東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

9.「方法序説」(文:小松澤亮晴)

2020年11月26日 (木)

1.挨拶

 こんにちは、小松澤です。今回は近代哲学、近代自然科学の父と評される、ルネ・デカルトの「方法序説」を紹介します。「方法序説」は6部構成で、かの有名な「cogito ergo sum」「われ惟う、故にわれ在り」という言葉は、第4部で形而上学的考察の中で述べられます。しかし、読む前のこうした、いわゆる哲学的な、堅苦しそうな印象と裏腹に(もちろん中身はちゃんと堅苦しいのですが)、読んで感じたことは、デカルトの誠実な人格がそっくりそのまま作品に表れている、ということでした。「わたしが期待するのは、~すべての人がわたしのこの率直さをよしとしてくれることである」という文に見られるように、デカルトのこの著作は、思想の押し付けのようなものではなく、ただ率直な、思想の「開示」なのです。また、デカルトはこの著作を仏語で書き上げました。というのは、少し文脈理解が必要で、この時代のこういった思想書のようなものは、原則ラテン語で書かれるものでした。なぜ仏語を用いたか、その答えは第6部でこう語られています。「自然の理性だけをまったく純粋に働かせる人たちのほうが、古い書物だけしか信じない人たちよりも、いっそう正しくわたしの意見を判断してくれるだろうと期待するからである」「こういう人びとは、わたしが通俗のことばで~といって、これに耳を傾けるのを拒むほど、ラテン語を偏重しないだろうとわたしは確信している」。自分の思想を、限られた上級層だけでなく、世俗的な多くの人々にも広く伝えたかった、そういう感情が伝わってきました。


~目次~

1.挨拶

2.経過観察

3.結び


2.経過観察

 では、小松菜と芭蕉菜を見ていきましょう。40日目(11/24)になります。

20201126002414-cda7f3f941d248308effd180a23cbe90e27803cd.jpeg20201126002439-84c02cb5db9e8ee058a6a36aadf16ebc98532ae2.jpeg

札が葉っぱで隠れて見づらいかもしれませんが、1枚目が小松菜で、2枚目が芭蕉菜です。肥料のおかげか、ぐんぐん育っていきます。夜に葉っぱを触ってみると、けっこうふにゃふにゃしているのですが、朝や昼になって触ると、特に小松菜なんかは、例えが適切かはわかりませんが、観葉植物のパキラの葉っぱのようにしっかりした触り心地でした。しかし今のところは大丈夫ですが、想定より大きく成長するのならば、もしかするとまたこれ以上の間引きが必要になってくるのでしょうか。


20201126002507-bb0e974fb9fda79f7963684d2728612a95ef4ded.jpegベビーリーフも同様に40日目です。もう2回目の収穫ができそうですね。前回と違い、肥料を与えての収穫となるので、そこで味の変化が見られるか注意して味わいたいと思います。


3.結び

 以上になります。上にも書きましたが、今後もしまた間引きが必要になってくるようであれば、教えていただきたいと思います。まあ、これこそ他の受講生の記事を見て参考にしていくことなのだとも思いますが。また、他の科目でテストが入ってきていますが、記事はがんばって定期的に上げ続けていきたいと思います。では、第9回の記事でした。

コメント

小松澤さんこんにちは

 デカルトですか...... それをまともに論じたら当方はとてもついていけないところでしたが、感じたことは別のところなんですね。なるほど、「思想の開示」という言い方が非常に素晴らしく思います。デカルトは決して他の人の考えを合わさせようというのではなく、自分の考えを述べるに留まると。

 確かに、世の中の論説というものは、その大半が「自分の思い付いた素晴らしい考えに合わせて動け」というものです。特に政治体制、社会構造、教育についての論はそうですね。いや、開示で終わっているものを見たことがないほどです。その根底にあるのは、正しいかどうか、あるいは浅いか深いか、ではなく「声の大きい」方が通るという現状のためなのでしょう。

 もう一つ、仏語で書かれたことにも注目されましたか。広く理解してほしい、ということでしょうか。別な側面でいうと、思索研究のための思索ではなく、民衆の実践において役に立つものであるという確信のゆえかもしれませんね。

 さて、こちらも本の例を出しましょう。

 昨年、ジョン・デューイ(経験主義・プラグマティズムの祖として有名)の「経験と教育」というのを読みました。驚いたことに、今日の日本での教育で揺れ動いた「ゆとり教育」「反ゆとり教育」の問題が完全に内包されていました。おまけに新学習指導要領で取り入れられた、今流行ともいえる「アクティブラーニング」のことまで入っています。それらはデューイの時代にもう終わった話です。つまり、皆がこの本の程度の素養があれば大半の議論は不要なんですね。

 おまけに言うとデューイは決して経験主義万能ではなく、むしろそれが過剰に民衆に好かれて、偏愛されることを強く危惧しています。また、それがなぜ偏愛されてしまうかというメカニズム(端的にいえば民主主義のように見えれば見えるほど盲目的に支持される)まで語っているんですね。

 ともあれ、日本では哲学者というととかく「世捨て人」「仙人」という扱いをされますが、海外ではあくまで実社会との関わりから出発する人であり、役に立つものという認識のようです。

 今回の報告では、植物たちが本当によく育っているのが分かります。とてもいい感じです。一つの指標として子葉がまだ緑ですね。どのみち子葉は枯れるのですが、それが遅いのは元気がある証拠でもあります。なぜなら植物は栄養状態が悪いと感じると、成長点から遠いところ(つまり下の葉)から自分で分解にかかります。その分解物を成長点に送るのです。これは何度も言うことですが、植物の枯れ葉というのは単に「死んだ」ということではなく、積極的に植物が「枯らした」、つまり栄養を最も必要なところに移動した結果ということです。不思議ですね。そう思って今の季節に舞っている枯れ葉を見れば、もう不要になったものというだけではなく最後の最後まで次につなぐために自らを分解してまで尽くした結果に見えるでしょう。変な例えですが、よく勇者が「ここは俺に構わず先に行け」という姿に重なります。

 葉の手触りまで調べる、というかそういう気付きがあるのもいいことです。昼間の蒸散に根の吸水が追い付かず、夕方から夜にかけて柔らかくなることはよくあります。夏の暑い日で蒸散が極大の時にもそうなりやすいですし、逆に今の季節で地温が低いために根の活性が弱くなっている時にも起こりやすい現象です。

 さて間引きについてはまた必要かと思います。し過ぎても何か寂しいものがありますが、株同士が押しのけ合うことも避けたいものです。

 それと肥料は引き続き忘れず与えて下さい。

 ベビーリーフは、煮物に加えるならともかく、生食予定でしたらあまり大きくならないうちに収穫したらと思います。

 ではまた、報告頑張って下さい。

 ラボスタッフ・オガタ

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五所川原の道の駅で見ました

どんだけでかい冷や奴になるのか......