ずいぶんと秋の暑い時期が長いので、秋の作付けがどうも難しくなり、その分、春の作付けが後ろにずれ込んでいるように感じる。どう作付けするのが「アブラナ」にとってよいのか、その当たりは、もう一度考え直してみるのが重要な気がする。渡辺が学生の頃は、秋の花が終わりそうなガラス室の脇のスペースで、11月上中旬には播種をして、12月の上旬には植木鉢に植え替えていたような。。ただ、年々忙しくなり、3月に植え替えという時期もあった。学部生、院生として実験を始めた頃は、農家のおじさんと同じレベルで栽培しようと、いろいろ工夫をしていた。農家のおじさんたちは、どうやったら、カブとか、ハクサイがより大きく収穫できるか。それに対して、こちらは花の数を多く、長きにわたってサンプリングできるか。わかったことは、冬のシーズンにどれだけ葉っぱの枚数を多くして、その葉っぱの色を濃くしておくか。栽培を学生さんに任せてしまったのはいつ頃か覚えてないが、緑の葉っぱと言うより、濃い緑、黒に近いような葉っぱにしておいた。もちろん、そうなると、病虫害への対策が大変になるという問題も裏腹にあった。特に、鱗翅目のコナガ、アオムシ、ヨトウガには、ずいぶんと痛い目に遭った。コナガはほんと困った。当時の害虫研の松田先生にコナガの防除を聞いたら、「講義でも言ったように、幼虫でなくて、成虫を物理的に防除する方が。。。。」。なるほどと思った。元を絶つ方が、現状ももちろんそうだが、次の世代を生じさせない。小学生のように虫取り網で、ずいぶん追っかけた。そんな風に次を生じさせないという選抜というか、駆除も大事だと。で、最初の「春は選抜から」は、普通なら。甲子園。春の甲子園。。。。高校時代の。。。82年ぶりに選抜され、旧制中学時代の松山中学が。53年ぶりの和歌山中学も。3月まで、しっかりアブラナを育てて、甲子園の試合をラジオで聞きながら、交配実験はできないかも知れないが、花が咲きそうだなと言うくらいにはしたいなと。。。

DSCN5548.JPG 甲子園での高校野球だけでなく、立ち上がり、物事の立ち上げにはかなり大変である。野球で言えば、最初に投げる投球がストライクなのか、ボールなのか。きわどいコースで、どちらかになるかというのは、そのあとの投手への影響は大きい。2球続けて、ボールになると、投手へのプレッシャーかなりのものになる。実験でも同じで。最初にうまくいけば、ある種の流れができる。逆にうまくいかないと、プレッシャーになる。ただ、最初にうまくいくと、いい気になって、できるとぬか喜びをしてはいけない。後で痛い目に遭うこともある。その意味で、立ち上がりがよくても、そのあと、いかに注意深くやるかと言うことももちろん大事である。物事の立ち上げと言うことでは、学生、助手になった頃、研究室で核酸を扱う実験をすることを始めた。plasmid DNAをとることにはさほど困らなかったが、きれいなplasmid DNAでなければ、満足な塩基配列決定ができないことでは、ずいぶん悩まされた。当時の遺伝子実験施設の中河原先生に、分子生物学というか、満足に塩基配列決定ができない理由、制限酵素で切れない理由、plasmid DNAにcloningできない理由など、たくさんの基本的なことを教えていただき、それなりのことができるようになるのに、結構(というより、かなり。。)時間がかかった。ただ、一度システムができあがれば、後は、限りなく失敗をしないようにすることであった。もちろん、うまくいく頃に、manualでのplasmid DNAの単離でなくて、kitが販売されるようになったのも寄与していると思う。ただ、立ち上げの苦労があったから、すんなりkitになじめたのかも知れない。いずれ、立ち上げの苦労は「買ってでもするもの」と言う気はするが、売ってないのが、難点である。ただ、よく考えれば、売ってないかも知れないが、意外といろいろなところに、落ちているのではないだろうかと思う。それを拾って、やってみれば、以外とおもしろいものが拾えるのではないかと思った。もちろん、すごい虫を拾ったと思ったら、「シバンムシ(死番虫)」だったらしく、松田先生に「渡辺君はすごいものを拾ってくるね、。。。」とあきれられた。そんなことがあることも考えないと。。。

