東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

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3/11(金)、14:46から今日まで、その20(3/10)。

2012年3月10日 (土)

 あの3/11の震災から、もうすぐ1年になる。あと、18hrとちょっとである。あの日が週末の金曜日で、昨日と同じように、曇っていたような。数日前には、三陸沖でそれなりの地震があって、。。。どうも、そうしたことばかりが気になる。研究室の中は、それなりに戻った。外壁などの工事も、少しずつ始まろうとしている。しかしながら、心の傷はまだ、そのままなのかもしれない。今週から、3/11の日曜日にかけて、震災関連のテレビがあるが、見るに堪えない。。というか、思い出すのか。。。何が起きているのかは、脳みその中が見えないので、どうにもわからない。。。

 震災のことを外の方にも見て頂きたくこのことをつづり始めて、20回になった。最初の頃は、震災のこと、搖れのこと、放射能汚染のことなど、たくさん記すことがあった。もちろん、今も、津波被害地、放射能汚染地では、1年で何がどれだけ進んだのか。。。何の仕組みがどうなっていて、この状況なのか、どうにも。。。せめて心のことだけでもと、いろいろなところで出前講義等で、子供たちの励ましくらいと。。。

DSCN2168.JPG いずれ、ものすごいショックなことであったのは事実で、少しでもいろいろなことをするのが、もちろん、科学者として、であろうが。。。この連載記事を書く筆が進まないのは、もちろん、1年という期間が過ぎたこともあるだろうが、それ以上に、時間では解決できない、復旧の進み方、心の問題など、気になっていることがたくさんあるが、書いてもすぐに解決しないからなのかもしれない。。。

 この日曜日の14:46には、なくなられた多くの方々に黙祷したい。。。。そんなことしかできないと思った、18hrちょっと前である。。。


 わたなべしるす

 PS. 昨日は、SSH、科学者の卵、理数科の課題研究などで講義をしたり、コメントしたりしていた高校生が、大学に合格したということで、研究室に挨拶に来てくれました。この上のないうれしいことです。大学でもがんばってください。


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3/11(金)、14:46から今日まで、その19(1/29)。

2012年1月29日 (日)

 昨年の11/25にこの連載記事を書いて、2ヶ月以上たった。研究室の中は「補正予算」のおかげだろう。顕微鏡を始め、機器類、実験台は元にほぼ戻って、震災前と区別がつかないのかもしれない。壁などのひび割れの調査も、近日中にあり、そのあたりも修繕されるだろう。前の記事では心のケアの問題を書いたが、間に年末、年始を挟んだこともあり、学生さんなどは、実家に戻ったりでよくなったのではないだろうか。もちろん、完全ではないだろうが。。。

 何か大きな変化と考えると、毎日の生活では感じないが、テレビ、新聞、netなどを見ていると、沿岸部の復旧、復興が「かたづける」というところから、次のステップに進んでいないようである。実際に見ることがあるのは、仙台の周辺だけなので、正確にはわからないが。いろいろな手当はなされているはずである。研究室が立ち直ろうとしたように。。。では、何のどこがどうおかしくて、何をどうすれば、そうしたところが改善されるのか、どうも見えにくい。システム全体といってしまえば、それまでかもしれないが、。。縦横の連携、伝達の仕組み、いろいろ考えるが、これという根本的なものが見えない。。システムチェンジのモデルを考えないといけないのかもしれない。実験・研究もうまくいかないときは、ちょっと違うことをやってみるように。

DSCN0391.JPG 昨日だったろうか。ずいぶんと比較的大きな地震があった。また、年明けから、研究室で数回「緊急地震速報」がスピーカーから流れた。結構、かなり、びっくりする。冬なので、火事のことなど、気をつけることをまず、やろうとしている。おかげさまかどうかはわからないが、本が落ちたりするようなことはない。植物で実験をしていると、植物を見ていて、何か変化に気がつくことはあるが、地震は、地面の下だけに、何が見えない。見えるというか、わかる人には、何かわかるのかもしれないが、こちらは、こうした数とか大きさとか場所くらいから、想像、妄想しかできない。震災から、1年という3/11も近くなっている。明日から、SSHの指導・出前講義等で出張が続く。何も起きないことを祈るばかりである。

 こうして考えると、自然科学の中の「植物科学」を研究教育している分類なのだろうが、「地球科学」とでもいえばよいのだろうか。計り知れない大きい自然が対象であり、その変化を見つける大変さを感じる。もちろん、やっておられる方々も、植物は扱いにくいと思うのかもしれない。植物の毎日の変化を見逃さないように、地球全体の変化を見逃さないように、注意力を研ぎ澄ませることが、いろいろなところで重要なのだろうと。。。また、その変化があったときに、それをきちんと記しておく。実験では当たり前かもしれないが。。


 わたなべしるす


 PS. 廊下を歩いていて、今まであまり気がつかなかったのかもしれないが、数年前の改修工事のあとに、廊下などには、リノリュームのシートが貼られてある。その下に最近なのか、今日、偶然気がついたか、大きなひび割れを見つけることがあった。大丈夫なのだろうか。上記のような地震が頻繁になってきたことで、この建物の最上階にいるものとしては、かなり気になるのだが。。なにもないことを。。。。

 なお、この記事を初めてご覧になる方、1-18をまとめたページもあります。あわせてご覧ください。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その18(11/25)。

2011年11月26日 (土)

 10/13に、この連載記事を書いてから、貯まっていた多くの出前講義をこなしたりしたこともあって、また、毎月10日前後に大きな地震が起きていたのも起きず。。。その代わり、ここ数日、日本の北から南で、それなりの大きさの地震が。。。何を意味するのか。。。昨日の夕方のニュースの時間の「地震が来ます!!」という久しぶりのテロップというか、アナウンスには驚かされた。逆に言えば、そんなことが、最近起きてない。。。よいことなのだろうが、緊張感もなくなってきているのも事実であろう。

 地震に対する緊張感、放射能汚染に対する緊張感、3/11から1ヶ月であれば、かなりぴりぴりしていたし、夏前でもそうだったような気がする。そんな緊張感がよい意味か、悪い意味か、とけ始めて、結果として、疲れが出ている感じがある。大学の教員を調べたdataではないが、小中学校の先生だったと思うが、今まで以上に子供たちのことを気にとめて、また、平時と同じように授業がある。そんなことで、半数以上だったか、2/3以上だったか、かなり無理をされていると。大学でもそんな調査はないのだろうか。。。

DSCN1467.JPG ということでいいわけではないが、11/23の勤労感謝の日当たりに体の方がパンクした。。。ぎっくり腰というのは、あまり重たいものでないものを持ち上げようとしたときになるらしいが。。そうしたことをした覚えはないのだが。。8ヶ月と10日でパンクして、何とか起き上がれる格好で、昔の猿人、アウストラロピテクス属の何かのような腰が曲がった状態で。こんなのでは、さすがに、大掃除のおじゃまでしかなく、また、学生さん、スタッフの皆さんのご厚意で、医者に行って、何とか、直立できるホモ属にもどれた。ただ、筋肉の張り、脊髄のずれが直っただけで、また、元に戻ろうとする。腰の方を守ろうとして、体の他の部分に負荷をかけて、膝などに痛みが来る。ゆがみを直さないで、別の場所で調整する。生き物の不思議さを感じる。

 植物では、同じようなことが起きるのだろうか。何かがおかしくなり、それを別の方法で直して、結果として、何も変わらないように見える。すぐに思いつかないが、肥培管理には、ひとそれぞれの特徴があるが、最終的な収量は、品種が同じであれば、さほど変わらないような気がする。このたとえが正しいのか、間違えているのかわからないが、生物の持つ可塑性の1つなのだろうか。本当の可塑性であれば、ちゃんと元の場所を戻すのが、可塑性のような気がする。その意味では、自分自身、正しく可塑性を使えてないのかもしれない。。。いきものを扱っていて、いきものある自分を直せない。。なんとも。。。という気持ちになった。

 ひとが所属している組織、毎日の生活など、何でもそうであろうが、3/11の前と比べて、同じようになっているつもりでも、やっぱりどこかはねじれていて、それを違う方向にねじって、一見、3/11以前と同じように見せているような部分もあるような気がする。どんなものでもそうかもしれない。壊れたものは、元の形に基本直して、活動するのが。もちろん、数段上へのversion upはあってしかるべきであろうが。。

 研究室のみなさまに大掃除の負担をかけて、この程度のことしかわからないかとしかられそうであるが、。。せめてものお礼とお詫びの印に。。。

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 わたなべしるす


 PS. 最近の新聞紙上に、「震災後これまで、長い時間の頑張りの蓄積が来ているようで、仙台にも心のケア拠点が出来る旨」というものが。。より多くの方の心と体のケアがされてほしいものだと。。。



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3/11(金)、14:46から今日まで、その17(10/13)。

2011年10月13日 (木)

 9/11に3/11から、半年が過ぎた。毎月1回は記していたこの記事も、この前の記事から2ヶ月合間ができた。この間、仙台市内盛岡浦和などに出前講義に出ており、震災から半年を振り返る時間が十分になかった。あったのかもしれないが、文章にするだけの時間がなかった。そうこうしているうちに、3/11から7ヶ月目である10/11も、一昨日過ぎてしまった。その間に復旧、復興について、世の中がどのように動いたのか、大きな変化があったかと思い出してみると、研究室では、何度か書いたかもしれないが、落ちてしまった機器類が、少しずつ復旧しつつあり、こうしたことに配慮頂いた研究科の方々に感謝したい。ありがとうございました。学生さんたちの研究に弾みがつくと思っています。では、身近な町の様子。大学の周りを見ると、壁の復旧をしていたり、直すことができない木造建築物を壊して、更地にしたり。もう少し広げると、東北新幹線は、9/23には震災前のダイヤになった。仙台空港までの電車も10/1から全通した。一部を除けば、震災は???というイメージかもしれないが。。実態はそんなこともない。。。

