皆様、はじめまして。福島県立福島高等学校第2学年、安斎公記(あんざい・まさき)です。これから1年間、よろしくお願い致します。
さて、ついに一昨日(2018/07/21)、平成30年度「探求型『科学者の卵養成講座』」が開講されました。私も僭越ながら、自らの視点で見た本講座を、こちらの記事で報告させて頂きます。
1.開講式
ついに始まる「探求型『科学者の卵養成講座』」。期待と不安の中、私は東北大学工学研究科・工学部中央棟に入りました。諸手続きを済ませ、講義室の所定の位置、3人掛けの机の真ん中に案内されると、両隣には初対面の方々が座っています。年齢も名前も知らない人たちでしたが、私と同じように科学への興味を持ち、その道を志しているのだと考えると、感動を覚えます。
開講式は滝澤博胤東北大学理事による主催者挨拶から始まり、昨年度の受講生の方々からのメッセージ、そして、卒業生によるスタッフ「ひよこ」の皆様の紹介がありました。
自分と同年代の「先輩」たちによる分かりやすい講座内容の説明と筋の通った激励に、自分も一年後にはこのようになれるのかと驚異を感じました。
2.講義①「災害科学情報を活用する!」(東北大学災害科学国際研究所 久利 美和 講師)
日本地図を描き、山地、山脈、山、河川、そして平野を、記憶を頼りに描き足していくという、理数系の講義で地理の知識を用いるという衝撃的な課題から講義は始まりました。「教科に捉われずどの知識を使うのかが大学の勉強では重要になる」という先生の言葉通り、地理の授業で学んだ知識を活用して描きましたが、周囲からは私の思い出せなかった地名が矢継ぎ早に挙がり、自分の無学さを恥じながら急いで描き足していきました。
導入には現在もなお復旧作業が続く西日本の豪雨災害の話題が上がり、専門家は危険であることを予期しており、ハザードマップを作って説明会まで開いているにもかかわらず、危機意識が実感できないが故に一般の人々には伝わらず、「しっかり伝えてほしかった」と言われてしまう状況であることを知りました。危険性を知っていながら伝えない無責任な科学者の話は聞いたことがあり、これからの科学者、すなわち我々の課題であると考えていましたが、「不安にさせない」ことに重きを置いている日本の方針にも問題があるのかもしれないと考えるようになりました。
「不安にさせない」ことに重きを置いているが故の災害の悪化は噴火にも存在する、記憶に新しい例が御嶽山や、口永良部島の噴火です。「危ないことが社会に伝わらない」ということがどれほどまでに恐ろしいことかを思い知らされました。
私も耳にしたことがある1991年の雲仙岳の噴火でも、当時学術的見地が未成熟であった火砕流の危険性を、パニックを避けるために伝えず、日々の生活の糧を優先したことが死者の発生を招いたそうです。「危ないことが社会に伝わらない」ことによる災害の深刻化は枚挙に暇がなく、住民・行政・科学者・マスメディアの相互協力、「減災のテトラヒドロン(正四面体)」の成立が火山防災には不可欠であると学びました。
また、噴火について基本的な部分から丁寧に解説して頂いたので、学校では地学を詳しく学んでいない私でも内容を理解することができました。
これまでは、自然災害は防ぐことはおろか対処することが困難な「天災」であると考えていましたが、今回の講義を終えて、対処は情報共有と危機意識によって可能であること、逆にそれを伝えないことにより災害が深刻化する「人災」の側面が研究の発展により浮き彫りになっていることを考えるようになりました。
3.講義②「DNAと遺伝子組換え植物」(東北大学大学院農学研究科 伊藤 幸博 准教授)
この講義は「イネの遺伝子(DNA)と遺伝子工学」という情報量が多く難解そうな研究テーマとは裏腹に「おコメちゃん」という可愛らしいキャラクターとユーモラスな導入で始まりました。
