こんにちは、最近日本書紀にはまってる仙台青陵中等教育学校の櫻井雪乃です。秋も深まる中、第6回講座ということで、サイエンスカフェ、講義、大学生・大学院生との交流会があり、倫理教育や人生選択といろいろと未来を考えさせられました。ボーっと生きている場合ではないですね。いつものことですが、まだ文章力は鍛えているので拙い文章ですが気長に見て戴ければ幸いです。
第6回科学者の卵について
サイエンスカフェ
今回は「科学・社会・生命倫理」という題でサイエンスカフェがありました。そこでは長神教授のスライドをもとに、10年、20年先の科学技術からその悪用方法や対処法をみんなで話し合って考え、科学者はどう倫理と向き合うべきかを学びました。私は今までずっと科学者は倫理観なんて無視して研究を進めればいいと考えていました。どんなに科学者が悪用に頭を悩ませても結局悪用する人ははどんなものでも悪く使えるからです。しかし、今回のサイエンスカフェを受け科学者も倫理を考えるべきだと思いました。例えば、マッドサイエンティストとしてよく挙げられるヴィクター・フランケンシュタインは、死体から生命創造を行います。これは更なる技術発展のために行ってもいいことなのでしょうか。多くの人は人の道に外れた研究だと言うでしょう。しかしもしこれができるなら、子供ができない家庭でも子供を創れるし、医療といった分野では臨床試験をもっと安全にかつ幅広く行えるかもしれません。世の中には絶対正義及び絶対悪というものはないので、更なる科学の発展のために科学者は技術の正邪を考えなくてもいいという考えには一理あります。しかし、それでは過ごしやすい世の中を維持することはできるのでしょうか。私は行き過ぎた科学は自然を捻じ曲げる可能性があり、世の中の維持はできないと思います。だからこれから科学を学ぶ上で倫理も一緒に考えていきたいです。余談なのですが、夏に学校で理科講座というものがあり、血液メンテナンスを学ぶべくニワトリの心臓とブタの腎臓を解剖する機会がありました。そこで生命についてのお話があり今回のサイエンスカフェのことも併せて考え、いくら何気ない食事といえども食材は生きていたものなので、これから食事をするときにはしっかり命を戴いているという意味で「いただきます」「ごちそうさまでした」としっかり言いたいです。
講義について
講義は「教授の進路選択アドバイス」ということで、渡辺教授が今までの人生をもとに人生選択について教えてくれました。私は小さいころからエンジニアを目指しています。父がカスタマーエンジニアであったり、幼いころからロボットアニメが好きであったりと理由は様々ですが、世の為人の為にロボットを作りたいと思っています。しかしロボットといえども多種多様で産業用ロボットや医療ロボットなどがあります。事実、今も宇宙工学か医工学か迷っています。ただ心臓や腎臓について学び、最近はやや医工学寄りになっています。「この櫻井雪乃には夢がある!」という感じで将来に対しここまで情熱に滾っているように書いていますが、私は気変わりしやすく、去年くらいまではあまり未来のことなんて考えていませんでした。気まぐれで芸術を志したり、仙人のような生活を志したりしました。そのため、他の夢追い人に比べてかなりの怠け者で日日は消費するものでした。しかし、今年に入り将来をもっと本気で考えろと親に叱られ、私は高校1年でもう社会人となって人の為に必死に働いてたり、世界で活躍してたりしている人がいる中自分は何をしているのだろうかと考えさせられました。そんなときにこの講義を受け、私は「最期までぜったいやる‼」という心の醸成ということで、エンジニアを目指す覚悟を持てた気がします。これからは勉強も部活も趣味も頑張りつつ、"人間の手"に限りなく近いロボットを作りたいです。
大学生・大学院生との交流会について
ここでは様々な学部学科の大学生・大学院生と話し、大学についていろいろと聞くことができました。工学部と医学部の方からお話を聞くことができたのですが、私が思っていたよりも大学は勉強が大事だということ、高校よりも時間が自由に使えることがわかりました。私は将来の為にも大学で学びたいのですが、もし東北大学に入ることができたのなら、勉強もしつつ、今はまだ制限している趣味を楽しみたいと思いました。その為にも今は耐える時だ「欲しがりません勝つまでは」と勉強を頑張りたいです。
感想
渡辺教授がおしゃっていたように、ブログを書くたびに文章力が向上している気がしました。ただ、次回がちょうど地理オリンピックと日程が被っており、参加できるか微妙なのがとても残念です。毎回学校や個人の予定と科学者の卵が被っており、人生は選択の連続だと身に染みて感じます。関係ないのですが、日本書紀を読んでいるとよく頭がよさそうに思われるのですが、実際は私の学力は下から数えて〇番目な感じので、人は見かけと第一人称で判断されやすいなと最近実感します。また日本書紀ときいてなんか難しそうと思う人がそこそこいると思いますが、単純な脳で読むと案外ドロドロした恋愛話だったり、コミカライズな神々の話だったりするので結構面白いですので、読むと古典文学に対する思考がかなり変わります。といえども、奥深くは難しいものなのですが。学問は終わりがないですね。
締まりのない文章ですが、御精読ありがとうございました。
投稿者:仙台市立仙台青陵中等教育学校