東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

約束、始祖、限界、制御、破壊(5/8)

2017年5月 8日 (月)

 連休が明けた。気圧配置の関係だろうか、風が強い。連休中に作付けした「鉢物野菜」の暴風対策をしないといけない。ただ、日中の気温が20oCを超えて、夜温は10oC近く下がり、風が強い。どんな仕掛けを考えると、これを防御できるのか。容易ではなさそうである。インターネットのおかげかどうかは別として、世界の情勢はすぐにわかるようになったが、結果であり、その内実までは理解が難しいような。。。勝利をしたものの、どうやって実現するか、多難という紙面も。。。どこもそうかも知れない。選挙のようなもので約束したこと、そうでないことで約束した問題点を期待通りに、完璧に実現できるかには、無理がある。だからといって、約束を反故にするのはよくない。一度、反故にしたら、それを取り返すのは、。。というのは、よくある話で。。。そんなことを講義で話をしないと。。昨日というのか、今日の結果を見る限り、両者での交流というのか、連携は多難の道というか、昨日あたりからの黄砂で見通しが悪いというか。どうなのだろう。

20170508191736-f62d55bc3abc35aaab728584de82d6f946c914ad.JPG そんな改革に向けてと言うことで、先を見すえることも大事。一方で、「始祖(origin)」に学ぶことも。始祖のようなすごいひとがいたような高いところではなくて、下野して、下から見たら。。。違う世界が見えるような。もちろん、高いところにいくと、さらに高いところがあって。それを極めるのが容易ではないのは、研究をやっていてもよくわかる。そんな始祖である師匠を超えるのは、弟子の務め。これまで教えて頂いた日向先生、磯貝先生をはじめとする多くの先生方のこれというところを学んで、超越することを試みているが、未だなし得ていない。その境地にも達していないような気がする。どうやれば、よいのか。上だけでなく、下野してみるというのもということを教えてくれたのは、将棋のA級を陥落した森内九段の名人戦「引退」。この心意気というか、覚悟を持った決断というか。そんな研究者でもありたいと。。。

20170508192051-82d78a64aaaeb1c3ebd184242f54fbd202803fc4.JPG 研究者というか、日向研究室に配属された頃、パソコンと言えば、MS-DOSで動く、一太郎で書く文章であった。数字を扱うことがなかったので、Lotus 1-2-3に、お世話になった経験がほとんどない。あの当時の画面はもちろん、白黒。MS-DOS 3.1だったような。versionは。その後、Windowsを使って、今に至っている。ただ、どれくらいのWindowサイズであろうか、Macを使わざるを得ないことがあった。遺伝情報というか、DNA配列を決定するDNA sequencerを制御するパソコンがMacであった。あの当時、3.0kbくらいのcDNAの全部の配列を決めるのに、半年くらいかかった。今にしたら、何をやっているのかと思うかも知れない。ただ、実験の勘というか、そんなものも学んだような気がする。今のシステムは、もちろん、Windows systemベースで動いている。反応のさせ方も昔とはひと味もふた味も違う。。。というか、実際に動かしてもらうのは、学生さんたちなので。。。そんなWindowsのシステムもMobile端末ではかなりの異端児らしい。ただ、こちらはいまだに、ガラパゴスの携帯を使っているので。パソコンがWindowsなので、モバイル端末もWindows systemベースと思うが、そうはいかない。このシステムに限界があるのか、それとも具体性にかけるのか、user側が何かすれば、パソコンとの連動ができるのか、それができるのであればやってみて、Windows phoneを使いたいのだが。。。世の中、そんなに単純ではないのかもしれない。

