福島県立福島高等学校2年、安斎 公記(あんざい・まさき)です。ここでは第2回「探求型『科学者の卵養成講座』」で行われた総合討論のご報告の4番目、そして本講座の閉会式についての記事を書かせて頂きました。3番目からの続きです。
7.総合討論
Ⅶ.急かされる現代人
情報化する社会。常に関心事が世界で共有され、乗り遅れれば話についていけなくなってしまう。周囲からの冷たい視線。「時代遅れ」「協調性がない」そんな烙印が押される懸念。いくら馬鹿馬鹿しくてもこのようなことまで考える必要が現実として存在するのです。情報に生き急がされている、と山際総長は指摘します。同調が安心を生むのは集落を作って群れで生活していた原始のころからの名残かもしれませんが、それにしても「『みんな』至上主義」の度が過ぎていると私も感じることがあります。久世最高技術責任者は、心理的だけでなく技術的にも逃れる必要性を話しました。とめどなく流れてくる情報を強制的に遮断してしまう。文面は不安になりますが、情報に生き急がされる社会から脱却するためにはそれも一手なのかもしれません。
もちろん、そのような「影」の部分だけでなく「光」の部分も存在します。徳山教授はうまく使えばミーティングやメールが要らなくなったり、在宅勤務が可能になったりと、職場環境が良くなると述べました。教授の言う通り、考え方なのかもしれません。いくら情報が発達したところで、それをどう考え、どう捉え、どう扱い、どう付き合っていくのかはその状況に直面したまさにその人次第なのです。
8.閉講式
科学技術は戻れない。温かい社会をどう作るか。環境は危機に瀕している。様々な変化が予期せず日本を襲う。科学技術を使って人間をどう幸福にするのか。
山際総長は閉会式挨拶でこう話しました。科学は、よく「神の領域」に手を掛けたと言われます。生殺与奪を科学が自在に操ることができるのです。人間を(ある点でのみだが)越える存在となったAIも決して珍しくはないものとなりました。しかし、それが人間を完全に幸福にしているのか、と聞かれると、必ずそうである、完全にそうであると言うのはおろか、以前よりかは良くなったとも言い切れないのが現状かもしれません。科学は、無条件で人を幸せにするわけではないのだと考えます。寧ろ、手放しで恩恵に与ってばかりでは、後から取り返しのつかない失敗、喪失をすることになりかねないでしょう。これから科学者を志す者、科学者の卵として、科学が万物の幸福のために使われるように考え、研究をしていきたいと感じました。
本記事について、長らく更新が途絶えてしまい、続きを期待して下さった方々には、お待たせしてしまい大変申し訳ございませんでした。今回の報告は始めた以上最後まで書きたいと思い、ほぼ半年近く経ってしまった今になってしまいましたが、更新、そして第2回を完結させていただきました。今回で第2回「探求型『科学者の卵養成講座』」のご報告は以上です。ご覧頂いた皆様、最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました!
それでは、また次の記事でお会いしましょう!
安斎 公記
投稿者:福島県立福島高等学校