東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

最終発表(教:井上千晴)

2018年1月17日 (水)

こんにちは。井上です。

一年の中で一番本を読みたくなる。一年の中で一番部屋を掃除したくなる...。はい、テスト期間がやってきました。

自分を奮い立たせて、いざ、最終発表です。


(1) 植物、作物の栽培を行って最初に想像していたよりも、たいへんだったこと、逆に、意外とうまくいったこと

 この半年間、私は植物の栽培にどっぷりとはまりました。今日の天気はどうなるか、土は乾いていないか、葉は変な色になっていないかと、植物は私に依存していたようで、私が植物に依存していました。栽培で一番大変だったことは、植物が「生きている」ことに因ると思います。あたりまえのことですが、生きているが故に植物のまわりの環境を毎日気にしなければなりませんでした。日ごとに寒くなっていく中で、気温や日照時間を考えたり、追肥のタイミングを管理したり、帰省の際には乾燥対策を考えたりと、しなければならないことが沢山ありました。私の都合が悪い時でさえ、植物はお構いなしで着実に生長します。この生長についていくのが大変に感じたこともありますが、「いのち」と向き合っているのだという感覚は、私を大いに元気づけてくれました。私がはたらきかけると、その反応を観察することができることに愛着を感じてここまで臨機応変にやってこれたと思います。

 最大の事件は12月の後半、コマツナももう少しで収穫できるというところで、鳥にいたずらをされて葉がボロボロになってしまったことです。自然の厳しさを実感し、すべて思い通りに行くはずがないと良き戒めになりました。冬の季節、植物が厳しい寒さに耐えて踏ん張っているのを知ってか知らでか、動物にとって青々と育っている植物の葉は、絶好の標的だったかと思います。栽培が順調にいっていた分、発見した時のショックは大きく、葉を保護するための装置を作らなかったことを後悔しました。

 意外と上手くいったと言える点は水耕栽培です。肥料やアオコの問題などがあり、手探りの状況が続きましたがしっかりと育ってくれたかと思います。根の様子が詳しく観察できたことで、水耕栽培の魅力を味わえたかと思っています。一例だけで断言はできませんが、移植の際に小さめのミニハクサイを水耕栽培にと選んだとは言え、土での栽培との成長率に大きな差ができたことで、土の安定感に納得しました。2種類の栽培方法に挑戦してみたことが、お互いのメリットとデメリットを客観的に見ることにつながり、やはり主流となっている方法には理由があるのだと学ぶことができました。それと同時に日々「あたりまえ」と感じることに疑問を持つことの面白さも実感できたと思います。

20180117230129-f71f90fc24381d5c47fb50d9080b338cf96b0109.jpg(1月10日撮影)


(2) 植物の観察眼を養うことが、どの様なところに波及効果があったか
 中間報告で一番の課題を、データを取ってみることとしていました。後半では成長率を計算したり、葉の縦だけに限らない様々な長さを測ってみたりと、他の受講生の方々を参考にしながら取り組んでみました。

 この栽培は基本的に、受講生にその方法を任せてくださっています。そのゆとりが、土での栽培と水耕栽培を両方やってみて比較したらどうであろうか、植木鉢以外の容器で育ててみたらどのような違いが出るだろうかと、私の好奇心を強く刺激しました。大がかりなものではありませんでしたが、思いついたら試してみるというチャレンジ精神も鍛えられたと思います。

 また、植物の栽培に行き詰ったときには、過去の先輩方の前例やインターネットの事例を調べて情報収集を行いました。しかし、その情報が自分の場合に適切なものであることは限りません。何を参考にし、応用することができるかを自分で考えた経験は必ずこれからに活かすことができる、活かすべきものだと思います。発見し、調べて、考えるという学問の基本を自らの経験として繰り返したことを実感しています。

 鉢植えを持ち上げてみたこと、土に指を入れて乾き具合を見たことなど、様々な視点と五感を使った観察で発見したことは、「情報」として受け取るよりも自分のものになることを学びました。私は今、教育学の文化人類学に惹かれており、そこでのフィールドワークなどにここで学んだ視点と五感を持っていかなければならないと自分でも期待をしています。この貴重な経験をここで終わらせたくないと強く思います。

20180118000630-90fc2ebb2379a214e46a48e37f9043bf30203bf1.jpg(12月26日撮影)


