東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

【最終報告】好きこそものの上手なれ(文:恵利一花)

2023年1月25日 (水)

こんにちは。厳冬のみぎり、皆様いかがお過ごしでしょうか。私ははしゃいでスニーカーで雪道へ踏み出し、案の定ひざ下まで埋まりました。

生まれて初めて水の過冷却を目の当たりにし、車に下がるつららを発見し、マイナス7℃の空気を吸いこみました。こんな寒さは、おそらくもう一生味わうことはないでしょう。10年に一度の最強寒波が、来年も訪れない限りは......。

 

気づけば1月も暮れ、最終報告の季節ということです。早かったような、長かったような。

そういえば、片平キャンパスまで種を取りに行ったあの日も10月ながら極寒で、震えながら植木鉢を持ち帰った記憶があります。あまりに寒いので銭湯を探そうかと思ったのですが(UHには湯舟が無く、冬は死活問題です)これまた寒すぎて断念しました。あれから4カ月弱が経つわけですが、まだまだ冬は明けないどころか、見渡す限り一面の銀世界です。沖縄ではすでに桜が咲いているというのに。日本は広く、春はまだまだ遠いです。

 

しかし、こうやって長すぎる前置きを書くのも終わりかと思うと、少し寂しい気もします。先生方、記事を読んでくださっていた他の受講者の皆様、お付き合いありがとうございました。オガタさんのおかげで、なぜか言語に関する豆知識の量が段違いに増えました。

家族にも野菜を育てていることを言いふらしており、授業での記事掲載とは別に写真も送りまくっていたので、ここから枯らすわけにはいかないというプレッシャーが良い働きをした気もします。そう考えると、写真を送るたびに「天才や」と大げさに褒めちぎってくれた祖母が、一番の影の功労者なのかもしれません。

 

それでは、いざ最終報告です!よろしくお願いいたします。

目次

①思っていたよりもうまくいったこと、大変だったこと

②他の講義への波及効果

③毎日の観察を通じて身に着いたこと感じたこと

④文章を書くという点についての受講前後の変化

⑤自然科学的な視点において自分自身が習得できた点と研鑽が必要な点

⑥記事のコメントをどの程度自分の栽培に反映できたか

⑦中間発表で掲げた目標の達成度

⑧本講義で学んだことを日常生活にどのように活かすか

(1)思っていたよりもうまくいった、大変だったこと

まずは想像以上に難しかったこと、もしくは想定だにしなかったトラブルについて振り返ります。

 

栽培面で思ったよりも難しかったことしてまず思い浮かぶのは、「何が悪かったのかの特定」でしょうか。植物の状態が良くないものの、原因が何なのかが分からないためお手上げ状態、ということが何度かありました。例えば序盤の、「お久しぶりです。経過と反省、そしてこれから......」での「後から追加で植えた種だけ芽が出ない」というトラブル。最初に植えた2つは問題なく芽が出たのに、ほとんど同じ条件で同じ植木鉢に埋めた種が一つも芽を出さず、出鼻をくじかれて困惑した記憶があります。まったく同じ育て方をしたつもりなのに片方だけが成長しなかったとなると、どうして?と首をかしげることしかできませんでした。

これには当時の私に非がありました。当時の自分の「条件」の意識が甘かったことです。気温の計測や日当たりの様子などを記録していないため、そもそも何が違ったのかを比べることが出来ませんでした。水に浸す、根が出る、鉢に植える......といった手順だけを、条件だと思っていたんですね。

 

しかしながらこの記事へのコメントでも言われていますが、そもそも何かの原因を特定するというのは難しいことのようです。植物の性質などを知っていればある程度のパターンは分かるのかもしれませんが、私では明らかに知識不足もとい経験不足です。

