【出前講義】今治市立吉海小学校「花の不思議な世界」(2016年度ふるさと出前授業-5、6/30)
2016年7月 1日 (金)
前日は、午前が国分小学校、午後から常盤小学校。ずいぶん、雨が降りましたが、出前講義の方は何とか、滞りなく。。。今年の前線の位置は、本当に読みにくいものがあります。6月のふるさと出前授業も折り返し。木曜日は島嶼部へ。今でこそ、市町村合併で今治市となりましたが、昔なら越智郡吉海町。そこを結ぶのは、しまなみ海道ができる前は、港から船で。だったのが、しまなみ海道の開通後は、便利になりました。一部、高速道になったのですが、それまでは、国道317号線。子供の頃、島の中には道路はあるけど、島と島の間は海。これでどうやって国道なのだろうか。切れ切れになって。。。不思議に思ったのを思い出します。
途中には、明日伺う近見小学校、来年あたりだったと思うのですが、愛媛県で国体が開催されることに伴い、今治市営球場も渡辺が高校生の頃、観戦に行っていた時代にはなかった夜間の照明灯も。そこから、しまなみ海道へ。三連の吊り橋である来島海峡大橋の手前には、いくつかの造船所があり、以前、伺った波止浜小学校の校区。来島海峡大橋からはいくつもの島々が見えると同時に、海の要所となっている来島海峡が。時間帯がよかったのか、あまり潮の流れが速くなかったようですが。。。その先が大島。昔は、越智郡内の吉海町と宮窪町だったのですが、市町村合併で今治市。渡辺にはいまだにぴんとこないのですが、。。大島の中の学区の線引きを正確に理解してないのですが、どちらかと言えば、今治市に面した側が吉海町。その反対側が宮窪町のような。
前置きがずいぶん長くなりました。吉海小学校へ来るのは、今回が3回目。2012年度、2014年度とちょうど偶数年に。3回とも「花の不思議な世界」の話。2年前なので、今日の受講生は当時は、3, 4年生。ということで、渡辺の自己紹介。なぜ、遺伝学、品種改良のようなことを始めようとしたのか。高校時代にテレビを見たというちょっとしたきっかけだと。吉海小学校の校区には、たくさんの自然があり、そんなきっかけはたくさんありますので。大切にして下さい。渡辺も吉海小学校と同じくらい自然が豊かでしたので。
最初の花のクイズ。みんなよく考えてくれましたし、バラ科の果樹について、たくさん考えてくれましたし、よく知っていました。学校の帰り道にナシ、ビワ、サクランボなどあるのを観察しているのだと思います。学校の隣にもミカン、ビワなど、たくさんありましたし。
そんな花はなぜ必要なのか。もちろん、子孫繁栄なのですが。5年生はまだ学習する前だったかも知れないです。リンゴをモデルに、開花から結実までを。受粉が起きたとき、雌しべの先端では何が起きるのか、電子顕微鏡写真と動画を見ながら、「吸水」、「花粉発芽」ということをしっかり考えてもらうことができたのでは。花を見かけたら、是非、受粉してみて下さい。講義の合間にも質問に来る方もいて。niceでしたよ。
愛媛県はミカンの産地。ミカンの果実が大きくなるのは、見たことがあるかも知れないですが、リンゴはさすがに。。。では、摘果をしてない、諸外国のリンゴの大きさは。。。。子供たちくらいの握り拳の大きさ。比較をしたら。。。日本の農家のおじさんたちがどれくらいがんばっているか、わかると思います。もちろん、リンゴの種類はあまりしないですが、ミカンの種類たくさん知っていて。その当たりは、愛媛の子供たちです。どこの小学校へ行っても。学校の正門のすぐ前に「レモン」の木がありました。是非、観察して下さいね。もちろん、おうちの周りのミカンも。
そのあとは、なぜ、自家不和合性という、他人の花粉で受精するシステムが必要なのか。他の遺伝子を取り込んで、自分よりよい子孫を残すか。すごいストライクでした。よく自然を観察しているなと。感動でしたというか、素晴らしかったです。そのあと、リンゴの果実のどこに花があったのか。そんなことを考えたことがないかも知れないですが、実物を見て、ここに蕚片の名残があるのだと。だから、リンゴは逆さまにおいてみましょうと。冬まで覚えていて、やってみて下さいね。
講義の最後はいつものように世界に向かって、情報発信。そのあと、解散となるのですが、握手を求めてくる方も。それ以上に感動だったのは、もっと続きの講義がほしいと。続けてほしいと。感動でした。その気持ちを忘れないで、これからもがんばって下さい。
最後になりましたが、吉海小学校校長・村上先生、5, 6年担任の先生をはじめとする関係の先生方に、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。今後ともよりよい連携ができればと思います。よろしくお願いいたします。
わたなべしるす
PS. 渡辺がこの記事を書いているのは、当日の夜。その時間というか、夕方には、吉海小学校のHPに渡辺の出前講義の記事がupload。ありがとうございました。次は高校生になったときに、お会いしましょう。あと、こちらが学校をあとにするとき、低学年などは帰る時間。「さよなら」と挨拶をしたら、ちゃんと挨拶をしてくれて。まだまだ、日本もしっかりと頑張れる素地はあると。そんなことを感じさせてくれました。ありがとうございました。というか、その気持ちも忘れないで下さい。
PS.のPS. 講義が終わったあと、前日の常盤小学校での渡部校長先生ともずいぶん長い時間をとって頂き、議論ができましたが、この日も村上校長先生と2hrあまりの議論の時間を頂戴しました。中学校との連携を試みておられ、HPにもあるとおり、となりにある大島中学校の先輩が授業にきてくれたと。昨今、失われつつある、縦の連携、あるいは、学級委員長、副委員長というがまだ、機能していた時代、そんなことをしていたなと。また、職員室の近くにだったでしょうか。集団登下校の時に使う、班長さんが持つ旗が。渡辺の頃は、他の地区にはあって、渡辺の所にはなかったような気がしましたが、あれば、班長になれば、気も引き締まったのではないかと。こんな昔ながらの取組こそが、すでに行われていた日本版アクティブラーニングではないかと思いました。niceなideaを頂き、これからの活動のヒントになりました。ありがとうございました。
PS.のPS.のPS. どこの小学校にもそうですが、校長室には貴重な歴史を語るものが。1つは、この吉海小学校ができたときに、統合された数多くの学校名とその校長先生。こんなに多くの小学校があった、つまり、少子化が起きているというのも、こうしてみると、明確にわかります。また、きっと著名な方の「書」だと思うのですが、2点ほど。誰かわかれば、もっと感動があったのかも知れないですが、大事なことをいっている「書」のように見えました。ありがとうございました。
PS.のPS.のPS.のPS. 帰り道に、村上校長先生に「村上水軍」の歴史、花崗岩の切り出し、銅の精錬所があり、今は廃校になった四阪島小学校の設備が。子供の頃をも出すすてきな歴史を見せて頂きました。もちろん、大学にもいろいろな歴史があり、その歴史の流れの中で、現在があるのだろうと。そう考えたとき、先日の図書館での講義の時に拝見した狩野文庫にあるような書籍、すぐ近くにある資料館にある資料などを調べてみると、これまで見つけることができなかった新しいきっかけがあるのではと思った次第です。ありがとうございました。