岩手県立花巻北高等学校1年の佐久間結菜(さくまゆうな)です。
科学者の卵第4回に参加しました。今回は、京都大学とのコラボ企画 パネルディスカッション「キミの現在と未来、そして、科学を語ろう!!」と、講義「進化論を唱えたダーウィンも注目した高等植物の自家不和合性~花粉と雌しべの細胞感コミュニケーションとその分子機構~」東北大学大学院生命科学研究科植物分子育種分野 渡辺正夫(農学博士) という内容でした。
パネルディスカッションでは、5つの話題に沿ってのディスカッションを聴講しました。中でも「科学は社会・世界を幸せにするか?」というテーマについては、幸せにする派と幸せにしない派で別れてとても興味深かいものでした。特に幸せにしない派の新家さんの意見の中で、「全ての人が幸せになることは不可能である」という意見に共感しました。私の意見としては、「幸せの基準は人それぞれだから一概には言えないけれど、幸せにする」と思っていました。なぜなら、我々が今の時代を生きていられるのは科学で食べ物が作れて、家が作れて、薬が作れて、電気が作れて...出来ているからで、それがなければ「今」に生きている私たちは対応力に欠け、もう死んでしまっていると思うからです。しかし、この新家さんの意見を聞いて、ある組織に対して幸せなことは、そのほかの組織には幸せでないことが多々ある、そしてそれは必然的であるから、全員が全員幸せになるのは不可能だという意見に納得しました。それに対しては、バランスが必要で幸せの度合いを1箇所に集中させてしまうと、不平等になるので、いかに多くの人を傷つけない世界を形成するかが大切だと思いました。そのためには、一人ひとりの幸せはそれぞれだからそれらが認められる「多様性」の世界が必要だということも分かりました。
講義では、自家不和合性について学びました。自家不和合性とは植物における自他識別機構のことで、自己の花粉では受精に至らず、非自己の花粉で受精を成立させる現象のことと知りました。なぜ自家不和合性なのかというと、近しい間柄で交配することによって、劣性の要素が溜まっていき、例えばキャベツだとするとサイズが小さくなってしまったり、雄しべがなくなってしまうなど、後世に悪影響を及ぼすことになるからでした。しかし、常に自家不和合性を発揮する訳ではなくて、例えば、『カラスが一粒だけブロッコリーの種をつまんで、森の中に落としたら、そのブロッコリーは一粒だけになる。しかし自家不和合性をずっと発揮したままだったらそこで息絶えて子孫は残せない。そこで息絶えるよりかは、自分の花粉でもと思って受粉をしてしまう。』らしいのです。結局は、生き物であり、危険に陥りそうなときは、生きることを優先するのは植物も人間も変わらないのだということに改めて気付かされた瞬間でした。そして、生き物ってやっぱり面白いなと思いました。そして、講義の最後の方に、リンゴの品種改良についてのお話を頂きました。教授の素朴な問いかけに会場が静まり返りました。「カエルの精子と卵子から受精卵が出来て、やがてカエルになる。じゃあ、ふじのリンゴに王林の花粉を受粉させて出来たリンゴは『何』?」カエルの話から言うと、受精卵にあたるのが種子です。じゃあ、果実は??.....母親(ふじ)のからだです。だから、王林の花粉を与えても所詮ふじのリンゴなのです。腑に落ちた瞬間で、今日いち気持ちがよかった瞬間でした。日頃から行われている品種改良や接ぎ木にこんなに知らないことが利用されているのだなと思いました。
投稿者:岩手県立花巻北高等学校