DSCF8194.JPG では、もう少し沿岸に近い方になったとき、常磐線も沿岸部から山間部への移動は決まっても、いつになったらできるのだろう。。。仙石線も同じようなことが問題となっている。沿岸部では、震災で生じた大量のがれきもそのまま、高い山のように積まれる一方。。いつまでかかるのだろう、攻めての現状復帰というか、復旧まで。。なんというか、半年以上たって、この状況。。。高所から意見できる方々、もう少し迅速な対応をお願いしたいと、切に思って、7ヶ月が過ぎた。こうしたときの、速さというのは本当に暖かみを感じ得ないと思うのは、渡辺だけでないだろう。

 放射線の問題が、いろいろなことで問題拡大していることも、気になる。特に、植物を扱っていて、農学部卒という立場では、農産物への影響を考えた時、何とも言えない悲しさというか、どうにもできない自分の力のなさをどうしようもなく、。。。ニュースにも、ホットスポット、ストロンチウム、プルトニウム、セシウム、福島原発から250kmなど、どこまで被害が広がるのか、。。。植物科学をやっていると、どうも、物理、化学は。。なぜ、こうなったのか、このあとどうなるのか、もう少し、日本の科学力がという気がする。もちろん、農業を含めた様々なことへの「風評被害」がどこまで拡大するのか、暦が1年回るまで、その季節に応じたイベントと連動することなどもあり、もう少し長い目で見ないといけないのかもしれない。何より、見えないのが、。。いろいろなものが可視化されてきて、ずいぶんと進歩してきた。何とか、放射線というか、放射性物質が、可視化できないものなのだろうか。。。

 震災とは直接関係ないかもしれないが、AppleのCEOもつとめたスティーブ・ジョブズがこの間にこの世を去った。大学に入ってから使っていたパソコンは、MS-DOS, Windowsということもあり、AppleのMacとは遠縁であった(もちろん、今もWindowsを使っているのであるが。。)。しかしながら、ABIのDNA sequencerの初期モデルでは、sequencerを動かすパソコンがMacであり、リンゴマークのキーボードを使うのは、どうにも苦手であった。その彼がスタンフォード大学での卒業式スピーチで、「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。」という言葉を残していると聞いた。「ハングリーであり続けろ。」というのは、まさに、気合いと根性でがんばろうというように考えた。では、「愚かであり続けろ。」とは。。。どう考えればよいのだろう。。。正しい解釈かどうかわからないが、今回の震災で身の回りで起きたことをtotalに考えると、人間が理解しているというか、考えていることは、まだ、ほんの自然の一部であり、全部ではない。何でもできると思ったとき、自然災害のようなことが起きるでは、過信をしてはいけないという気がした。もちろん、彼自身の真の解釈と異なるかもしれないが。。

DSCN1096.JPG これから季節は冬へ。震災後の影響が少しでも少なく、迅速な復旧、復興を祈ってやまない。。。


 わたなべしるす


 PS. そういえば、11日前後に起きる比較的大きな地震。今月も。10/10の昼頃に。なぜなのか。。。地学がわからない渡辺には、地球が生きているというか、生き物様な。。地面の下で見えないのが、何とも歯がゆい10日前後です。。。

 震災後ひとのつながりがということをよく言われる。確かに、出前講義だったり、日常生活だったり、不思議なつながり、ご縁を感じる。こうしたpositiveな面は、震災とは関係なく、継続してほしいものである。。。


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3/11(金)、14:46から今日まで、その16(8/11)。

2011年8月11日 (木)

 前回のその15を記してから、1ヶ月ほど、震災についてお知らせする十分な時間がありませんでした。振り返って考えると、復旧とか、そういうことよりも、「原発被害の様々な食糧への影響拡大」というのが、key wordになるのではないでしょうか。農学部を卒業し、作物を育てることの大変さを学んできたものとしては、この拡大には、何とも言えず心を痛めたというか、「想定外」ということでは済まされないような範囲とも言える、日本の半分くらいが、ある意味、可能性があるようになったのではと危惧しいる次第です。最初は、牛の肥育用の稲わらへの放射性物質の付着というか、汚染というか。こうしたことが起きるだろうという警鐘が早期にあったということをテレビなどで聞きましたが、農学部出身ということもあり、結構こうしたことに敏感になっている割には、テレビなどで早期に流れなかったような。。。。。

DSCN4967.JPG この牛の問題に続いて、ここ最近は、主食の水稲への放射性セシウムの蓄積の問題が。。。。極早生の早場米の地域では、早速測定が始まっているとか。。。。爆発の直後には、キャベツ、ブロッコリー、ホウレンソウなどが畑に鋤き込まれているのを見て、何とも言えない思いでしたが、お米の胚乳部分にどれくらいのものが蓄積するのか、過去にも論文をひっくり返せば、dataがあるのではと思います。時間がなくて、また、そうした専門(植物栄養学、土壌肥料学等)でないことから、どうも苦手です。。。ただ、そうも行ってられないので、何とかfollowしながら、と思っています。放射性物質は、RI実験室でしか使わないという概念だったのが、こんな身近に迫ってくるとは。。放射性物質は、今回被害があった地域に広く拡散しているはずです。1年間、作物のサイクルを考えてみると、ムギだったり、冬作物だったり。。。。どこまで考えればよいのか、放射性物質が苦手な渡辺には、頭が痛いです。

 長期に考えるという点では、木材にも吸収しているはずです。そんな木材で建築などは無理でしょうし。。。椎茸などの原木も。。考えると果てしなく広がります。そういえば、腐葉土からも出ていたのを思い出します。想定外にならないように、対応したいと思いますし、こうした資材を使って、実験をするとき、低放射線量の植物を実験に使ったとき、どのような影響が出るのか、見ている形質に。あるいは、種子を介して次世代にどれくらい移るのか、それが実験の誤差を広げる要因になるのではないのか、考えるファクターが多くなったのは、頭を抱えます。こんな時に、いわゆる次世代シークエンサーのようなもので、こうした要因を排除できないものか、少しサイエンスの世界として考えたいものだと。。

 いずれ、秋祭りが豊作を祝うものだったような。たくさんの問題のないお米ができるのを切に祈る限りです。。。。。

 この1ヶ月を正確に記録にしているわけではないですが、比較的大きな地震があった時期とそうでなく、1日搖れを感じることなく終わる日が。。。。この違いは何なのだろうと、本当に不思議に思います。地震学、地学の先生から、地面の下は見えないのでというようなコメントを頂き、確かに見えないものは、。。。という気がするが、何とかならないものだろうか。気象関係のHPを見ていても、揺れる場所を見ていて、何かが見えるかというと。。。よくわからない。

 大型台風一過のあとには、ずいぶんと涼しかったというより、寒い日もあった。ここ数日は、また、夏が戻ってきたというか、十分すぎるくらい暑い。寒暖の差は、やっぱり体力を奪われ、震災以来の疲れが。。。この暑いという熱エネルギーをどうやってか貯めることができないのか。外に出ると、触るものすべてが暑い。今のこの工学力で何とかならないのか。もちろん、植物は、静かに「光合成」をして、少しずつであるが、デンプンとして貯めているわけであるが。。

DSCN3150.JPG そういえば、この間に、66回目の広島、長崎原爆の日があった。広島原爆の記念館には小学校での修学旅行で。長崎原爆の記念館には、ずいぶん後になってから伺ったのを思い出す。その中でのコメントに、「福島原発」があったのは、印象的であり、生涯忘れ得ぬ出来事になるような気がした。

 以前に実際の暦と体内時計というか、自分自身の暦があってないようなことを書いたが、暑さも手伝ってか、また、夏にあるであろうことがそれぞれ起き、テレビなどで見たおかげだろうか。戻ったような気がする。ただ、緊張の糸が切れないのか、切ろうとしないのか、それだけは何とかしたいものと思った、震災から5ヶ月であった。最後になったが、亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。


 わたなべしるす

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3/11(金)、14:46から今日まで、その15(7/11)。

2011年7月11日 (月)

 前回のその14を記してから、あまり時間的にたっていませんが、今日が震災から、ちょうど4ヶ月。14:46には、黙祷と思っておりましたが、諸般の事情で、数時間遅れでとなりました。亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。

 ここ数日、大きな地震があり、研究室にいてもよく揺れます。新聞か、netかわかりませんが、1ヶ月説とかいうのもあるとか。いずれ、気象庁のコメントでは、しばらくきのうくらいの地震はあるとか。もちろん、その程度の地震では、研究室に特に被害はないと思いますが、まさに、忘れた頃になので、気をつけないとと。。

 どこかの新聞紙上には、明治三陸大津波より、被害者は少ないという文字が。確かにあのときの構造物の強度、地震に対する考え方などを考えると、数字的には少なくても、被害の状況は、大きいのではと思います。津波も、まして、当時はなかった、原発の水素爆発など。震災以来、仙台空港の近く以外の被災地を訪れていません。いろいろなこともあり。また、カメラを向けることも。そういえば、昨日も、高校生を対象にした「未来の科学者の卵」でも、被災地の先生方とお目にかかって、是非、一度いらしてください、出前講義をとお願いされ、何とか言ってみようと思っております。また、講義を行う前に、津波、原発被害を受けている受講生がいることを考えたとき、最初は言葉に詰まりそうになり、何とかそれをこらえて、講義を行いました。