 (3) 他の展開ゼミとは異なり、実質、「毎日が展開ゼミ」ということで、身についたこと、感じたこと

 この、「いのち」と日々向き合っている環境がとても楽しかったです。物事を雑に考えてしまう性格なので、継続することには本当に力が必要でした。地道に根気強く続けていくことで気づけた変化もあり、私にとって良い訓練になったと思います。また、変化の多い植物と向き合った経験は「考え続ける」ことの重要性にも気づかせてくれました。目先のことだけに囚われるのではなく、中長期的な視点も大切であることを学びました。子どもの頃よく感じていた、自分で作戦を立てて、実行することの面白さを思い出した気がします。
 私たちは毎日野菜を食べているのに、いのちを感じる機会は多くありません。植物の観察を通して、「食べる」というのは植物のストーリの最後の一瞬だけであるということを実感し、なんてあっけないのだろうと思ってしまいました。そこに至るまでに沢山の困難があり、感動があり...、そのストーリーを切り離されてラベルを貼られた姿が「野菜」としてこれまでの日常にありました。私たち人間は、売り場に「出すことができる」規格を勝手に決め、それ以外を「出来損ない」と捨てています。ストーリーの存在だけでも知ることで、野菜の味は変わってくるかもしれません。また、ハクサイは葉脈の量が多いということや、食用部よりも大きく根が生長するといった初めての気づきが人生を豊かにしてくれると知りました。
 私は仙台のとある教育団体に属し、子どものキャンプなどにリーダーとして関わっています。食事の際に、子どもたちと一緒に野菜を美味しく食べることができたらと想像しています。野菜の素晴らしさを伝える挑戦の一歩を踏み出してみたいです。


(4)文章を書くという点で、ゼミ開始前とあとでどのような変化があったか

 この授業は、自分の考察を伝える手段が「文章」と「写真」しかありませんでした。伝える相手と対面していないことで、非言語的コミュニケーションをとることはできません。便利なIT社会の不便な面にふれ、メモや板書ではなく、他人に読んでもらうための文章を書くことにとても苦労しました。私が「思っている」だけでは何もならず、忙しさにかまけて報告をためてしまうと、植物の生長の速さに追いつかなくなってしまいました。ただ伝えるだけでは面白くないと、いかに効果的に表現できるかを考え、毎度の発表を投稿した後には、達成感を味わいました。グローバル社会での「生きる力」である、価値観の異なる他者に自分の意見を論理的に説明する「表現力」を、投稿の積み重ねで鍛えることができたと思います。2017年は「インスタ映え」が流行しましたが、「映える」ものには人を唸らせるアイディアがあると思います。写真をどの角度から何を撮るか、考えるべきことは多くありました。

 また、文章は後に残るという点も、人を惹きつけうる力を感じました。自分自身の、小説や論文で心を動かされた経験を思い出し、尊さのようなものも感じました。

 さらに、皆で集まる「講義」がないことで、同じ授業を受講している方々に会う機会はほとんどありませんでした。そんな中、同じ教育学部の阿部さんと運よくあった時にはよく栽培の話をしていました。鳥害を受けた際の私の報告を読んで「ヒヨドリの音声を聴いてみたよ」と声をかけてくれた時、より一層読み手のことを意識しなければならないと身を正される思いと、自分の文章を読んでもらったことへの嬉しさを感じました。他人が書いた文章を読み、それに反応することでコミュニケーションが生まれた喜びを味わいました。私も読者になった時、感想や疑問点などを伝えられるような読み方をしなければと思いました。



(5)植物を栽培して、観察するということは、客観的に物事を捉えて、自然科学的なものの見方を学ぶということでもあります。そうした点について、自分自身が習得できたと思う点、他の受講生と比較して、さらに、研鑽を積むことが大事と思う点

 この授業を受けて一番魅力的だと感じたことは、自分と同じ時期に栽培を始めた方が20人いたということです。皆さんの記事の投稿で植物の様子を知ることができるだけでなく、皆さんが直面している問題がタイムリーに自分にも当てはまるところがあったことで、多くの刺激を受けました。皆さんの存在で自分の栽培を客観的に見ることができ、暴走せずに続けてこれたかと思います。新しい発見も多くありました。茎ブロッコリーが子葉よりも上の茎が太くなっていくこと(農学部、岡田さん)、栽培したミズナの味が市販のものと違っていたこと(農学部、平澤さん)、シュンギクの葉序の面白さ(農学部、菅原さん)、キャベツの葉の生長はミニハクサイよりも顕著であったこと(農学部、榊原さん)など、どれも興味深かったです。