DSCN5572.JPG 実験、研究で困ったら、いろんな所に行った。師匠の日向先生の「餅は餅屋」を実践したと言うことかもしれない。先の遺伝子実験施設にはじまり、タンパク質を蛍光標識したら、おもしろい実験ができるのではと、当時の食品分析の目黒先生のところへ伺ったり。もちろん、そんな風にあちこちに伺うような習慣がついたのも、4年生の時から、理学部・動物発生の竹内先生のところで培養・抗体作成の実験を習い、タンパク質の精製では、東大の磯貝先生のところに行っていたから、どこへ行くのもそれほど敷居が低かったのかも知れない。それに加えて、M2の秋からだったと思うが、当時の重点領域研究(筑波大の原田先生が代表をされていたので、原田重点と呼んでいたような。。)の各班の発表会、若手に発表の機会をと言うので、若手の会でしゃべることをさせてもらったのか、させられたのか。。。いずれ、いろいろな大学の同年代の方々と知り合いになり、また、農学部、理学部など、学部を超えての交流ができた。今となっては、大事な財産となっている。そう考えたとき、若手の頃、いつまでを若手というのかも知れないが、そうした機会に参加して、交流をしておくことが、思わぬ実験に発展したり、するものである。何より、夜遅くまで延々と議論をして、というのは、実験・研究に大きな幅を持たせることになった。唯一という言い方をすると、工学系の方との出会いが少なく、最近やっと。。。それでも農工連携のようなことも立ち上げ始めつつある。さらに、幅を広げれば。。。「春の選抜」が始まるまでに、あれこれと用意したら、きっと、若手はがんばってくれるのではないだろうか。ふと、そんなことを考えながら、とある発表会に参加して、思ったのでした。。。


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 わたなべしるす

 PS. 選抜には、渡辺の母校も。。。。最後まで気合いと根性でだと思いました。。。
 

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妖怪のせいなのね。そうなのよ。

2015年1月21日 (水)

年が明けて早3週間。
妖怪"サキオクリ"のせいでdiaryのupが遅れていた伊藤です。
年末からずっと先送りしていた事を考えると...恐ろしいですね。
妖怪の威力絶大!!
さて、今年の私ですが、良い事が起きる予感!
何故って、それはお正月早々のたなくじが大吉だったからです!
大吉.jpg
そんなラッキーな私の今年の目標は
・仕事では...事務の達人になる
・お家では...上手に子離れする
です。
<事務の達人宣言>
研究室で働かせて貰ってこの春で3年目に突入します。
そろそろ事務の事なら何でも聞いてよ!と言える様になりたいな、
ならなきゃな、の意味を込めて目標に設定しま〜す!
我が研究室ではボスの事を皆「ナベさん」と呼んでいます。
これはもちろん親しみを込めてという意味もありますが、
それぞれが担当している分野はその人が一番知っているので、
その点で先生と皆はevenという思いも込められています。
私も一日でも早く胸を張って「なべさん」と呼べるような事務の達人になります!
最近は物忘れが著しいお年頃ですが、めげずに頑張りたいと思います。
<上手に子離れ宣言>
3人のお子を持つ私ですが、昨年長男が中学生になりました。
ついつい手を掛けがちな長男は面倒な事は母任せの傾向にあります。
一人暮らしをしている研究室の学生さん達を見るたびに、
数年後に同じように家を出る時が来るのかと思うと不安な母です。
手始めにりんごの皮むきの練習などをさせているのですが、
如何せん「石橋を叩いても渡らない」性格。
うまく自立させられるか、、、道のりは長い、、、。
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長男とは正反対に「石橋を叩いて割る」性格の次男坊は、
常に我が道を進むタイプ。
後先考えずに行動する事が多く、これまた手を焼く事も多いのですが、
最近彼なりに色々と考えるようになってきている事が判明。
まだまだベッタリで構わないのに、長男より先に自立しそうな気配。
自分らしさを残しつつ成長して行ってほしいと願う母です。
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長女は...「石橋を叩いても渡っちゃダメよ。」
まだまだ私の手の中でゆっくりしておいき!
末っ子には甘い、末っ子の母です。
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子供たちのそれぞれとほど良い距離感を保てるようになる。
これが今年2つ目の目標です。
DSC00974-1.jpgのサムネール画像
いとう

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妖怪のせい にはしません!

