こんにちは、福島県立福島高等学校2年、安斎 公記(あんざい・まさき)です。
前回の続き、第2回「探求型『科学者の卵養成講座』」を受けたご報告の後篇を投稿いたします。今回は総合討論についてのご報告ですが、かなり密度の濃い内容だったため、複数パートに分けて投稿いたします。
7.総合討論
全講演が終了し、德山豪東北大学大学院情報科学研究科教授を司会に迎え、パネリストに山極壽一京都大学総長を加えて総合討論が始まりました。
Ⅰ.価値の一元化
総合討論最初の質問は、「AIが広く行き渡った社会で何をするのか」。講師の先生方はそれぞれ、「価値観を正しく言えるようにする」(丸山フェロー)、「目的関数は要る」(徳山教授)、「高品質のデータを長期に渡り持ち続けること」(土井理事)、「『新しく出来る仕事』を考える」(久世最高技術責任者)、「どの業務が無くなるのかを考える」(堀田教授)、「質の高い情報を学ばせる」(山本機構長)、「情報に生きる意味を与えられるのではなく、自分が生きる意味を作っていく」(山極総長)と回答しました。山極総長は、人と人との繋がりについて、昔は「身体」に結びついていたものの、今は「情報」に結びついていることを指摘し、ローカルからグローバルになることで「価値の一元化」がなされてしまうのではないかと危惧しているそうです。
グローバル化することによりこれまで内輪や近場といった自分の足が辿り着く範囲内しか届かなかった自分の価値観が全世界に発信される。そうなると、世界は価値観の飽和状態になるのではないかと考えました。しかし、それには自分の主張が外部の意見や圧力によって変えられてしまってはいけないことに気付きました。「一年の流行色を決めるのは一企業である」という話を聞いたことがあるが、自分よりもステータスが上だという精神的バイアスがかかった相手に「これがいいものだ」と言われたら、それをいいと感じてしまう人は多いはずだ。結果、浮遊しているカリスマ性のみが尊重され、他は異質なものとして排除されたり、軽蔑されたりしてしまう。価値の一元化は、このように引き起こされているのかもしれません。
Ⅱ.進化の方向①
一通りの回答が出てから、フロアから質問が上がりました。「AIと情報の進化の方向はどうなるのか」。
この質問に対し、山際総長は、これからの情報の進化について、「分別不能であって分別可能なものに二極化するだろう。」と話していました。
分別不能で分別可能、あまりにも早い矛盾に思えます。これは一体どういうことなのか。真意と合致しているかは分かりませんが、私なりにその意味を考えてみました。
私が考えた「分別不能で分別可能」の意味は続く第2幕で書きました!是非続きもご覧ください!
安斎 公記
投稿者:福島県立福島高等学校