ただ、原因が分からなくても対処できることは多く、そして何度も繰り返すと、なぜだかうまくいくことも増えるような。私は初めの頃、なぜ失敗したのかにばかりこだわっていたけれども、初めて野菜の栽培に挑戦する専門外の大学一年生として私がこだわるべきなのは、失敗の原因を究明することよりも、試行錯誤を繰り返し、なんとかその植物を立て直そうとするしつこい姿勢の方だったのかもしれない。そう思ってから、野菜を観察するのが楽しくなった気がします。

 

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重宝していた気温計。湿度も測ってくれる

 

栽培開始から数週間経って初めて気温計を購入しました。

植物の育て始めは室内、そして発芽には室温は非常に重要な要素になってきます。ネットの情報ではなく自分で測った外気温を記載するようになったというだけでも役立ったとは思いますが、やはり初めから用意しておかなかったことが悔やまれます。大きな反省点の一つです。

 

 

また、栽培以上に困難を伴ったのは、やはり定期的な投稿です。「こまめにコツコツと」が一番の苦手分野なので、この講義に申し込んだこと自体が自分にとってはかなりのチャレンジでした。そのため受講希望メールを送った時から、スムーズに講義を終えられるとは思っていませんでしたが、中間報告の時期までは本当にほとんど記事を投稿することができず、自分の中でも心の重荷になっていました。「お久しぶりです。経過と反省、そしてこれから......」で長々と言い訳をしているように(今見返すと、想像以上に長々と言い訳をしています)投稿が滞っている間にも植物は成長していくので、どんどんと書くべきことは増えていき、それに伴って書き始めるハードルも上がってしまうという状況でした。しかし記事内で「意思表明」をして以降は、多少ぐらつきはあるものの定期的な投稿をすることが出来ました。これはひとえに、書けば返信が来るという「双方向の講義形態」の賜物かと思います。

とはいえ自らの記事を見返していると、文章を全削除してしまっただのコロナにかかって仙台に帰れないだのと、投稿のたびにトラブルだらけの前置き文が書かれていて、自分のことながら「しっかりせえ!」と思わざるをえません。なんとそんなことを書いている間にもchromeが突然接続不良になり、この項目で書いた文章がすべて失われました。渡辺先生に助言をいただいてから一度wordを経由して記事を投稿するようにしていたのですが、横着をして直接打ち込んだ瞬間にこういうことが起こります。お天道様が見ている、ということでしょう。

というか本当に自宅のWi-Fiが遅いので計測してみると、上り0.85Mbpsでした。え、0.85⁉ 私は果たしてこの記事を投稿できるんでしょうか。どきどきしてきました。

 スクリーンショット (31).pngのサムネイル画像

「接続がリセットされました」

 

 それに対し、良かった点もあります。講義全体を通して「美味しく頂く」という目標を守れたことです。

豆苗実食/帰省に向けて」の中でも触れましたが、実家で鉢植えのブロッコリーを育てていた際、順調に育っていたにも関わらず「暇なときに収穫しよう」と思っているうちに花が咲き始めてしまい、結局食べることができなかったということがありました。植物の栽培に限らず、私は何かと物事を後回しにし、結局は物事の「旬」を逃したり後が詰まったりして「あの時やっておくんだった」という後悔をすることが多いです。

しかしこの講義では、私は初回から「最後は美味しく食べること」を目標として掲げていました。結果として枯れてしまったなら仕方がないけれど、もしも食べられる状態になったのなら決して「食べ時」を逃さないこと、そして美味しく食べる努力をすること、という目標です。その結果、実際に美味しく頂き、その様子を食レポ(「豆苗実食/帰省に向けて」「豆苗実食again」)として記録に残すこともできました。メインのコカブはまだ栽培中ですが、種を蒔いた時からどうやって食べるかを考えています。煮物や千枚漬けも良いですが、収穫できる量も多くは無いですし、葉も一緒に味わいたいなら、素材の味が楽しめるお味噌汁がベストかもしれないと思っています。葉が2枚3枚と増え始めた時からちぎって食べちゃいたい気持ちを我慢して育てているので、その時が非常に楽しみです。

 