DSCN0813.JPG それにしても、今回の3/11の大地震が、日本の近くの地面というか、地殻というかそういうところに与えた影響は多いのだなと。三陸沖だけでなく、日本の様々なところで毎日のように地震が起きています。それも、このところ、多くなっているような気がします。たとえば、動物であれば、第六感のようなもので、退避できるのかもしれないですが、人間には、それがないのか、どうなのか。何か知るすべがないのか、あっても、もちろん、退避できるのかということもありますが。

 それから、前にも書いたようなことですが、頭の中の時計が、1ヶ月遅れだと。。。緊張の糸を緩めてしまうと、どうしようもないところまで落ちてしまうというように、体の方が、対応しているのではということをいわれる方も。確かにそうなのかもしれません。緩めたとき、それが戻るの恐ろしくて、緊張しているまま。。。というような。なので、いつまでたっても高いテンションのまま。体に負荷がかかるばかりなのですが。。。かといって、地震が起きない、放射能汚染が止まる、復旧が迅速に起きるなどが、担保されないと、。。ということなのかもしれません。

 そういえば、今日、東北地方も梅雨が明けたとか。いつも梅雨が明けなく、じめじめした梅雨が多かったような記憶が。。。梅雨明け10日というように、しばらく天気もよいとか。。。つゆらしい雨が降らず、バケツをかやしたような大雨が。。今日も、県境を越えたところまで、大きな雨雲が。。。少しでも雨が降れば、焼けた地面が冷めると。。。。

 3/11の直後、かなりのことが、「超法規的処置」がされたような気がします。ところが、沿岸部の大きく積まれた山のようながれきは、4ヶ月そのまま。いつになったら、どこでどうやって処理がされるのか、何のために、そこに集めたのか。もちろん、ばらばらよりよいと思いますが、。。何とか、迅速に、どこかに片付ける、焼却するなど、できないのでしょうか。。俯瞰的立場でものを見ている方々、是非、早急な対応をお願いしたいと思います。それが切なる願いです。。。


 わたなべしるす

 PS. 明日は、仙台第三高校のSSHの講義と仙台市立木町通小学校での放射線量の定点観測です。また、その結果は、後日報告します。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その14(7/4, 7/6追記)。

2011年7月 5日 (火)

 前回のその13を記してから、20日近くたちました。そのあと、多くの出前講義オープンラボ招待セミナーなどあり、震災前と同じ状態かと思われるかもしれないですが、来客があり、沿岸部に行くことがありましたが、もちろん、少しずつ、電気が復旧して、信号機が自動で動いていたり、今週末からは、新幹線の徐行区間短くなったり、月末に近い頃には、空路も定期便になるという連絡があり、復旧の足音も見えつつあります。しかしながら、沿岸部の海に近いところまで行くと、まだまだ、車の山があったりで。何がどう片付いているのか、どうすればよいのか、頭を抱えます。また、こうしたところに行くことはあれど、未だ、その被災地を写真に納めることができません。どうしてもその方向にカメラを向けられません。歴史の生き証人として、そうしたことを記しておくことは重要というのはよくわかりますが、。。

 仙台での地震の回数は減りましたが、研究室の学生さんの実家の方で、相次いで大きな地震があったのは、びっくりというか。離れていることもあり、心配になりました。無事が確認でき、ホットということもありました。

DSCN0726.JPG この間には、ずいぶんと集中豪雨というか、ゲリラ豪雨のようなものがありました。これを書いている間にも、ほんの10min間で、かなりの雨が降りました。ただ、大学の周辺では、total 50mmを超えるようなことがありましたが、それによる特に大きな被害もなく。海抜ゼロメートル地帯になったところでは、大きな問題だと思います。

 先にも書いたとおり、ずいぶんと出張に出かけ、新幹線を使いますが、福島、郡山駅に止まったあと、その町の郊外を走りますが、夕方なのに人気がほとんどないというのは、何ともいえず、心が痛みます。放射線量が、時間あたり、1マイクロシーベルトを超えているところがほとんどで、局所的には、その10倍近いところもある「ホットスポット」も検出され、何とかならないのかと思います。遊び盛りに小学生が、外に行けないことは、大変つらいことだろうと。そんな折、夏休みに、北海道などでサマーキャンプをしてという企画も新聞などで見かけました。より大きな方向でこうしたことが広がることを期待したいと思います。もちろん、一部ではありますが、渡辺もお手伝いしている、「科学者の卵」も、夏休みに企画を行います。

 数回前のHPのこのコーナーに、RIの管理区域に入るときにつける、「フィルムバッチ」という、外部被曝量を簡易的に検出するものをつけたらということを書いたような気がします。同じようなことを考えておられるもので、福島県全体に、「フィルムバッチ」を配布して、常時計測という話を聞きました。なによりかと。ただ、宮城県との県境、茨城県との県境、栃木県との県境なども含めて、検討いただけないものかと。。。高所から、俯瞰的な立場にいらっしゃる方々。なにとぞ、なにとぞ。。。渡辺自身も、と思うくらいですので。。。。

 1次補正がゼロ査定ということを書いたところ、ずいぶん多くの方から励ましのお言葉をいただきました。おかげさまというか、大きくゆがんだ実験台は、研究科の方(研究科長裁量経費)で、新しくしていただけるということで、関係の方々に、この場を借りてお礼申し上げます。震災後の何度かの大きな搖れにも持ちこたえつつ、でも、ゆがみが大きくなり、危険度が増していただけに、ありがたいお話でした。8月のお盆前には、交換されるのではと思っております。また、できたら、HPで公開したいと思います。特に、天井部分のひどかった部分について。。。。

DSCN0739.JPG 放射線が苦手な渡辺には、福島第一原発の状態について、あまりテレビ、新聞での報道が減っているのは、気がかりである。一方で、ニュースというより、あのときこうだったというようなドキュメンタリー番組あったりで。。。そういえば、原子力関連学会が、関係機関に対して、事実の早急な報告というのを目にした。こんなことに限らず、研究室であれば、実験をしていて、うまくいった、行かないの報告はある。それがどこの組織でも機能しているので、うまくいっているのだと思う。是非、そうあってほしいと思うのであった。


 わたなべしるす。

 PS. 今日は大学院の講義があった。自由に質問を受け付けて、答えるということを行ったが、相互に十分な満足度があったのだろうか。言いっ放しのような状態では、お互いに進歩がない、。。そのあたりを正確に計る物差しがないものだろうか。。

 そういえば、このところ、渡辺自身はわすれものが多いのが、気がかりです。単純に、震災疲れが出ているのだと。。。。どこかでゆっくり休みたいという気持ちと、緊張の糸が切れた瞬間が怖いような。。研究室のスタッフ、学生さんたちも日替わりで体調を崩されることもあり、研究室そのものをどこかのタイミングでリフレッシュしたいと思う、今日この頃でした。皆様、くれぐれもご自愛ください。

 昨日の夕方、こんどは和歌山県で大きな地震が。。出前講義ででかけた、日高高校の近くのようで。この前から起きている、長野・松本の地震、今回の和歌山。小学校の頃に四国で見た中央構造線を思い出し、関係なければと。。。


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3/11(金)、14:46から今日まで、その13(6/12)。

2011年6月12日 (日)

 前回のその12を記してから、20日近くたちました。昨日は、あの震災からちょうど3ヶ月。14:46にはこの震災でなくなられた多くの皆様に哀悼の意を表して、黙祷しました(黙祷)。当日は、多くのテレビでこの3ヶ月を振り返ったような番組をやってました。震災後3ヶ月で、大きな余震があるといわれていましたが、これを記している現在でも起きてないのは、なによりです。このまま収束してくれれば、何より心の安心が戻ってくるような気がします。

 沖縄では梅雨が明け、西日本では大雨が降っているようですが、仙台はどうやらオホーツク高気圧に覆われていて、比較的乾燥している快晴が続いています。前回のその12の時には、なんといっても、1次補正のゼロ査定というのが衝撃的なことでした。今でも忘れられません。

DSCN0664.JPG この20日近くで、研究室内で何か大きな変化があったかというと、これといった大きな変化はなかったと思います。仙台の町中を歩いても、欠落をしていたモノというようなことに変化は見えません。建物の補修をしていたようなところが、幌かけしていたものがなくなったところが多くあったのかもしれません。仙台駅のような。そんなように仙台の町中というようなところでは、大きな変化はなかったと思います。何でもそうかもしれないですが、最初の立ち上がりは変化が大きいですが、しばらくたつと、飽和(saturate)してしまい、なかなか進まない。この震災からの復旧に想像以上に時間がかかるという苦悩というか、大変さをじわじわと痛感しているような気がします。

 時間をとれない、また、被災地に行くと復旧の邪魔になりかねないということで、沿岸部に行っておりませんが、まだ、復旧もままならず、復興には遠いというのが現状かと。なにより、福島原発の収束が未だめどが立たず、メルトダウンから、メルトスルーという状況に変化したとか。研究室で線量計を買いましたが、理学部の先生が測定してくれているモノは、自分との比較において、安心材料です。ちまたでいわれているようなホットスポットに当たるようなものが今のところないというか、見つけられてないだけなのかもしれません。年内にどこまで原そうしたことも発問題が解決しているのか、不安を感じ得ない毎日です。これまでにも書いたかもしれないですが、ここまで解決できたのは、個々の力の部分が大きかったと思います。もう少し、俯瞰的に見ることができる立場の方々が、積極的な手を打っていただけないものかと、もどかしいモノを感じ得ません。

 復旧をしながら、復興というある種難しい側面なのかもしれません。今回の津波も1,000年に一度という規模でした。出前講義で、直近、5年先、20年先ということは話しますが、1,000年先、日本、世界がどうなっているのかを描くのは、かなり難しいような気がします。どうなのでしょうか。。また、同じ津波に遭わないようにするのは、重要ですが。。一国でも早い復旧を願ってやまない、震災後3ヶ月でした。