20170508191627-635a3e119464c8db85d2d30d45db627cd82e03ad.JPG 日向研究室で4年生の時は、理学部生物の竹内教授のところで、抗体の作成を学んでいたというか、実験をしていた。そんなで日向先生と議論すると言うよりも、竹内研の院生の方であったり、助手をされていた山本先生であったり、いずれ、余り記憶がない。研究室で議論したのは。院生になってからであろうか。当時は、土曜半ドン。この前、出前講義でこの単語を使ったら、今の高校生は知らないtermらしい。こんなものが機能していたのが、1990年代なので。土曜日は半日仕事をする。その半日でその1週間分の実験を日向先生と議論していた。理由は簡単。自家不和合性を知っている院生、助手の方はいなくて、教授である日向先生が自家不和合性知っている身近な研究者であったので。よいことなのか、そうでないのか。いずれ、そうしてみるしかなかった。ただ、そうして議論している間に、繰り返して実験したり、実験の基本というか、そんなことを学んだような気がする。もちろん、日向先生にいわれたわけでなくて、今になると思い出せないが、何となく、こちらからのような。ただ、そこでの議論が行き詰まると、共同研究をしていた東京大・農・磯貝先生のところへ。東北新幹線が東京まで延伸していなかったような。ただ、その当時は、上野から西日暮里に戻り、千代田線で根津へ。そこから徒歩で。そんな時代であった。朝までがんばって、暗室で写真を焼いて、ケント紙にはり付けて、説明書きをして。東京までと言うか、上野までの新幹線では寝ていたような。こちらでは分からない、化学的なことについて議論頂き、もどって、また、実験をしたような。いずれ、若いうちからこうした外との経験をさせてもらったことで、その道のプロから指摘を受けて、これという方向に制御されて、研究を展開できたような。もちろん、あり得ないと言うことではないが、知っている方を頼りに当時の食糧化学科の分析学の教授のところに話を伺いにいったことも。どれだけ、やってもたぶん、お釈迦様の手のひらと言うよりも、日向先生の手のひらの上で何かをやっていたのだろう。結構、これという発想をしても。たぶん。。ただ、最近は経験値が少ないからだろうか。昆虫の退治をこんな手法で。。。新聞を見て、かなりあり得なかった。それもそのはずで、応用昆虫学概論の講義では、ゴキブリの退治の仕方は曲がるところを狙うと、。。一般的な手法ではないのかも知れないが、理屈にはかなっている制御された方法論のような気がする。

20170508191953-e3d8510e21d3334c628738dd1ffd1252cb2d1b44.JPG そんな農学部での実験材料はアブラナ。前年の11月頃には播種して、できるだけ、葉っぱの枚数と緑、緑した葉っぱに。肥料と生長制御物質で。生長制御物質というと、変かも知れないが、農薬も使った。肥料だけだと、害虫、病気にやられてしまうので。病害虫被害は、かなりのものというのを植物病理学、農薬学の講義で習ったような。。。もちろん、あの当時は、雌しべの先端の柱頭と雄しべの先端の葯をかなりの数、集めることが大事であったので。。。いずれ、2ヶ月くらいは花持ちがするように、あれこれと工夫した。農家の方が読むような本を読んでみて、栽培を工夫したり。ある意味、当たり前の事かも知れないが。。。先にも書いたように、色々な先生方と共同研究を通じて、なるほど、ここはこれがよいなというのを見つけ出し、今があるような気がする。だからなのか、変な融合・キメラになったからなのか、物事を超越したり、反転させたり、代替を開発したり。。。一方で、師匠の奥義を究めるために、原初にもどり、多様な局面を色々な方々と議論をしたり、共同研究をしたから進化し、そうした方々と切磋琢磨できたような。子供の頃に、ゴミ捨て場に廃棄されてあったラジオ、テレビを破壊したように、もっと極端なことができたらよかったのかも知れない。つまり、手のひらの上をでるような。。。ただ、師匠とはよくできたもので、そんな様子を泰然として見ながら、対応してくれていたのかも知れない。そんなわけで、先にも書いたように「師匠を超えるのは、弟子の務め」であり、「□△とは、習得そのものがゴールではない。むしろそこから、さらなる精進が始まると思うがよい」、という言葉に収斂されるような。。。。あれこれ考えず、硬度10を超える「ロンズデーライト」を目指して、今週もがんばるしかないのだろう。

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 わたなべしるす

 PS. 1つ前の記事でM1の学生さんが書いてくれたように、今週の土曜は東京で入試説明会。来週の土曜は仙台でオープンラボ。たくさんの方々の来客をお待ちしております。

 PS.のPS. 文頭で書いた強風。今日は、強風警報が出たとか。。。自宅に戻っての確認が。。恐ろしくなってきた。何もないことを祈るばかりである。





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