東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

3/11(金)、14:46から今日まで、その30(3/1)

2020年3月12日 (木)

 3.11 14:46から9年。数日前に半旗を掲げ、弔意を示すようにとの連絡が。お昼の時間にはそんな半旗を見て、黙祷と思いながら、肝腎の14:46には失念を。3.11を忘れたわけでもないし、あの日の記憶が消えることもない。地震が始まって、3min間の揺れが止まるまで、何もできなかった自分がいたことも。。。そんなことを思い出しながら、自宅に戻って黙祷を。職場によっては館内放送で「黙祷」があったとか。記憶から忘れ去られないためにも、そんなことを考える時期なのかも知れない。

20200312111640-8e7a4b92bd811c3747160888023433abf47b8d20.JPG 今年は追悼式典が、新型コロナvirusの影響もあり、軒並み縮小。9年前、今回の災害も「見えないもの」との戦いになったことは忘れてはいけない。もちろん、検出系が発達した現在、器機を使えば可視化は可能である。ただ、虫眼鏡で拡大するように見えるわけではない。ある種「おばけ」に対する恐怖と同じというと、それでも科学者かと言われそうであるが、それが人間心理のような気もする。というか、現状の科学力の限界なのかも知れない。そういえば、本題とはそれるかも知れないが、ある種、一連の問題の核心を突いたような記事を発見。最初から最後までちゃんと読んでみることにしよう。こんな時期だからこそ。。。

 仙台周辺の沿岸部も高いところに道路が移動したり、かさ上げした台地に町が復興したり。。。時間が取れず、見ることができていない。こんな時期にという声もあるかも知れないが、2つの災害の共通性、多様性を考え、理解することはどうなのであろうか。そういえば、いまのvirusがここまで拡大する前に、SSHの発表会で震災、原発のことが議論されていたような。。。新聞netなどにも関連記事があるであろう。こんな時期だからこそ、9年前に何が起きていたのか、今の問題が何なのか、改めて考えることの重要性に思いを馳せた2010年3月11日であった。

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 わたなべしるす

 PS. 今年も3.11を前後して、出前講義でお世話になっていた方々からmailを頂いた。それらの思いを消化・昇華して、歴史を語り継ぐことをしないと。。。。9年はあっという間であるが、問題は山積なのであろう。

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