DSCN0661.JPGのサムネール画像
 わたなべしるす

 PS. 来週の土日は、オープンラボです。先の話で天気までははっきりしませんが、雨模様ということはないようです。多くの方の訪問をお待ちしております。



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3/11(金)、14:46から今日まで、その12(5/25)。

2011年5月25日 (水)

 前回のその11を記してから、10日あまりすぎました。ずいぶんと初夏のような天気になり、仙台も暑くなってきました。先日来客があり、時間の関係で空港までご一緒しました。議論の時間が足りず。その折りに、道沿いに沿岸部というか、広瀬川、名取側の河口付近を見ることがありました。今頃であれば、田植えのあとの小さなイネの苗があるのが、何もなく、今まで海を垣間見ることもなかったのが、みえたり。。。さらに、まだ、がれきが残っているところがたくさんあったのを見たのは、目を覆いたくなりました。空港の近くでは、まだ、電気もきておらず、交通整理が行われていました。そういえば、空港の運行は自家発電とか。まだ、まだ、復旧とは言えない場所が、身の回りにたくさんあることを実感しました。津波で流されたがれき、車が山のようになっているのを見て、一体全体、これだけの破壊力のある津波というのをエネルギーに換算したら、どれくらいになるのか、物理学が分かる方から、お話を聞きたいと思ったりもしました。

 そんな中で驚いたのは、ササなどが塩害で枯れているにもかかわらず、アブラナとおぼしき黄色い花は満開でした。以前に書いたアブラナの高い能力は、こうした点でも優れているのだと実感できました。よりよい方向に使えればと思いました。

 そういえば、数日前にいわゆる一次補正の予算措置の通知がありました。なんと、。。。。。。ゼロ査定。?????と、いくつついたか分からないくらいでした。いろいろと理由を調査したら、調査依頼から、24hrで仕上げなくてはいけなかった、「調査書」に、1点不備があったからとか。項目は、被害状況。写真を撮るように言われて、写真を添付したので、記述しないでよいと思ったのか、必須と書いてなかったので書かなかったのか、記憶がありません。また、余裕を持って出しましたが、不足があるので埋めるようにともなかったのは、残念でした。いわゆる、震災の超法規的措置のようなものですから、こうしたことに対して、杓子定規での対応が、。。。。沿岸部で、全損、一部損、等を航空写真で決めたという点からすると、かなり、書類主義というか。。。まじに、涙が出そうでした。そういうルールであれば、そういうルールでやるしかないのが、どんなものにもあるのだと。つまり、どんなに緊急性の高いものでも、被害がひどくても、冷静に書類を作らなくてはいけない。そうでないと、補填されるものも、されないと言うことだと。。。。このあと、こうした被害に遭うことがあわれる方、ぜひ、ご記憶にとどめていただければと思います。誰が悪いというように、子供の喧嘩をするのは簡単ですが、そうでなくて、ここまで極端になると、ある種のあきらめというか、。。。。。のレベルでした。いずれ、これを読んでいただいているみなさまの参考になれば、渡辺の膨大な被害額が、軽減されると思います。せっかくですので、どんなにひどかったかを、お見せしておきます。これでもゼロ査定だと言うことで。しばらく、涙に暮れた、ここ数日でした。。。ただ、そこで、とある方からの暖かいお言葉が。「二次補正もありますから。。。。。」。。。まさに、天の助けの言葉でした。ありがとうございました。

DSCN5339.JPG大きく傾いたシロイヌナズナ等の栽培だな。。。。。


DSCN5341.JPGDNA抽出用の多検体対応、植物破砕機、転倒して180oひっくり返る。


DSCN5351.JPG等電点電気泳動をはじめとるする様々な電気泳動装置。。。。。泳動装置の墓場のよう。。。数が多すぎ単純な見積もりできないが、500万以上か。。。。。。。。


IMG_1114.JPG蛍光顕微鏡、簡易切片作成装置が転落、鏡筒が折れて、使い物にならない。。。500万以上。。


IMG_1115.JPG自動in situ hybridizationの機械も、180oひっくり返る。その後、元に戻してみたが、ふたも開かない。。。300万。。。

 唯一の救いは、運営をお手伝いしている科学者の卵のHP今年の募集が始まり、あちこちから、説明会にきてほしいと。ありがたいお話しです。より多くの未来ある受講生に話ができるのが、楽しみです。


 わたなべしるす


 PS. 渡辺は参加できませんでしたが、古川農試の田植えのお手伝いに、籾まきに続いて、研究室方々がいってくれたのは、研究室力のようなものをお見せできたように思います。研究室のみなさまのご協力にこの場を借りて感謝したいと。ありがとうございました。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その11(5/14)。

2011年5月14日 (土)

 前回のその10を記してから、10日あまりすぎ、3日前、3/11の大地震から、2ヶ月となった。慌ただしさに、14:46にlabでの黙祷を失念していた。亡くなられた方々に申し訳なく思い、また、理不尽に放置された作物、家畜のことを思い、深夜になってから黙祷した。仙台の町中は、それなりの人並みとなり、道路、空路、鉄路とも、完全復旧ではないため、時間的制限があるが、復旧しつつある。連休中には、たくさんのボランティアの方々もいらしていて、出張で仙台駅を通ると、スコップを持った方達とすれ違うこともあった。何ともうれしい限りであった。

DSCN0384.JPG 大学ももちろん、3/11からみれば、ずいぶんと改善されたところもあれば、そのままのところも残されている。以前にも記したが、震災後すぐの国際科学雑誌Natureにも、東北大がでたことがあり、毎週のように、地震、福島原発が取り上げられていたが、今週のNatureにはなかったような。落ち着いたのかと思っていたが、3/12のニュースでは「メルトダウン」とか。。。まだまだ時間がかかりそうであり、放射能アレルギーのものにとっては、しばらく神経戦が続きそうである。。。。

 大地震が起きたことは仕方ないとしても、それに連動したことで起きた様々な事象について、どこまでを当事者が考えるのだろうか、また、自己責任なのだろうか。地震で起きた本棚の復旧は、自分たち、あるいはボランティアで可能かも知れない。では、もっと高次元のこと。研究室のある建物等、当事者ではどうしようもないこともある。先の放置された農作物は逃げることはできない。当事者はすでに2ヶ月もたち、限界に近いところまで考えていると思う。もう少し大所からのご支援というのはないのかと、ふと考える。

 この様に大学の中にも大きな被害地と小さな被害地が混在する。そうしたとき、被災者なのか、助ける方の側なのか、その当たりもはっきりしないというか、臨機応変な対応が必要なのだろう。実験をやっていても、助けることもあれば、助けてもらうこともある。持ちつ持たれつでなければ、共同研究も成立しない。共同研究のようなことを考えると、もう少し手伝えることがあるのかも知れない。というか、ぜひ、そうしたい。

 今回の震災では新しい試みとか、超法規的措置で迅速に様々なことが進展している。新しい試みとして評価されているのは、Twitterのようなつぶやきが、津波の被害から逃げられたり、食糧が届いたり。そんなことが放射線による汚染が分かるような仕組みもそうした活動で見えるようになっているURLがあるとか。またそれらを再解析したURLとか。何より迅速にものが見えてくるのは、ありがたい。ただ、こうした評価されたこともあれば、依然として、新しい試みが評価されないままということも多くあるのではないだろうか。様々な外圧でずっと後になってから評価するのではなく、萌芽的な段階での評価というのはできないのだろうかと、考え込むこともある。そうしたら、もう少し世の中が変わっていたのだろうと。。。。

DSCN0499.JPG 気がついたら、5月も半ば。大学が始まったのが連休明けと言うこともあり、どうも頭の中のカレンダーは、1ヶ月遅れの感がある。なんとか、直る方法はないのだろうか。。

 
 わたなべしるす

 PS. あと1ヶ月ほどしたら、研究科のオープンラボとなった。別ページに詳細があるが、また今年も多くの方にきて頂き、新しいメンバーと新しい実験を構築できればと思います。


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3/11(金)、14:46から今日まで、その10(5/3)。

2011年5月 3日 (火)

 その9を記してから、10日近くたちました。前回の記事を書いたときには、揺れない時間帯というか、時期になっていましたが、また、よく揺れるようになりました。慣れるというよりは、搖れ始めたら、研究室のテレビをつけて、地震情報を確認するのが多くなりました。地震情報のHPを見ていると、今回の地震があったところ周辺で、10-20回は1日に揺れているようです。大きい小さいはあれ。M4くらいでしかないので、研究室に被害が拡大するということは、ほとんどないのではと思います。現時点で一番大きな問題は、放射能汚染でしょう。これは、東北・東日本全体の問題というより、日本全体での深刻な問題となっています。それに伴った「風評被害」もいれると、Four disasterというしかないのかもしれません。。。。科学雑誌Scienceでは取り上げる記事が減ったような気がしますが、Natureでは、毎週何らかの記事が出ています。最近は、日本語のサイトもあるとか。

s-DSCN2687.jpg では、研究室はというと、この連休を前にして、今年度のメンバーがすべてそろいました。何よりだと思います。お互いの無事を確認でき、また、一緒に仕事を始めることがみんなそろってできたのは、本当にうれしいことです。3/11のあの時、本当にどうなるかと思ったのですが、。。。研究室には学生さんたちの声がするのが何よりです。また、そろっているメンバーの方々が、大掃除をして頂き、気分一新のlab環境ができたのも、これからの励みになりました。ありがとうございました。