S__10641557.jpgのサムネイル画像まな板の上の豆苗

 

栽培面でうまくいったことについてですが、植物自身の強さに助けられたところが非常に大きかったです。

上で述べた通り、後から追加で蒔いたコカブの種は一つも発芽しませんでしたが、初めから順調に芽を出していた2株は様々な困難(1週間以上放置、寒波)があっても現在まで枯れませんでした。例えとして適切かは分かりませんが、10年以上前に金魚すくいでもらってきた10匹ほどの小さな金魚のうち、8匹は数か月と経たないうちに死んでしまったのですが、残りの2匹は今も元気に生きており、小さめの鯉くらいの大きさまで成長しています。もっとも弱い子供時代を越えてしまえばあとはその生き物、植物自身の生命力で一人で立って歩き始めるから、私たち人間はいつもそれに力添えする程度、といった印象を受けています。植物という、控えめに見えて実は何よりも力強い生命体!この授業は、その植物の面白さを再確認する機会にもなりました。

 

また、栽培を始める前に過去の記事などを読み、恐れていた徒長、カビの発生、うどんこ病などのトラブルが起こらなかったことも、案外うまくいったことの一つです。徒長が起こらなかったことに関しては、適切な時期に鉢に植え替えたことと、水をやりすぎない、寒くとも外に出し日光と風に当てる(鹿股さんの「まさかの、、、」への先生方のコメントが参考になりました)などの点を徹底したおかげかではないかと思っています。寝坊して1限に遅刻しそうだけれど、シャーレの中で種子が根っこを見せている、帰宅するのは深夜になる......という日がありました。私はリュックを半分背負った状態で葛藤し、結局植木鉢に植え替えてから走って大学に行きました。あの時の種が結果として大きく育っているので、適切な時期を逃さない選択肢を選んでよかったと胸をなでおろしています。

 

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豆苗の根本。2週目までカビはほとんど発生しなかった

 

カビの発生については、私が部屋の保湿をまったくせずにカサカサの部屋で過ごしていたことが功を奏したのかもしれません。これには根拠があり、まだ記事にしていないことなのですが、3週目に突入した豆苗に、昨日から突然カビが発生し始めたのです。ここ数日の寒波の到来により、さすがに耐え切れず夜も暖房をつけっぱなしにすると、部屋の乾燥がひどく気になるようになりました。そのため一昨日から、タオルを濡らしてかけるという原始的な保湿方法を試していましたのですが、これによって高温多湿のカビの温床が出来上がり、瞬く間に広がったのではないかと思っています。

 

また、これは講義を続けるうちに感じたことなのですが、写真を撮るたび、肉眼ではピントの合わない近さからでも対象がはっきりと見えることに感動します。天文学の授業で、写真の発明が天文学を大きく進歩させたのは、その正確さはもちろん、星の様子を保存し、過去のものと"比べて"変化を見ることを可能にしたためであると習いました。軽く見ただけでは特に変化は無いように見えても、とりあえず写真を撮ってみて拡大して見てみる、過去の写真と並べてみる、ということを後半心がけました。結果として、植物やまわりの環境の小さな違いに気が付きやすくなったと思います。後の受講生の方々にもおすすめです。

 

   

(2)他の講義への波及効果

 

後期は文章を書く授業や観察を要する活動が少なかったのですが、あえて言うなら意外にも英語の授業で、この授業で鍛えた筋肉が役立ったかもしれません。

授業時間中、提示されたテーマについて一定時間内で英作文をする(内容はありきたりで、制服に賛成か、尊敬する人物は、など)のが、最初の頃と比べて格段と速くなりました。もちろん量を書いたことでタイピングの速度も上がりましたし、パソコンの使い方にも慣れてきましたが、今はそういう意味ではありません。どちらかというと「文章の構成がいち早く浮かぶようになった」という表現が正しいかもしれません。

