【11】密です、広瀬ちぢみ菜(工:佐々木ひなた)
2021年1月 1日 (金)
本日元日!
もう2021年になったのですね。しみじみです。
昨日の朝刊で、毎年暮れはその年を惜しむ気持ちになってしまうもので、「ほんとにいい年だった」と思える年が来ないものか、ということが書いてあり、確かになあと思いました。
私も毎年のように終わりを惜しんでしまいます。
寂しさややりきれなさばかりに目を向けるのではなく、よかったことに目を向けられる心の余裕をもつことができる1年にしていきたいです。
本日の写真は猫草を食べる飼い猫です。
ここ数日は外が寒すぎるので、植木鉢を玄関の中に入れるようにしたのですが、そうすると飼い猫が葉っぱを食べようとします。猫害だけは避けたいです。
広瀬ちぢみ菜の記録
今回は、広瀬ちぢみ菜に焦点をあてての記事です。
12月30日 天気:曇り・雪 気温0.6℃ 湿度95%
こちらについては久しぶりの投稿になってしまいました。
といっても、大きさが多少大きくなり、相変わらず虫がポチポチいるくらいです。
虫は小さすぎて写真にまともに写りません。
虫はアブラムシのような、灰色に近い色をした虫が見る度に数匹います。
その度に潰しているのですが、内側のまだ小さい新芽のところについている奴らは、手や爪楊枝の先っぽでも取れないので放置してしまっています。
小さめ植木鉢に3株植えてあるのですが、そろそろ密集度が増してきました。
間引きで1株抜いて、選りすぐりの2株を集中的に育てるべきなのでしょうか...?
3株の中でも大きさに差が出てきたので、工学部・木村さん2020/12/29の記事「葉の生長を観察する指標」を参考にして、葉の枚数で比較してみることにしました。
内側の新芽はある程度広がって葉の形が見えているものの枚数だけをカウントすることにしました。葉の枚数は
①11枚 ②10枚 ③9枚
でした。
①の株は葉の展開の仕方が対称的で、他の2株よりも優勢な感じがします。
②の株は、①に次いで頑張っている感じです。葉の開き方は、他の2株に少し邪魔されて綺麗な対称性はないですが、十分葉を開くことができていると思います。
③の株は①、②の株の陰になってしまっています。押しやられている感じです。葉の枚数も最も少なく、かなり劣勢です。
もし間引きが必要なら③を間引くと思いますが、自分の想像するちぢみ菜よりもまだまだサイズは小さいので、ここで最終的な収穫量を減らしたくない気持ちもあります。
終わりに
今回、植物の生長を見る指標として木村さん提案の葉の枚数で比べてみました。
数えるだけでいいので何より分かりやすくていいと思いました!
先日最終発表の案内が出て、年も明けました。
2セメも残りわずか。気を引き締めていこうと思います。
コメント
佐々木さんこんにちは
2021ですね。昔の漫画では2021年というと地球滅亡しているか、ロボットが闊歩しているかなんですが、実際はあまり変わらないようです。もちろん人々の持つ道具(電子機器や車)は変わっていくのですが......
まあ一年という長さではあまり変わらなくとも、5年10年という単位で見ると変わっていってるのかもしれませんね。昭和とは言わずとも平成の映像を見ると人々のファッション、行動、街並みはこんなに変わったのかと驚きます。仙台に限っても駅前にさくら野があった時代は...... 白いたい焼きブームとかもどうなったんでしょうかね。
逆に十年後から振り返れば、今はどういうふうに見えるでしょうか。鬼滅やコロナもそういえばそういうのあったな、となるのでしょうか。
しかし個人的には未来に非常に興味があります。何十年後かの未来まで見られない(死んでしまう)のは残念ですね。今のコンピューターのCPUはどこまで進歩するのか、リニア新幹線は本当にできるのか、スペース往還機は、人工細菌は、核融合発電は、究極の内燃機関は、8Kテレビの次は、インド人口が世界一になるのは、など興味は尽きないですね。至近では進撃の巨人やガラスの仮面の最終回が来るのか、河北新報のぴよちゃん(これが最高に面白い)がどうなるかも知りたいところです。
さて話はバラバラになってますが、冒頭写真のネコ草はオオムギですね。なぜオオムギがネコ草になっているのか私も知りません。それほど動物に詳しくないので、ネコの必須ビタミンが何かも知りません。たぶん人間の必須ビタミンより少ない(肉食だから)とは思うのですが。ともあれせっかくの作物がネコ害に遭ったら大変です。
写真で見る広瀬チヂミナはいい感じに育っています。写真の撮り方、定規が平行なのもいいですね。虫の害も写真では分かりません。間引きについてはどちらでもいいかと思います。成長期ならば間引いた方がいいと即断するのですが、この動きの少ない季節ではそれほど慌てることもありません。そしてこの3株の比較も科学的で面白いですね。葉の枚数、観察した形態で間引くべき株を明らかにしています。こういう客観化した決め方こそ科学に携わる者として大事なことです。実際の実験や論文ではどんなささいなことであれ「それをした根拠」が無いでは済まされません。理屈がつながっていれば薄い根拠でもいいです。通法だから、でもいいです。しかし何の根拠もないでは済まされません。ここは大事なところですよ。例えで言えば、オーケストラの楽曲でどんな些細な音でも必ず「それが必要な根拠」があるのと同じで、ただ単に楽譜にあるから音を出すのか、何の理由の音なのか考えることまでするのか、技術的な問題などどうでもよくこの一点がまさにアマチュアとプロの境目です。
さあ次の報告も期待してお待ちします。最終報告は字数が多いように見えますが項目をまとめればそれほど書きにくいものではないと思います。
ラボスタッフ・オガタ