 ただ、被災した実験器具が多く、この時期は、イネの作付け、アブラナの花のサンプリング、そして、アブラナの花の花粉、めしべの遺伝子型、表現型を観察が重要な時期になります。ところが、この震災で蛍光顕微鏡が墜落して、鏡筒は折れ、システムが破壊される大破でした。。。。さすがに頭を抱えていたのですが、20年近く前の学生の頃の古い蛍光顕微鏡を発見し、写真撮影はできないものの、何とか使えそうということが判明しました。何とか、この春は最低限ですが、乗り越えることができるような気がします。

 連休中にどこかに出かけることもあまりなかったですが、震災直後から比べれば、町中の人でも多くなりました。ただ、上記のような余震が続くこともあり、瓦葺きの大学創設当時の建物は、そのたびに被害が大きくなっているような気がします。そういえば、この10日間に、工学部での「科学者の卵」の会議の時に、工学部の被災現場を見せてもらうことができました。震災直後のNatureにも東北大のことが記事になって出たようですが、その記事の写真の現場を見ることができました。エレベーターは落下し、柱、梁が折れ、壁が落ち、という惨状でした。ちょうど、東北出身の国会議員の方がいらしていましたが、その方も、これは立て直しですねというようなレベルでした。それくらい大きな被害地でした。そんな中、建物の真ん中には、戦前の電波通信の基礎をつくられた「八木秀次先生」の胸像がありましたが、もちろん、被害はなく、なにをか言わんやという感じであったのが印象的でした。

DSCN0483.JPG 青葉山の被害が、片平、雨宮地区よりひどいというのは、実際に建物を見て、そう感じることができたのは、この10日間のそれぞれの地区での会議などで実感できました。これは感覚の問題かもしれないですが、渡辺が居住している片平地区がもちろん、建物が低いこともあるかもしれないですが、建物そのものには、さほどの被害はありません。中は、ぐちゃぐちゃでした。。。その理由として、片平は、江戸時代に「片平丁」と呼ばれる旧町名があり、昔からのしっかりした地盤であったのだろうと。それに対して、青葉山は、戦前には、旧日本軍(?)か何かの施設があり、亜炭坑が採掘されていたとか。完全に炭化した石炭でないことから、柔らかい、また、地中のあちこちに坑道が張り巡らされているとか。そんな山の上に建物があったのも被害が増大したのかもしれません。そう考えると、より安全な地盤に建物を建てるということの大切さを実感させられ、将来に対して、どうすればよいのかというコンセプトをもらえたような体験でした。

 この間のよいニュースは、落下した設備品や大きく降られて移動した「実験台」を交換したり、修理をするような予算が動き始めるのではということでした。これで何とか夏前までには実験をする体制が整えられ、その体制ができあがるまで、全国の大学で共同研究をしている方々から、一時的な実験引き受けを提案されているので、それで何とか、研究をさほど止めることなく、進めることができそうです。

 連休も折り返し。この連休で少しでもlabの皆さんの心身ともリフレッシュして、5/9からの新学期開始に様々な面で、よい方向に進んでくれるのではと思っております。


 わたなべしるす

 PS. 今日から出張ですが、宮城、福島ではほとんど田植えの準備もできておらず、栃木まで来ると、田植えの準備が進捗していたのは、今回の震災、福島原発放射能汚染が影響しているからだと思います。「直ちに健康に影響はない」という言葉をたくさん聞きました。震災以来。ただ、多くの放射能物質が空気中に飛散し、土壌表面、土壌中にあるのは事実だと思います。これがどれくらい土壌に残るのか、植物に吸い上げられるのか、このような異常環境になったことがないので、誰にもわからないことかもしれません。だからこそ、この時期に、植物科学を志すものとしては、水田をつくり、畑作をするということを今年こそ、しないといけないのだと。出張では、パソコンを打っていることが多いのですが、今回は、回復間もないこともあり、通常のような280km/hrの走行ではなく、徐行していることもあり、ゆっくりと風景を観察できたのも貴重でした。

DSCN1700.JPG それから、この地震を「東日本大震災」というようですが、通常、東北・仙台は北日本のような。。。その点では、「東北・関東大震災」という方が、しっくり来るというのを、改めて実感しているのでした。もちろん、命名する人にはそれなりの意味と心を込めてだと思いますが。。



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3/11(金)、14:46から今日まで、その9(4/23)。

2011年4月23日 (土)

 その8を記してから、10日近くたちました。一時期、よく揺れる頃がありましたが、今、比較的仙台方面は揺れなくなりました。ただ、ニュースで見たのですが、震源をプロットすると、空白域があり、それがこの近くとか。早く小さな地震でよいので、その空白を埋めてくれないかなと思う今日この頃です。

 あれから10日たち、研究室もメンバーがだいぶんそろい、日中は後片付けをしたり、花が咲いて、アブラナの実験ができる準備をしたり、イネの作付けの準備をしたりという毎日になってきました。

 ただ、こまったことは。。。。

 あれほど、急ピッチで、被害状況の調査などが行われ、研究室にも、被害の番号を示すシールが壁などにあるのですが、それが貼られてから、1ヶ月近くたつにもかかわらず、また、その間に学内の安全に関する委員会の調査もありましたが、いわゆる、「復興」ということに向けて、そうしたところの補修であったり、予算的な措置であったりすることがいまだに実施されてないのが、頭の痛いところです。もちろん、しかるべきところでは考えておられると思いますが。。。

DSCN5403.JPG どこのどのようなシステムのところが、「動脈硬化」、「血栓」のようになっているのか、よくわかりません。分かる人がいたら、ぜひ、その当たりに対して、しかるべき処置をお願いできれば、来週からそろうであろう、新しいM1の大学院生の方々を良い形でお迎えできるのではと思います。もちろん、今回の震災ではここから比べればはるかに、被害の大きいところがありますので、そこから比べれば、ずいぶんとましなのかもしれないです。テレビだったか、netだったか、「仙台のことはさておき。。。。」というようなことも拝見しました。確かに、仙台の町中は、外見上はそれなりに立っています。建物は。しかし、細かく見ると、団地の中には、赤い紙が貼ってあり、使用できないということが書かれてある地区も拝見しました。その意味では、「仙台のどこのことはさておけるのか、。。。。」。。。。

 それから、学生さん、スタッフの方々、皆さんそうだとおもいますが、なんとか復旧、復興と言うことで、研究室、自宅でがんばっておられ、かなり無理をされているのだと思います。震災という大きな心の傷を負ったにもかかわらず。そう考えたとき、休めるときには、ぜひ、無理をせず、休んでほしいと思う次第です。心はかなり無理をしているのですから、気をつけるように。休むようにと、外から支援物資を送って頂く方々の手紙などに書かれてあります。知らず知らずに、疲れているのに、がんばりすぎていないか、そうした面の方をケアーしながら、連休前の1週間を乗り切って、連休でリフレッシュして、また、新しい観点で復興をできればと思うのでした。

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 わたなべしるす

 PS. 復興に向けての遅れと言うことを記しましたが、もちろん、学外の様々なところから、支援のお知らせが届きます。先日は、国内外の遺伝子工学試薬のメーカーさんからのありがたいお知らせも。実験に使っていた、予定して冷凍庫にあった試薬のうち、特定のものですが、停電で使えなくなったものを「新品」と交換してくれるとか、他のメーカーさんでは、半額とか。支援の手が様々なところからあるというのは、うれしい限りです。

 この記事をupする直前に、nazunaにも東北大学の状況を書いてくれているのが、流れていました。いろいろなところで、仙台のことを綴っていただき、サポートいただけますように。。。

DSCN4268.JPG 今日、渡辺の高校の後輩が、東北大工学部に入学と言うことで、仙台に来られました。そんなことも、心強いというか、心和むことです。



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3/11(金)、14:46から今日まで、その8(4/14)。

2011年4月14日 (木)

 その7を記してから、M7規模の余震があったりしましたが、1つだけ良いことがありました。地震関係で。緊急地震速報というのがあります。今では、携帯でもお知らせがあるとか。もちろん、大学というか、研究科でもそうしたサービスがありますが、何故か、最初の3/11の大地震4/11の夕方の地震でも、結構揺れましたが、というか、大きな地震でしたが、警報がありませんでした。ところが。。。きょうの地震では2回警報がありましたが、そのうち1回は、20秒前から、カウントダウンが始まり、机の下に隠れたり、テレビをつけて、周りがどうかなど、判断する時間がありました。こうしたことが現時点では、多少、空振りがあっても、機能してくれることは、毎日の心の支えになります。迅速に対応頂いた、生命科学研究科の事務の方々に感謝します。

 あと、今回の震災で結構ひどいのが、床の汚れ。化学系のような危ない薬品はありませんが、細胞を染色したり、DNAを調製したりするような薬品はあります。また、超純水のようなものも。3/11の地震の時、こうしたものが床にこぼれて、本、ノート、箱の紙類に水分として吸われ、床のシートの上に文字を残すような結果に。。。もちろん、本、箱の模様が写るわけです。。。。これが結構、消えないのです。4ヶ月ほど前に大掃除をしたときには、ワックスまでかけてきれいでした。というか、大地震の前まではきれいでした。それらをどうやれば、きれいになるのか。前回も書きましたが、全体は、それなりの見てくれになりましたが、細かなところは、まだまだ、砂埃が残っていたり。これは、植物を育てる関係でのものですが。

 種子貯蔵庫にぶちまけられていたシリカゲルのたぐいも、学生さん、アルバイトさんたちが、かなりきれいに片付けてくれました。寒い低温室の中での作業に感謝します。ありがとうございました。低温と言えば、研究室も暖房がありませんが、朝の寒さをのぞけば、なんとか普通の格好で過ごせるくらいまで、気温が上がってきたのは、何かを考えたり、やろうかと思えるレベルになったことだと思います。

