こんにちは、宮城第一高等学校の金川恵都です。月を跨いでの投稿となりましたが、今回は第六回の講座について筆を起こしていきたいと思います故どうぞ宜しくお願いします。
まず始まりはサイエンスカフェでしたね。「倫理」とだけ聞いていたので、どのようなものなのか疑問に思い、もしかして「トロッコ問題」とかを取り扱うものになるのかと考えていました。しかし実際は「今から十〜二十年後に初めて実用化されそうな技術を想像して見て下さい」と言うものでしたね。
私が考えたのは人が寝ている時に見る「夢」を他者からも見れるようにするものです。人の脳波を機械で読み取り、スクリーン、若くはその情景を他者の脳にも送り込む装置。これの目的は所謂精神治療です。人の見る夢はその人の心の状態がよく現れるものと聞きます。つまり医療関係者がそれらの技術を使えば、精神科医の仕事の効率化に繋がるものだと思うのです。
さて、このような考えの他にも多種多様なアイディアがありましたが、紙面の問題につき割愛致します。
そのように私たちはグループごとに話し合い、「何が必要なのか」を視野に入れて考えることが出来ました。その後そのアイディアを元に「出来ること、と、出来てしまうことの間」についても互いに考えました。
例えば先ほどの私のアイディアであれば、脳波の接続範囲を広げて、対象者以外にも無意識で患者の夢を見させて事件や事故を起こすことが可能になるのではと言ったところです。
そこで講師を務めたくださった先生が
果たして、これは何処までが科学者等の責任なのでしょうか?
と問いました。
私たちのグループは以下の通りに考えました。
使い道を考えるのは社会です。だからどのように使おうと社会に属する私達の「自己責任」であるのには違いはない。
しかし何も知らない社会に「何でも」出来るものを与えることもまた科学者等の「自己責任」である。
つまり赤子にビーズを渡し、誤って飲んでしまったら、赤子の判断不足であるのと同時に保護者がそのようなものを渡した「責任」が発生するのと似たような感覚であるのではないか、と。
特にオチはありませんが、このように何かの関係というのは、ある一つのもので繋がったさくらんぼのようなものだと個人的には思いました。
次に進路選択についての講習、アドバイスについてですね。
この講習では、「何を大事に、何をやって生きていくのか、何ができて何ができないのか」がいかに大切なのかがポイントでしたね。個人的には「本当にやりたいことを明確にするのを先送りにしない‼︎‼︎」という言葉が一番印象的でした。自分自身最近本当にやりたいことを見失いかけたいる状況下に置かれており、それを見て見ないフリをしていたものなのでサクッと胸に刺さりました。これを機に「絶対に最後までやり通す!」と言った何かを見つけられるように努めたいと思います。
多分このまま見つけることを諦め成り行きに任せていたら、人生まで露頭に迷うというまさに死んだように生き、大した稼ぎもない、「お足」がない人生になってしまいます。
そのためには日々気合と根性のある心の醸成を図っていくこともひとつですね。
アドバイスの方ではまた卵の先輩方の体験談を聞く貴重な時間になりました。
やはり何人もの先輩の話を聞いていると、どれくらい大学に向けて努力していたかの力量を感じましたね。それで自分はどれ程その努力に及ぶ方が出来ているのかもしみじみと考えることができました。その比較によって足りないところを明確にできたことがここでの何よりの満足ですかね。今も改善に努めています。
次回は農芸化学学会連合シンポジウムですね。自分は今から研究者の方との語らいが楽しみです。
さて、今回はここ等で紙面が尽きてしまいましたので失礼します。
第六回も様々な講師の先生方、先輩方により、知識を積み上げるとかができました。また次回も宜しくお願いします。
投稿者:宮城県宮城第一高等学校