こんにちは!たまごの片倉ゆかりです。今回はサイエンスカフェで学んだことから自分で考えてみたことを書いていこうと思います!
私はサイエンスカフェである一つの疑問をもちました。
倫理と道徳って似ている気がするけれど、何が違うのだろう?ということです。
私はまず、辞書を使って、本来の言葉に意味を調べました。使った辞書は、私の家にあった新明解国語辞典と広辞苑です。
りんり【倫理】
行動の規範としての道徳観や善悪の基準。(新明解国語辞典)
人倫のみち。実際道徳の規範となる原理。道徳。(広辞苑)
どうとく【道徳】
社会生活の秩序を保つために、ひとりひとりが守るべき、行為の基準。(新明解国語辞典)
人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度もこれに含まれる。(広辞苑)
辞書にはこのように載っていますが、読んだだけでは人間が100パーセント、理解するなんてことは不可能なことです。そしたら、私たちの辞書に努力という言葉はないはずだから。私には意味も違いもよく分かりません。でも、誰かから教わるのはなんとなくイヤだなと思います。自分自身で100パーセントを理解したいから。 だったら、実践するほかない。間違えるかもしれないけど、怒られるかもしれないけど、やるしかない。私は「当たり前だ、一般常識だ」と思う心を大事にしたいと思いました。
でも、私にっての「当たり前」は変わるかもしれない。周りの大人たちの「当たり前」と私たちの「当たり前」がほんの少し誤差があるみたいに。 私が小学1年生だった時の純粋さを失っていっているように。自分が気づかないうちに、日々に疑問を感じなくなったり、答えを固定概念で決めつけたり...
私はこのことを考えているときに、ある歌の歌詞を思い出しました。 Lee Hiさんの「Breathe」という曲の歌詞の一部を紹介してみます。
時には失敗しても その息が途切れても
誰もあなたを責めはしないから
大丈夫 みんな同じなの
この曲は韓国語ですが、日本語訳がついている動画もあるので、ぜひ聴いてみてください。
私はこの曲に背中を押されて、自分らしく私の「当たり前」を信じて過ごしていきたいと思うようになりました。
そして、日々を芥川龍之介が書いた「末期の眼」のような視点からのぞいて、不思議をたくさん感じられるような人に少しずつなっていきたいと思います。
たとえ、高すぎる目標だったとしても。
投稿者:福島県立福島高等学校