 こうした作業のあとの乾杯は、やっぱり、レアものの「飲むヨーグルト」です。これも災害救援物資として頂いたものです。ありがとうございました。五臓六腑にしみこむとはこういうものだと。。。

DSCN5397.JPG これらの涙ぐましい活動をぶちこわしてくれたのは、余震と「INESレベル7」への格上げというニュースが昨日流れ、頭を抱えました。何かというと、福島原発の事故の規模というか。もちろん、理学部の方の計測dataがあり、それを見る限りは、平常値の2-2.5倍程度ですが、「5」が「7」というのは、精神的プレッシャーがありますね。どこかのHPでよんだのかもしれないですが、「目に見えない」と言うことが、気になるひとと、きにならない人がいるとか。確かにお化けは怖いですね。いまでも。。。。そんなことはさておき、このように、人間にも様々な影響するわけですが、植物にも影響が出るのかもしれません。植物が放射線を怖いと思っているかどうかを計るすべはありません。。。。。自家不和合性の表現型に即、影響が出てくるか分かりませんが、何らかの形で評価しておく必要はあると思いました。そのためにも、ガイガーカウンターか、それに類するもので、環境測定をしてみて、表現型をということになると思います。

 ここまでがんばれば、終わりというのがはっきりしていれば、自分自身と周りのスタッフ、学生さん、アルバイトの方々を、encourageできるわけですが。。どうにも先が見えてこないのが、何とかならないのか。。。。最近のコマーシャルでよく流れる、「日本人なら、がんばれる」というの文句を拝借して、「日本の科学力なら、これをなんとかできる」と思いたい毎日です。。。もちろん、研究室で行っている植物科学が出番になれば、最大限の協力を惜しみません。

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 わたなべしるす

 PS. もちろん、良い社会現象も。滑走路まで津波がきた仙台空港。今日から使えるようになりました。新幹線、飛行機が少しずつですが、つながりつつあります。もちろんかなり、限定的ですが。。。

 様々なメーカーさんがいらして、機器の点検をして頂けるのは、うれしい限りです。つないだ瞬間、ぼーーん!!!というのでは、怖かったのが、ほっとできます。これも精神衛生上良いことです。ありがとうございました。


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3/11(金)、14:46から今日まで、その7(4/8、一部追加あり4/8, 10)。

2011年4月 8日 (金)

 その6を記してから、学生さん、スタッフもそろいはじめ、研究室復興に向けての活動をしたり、学生さん、アルバイトの方々から、いつ頃仙台に来るというような状況でした。。。それに向かって、電気・ガス・水道というライフラインなども整備され、研究室ではガスを残すばかりでした。さらに、交通網も整備されはじめ、新幹線、地下鉄も月末に、空港は来週からというような話をしていたところでした。もちろん、いくらかの余震はありましたが、それで落下物があるなどのことはありませんでした。

DSCN0468.JPG ところが、その平穏をぶちこわすような、M7.4, 震度6弱の地震が、4/7, 23:32にありました。今回は夜中と言うことで、スタッフ、学生さんとも自宅で、急ぎ、labに出かけたところ、本棚の落下、大型機器類の移動、過電流に伴うと考えられる機器の破損などありました。自宅にいましたが、波に揺られているというか、四国、今治から、船で本州に渡るときの天候が悪いときの大きな搖れのようでした。もっと大きいかもしれません。たぶん。ただ、前回より、はるかに短く、搖れも小さかったので、上記のような被害で収まっています。ただ、まさか、改めてこの様な地震が来て、こうしたことを知ることになるとは。。びっくりです。。。

 このHPをuploadしたのは、その巨大な地震から、24hrも立たない、ちょうど、震災から、28日、4週間を迎えたところで、多くの犠牲者に黙祷をして(黙祷)、少しでも通常業務をと思っていた矢先でした。。。。まさに、なんとかは、忘れた頃にやってくると言うことを痛感した、余震でした。。(もちろん、28日前の大地震もそんな感じでした。)。何が起きるか分からないことを想定して、いろいろなことを考えておくべきでした。最近の搖れで、小さかった油断がこうしたことをもたらしたと。。。。

 ただ、真夜中でしたが、寝る前でしたので、labに来てみたら、「危機を告げる警報」が鳴っていて、なんとかそれを留めて、問題の回避ができました。この点では、「初期対応」の重要性は改めて認識しました。28日前の大地震が多少は参考になったのかもしれません。また、安否確認をくれた方々も。labの。なによりでした。こうした危機管理マニュアルのようなものがすこしずつできていくことが、次につながると。。。。落ち着いたら、各人の避難用に、ヘルメット、長期保存水、乾パンなどの確保と保存が重要であると言うことで、きょうの掃除が終わりました。せめて、もう少しゆっくりできる環境がほしいものだと思いましたが、ともいっていってはいられないので、気合いと根性で乗り切るしかないかと。今しばらく。。。そんな震災から、28日がたつ直前の余震でした。。。。

 わたなべしるす


 PS. 何を持って被災地と規定するのかは、今回の大震災ではあまりに大きすぎました。。。仙台市をとっても、海岸から山の方まで表現型は様々です。被災の大小はあれ、心に大きな傷ができているのは、仙台の町中にいる、この研究室のメンバーも同じです。また、いつも出かけている出前講義を行っている小学校、高校などの児童、生徒さんたちも。そうした方々にお会いして、また、いつも出前講義をしていくことが、これまでやってきた社会貢献を継続し、研究者にもできるボランティアなのかもしれないと。。。そんな議論をして頂けた理学部、工学部の先生がいらっしゃいました。ありがとうございました。

 公開したあとに、これまで出前講義で伺っていた高校の先生から、23年度のSSH(Super Science High school)採択のお知らせを頂きました。またこれからも伺えるかと思うと、昨日の地震からのうれしいお知らせでした。ありがとうございました。また、お世話になります。

 今回の地震では、上記のような過電流があった原因が少し分かったような気がします。今日に至っても、東北地方では大停電だとか(テレビをあとで見返したら、仙台の北部で、青い閃光が見えました。)。と言うか、研究室に行くまでの間でも、パッチ状に停電したところがあり、信号機も消えている状態でした。そんな中で、研究室、自宅とも停電しなかったのは、本当に偶然なのだと。何が起きるか分からないのが災害ですが、そうしたことを超えて、対策を考えておかないといけないと。。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その6(4/2)。

2011年4月 2日 (土)

 3/26に、その5を記してから、1週間がたちました。以前から比べれば、ずいぶんと仙台市内の環境も整いつつあるのかもしれません。あらたに研究室には、仙台から近い場所にある、須藤くん、藤岡くんが新しく顔を出してくれました。宇都宮、盛岡方面の情報も入り、そちらの方でもかなり生活事情は改善しつつあるものの、3/11以前からはほど遠いようです。他の研究室メンバーからは、mailで連絡を頂いたり、mailでのやりとりで仕事をお願いしたり。ほっとしたり、助かったり。やっぱり、研究室にいろいろな方々いることが大切なのだと言うことを、改めて実感しました。

 仙台市内だけですが、それも自転車で行ける範囲に限れば、物流は少しずつよくなりつつあります。ただ、いつもであれば、何でもあるコンビニ。24hrいつでもというのが、ありましたが、昼頃にあいて、夜中前には閉まるというパターンです。それでも、ほとんどあいていなかった、先週から比べれば、場所と時間にもよりますが、以前のコンビニにあった様なパンとおにぎりを買うことができました。あまりのうれしさに、明日の朝ご飯と言うことで、getした次第です。食糧がこれほどうれしいことと思うのは、やはり、こういう危機的な状況に置かれたからだと思います。コンビニには普通にあると思われる週刊誌などの雑誌は、ほとんどない状況です。新聞はそれなりに入ってきつつあるようです。

DSCN5372.JPG 研究室の方は、これからが春の花のシーズンであり、イネの作付けを考えなくてはいけないシーズンです。どうすれば、これを達成できるのか、そうしたことに頭を悩ませ、研究室に顔を出している学生さんとは、どこに出張して、震災から復帰をするための実験をやるのかという話をできるようになりました。できるだけ、研究も前を向いて、上を向いて歩けるようになりたいと思います。

 1週間がたち、福島原発が良い方向に大きく、あるいは少しでも良い方向に改善されているかと思いましたが、仙台での放射線量は少しずつ減りつつありますが、環境への汚染が広がりつつあるのは、農学を学んだものとして、何とも言えず、悲しい思いです。生物濃縮が陸、海で広がることを考えると、未来に亘って不安を残すことになるような気がしてなりいません。。。世界中の全知全能を使って、この状況を画期的に改善することはできないものか、日々、思うのでした。

 今週、出前講義でお世話になっている先生方から、連絡を頂き、近くの先生とはお互いに心配し、特に、福島原発から、半径20-30kmにいらっしゃる先生のことはずいぶんと心配しておりました。福島県の浜通りは想像を超える事態になっていることを直接伺えました。また、HPに食糧不足と言うことを見た方からは、支援のmailも頂きました。ありがとうございました。日にち薬ではないですが、卵、肉類など、戦後すぐであったり、国内自給だけであれば、卵などはほとんど食べれないというような状況からは脱しつつあります。様々な交通路が良くなり、物流が改善されているからだと思います。


 わたなべしるす

 PS. オープンラボの予定がどのように変更されるのか、以前は、4/23とお知らせしましたが、現時点の交通事情などからは、無理と思っております。この予定変更についても、来週にはお知らせできるのではないかと思います。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その5(3/26)。

2011年3月26日 (土)