2015年1月19日 (月)

明けましておめでとうございます.
今年初のダイアリーを書きます,M1イワモトです.

今年の目標をダイアリーに書かなくちゃな~と考えながら" 早3週 "が経ってしまいました(-_-;).ナベサンが土曜日に「20年,41年,目標」というダイアリーをあげており,これはもしかすると「早く書きなさいよ」と言う事かしら?と,思っていたら,本日ナベさんから「目標を早く書きなさい」と直接のご指示を頂きました(笑)

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遅くなりましたが今年の目標を3つ下記に書かせて頂きます.
・行動力を持つ
・持続性を持つ
・妖怪のせい or 厄年のせいにしない

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その1 行動力を持つ
早速ダイアリーを書くのを先延ばしにするして目標に反する事をしていますが,行動力を持ち何事にも積極的に取り組みたいと思います.


その2 持続性を持つ
「3日坊主」という,持続性が無い事を示すことわざがありますが,イワモトの意識内では「3日も続いたじゃん.」という認識です.去年新たに行おうとして挫折したことは
・弁当男子になる・・・・・(2日で終了)
・ムキムキになる・・・・・(プロテインを買って終了)
・ジョギングをする・・・・(思って終了)
この場をお借りして,声高らかに宣言します.
「私,イワモト.(月~水曜日は)弁当男子になります!」ラボメンの皆さん持って来ていなかったら「オイ,イワモト!!」とプレッシャーを与えてください(笑)


その3 妖怪のせい or 厄年のせいにしない
子ども達が朝眠いのは妖怪のせい.うんちが臭いのは妖怪のせい.と歌っているらしいですが,僕はもう24歳(厄年)なので,そんなことは信じません.
朝 眠いのは妖怪のせい」・・・・・違います.夜更かしのせいです.
「体調が悪くなったのは厄年のせい」・・・・・違います.食生活の乱れです.
失敗したこと,上手くいったこと,何事においても原因を考え,それを活かしていきます.そして素敵な24歳になります!!


上記には研究の事は書いていませんが,上記の目標は研究を行っていく上でもとても重要な事ですので意識してやっていきたいです.

以上,イワモト2015年の目標でした.

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話は変わり,増子さんの誕生日プレゼントをナベモトさんが誕生日カードと一緒に渡していました.
今年もワイワイ楽しくやっています,ナベ研でした.

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誕生日カードをもらった増子さん.嬉しさを表現しています(笑)

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プレゼントはお洒落なレッグウォーマーです.運悪く今日は長いスカートで来ていたので,写真を撮るために裾をまくって頂きました.感謝です.

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20年、41年、目標(1/17)

2015年1月17日 (土)

 大学が法人化される前、法人化されてからもしばらくそうだったのか。正確に覚えてないが、毎月17日は給料日であった。農学部の助手になったのが、1991年4月1日。この頃には確か、隔週で土曜日が休み。といっても、毎週普通に来ていたような。それなりに仕事があるし、。。というか、終わらないし。20年前。あの当時は朝早く起きるのは、そんなにつらくなかったような。若かったのだろう。。。朝の情報番組をつけたら、真っ暗な中で、大阪かどこかのガラスが割れているのが出ていて。。。何が起きたのかわからず、今のようにnetがあるわけでもなくというか、ぎりぎりあったかもしれないが、今のように使えるわけでもない。。。月曜日だったし、朝は掃除があったはずで。それで早く出かけたら。。。阪神大震災で、何ともいえないことになっていて。。。
少なくとも自宅も、研究室も電話機はダイアル式。今どき、これをいってわかる人がどれくらいいるのか。研究室に朝、スタッフが集まり、テレビをつけると、とんでもないことに。。。神戸大農学部には、自家不和合性をCO2で打破することを見つけられた中西先生もおられ。。。どうやってコンタクトをとれば良いのか。すごいもどかしかった。。。まさか、そのあと、東日本大震災が来るとは思わず。。。数日して、先生と連絡ができ、でも、大学のサンプルは、全部、吹っ飛んでしまい。。。というか、凍結していたのが解けて。。。全く同じことを自分のlabで経験するとは。。。その後、何度も、神戸大との共同研究等で訪問して、復興していく反面、空き地などがあちこちに残っているのを見ているのは、とてもつらかった。20年たったら、元に戻ると思っていたが。。。では、3.11から20年たつのは、2031年。。。どうなっているのだろうか。netができて情報のやりとりは、阪神大震災より良くなったが、それ以外の面は。。。やっぱり、ちゃんと考えないといけない。何を。。。それを考えるところから。