 また、全学教育の中で、「理系」の方の視点を沢山感じることができたことも、私にとっては魅力的でした。他の授業では学部は埋もれてしまいがちですが、文章で自分のやり方を表現できる自由度が、学びの機会を多くしていました。データを取ってグラフ化したものは視覚的に説得力のある発表で、とても勉強になりましたし、文系と理系が協働することの大切さも見出すことができたかと思います。

 根気強く計画的に取り組んでいくことはどの分野にもあてはまる、私の課題です。表現力や考察力などもまだまだ努力が必要で、挑戦の場を多く設け、吸収できる柔軟な自分を持っていたいです。

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(12月12日撮影)


 (6) この展開ゼミで学んだことを、大学での活動を含めた日々の生活に対して、どの様に活かすことができるか。さらには、まだ、収穫していない作物を今後、どの様に管理したいか。

 一日一日、素直に生長していく植物を見て、私も負けてはいられないと思いました。野菜の生き生きとした逞しさが、日々の積み重ねの大切さを教えてくれました。たった半年間、3種類の野菜しか育てていませんが、野菜の面白さや、構造の美しさを語ることができることに、野菜の尽きない魅力を感じます。
 この展開ゼミを通して、自分から働きかけなければ何も生まれないということを改めて胸に刻みます。同時に、自分から行動すれば周りが助けてくれる環境に自分がいるということも実感しました。この恵まれた環境を無駄にせず、私も植物のように、全てを生きるエネルギーに変えていきたいです。私たち人間も自分の周りの環境には大いに影響を受けるものだと思います。自分を成長させてくれる他者との出会いに期待し、新しい視点を見てみたいです。それができるのは今しかないと意気込んでいます。

 ジブリ映画「となりのトトロ」で、『おばあちゃんの畑って宝の山みたいね!』というサツキ(メイの姉)のセリフがあります。それに対し、おばあちゃんは『ばあちゃんの畑のもんを食べりゃ、すぐ元気になっちゃうよ』と答えます。私の家は農業をしており、小さいころから畑で泥だらけになって遊んでいました。野菜はいつも身近にあり、市場に出せない形の悪いものもありました。しかし、「結球しない」ハクサイを見るのは初めてでした。自分一人の力で野菜を育てたこともないのに「家が農家」であるとその恵みだけを受けていました。こうして野菜づくりの苦労を垣間見た今、85歳になっても朝早くから日が暮れるまで畑で働くばあちゃんをさらに尊敬します。この貴重な経験に感謝し、それを伝えたいです。『ばあちゃんの畑って宝の山みたいね!』

 先日、コマツナの収穫を報告しましたが、ミニハクサイはまだ栽培を続けています。2015年度にこのゼミを受けていた森さんを参考に、図書館の吉植さんから教えていただいた「ハクサイの花」を待ってみようと考えています。土での栽培をしている鉢植えがいくつかありますので、一つを春まで持ち越したいと思います。それまでは報告させていただくつもりです。

(4522字)


以上で最終発表を終わります。渡辺先生を始め、研究室のみなさま、そして川内付属図書館の皆さまに大変お世話になりました。ありがとうございました。

...もう少し続きます。お付き合いください。

それでは、また。失礼します。

コメント

教育学部・井上さん

 こんにちは、遺伝の渡辺でございます。これまでの多くの最終発表が文章だけのものが多いのに対して、写真を適度においているのは、「箸休め」という意味で、ほっとできるものがあります。もちろん、関係のある写真があり、その写真を見ながら、考えるわけですが。。。最初のキノコの写真に、イントロとしての説明があれば、なおよしだったのでは、。。文章としては、文系という面も見えますが、しっかり観察して、植物依存症になり、この講義を遂行したことは、高く評価ができますね。生き物を使っての実験の時、倫理教育を受けないといけないのは、正確に調べることができないのですが、確か、哺乳類、鳥類くらいまでだったような。もう少し範囲を広げても、爬虫類、両生類、魚類くらいまでで、昆虫を扱うときに、倫理教育はなかったような。。。もちろん、植物を扱うとき、倫理教育はありません。でも、書かれているように、「いのち」を持った植物と関わり、それと向き合ってのこれまでの記事であったり、実践がよい方向に働くというか、コミュニケーションができているのだなと。。。前にも書いたかも知れないですが、教育学部のも大事な人材かも知れないですが、農学部で植物をやったら、と思うわけです。これだけの植物へのチャレンジ精神があるので。それから、当たり前を当たり前と思わないこと。これはできそうでできないこと。是非、これからの講義、実習などでも、当たり前と思わないでチャレンジしてみて下さい。ハクサイの水耕栽培のように。。。ハクサイの水耕栽培をどうするかですが、結球は難しいでしょうから、葉っぱを食する、開花をさせてみる。いろいろあると思いますので。