 17日(木)には、web serverが復帰しました。それに伴い、学内のLANが学外とつながりました。通じた最初の頃は、不思議なことがいくつかありました。ハブを使って、何段かに分岐させていて使っていましたが、それらのハブが使えなくなりました。今週になって、その一部は使えましたが、その理由はよくわかりません。やっぱり、電気の世界は、よくわかりません。さらに不思議だったのは、この日だけだったのか、夕方には回復したのか、学外からはlabのHPを見ることができるのに、学内からは見えない。研究室のパソコンからは、自分のlabのHPが見えないという不思議なことが起きました。

 この週のうちには、自分の本棚をある程度元通りに復活させ、並べ直してみながら、やる気を探ろうとしていたのかもしれません。年度末の報告書の書類などがありましたが、そのままでした。

 18日(金)の14:46はちょうど1週間でした。テレビではなくなられた方に対して「黙祷」という場面があり、それにあわせて、黙祷しました(黙祷)。

DSCN4634.JPG 19日(土)~22日(火)は、本当であれば、東北大の川内キャンパスで、日本植物生理学会のはずでした。この数日間に仙台に残っていた研究室関係者の2名が実家に避難し、仙台が実家であるものを除いて、避難が完了したのでした。19日には、mail serverが夕方に復帰しました。迅速な復帰に努めてくれた、server管理の方に感謝します。ありがとうございました。mailerをあけてみると、100通を超えるような安否確認のようなmailを頂きました。国内外から。ありがとうございました。

 雨とともに、放射能汚染された雨が降るのではと、かなりびびった生活をしていたのを覚えています。そんなときに見つけた、理学部・物理系の先生のHPには少し心救われたものがありました。何より正確な情報に基づいて行動することが、サイエンス同様に大事であることを実感しました。

 22日(火)からは、復興に向けたという点かもしれないですが、研究室で使えなくなった備品類の調査が入りました。急ぎの調査ということで、周りの方にお手伝い頂きながら、まとめることができました。また、温室の止まっていた水道も復帰し、水をほしがっていたBrassicaの仲間に水をあげることができました。また、非難されている皆さんと連絡でき、帰省先で安全に生活しているということ、また、研究室のこと、実験のことを気にして頂いていることに、感謝でした。皆さんが戻ってきて頂けるようにまた、環境を整えたいと思います。また、復旧にお手伝いいただければと思います。

DSCN4076.JPGのサムネール画像 23日(水)~24日(木)には、高田くん大坂くんがlabの方に来てくれ、植物を植えていたポットがこぼれて土まみれになった研究室が、割れたガラスが取り除かれ、ずいぶん、きれいになりましたが、実験台は地震で大きく降られて、天井のコンクリートに打ち込んである太さ1cmくらいの鉄の棒が、天井に大きな穴を開けていました。それに伴い、実験台は、左右に振られて傾いていました。渡辺の方が年度末の書類などに追われていた中でしたので、心強い限りでした。高田くん、大坂くん、ありがとうございました。

 25日(金)頃になると、疲れがピークになり、作業効率が落ちるだけでなく、どうも何をやろうとしているのかなど、ふと気がつくと、ボーとしていることが多くなりました。土日は少し休んで、来週に備えたいと。この週あたりからは町中に出ると、ガソリンスタンドに長蛇の列ができ、一方で、開いている店、食堂も少しずつ増えてきました。ちょうど2週間です。ただ、交通量は少なく、早めに消灯するところが多いのも事実でした。

 25日(金)あたりから、公共交通機関、ガスの復帰のめどの話が流れ始めました。普通となっている東北新幹線、那須塩原と盛岡間も1ヶ月くらいだと。ガスも1-1.5ヶ月くらいだと。地下鉄は、5月の終わりには。少しずつ、何とかなりそうという気がしますが、このあたりになっても安定しないのは、福島原発。仙台での放射線量は、通常の3倍くらいですが、今まで閉鎖系で使っていた放射性同位元素が、外の解放系に存在するという違和感には、未だになれない状態です。どうしてもガイガーカウンターの音が、頭の中で鳴ります。。。。

 そうです。この週の前半には、西日本の方々から、とある方法で、援助物資を頂きました。とある方法はここでは、企業秘密ということでお許しください。昔は「逓信」と呼ばれていた公的機関だったところのものを使えばよいということくらいで。。。送って頂いた方に、感謝します。ありがとうございました。おかげまで、毎日の食生活が支えられています。

 夕方には、出前講義などでお世話になっている宮城第一高校の小松原先生が訪問され、研究室の惨状を見て頂いたり、次年度に向けた打合せなどもできました。同じタイミングで、SSHで講義などを小なっている福島高校の橋爪先生からも電話頂きました。福島市内の放射能汚染が高いのが気になっていましたが、物理の先生が計算してくれたらしく、少しずつ減衰しているので、大丈夫と。それでも気になるような高い値だと。くれぐれもご自愛ください。


 わたなべしるす


 PS. 実験、研究を含めて、すべてのことには、あらかじめそれに気がつくような事象、警告があるものだと思います。それに気がついて対応するのか、それを無視して、それが結果として大きな問題につながるということがあるということを思い知らされたような気がします。「想像を超える」という言葉では片付けられないという気がします。サイエンスの発展の時にも想像を超えるということは、当たり前のような気がしますので。そんなときに、昔見た、歴史番組で、「万が一の時になって、思いをめぐらすのではなく、常日頃から非常の事態に備え、一生懸命にわが身を生かす心構えを養うべきである。」という言葉があったのを思い出しました。いつ頃の誰の言葉かわかりませんが、今回、思い知らされたような気がします。
 
 それぞれの本質が起きる前に起きる予兆的なことに気がつくことができれば、研究ももう少しよくなるような。というか、それが、経験と勘というものなのかも知れません。こうしたら、こうなるというような勘が働くことがあります。あるいは先のような歴史が物語ることもあります。それらを大切にして、これからに活かすのが、サイエンスをやる上でも、人生でも大事なのだろう。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その4(3/23)。

2011年3月23日 (水)

 その3を書いてから、あれこれあって、続きがかけなくなっていました。3/14(月)には、大学本部からの連絡があり、学生さんたちは、基本、実家に避難(疎開)ということが伝えられました。また、そのときには、福島原発の爆発もあり、どうなるか分からなかったので、研究室の換気をやめる、窓を開けないなど、RIを普段閉鎖系で使っている、生物系の人たちの迅速な対応と思いました。また、昔の遺伝生態研にある、ガイガーカウンターで、いつもバックグラウンドとどれくらいかというのが、話にのぼり、その当時で、何も起きてない時期の3倍くらいだったような気がします。3倍と聞いて、結構、こちらは、びびりました。どうも、RIは苦手です。。。

 研究室でその件を発表しつつ、山形、新潟経由での避難、疎開ルートを調べるために、高速netではないですが、パソコンで検索をして、どうすればよいかなどを調べ、テレビでの情報を集めました。また、学生さんたちとは、まず、携帯での連絡をするために、addressの交換をして、できるだけ早く、避難をということになり、解散でした。こちらは、別の件で、農学部まで出かけて、農学部長の山谷先生と学会がなくなったことなど、議論できたのは、有益でした。

 帰り際には、アルバイトをしている1年生の方が、小学校に被災しているというので、伺って、できるだけ早く実家に帰るようにと。そのときに、いろいろな話をしてもらい、地震がどれだけ心に痛みを与えたのか、つらい思いをさせたのか、痛感しました。お許し下さい。

 夜のうちに、学生さん、アルバイトさんから連絡があり、翌3/15(火)には、一部の学生さんをのぞいて、避難をはじめ、夜には自宅に戻れたという連絡を受けて、ほっとしました。このあたりでかなりほっとして、15日の午前、16日(水)は動けなかったような記憶があります。

 このあと、どうなるのか、それはまさに、福島原発がどうなるかと言うことについて、かなりの注目というか、気になりながら、少しずつですが、研究室の居室から、片付け始めたというか、並べ始めたというか。。。続きは、また、近いうちに。。。


 わたなべしるす

oleracea_全景_1.JPG PS. 今日もずいぶん、余震がありました。また、今日、3/23(水)には、水道から、放射性同位元素が、限界以上に検出され、また、農作物、それも、特にアブラナ科野菜に出荷制限が。。。アブラナ科作物を研究しているものとしては何ともいたたまれない状況です。。。。これまで、写真を入れるのが、つらかったのですが、アブラナ野菜の被害が出て、畑に埋められた野菜が哀れで。。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その3(3/20)。

2011年3月20日 (日)

 3/12(土)、朝の出勤時間も忘れました。さほど、寒くなかったような。地震の被害がテレビで報告され、被害の大きさがどれほどのものか、わかってきました。あり得ない大きさであることがわかってきて、現実が何なのか、わからない、そんな朝だったような気がします。

 その日あたりか、前日の夜あたりから、仙台で翌週の土曜日、3/19-21で開催される、植物生理学会がどうなるかということの対応に追われていました。今考えれば、仙台空港は、この秋頃まで復興ができない、東北新幹線の那須塩原-盛岡間の復旧にはめどが立っていません。今日現在。もちろん、町の中での食事もほとんど不可能です。明らかに開催は不可能でした。でも、そんなことも状況がわからず、対応に追われていたのを思い出します。この電話で、携帯の電池がなくなり、研究室のノートパソコンの電池から、携帯に充電をしていました。あの充電がなければ、本当に、どこにも連絡ができない、陸の孤島になるところでした。ノートパソコンに電池を置いてくれていた学生さんたちに感謝です。

 それから、3/10-11にかけて、4月からPDとして、研究室に来て頂く方(お名前はまた、後日に。。)が、いらしていました。10日お会いして、先の学会のことなどに対応していて、PDの方がどうなったのかなど、頭から抜けていました。朝、現在のlabの方から、近くの小学校に被災していることを伺い、急ぎ、迎えに行ったのを思い出します。もちろん、きてもらったからといって、何か特別なものが、研究室にあるわけでもないわけですが。。。遠くから来てもらい、一晩ではあったかもしれないですが、つらい思いをさせたことは申し訳なく思っております。遠く離れた場所での被災、考えただけでも。。。

