2021.02.11
「常識」を疑い、「非常識」に耳を傾ける
みなさんこんにちは、鶴岡南高校の川村祐毅です。前回のブログから2ヶ月ほど空いての投稿となってしまいました。学校のゼミ活動や部活のポスター制作で忙しかったと言い訳しておきます。その埋め合わせと言ってはなんですが、多分この記事の一つ上にも僕の記事があると思うのでそちらもぜひ。そういえば日本で初のコロナウイルス感染者が確認されてから1年が経ちますね。最初の頃はマスクをつけて生活することがとても大変でしたが、徐々に慣れてきて、「周りがみんなマスクつけてるから別に自分はつけなくてもいいや」という理由でつけていない人や鼻出しをする人が増えてきているそうです。「慣れ」って言うのは恐ろしいものですね(実はブログを更新しないことに慣れてしまっていたというのは内緒...)。
さて今回の浅井先生の講義の中で、イギリスの物理学者であるケルビンが「飛行機はできるわけがない」という趣旨の発言をした数十年後に、ライト兄弟が人類初の有人飛行に成功したという部分がありました。ケルビンがこれを聞いた時、さぞかし驚いたことでしょうね。絶対できないとあれだけ豪語していた有人飛行ができたのですから。
実は世界ではこのほかにもこのようなことがたくさん起こってきました。例えば虚数。最初は「存在しない数の世界を考える」ということに非難の声が殺到していたそうですが、研究が進むに連れて必要不可欠な存在なのだとわかり、そこから徐々に認められるようになって今日に至ってきたそうです。また地動説もその最たる例です。
このように今の世の中に溢れている「常識」は必ず一度「非常識」だと世間から排斥された歴史を持っているものが多いようです。つまり、新しいことを考えると必ず周りが批判をしてきて、なかったことにしようとしてくると考えることができます(僕にもこのような経験がたくさんあります...)。その批判の中にはとても有益な、欠点を指摘してくれているものももちろん少なからずありますが、ほとんどは自己の保身のため、ステレオタイプから逸脱したものを集団で寄ってたかって批判しようとしているだけで、要するに自分の信じているものが本当は間違いで、それを切り捨てられるのが怖いだけなのだと思います。ですが裏を描けば、それ(新しいもの)は既存のものの間違いを的確に指摘した、より良いものであるということを暗に容認してくれていると考えることもできます。
つまり、一見批判が殺到していて「非常識」に見えるものこそが、既存のものよりもより良い、つまり新しい「常識」になりうるものである、と言うことができるということです。批判をするのはとても簡単なことです。「そんなこと現実で起こるわけがない、何言ってんの?」と言えばいいだけなのですから。ですがそれよりも大事なのは、新しいことをまず一度受け入れ、吟味し、それから自分の意見を述べると言うことです。織田信長や曹操が天下に覇を唱えられるまでに成長したのはこれができたからこそだと思います。「常識」を疑い、「非常識」に耳を傾ける、これがこれからの時代を生きる上で必要不可欠なスキルなのだと思います。
結論、新しいことを生み出すパイオニアってすごい!
投稿者:山形県立鶴岡南高等学校