東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

3/11(金)、14:46から今日まで、その2(3/18)。

2011年3月19日 (土)

 昨日の続きを少し記してみます。研究室に残った者は、labの中を視察にいきました。もちろん、単独では危険ということから、スタッフが同行し、改めて、部屋の中を確認しました。居室の入り口には、プリンターが落下しており、本棚の本という本がすべて落下し、本棚が空っぽ状態でした。まさに足の踏み場がない状態です。

 実験室の方は、同じように足の踏み場もなく、様々は備品が落下、一番奥の部屋では、蛍光顕微鏡、遺伝子発現装置が墜落しており、シロイヌナズナを飼育している棚も、激しく倒れていました。渡辺の部屋は、建物の端っこにあります。今回の地震が、東西、南北方向に揺れたようで、1Fより、2F。2Fより3Fが被害がひどいのが、何とも言えない状況でした。渡辺の研究室が、3Fにあったことから、生命科学研究科・本館でも1, 2を争う被害となりました。ただ、聞いた話ですが、青葉山の工学部では立ち入り禁止の建物も多いというような話も聞いております。それから比べれば、ましなのかもしれません。

 こうした呆然とした状態の中で、世の中で何が起きているかを知るためにも、まず、各自の自宅の状況を確認してもらうということが、次のステップでした。火事場泥棒ではないですが、研究室の鍵を閉め、順番を忘れましたが、院生の方々には、自宅の確認にいってもらいました。そういえば、地震の直後に、30minあまりでしょうか。吹雪になり、泣きっ面に何とかという感じでした。

 渡辺も自宅に戻ると、本棚を置いている部屋は、研究室と同じで、一面、ガラスが割れている、同じ状況でした。その中で、普段は、湯船につかって使っている、ワンセグのテレビを見つけて、乾電池で動くことから、それを大学に持ち帰り、大きな津波が起きたことを知り、大きなショックを受け、被害の小さい研究科のプロジェクト棟に、「(仮称)生命科学研究科・本館・災害復旧本部」をつくり、食糧、懐中電灯、電池、水などを、集めてきました。このときに、機転を利かせてくれ、食糧を集めに行ってくれたスタッフ、院生の方々に感謝します。また、食事をするための炊飯のために、燃料になりそうな木々を集めて、夕飯になりました。その夕飯も、どこまで食べたのかも記憶がありません。寒さも厳しくなりつつ、テレビを見ていたら、津波の被害に加えて、福島原発のことが、話題に上り始めたような気がします。このあたりの記憶が、定かでありません。

 その日は、23時頃まで、大学で学生さんたちと現状を見ていたあと、自転車で帰宅しましたが、信号機も止まり、真っ暗な中を自転車で帰ったのは、高校生まで生活していた今治の田舎道以来でした。この日は疲れ果て、そのまま家で寝ました。もちろん、風呂、トイレ、電気すべて使えなく、そんな状況でした。また、頭を整理しないと、頭がパンクです。。。続きは、また、後ほど。。

 昨日、今日にかけて、こんな中で起きた奇跡のようなことは、また後ほど記します。


 わたなべしるす。


 PS. 大学のmail serverの復旧は、担当の方が迅速な対応をして頂き、以外と早く戻るかもしれません。そのときは、また、お知らせします。ダイコンコンソーシアムのHPに、小松高校の寺岸先生がコメントをしてくれていました。ありがとうございました。今日も同じ、終わり方かもしれないですが、福島原発での一連のことが、何とか収束の方向になることを祈りつつ。。 

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