何の話を始めにして、何を最後に持ってくれば一貫性が出るのか。一番伝えたい情報はどれで、それを際立たせるためにはどんな書き方をすればいいのか。どうしてもしたい話があるなら、そのためにどんな導入をし、何を経由して本題を切り出すべきか。そういった記事全体の外枠のようなものを、文章を書き始める前からスピーディに定められるようになってきました。講義が始まったころには思い通りに文章がつながらず、コインランドリーでまでパソコンをにらんでいましたが、最近では授業に関わらずさまざまな場面でその力を実感しており、苦心した甲斐があったなあとしみじみ思います。今なら、朝食の食レポでも2000字書けそうです。

 

また先ほど、「パソコンの使い方にも慣れてきたが、今はそういうことではなく......」ということを言いましたが、実はこちら側もかなり、私にとっては巨大な恩恵でした。なぜかというと、私は元々すがすがしいまでの機械音痴だったからです。ガラケーすら持たずに毎日ザリガニを捕って遊んだ小学生時代から、世間が「教科書のタブレット化」だとかを進めているのをよそに、般若心経を空で言えるよう暗記することで荷物(宗教の教科書)を減らしていた中・高時代を経て、私は機械という機械にほとんど触れることのないまま大学生になってしまいました。そして大学は、学生たちが当たり前のようにパソコンを扱えることを前提に進んでいきます。私は入学早々、周囲との学生との間にある深い溝、そして今の時代では自分が大学生としてスタート地点にすら立てていないことに気づいて愕然としました。大学のWi-Fiを繋げられないと言ってヘルプセンターにお世話になったのも、今ではいい思い出ですが......。

という訳でレポートを書いては「ワード 保存した どこにある」などと検索していた前期を何とか終え、かなりの不安を抱えながらこの講義を受け始めたという経緯になります。機械にほとんど触れたことのない人間にとって、パソコンを使って何かをするというのは一種の「謎解き」であり、まったく未知の言語を学ぶ時のような高揚感を生むものです。画面を2分割できることに気づいたとき、お気に入りのウェブページを始めてブックマークできた時。試行錯誤していたら、文字を太字にできた時ピンクにだってピンクな上に太字にすることだってできると気づいてしまった時......!

私の初回投稿記事(はじめましての挨拶と、栽培開始!)を見ていると、頑張って打ち込んでいるのは伝わるものの、まあ特に工夫のない平坦な記事になっています。ここから最終報告までの見やすさの進化が、そのまま私のパソコン能力の進化の歴史です。いまだ周りに比べて劣るのは変わりませんが(上の気温計の写真も、どうやって向きを変えればいいのか分かりませんし)自分としては、この数か月間の進化には目覚ましいものがあったと思っております。

 

 

(3)毎日の観察を通じて身に着いたこと感じたこと

 

先ほどの項目で、自分が機械音痴である旨を告白しましたが、私はあらゆる「~音痴」を網羅しており、その中でも一番ひどいのが「方向音痴」です。

「機械音痴」は、「音痴」と言ってはいますが実際には「機械に無知」なだけだと思っています。それに対し方向音痴は、もはや自分でも修正不可能な呪いのようなものです。自宅から徒歩15分の同志社大学に行くのに、3時間迷う始末。慣れ親しんだ地元でもそんな感じなのに、受験でしか来たことのない仙台(都会)へ一人で踏み入り、いきなり生活を始める、となると想定通りの大混乱でした。いまだに観光客気分で、グーグルマップに頼らずにたどり着ける場所が、コープと郵便局と大学しかありません。

なぜ道に迷うのだろうといつも考えるのですが、私は風景を覚えるのが苦手です。どこに何の店があって、その隣に何が、という配置を覚えられない。仙台での生活も10カ月目を数えるところになりましたが、周辺地理を把握していないので、桜が咲くと「こんなところに桜の木があったのか!」と驚くし、目を引かなくなるとまた存在を忘れている、そんな生活です。もうどこに桜の木があったか覚えていないし、また来年桜が咲くと「こんなところに」と思うのでしょう。それに特定の曜日にだけ会う教授、友人、週ごとに繰り返されるルーティン。目覚ましをかけ忘れても誰も起こしに来ませんし、ボケッとしていても朝ご飯は出てきません。いつも見知らぬ土地で一人。慌ただしい大学生活の中で、夜眠って翌朝目覚めた時に、昨日も今日も変わらずあるもの、というのがほとんど見当たりませんでした。