 百聞は一見にしかず。まさに、経験したこと、五感で感じたことは、書物やnetでの情報を遙かに凌駕するようなものとして、脳みそなのか、感性なのか、どこになのか、分からないですが、刻まれたのは、これからの活動に活かされると思いますし、そのことの重要性を理解しているので、たくさんの経験を積んで、さらにversion upされることと思います。楽しみですね。子供さんたちを指導しているというのは、たいしたものです。渡辺など、40歳近くになって、出前講義なるものをはじめて、子供たちへの接し方から、色々なことを学んでいます。という渡辺も高校1年の頃には、高校教員になって、甲子園で優勝監督になるのが夢でしたので。。。いくらかの教育への思いというか、そんなことはあったのかも知れないですが。氷山の一角という言葉があるように、目に見えるものよりもその下にあるものの方が、遙かに大きいと。あるいは、見えているのは、その一端で、その根は実は深くて、修正は大変とか。そんなことに使われると思いますが、植物もその通りです。最近は、街路樹などの周辺が舗装されていたりするわけですが、あの樹木の大きさの下の根っこの長さを考えると、日々、歩いているところの周辺には、たくさんの根っこがあって、植物にごめんなさい状態であると、たまにですが、片平キャンパスのサクラ、松並木を見ながら、思うことがあります。

 教育学部の友達同士で、野菜の栽培について、議論ができるというのも、不思議な風景ですが、netだけでの講義ですから、いわゆる「オフ会」。on-lineでなくて、off-lineということから来ているようですが。そんな形で、交流ができたのは、よいことですし、ここで学んだ20名が、10年後、20年後に、あのときの野菜友達として、領域横断的な何かをやることになってくれれば、この講義が新しいことを生み出すことに貢献できるかなと。。。鳥害をうけたときに、オフ会で、followというか、そんなことができることも、こちらにはできない、ありがたいことだなと。文章を通じての相互コミュニケーションかも知れないですが、共通素材の植物を介して、相互に、それぞれの立場を理解しつつ、講義をすすめたことが、色々なことを吸収できた可塑性というか、柔軟性なのだと思います。大切にして、これからの講義に活かして下さい。

 この講義は、自由度満載です。どの様に栽培しても、どの様に記事を書いても。もちろん、なんとか、倫理というのはあるはずなので、それからはみ出さない限りは。その自由度は、時には、楽な反面、逆に足かせになって、どうしたらよいのか。。考えさせられることになります。自由度を活かすためには、それまでの経験と学習、さらには、やってみようというチャレンジ精神が必要になるのだと思います。というか、それが、大学でのまなびの本質だと思っています。誰かの記事にもコメントしたとおり。井上さん自身がこれということをやることに対して、信念を持っていれば、きっとできるでしょうし、それを見ていて、サポートしてくれる方は出てきます。不思議なものです。もちろん、そのサポートに気がつく感性も大事です。最後のところに、「トトロ」をもって生きているのもniceでした。85歳で現役で畑仕事をしているおばあさん。すごいです。学んだこと、気がついたこと、そんなことを話してみて下さい。春になれば、雪も解けて、畑には、また、野菜がもどってきます。今までは、よくできた野菜をもちろん見ていたと思いますが、その野菜の生長にも差があり、中には、あれと思うようなものもいると思います。そんなことをまた、宝の山である畑で見つけてみて下さい。文化人類学という世界に、植物が融合できるのか、その当たりはよくわかりませんが、人類の営みとしての農業であることを考えれば、そんな余地もあるような。。。栽培を続けて、是非、花を咲かせてみて下さい。いつも見ていた、菜の花の黄色い花を見て、ハクサイ、コマツナの花は、実は。。。と思うと思います。これからの投稿も楽しみにしておりますので。新しい文化人類学とともに。。。


 わたなべしるす