こんにちは、立教女学院高等学校の金子悠夏です。第3回の講座について、書かせていただきます。
英語?留学生?発表?ナニソレワカンナイ!
予定を見た瞬間、背筋が凍りつくような内容。日本語ですらあやふやな私が英語なんて聞き取れるはずがない!
まあ結局聞き取れませんでした。
日本人の話す英語をなんとか聞き取り、あやふやなままネイティブ発音。
これみんな理解出来てるのかなと思ったら、英語で質問し始める受講生。
まあこれは本当に悔しかったです。
英語ができないって無力だ、と感じました。
AIで全て翻訳してもう外国語はそれに任せようよ、、、。
さて、そんな私が重点的に考えたのは、地震についての事です。
東日本大震災が起こった時、私は小学二年生でした。学校から学童に行き、バランスボールをして遊んでいました。今でも鮮明に覚えています。
「地震!大きい!机の中潜って!」先生が大きい声で言いました。私は、性格のせいか、机の下に潜らず、気にせず遊んでいました。
ですが、立っているのもやっとの揺れ。他の子は誰も遊んでいませんでした。私もようやく机の下にもぐり、本震が終わるのを待ちました。
もちろん、誰も死ぬことはなく、怪我もせず、外で安全に親の帰りを待っていました。
外に出た時、衝撃的でした。
道は割れ、家は傾き、マンホールが飛び出ていました。
そして、私の住んでいる街は、液状化で埋め尽くされ、周囲の家は全て傾いてしまいました 。
その時私は、東京が震源だと思っていました。こんなにも被害があったから。
でもそれは全く持って違っていた。
当時の私には受け止めにくい津波の映像。揺れによる被害。それをまじまじと見ながら、次の地震がこないか、靴を履きながら寝た記憶があります。
それから1.2年間、次は自分の街に津波がくる。本当の大きい地震がくる。そう怯えながら暮らしていました。が、結果的に来なかったのです。
そこからはもう地震が起きても、「あー、弱い弱い」と言ったような、軽い気持ちで過ごしていました。
大切な人を失った人の映像を沢山見ました。大切なものがなくなった人を沢山見ました。ですがそれは「他人事」で、客観的に、大変だな、としか思えなかった。知っていたはずの被害。それは私の心に響くことが出来なかった。
それは、私がシャットダウンしていたからだ。
今、こうやって対策の話を聞いても、真隣に海があるにもかかわらず、「それがまあ運命でしょ」としか思えなかった。
きっと、失って初めて気づくのでしょう。自然の恐ろしさを。
身近な人が、悲しんでいても、心のどこかでは「私じゃなくてよかった」と私は思っているのでしょう。
人間の心は残酷だ。そう思いました。
こんなにも研究をされているのに、当の本人がこれではダメだ。そう思いました。
いくら素晴らしい研究をし、開発をしても、使用者がこの危機感では何もかもが無駄になってしまう。その怖さが「英語」によって伝わってきました。
耳から耳へ流れていく英語。その中に、日本語では受け取れなかった言葉が、私の頭に入ってきたような気がします。
ではまた。See you again!
投稿者:立教女学院高等学校