そんな生活の中で「日々、徐々に変わりゆく植物を毎日観察する」のは新鮮な体験であり、安心感をもたらしてくれるものでもありました。

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私は受講を希望するという旨の渡辺先生へのメールに、受講を望む動機として「実家を離れ、動物や植物を日々眺める楽しみが無くなってしまったというのが正直な気持ち」と本当に馬鹿正直に書いていました。その正直な気持ちを失わず、記事投稿のプレッシャーや大変さにつぶれずに、栽培を楽しみながら続けられたこと。受講を決めた当時の「毎日を植物とともに」という思いが、そのまま達成されたことが非常に嬉しいです。

  

とはいえ、自分の毎日の「観察」というのは写真の撮影と気温のメモにとどまり、記事に投稿するのも一週間の成長を簡単にまとめたものだけでした。そのため、すでに山永さんが最終報告に載せられていますが(「最終報告 観察眼と文章力の確かな成長」)毎日観察日記を付ける、という継続力には感銘を通り越してショックすら受けています。他の方々の記事も読ませていただいていましたが、皆さん細かな記録やオリジナリティあふれる工夫だとか、計測だとかを行っていたので、もう少しそれを参考にして改善することもできたな、という悔いが残ります。

しかし普段の自分なら、絶対に途中でドロップアウトしていただろうという確信もあります。なぜ中盤から持ち直せたのかを考えていましたが、一つはやはり対象が植物という生きたものであったこと、そしてもう一つは努力に応じて案外うまく育ってくれたことが大きかったのだと思います。うまく育って、美味しく料理出来たら、誰かに見てほしくなりますから(笑)そして序盤にも述べたように、疑問を投げかければ返してくれる&少人数制という双方向の講義形態も非常にありがたいものでした。私は大学に入学したての頃、知識と研究を職としている教員の方々に質問をすることが出来て、おまけの知識までついてくる、という環境に心底感動したものです。その感動の縮小版をこの講義で体感することができ、大学に来てよかったなあと思う理由の一つになりました。あまり一つのことを長く続けられたことの無い自分にとって、この講義は一つの転機になりえると思っています。

 

(4)文章を書くという点についての受講前後の変化

私は、読みやすい文章には一定の「型」があると思っています。それは例えば「起承転結」、時には「オチ」などと呼ばれているもの。

言葉を唯一の武器とする文学部として、「中学生にも分かりやすい文章を」を鉄則とする報道部員として、そして「自分めっちゃおもろいな」を世界最上級の賛辞とする関西人の端くれとして。分かりやすく面白い文章を書くということは、他の何よりも優先しなければならない私にとっての"掟"です。

先ほど述べたように、この講義の場で「言葉の筋トレ」を行ったことで、文章の「型」にあたるものがふわっと浮かんでくるようになりました。これは自分の中で革新的な違いで、言葉を使う人間としてワンランクレベルアップしたような体感を覚えています。無駄話に近いような内容も多かったですが、お付き合いいただいた方々に感謝を申し上げたいです。


(5)自然科学的な視点において自分自身が習得できた点と研鑽が必要な点

私は文学部。イメージで言うと、最も自然科学からは遠い存在ではないでしょうか。ただ、世間で思われているより文学部が扱う範疇は広く、文献研究はもちろん実験・統計を用いる心理学や行動科学分野など、人間や人間の生み出したものを研究の対象とすること以外、まったく統一感のない専門分野が集まるカオスな学部となっています。私自身心理学専修を希望しており、学びたい内容はどちらかというと脳科学に隣接するような内容になるので、文学部を代表したような顔をするのもおかしいのですが、理系か文系かでいうと、自分は圧倒的に文系的な考え方に偏った人間だと認識しています。そのため、この講義を受講した理由の一つは「自然科学的な分野の文化を体感すること」でした。

