東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

3/11(金)、14:46から今日まで、その29(3/14)

2019年3月14日 (木)

 2011.03.11から8年が過ぎた。9年目に入った。できるだけ、その当日に、それまでのことで何を考えたのか、書いてみようとしていたが、この春は、3.11の前の週が不調で。。。遅くなっている。研究室の増子さんの記事にもあるように、今年は雨で、北門の玄関先の写真を撮ることもできず。。。おまけに、その時間にちょうど打合せ。黙祷をしたのは、夜のテレビ番組を見ながら。記録をひっくり返すと、3.11の夜に帰ったのは、23:00頃。その時に、たくさんの星が空にあったのは、思い出す。ただ、パニックになっていたので、ああ、疲れたと言うことで、ただただ、家に戻ったのですが、あの夜空の写真があれば、普段の仙台の夜がどれだけ明るいかを、比較できたと。どれだけの電気を使って、それが灯りになっているのかを理解する上では、よいわけである。そんな心の余裕を持てる人がいたのか。。いずれ、当時の夜の星空を再現していたのは、何ともいえない思いになった。

20190314110440-369cc3919fb8e4bec02bc3b86759c64a0ecc9976.JPG ニュアンスは違うかもしれないが、星空の「光と影」というのは、言いすぎかもしれないが、あのときに見た暗い道の上の星が見れることがよいことなのか、難しいが、この8年間で、星空だけでなく、8年間で行われてきたことの「光と影」というのが見えてきたように思う。プラスとマイナスの面とでも言い換えればよいのかも知れない。テレビでも出ているとおり、仙台市内の沿岸部はそのままに近い。もちろん、がれきなどは、なくなっているが。。。6月にNPOの方にお願いされて、講演をするのであるが、そのうちあわせの時にも、沿岸部にマツの植林をしていると。樹木の生長は早いわけではないので、空港当たりから見た沿岸方向はほぼ、当時のまま。現状の技術で、植物の生長速度を上げることは、多分不可能。速くなったけど、その分、しっかりと中身がないような樹木ではいけないわけなので。。。

 10ヶ月ほど前、福島県沿岸部を車で通ってみた(そのことを書いたかどうか、すでに記憶がない。。。)。原発に近いところを実際に見ると、影の部分が映されたような気がした。いまだに、一般人は何かの許可がないとは入れないのか、そもそもは入れないのか。。。そんなところの存在に気が遠くなる思いであった。そんなマイナス面をどうするのか。人口減少社会のさらに先を行くモデルケースとも考えられる。解決に向けて、何をするべきなのか。何より現場を見ることなのだろう。より多くの現場を見ることで、それを串刺しにすることで、違ったものが、見えるような気がするので。これという「光」の一手が見えない分、9年目も難工事となるのではないか。。というか、あの大きな地震が来たので、しばらくないと思っていたが、そうでもないという数字。これにも頭を抱えるような気がしてならない。。。そんなことを考えた、2019.03.11であった。

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 わたなべしるす

 PS. 今年も震災当日、出前講義でお世話になっていた方からmailを頂いた。この記憶がどこかへ行ってしまわないように、きちんとした歴史として残すには。。。問題は山積のような気がした。。。

 PS.のPS. これまでに29回記した記事を、まとめたページを作ってくれています。今では忘れ去れそうな当日の様子は最初の方に記してあります。ご参考までに。。。

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