 この日あたりから、津波被害のテレビが流れるとともに、福島原発のことも注視されるようになり、「メルトダウン」というのが、あたまをよぎったのを思い出します。電気はいつ来るのか、水はいつ来るのか、大学の中での炊き出しのようなことは、いつ終わるのか。トンネルの中からいつ抜け出すのか。

 そういえば、炊き出しでは、いくつかの研究室の方々にお世話になりました。おいしいカレーも頂いたような気がします。ありがとうございました。人捜しで空腹も忘れていたような状態でしたので。そんな炊き出しを必死でやっていた方々を踏みにじるようなことがあったのも事実でした。あの状態で必死で生きることを考えている学生さんたちに対して、きわめて失礼極まりないと。。。。というより、情けなかったです。。。。

 午後からは、町中で携帯などの充電ができるというので、パソコンの充電をして、Internet上にある情報をとるようになりました。もちろん、大学のweb, mail serverは落ちているので、別の通信手段を使いました。それのおかげで、テレビ以外の情報もわかるようになりました。

 その日の夜の寒さは厳しく、ガラス室の暖房用にあったストーブを持ち込み、暖をとりました。それがあることに気がついてくれたスタッフの方、感謝の限りです。その日の帰りも、23:00すぎだったような。。

 3/13(日)、さすがに疲れ果てていて、昼過ぎにlabに電気が来たという連絡をもらいました。一方で、日本植物生理学会の仙台年会を中止にするということを、会頭に連絡することが、ポイントになってきました。あわせて、地震当日の15:00すぎに、4月から、東北大・農学部に入学が決まっている高校生と面接することを思い出し、無事にその高校生は帰ったのか、。。日中は研究室の少し歩く場所が確保できる程度に、片付けを始めました。多くの院生の方に手伝ってもらいました。ありがとうございました。疲れていたと思います。にもかかわらず。。。研究室はめちゃくちゃといいましたが、実験台は、天井のコンクリートに固定していたにもかかわらず、振り回され、元の場所とは、違う場所に。丸2日と待った冷凍庫のサンプル、低温室もぐちゃぐちゃ。蛍光顕微鏡、in situ hybridizationの機械など、多くのものが落下していました。ガラスもたくさん割れていました。とても片付ける意欲がわくようなものではありません。。。。

 夕方には寒くなり、早めに戻ってもらったような気がします。そのあたりから、電気、水道が自宅に来はじめたような気がします。ガスはプロパンガスは、使えたようですが、都市ガスは、もちろん停止。今でも復旧のめどが立たないそうです。

 その日の片付けのあと、思い出した、高校生の自宅を探しに、。真っ暗な中で、数人のヒトに助けてもらい、避難所などを訪ねて、自宅に無事、当時仕えられたことを伺い、涙が止まりませんでした。ずいぶん遠いところだったので。つらい思いをして、大変なところに戻ったのだと。心配をさせてしまったと。4月から、大学生ですが、いつ大学が始めることができるかわかりませんが、研究室の復旧後には、ぜひ、また、お手伝いのアルバイトに来てもらえれば、幸いです。

 今日はこのあたりにします。


 わたなべしるす

 PS. 今日は、スタッフの方のところが、all電化というお宅ということで、お湯を頂きました。ありがとうございました。それから、亡くなられた方々に追悼の意を込めて、頭を丸めました。亡くなられた方々に黙祷したいと思います。(黙祷)

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3/11(金)、14:46から今日まで、その2(3/18)。

2011年3月19日 (土)

 昨日の続きを少し記してみます。研究室に残った者は、labの中を視察にいきました。もちろん、単独では危険ということから、スタッフが同行し、改めて、部屋の中を確認しました。居室の入り口には、プリンターが落下しており、本棚の本という本がすべて落下し、本棚が空っぽ状態でした。まさに足の踏み場がない状態です。

 実験室の方は、同じように足の踏み場もなく、様々は備品が落下、一番奥の部屋では、蛍光顕微鏡、遺伝子発現装置が墜落しており、シロイヌナズナを飼育している棚も、激しく倒れていました。渡辺の部屋は、建物の端っこにあります。今回の地震が、東西、南北方向に揺れたようで、1Fより、2F。2Fより3Fが被害がひどいのが、何とも言えない状況でした。渡辺の研究室が、3Fにあったことから、生命科学研究科・本館でも1, 2を争う被害となりました。ただ、聞いた話ですが、青葉山の工学部では立ち入り禁止の建物も多いというような話も聞いております。それから比べれば、ましなのかもしれません。

 こうした呆然とした状態の中で、世の中で何が起きているかを知るためにも、まず、各自の自宅の状況を確認してもらうということが、次のステップでした。火事場泥棒ではないですが、研究室の鍵を閉め、順番を忘れましたが、院生の方々には、自宅の確認にいってもらいました。そういえば、地震の直後に、30minあまりでしょうか。吹雪になり、泣きっ面に何とかという感じでした。

 渡辺も自宅に戻ると、本棚を置いている部屋は、研究室と同じで、一面、ガラスが割れている、同じ状況でした。その中で、普段は、湯船につかって使っている、ワンセグのテレビを見つけて、乾電池で動くことから、それを大学に持ち帰り、大きな津波が起きたことを知り、大きなショックを受け、被害の小さい研究科のプロジェクト棟に、「(仮称)生命科学研究科・本館・災害復旧本部」をつくり、食糧、懐中電灯、電池、水などを、集めてきました。このときに、機転を利かせてくれ、食糧を集めに行ってくれたスタッフ、院生の方々に感謝します。また、食事をするための炊飯のために、燃料になりそうな木々を集めて、夕飯になりました。その夕飯も、どこまで食べたのかも記憶がありません。寒さも厳しくなりつつ、テレビを見ていたら、津波の被害に加えて、福島原発のことが、話題に上り始めたような気がします。このあたりの記憶が、定かでありません。

 その日は、23時頃まで、大学で学生さんたちと現状を見ていたあと、自転車で帰宅しましたが、信号機も止まり、真っ暗な中を自転車で帰ったのは、高校生まで生活していた今治の田舎道以来でした。この日は疲れ果て、そのまま家で寝ました。もちろん、風呂、トイレ、電気すべて使えなく、そんな状況でした。また、頭を整理しないと、頭がパンクです。。。続きは、また、後ほど。。

 昨日、今日にかけて、こんな中で起きた奇跡のようなことは、また後ほど記します。


 わたなべしるす。


 PS. 大学のmail serverの復旧は、担当の方が迅速な対応をして頂き、以外と早く戻るかもしれません。そのときは、また、お知らせします。ダイコンコンソーシアムのHPに、小松高校の寺岸先生がコメントをしてくれていました。ありがとうございました。今日も同じ、終わり方かもしれないですが、福島原発での一連のことが、何とか収束の方向になることを祈りつつ。。 

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3/11(金)、14:46から今日まで、その1(3/17)。

2011年3月17日 (木)

 まず、この大震災でなくなられた多くのみなさまに哀悼の意を表します(黙祷)。さらに、被災をされているみなさまによりよい環境になることを祈っております。また、渡辺の研究室に多くの心配のmail、電話を頂いた方々に感謝します。今日、研究室のweb serverのみ回復したことから、哀悼の意を表しつつも、研究室に電話を頂いたり、mailを頂いた方に、こちらの状況を説明することも、1つの任務であろうということで、今日1日ですべてを記載することはできませんが、日を追って、記載できればと思いますし、その間にご協力頂いたみなさまに、感謝の意を表したいと思います。

 さて、3/11(金)、14:46の東北関東大震災で、何が起きたのか。当日、研究室では通常のことが行われており、翌日の科学者の卵の発表会での準備、翌週から開催される日本植物生理学会の準備、年度末の様々なことが行われており、学生、院生の方々は実験をしておりました。自信に敏感な渡辺は、初期微動で「地震」といって、立ち上がり、本震の第1弾では、何か落下があったとは思えない、いつもの地震でした(研究科にある館内放送を通しての、「緊急地震速報」は何故か、ながれませんでした。。。)。これで終わると思っていました。ところが、そのあとの第2弾で、本棚の本という本が落ちました。続く、第3弾で、すべてが。机の下に避難したり、呆然としたり。本震が収まったあと、点呼をしつつ、外に出て、部屋の中に誰も残っていないことを確認して。その後も余震が続き、非常勤の方、アルバイトの方には、戻って頂きました。あとでテレビなどを見て、ずいぶん遠くまで歩かれたのではと、。。申し訳ありませんでした。あの時に、考えついたのは、それが限界でした。残った方々のその後については、改めて、後日記します。頭の整理ができません。

 当日研究室にいなかった方を含めて、研究室のメンバーの安否はすべて確認でき、無事でした。これだけは何よりでした。

 そのあと、いろいろなことがありましたが、多くの方から、通じない電話の中、安否確認などを頂いたこと、感謝に堪えません。ありがとうございました。SSHのダイコンコンソーシアムに、渡辺の安否を記して頂きましたこと、ありがとうございました。

 それから、研究室の皆さんのほとんどは、大学での通達に従い、自宅・実家待避をしてもらっています。無事に、ついたというmailも頂いております。大きな地震で傷ついた心を直して、また、会えることを期待しています。

 まず、web serverが直ったということで。。


 わたなべしるす。


 PS. 大学のmail serverの復旧には、まだ、7-10日かかりそうです。つながり次第、また、連絡します。何より、福島原発のことを気にしつつ。。

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