 その20年前よりさらに21年前にさかのぼると。。。大学受験のために共通一次試験が終わり、振替休日で休みだったはず。いずれ、火曜日だった。どれくらいできたのか、感触的にどうだったのか、覚えていない。ただ、担任に言われて自己採点をしたら。。。1,000点満点の共通一次で、75%ちょっと。さすがにへこんでいる渡辺に担任も父親もぼこぼこに、傷口に塩を。。。ふと、自転車に乗って、目的を持ってだったの、ふとだったのか。小学校5, 6年生の時の担任であった白石先生のお宅へ。1hrほど話したであろうか。。。「いくところがないわけでないのだろう。いったところでがんばれば、よいのだよ。。」と。そんなこともあり、2次試験でがんばり。。。仙台に来ることができた。というか、仙台でがんばれたのは、小学校の時の白石先生のおかげ。何事もがんばるしかない。今日がセンター試験、1日目。この記事がuploadされる頃には、英語のヒアリングも終わった頃ではないだろうか。こんな風に、大学入試という「入り口」も今のような試験でなくなるとか。。。逆に、「出口」を厳格化するとか。。。どっちとかいうのでなくて、歴史を振り返れば、たぶん、戦前までは、小学校でも留年とかあったのでは。。。そう考えれば、ちゃんとすることは、大事なことだと思うが。。。どこから、大学から???もっと前から???その当たりをしっかり考えないと。全てが破綻するのでは。。。ふと、そんなことを思った共通一次試験の失望から41年目であった。

DSCN5860.JPG そんな41年前、「ブルートレイン」と呼ばれた寝台列車にずいぶんお世話になった。それから比べると、新幹線は高速化して、netもできるようになったり、電源も設置され、便利になった。41年前に現在のような渡辺になっているという「目標」があったか。。。冷静に、はなはだ疑問である。ただ、何かをきっかけに、何だったのか。きっと、大学での研究生活で、いろんな痛い目に遭って。。。(くれぐれも、最近はやりのハ○ス△ントのたぐいでないことだけは記しておく。研究でやられまくったというと、わかる人もいるかも。。。)。それを踏まえて、目標を立てて、がんばった。まさに、白石先生の言葉の通り。渡辺にとっての目標もあるが、色々なところで目標があるようであるが、どうやってこれを達成するというのかという目標だったり、なるほど、こんな目標もありだなというのを、先の出張中にnetで見つけていたが、なかなか時間がなくて。。。そうそう、こんなことをしている場合でなくて、この週末の目標は、とあるpptを完成させること。そうでないと来週破綻しそう。。。日々、ちゃんとすること、それが色々なことが良くなる方向に行くのでは。。。どうちゃんとするのが大事なのだろうけど。。。41年前の反省なのか、おしえなのか、いずれそれを元に、がんばってみよう。受験生の皆さん、明日もまだあるわけです。もう一息がんばるのが。。。大事なのだろう。復興も。。。


 わたなべしるす

 PS. 「東北バイオ教育プロジェクト」として、福島県立新地高等学校の「環境制御型農業における育成培地の研究」を指導していましたが、このプロジェクトが、平成26年度 青少年の体験活動推進企業表彰に。受賞企業一覧は、こちらに。そんなことにお手伝いできたのだなと。ありがたい限りです。
 


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