遺伝子について、生物基礎の授業で基本的な知識はあるものの、その研究については全くと言っていいほど理解しておらず、できた製品の恩恵を何の疑いもなく享受している、という状態でした。しかし、研究の一つの方法「突然変異を利用して遺伝子の機能を明らかにする」を、先生が実際に見つけた、稲の表皮が分化せず芽全体に影響を及ぼし育たなくしてしまうONION1(ONI1)遺伝子を例に説明してくださり、これまで私の中で遺伝子研究にかかっていた靄が取れました。
「皆さんは遺伝子を見たことがありますか?」「皆さんは遺伝子を食べたことがありますか?」次に投げかけられたのは、これらの問いでした。「全ての生物に遺伝子があるのだから、それを食べる私たちも遺伝子を毎食食べているのではないか?」私はそう考えました。
「実験をすれば答えがわかる」と話す先生の下、ブロッコリーからDNAを取り出す実験を行いました。実験は先述の3人で1組として行いますが、私の両隣に座るのは初対面の方々―つまり「知らない人たち」―です。実験の手順は一部の教科書で紹介されるほど有名な、「芽花の部分を切り取り、水と食塩、台所用洗剤を加えて擂り潰し、それを濾した液にエタノールを加えてしばらく待つ」というものです。しかし、この実験は書面で紹介されるだけで、私は行なったことがありませんでした。それでも協力しながら、手順を終わらせることが出来ました(私と一緒に実験したお二方、距離感を弁えない話し方になってしまったので申し訳ない!)。すると、白い沈殿が発生しました。これがDNAです。実物を見るのは初めてでした。私たちはこのようなDNAを毎食体に取り入れているのです。
しかし、ブロッコリーのDNAを消化している我々人間は、ブロッコリーの遺伝子を発現させないので、当然のことですが、ブロッコリーにはなりません。しかし、他の生き物の遺伝子をある生き物に入れ、分解されずにその生き物の中で発現させることができるようになりました。遺伝子組換えです。私ははじめ、この遺伝子組換えを完全に人工的に行っているものだと考えていました。しかし、自分の遺伝子を植物の遺伝子の中に入れるアグロバクテリウムという生物がいること、遺伝子組換えはこの生物を基に考えだされたものであることを知り、先入観が音を立てて崩れました。
これを応用した、遺伝子組換えイネを作り、食糧としてコメを生産した後に稲わらを燃料資源として用いる先生の研究についても、成功だけでなく失敗まで教えて下さり、また専門用語を噛み砕いて説明して下さったので、理解しながら講義を聴くことができました。
遺伝子や遺伝子組換えについては、「名前は聞いたことがある」「人工的に行われている」といった、「詳しいことを専門家に委ねたもの」であったため、この講義ではなんとなく思っていた先入観が打ち砕かれ、正しい知識を得ることができました。これから世界に広がっていく科学技術の産物を、ただ享受するのではなく、それについての正しい知識を、過度に専門的でなくても得ようとするのは人類のこれからの課題であり、科学者を志す我々にとっては「知る」ことと「伝える」ことの両方が求められるのだろうと考えました。
高校では夏季休業に入ったので、心機一転するために土曜日・日曜日に「インターネット断ち」を目標に定めていたが故、インターネットを操作できなかったこと、そしてブログ記事作成をするのはこれが初めてで、記事の内容の入力や推敲に思いの外時間がかかってしまったことが重なり、投稿がかなり遅れてしまいました。無念でならないのと同時に、自分の非力さと周囲の皆様の実行を伴った熱意に、自分もこのままではいけないという感情が沸々と起こっております。仲間でありながら、良き好敵手である、同じ「卵」たちと切磋琢磨しながら、これからも学び続けたいと感じています。(これからは、土曜日・日曜日であっても、「科学者の卵」関連記事の更新については「インターネット断ち」を緩和するようにしました。)
長文になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
それでは、また次回の記事でお目にかかりましょう。
安斎 公記
投稿者:福島県立福島高等学校