私自身の記事を見返して思うことは、やはり数字へのこだわりが薄いということ。計測がおおざっぱすぎることもですが、何より計測時点の主観でデータを取捨選択してしまっているのが良くなかったです。写真を見比べて初めて気が付くのですが、毎日見ているから気づかないだけで、昨日と今日とでは決して小さくない変化が起きており、それが積み重なって大きな成長となっています。「あまり変わってない」は「少し変わっている」だと思って、すべてのデータに気を配る必要があったのではないかと思いました。変化に着目するのは、理系文系に関わらず学問に触れる上で非常に重要な視点なので、変わっていくものに鈍感にはならないよう心がけたいです。

 

(6)記事のコメントをどの程度自分の栽培に反映できたか

記事に対してコメントがいただければ、できるだけ早く読んでアドバイスを実践する、ということは徹底していました。「せっかく助言をもらったのに、後回しにしていたら手遅れになりました」という状況が、自分の性格上容易に想像できたため、それだけは避けようと考えたためです。

しかしながら、そもそも観察してから投稿するまでの時間が長すぎるために、コメントをいただく頃には状況が変化していて、ということが何度かありました。例えば、「豆苗栽培開始」の中での私の「そろそろ光に当て始めます」という発言に対して「まだちょっと早いかも」と助言をいただきましたが、この頃は記事を推敲する時間が長すぎたため、投稿した時にはすでに日光に当て始めてしまっていたり。ただ、このような状況が発生したことから観察したことをすぐに投稿することの重要性を感じ、その日に撮ったその日中に投稿できるように素早く記事を書いていたため、結果として文章力の向上にもつながりました。

 

(7)中間発表で掲げた目標の達成度

中間発表「植物と人間(私)の、強さと弱さと──。」の中で掲げた目標はただ一つ、「野菜を無事に育て、おいしく頂くこと!」でした。

......まあそれは非常に大切で、結局はそこにたどり着くのですが、ここで中間発表を振り返ることを考えるともっと具体的な目標を設定してほしかったです。過去の自分よ......。

しかしながら、せっかく芽吹いた野菜を意地でも無駄にしないために、異変があればすぐに助言を求め、完成形まで育て上げるためにがむしゃらに頑張ることを一本の筋としていたことは事実です。そしてそれを達成するための過程に記事の定期的な投稿があり、結果として義務感だけではなく、野菜を育てるため、成長を見てもらうために"好き好んで"記事を上げるということが、徐々にできるようになりました。先ほど挙げた「講義を続けられた理由」に、「前向きだったこと」が加えられそうです。「好きこそものの上手なれ」とよく言いますが、私は典型的にこのパターンが当てはまる人間だということがよくわかりました。今後もしも、何か困難に直面した時、この経験が一つの選択肢を提示してくれるかもしれません。

 

(8)本講義で学んだことを日常生活にどのように活かすか

変化に着目すること、数字にこだわること、継続的な訓練は実力に直結するということ。本講義ではたくさんのことを学びましたが、もっとも今後に活かしたいことはただ一つです。

忙しい日々の中でも、ご飯を食べる楽しみを忘れないこと。

そして美味しいものを食べるためになら、最大限の努力をすること。

 

コカブが収穫出来たら、今までで一番力の入った食レポ記事を上げますので、またその時にお目にかかります。

数か月間、本当にありがとうございました!

(1万字)

コメント

文学部 恵利さん

育種の渡辺です。〆切30min前の投稿でしたね。6番目の最終報告の投稿でした。今日の日付で投稿されると思っていたら、数日前の日付でcheckを慌てましたが、記事を投稿するとTwitterにも記事のお知らせがでるようになっていたのが功を奏しました。もちろん、間に合ったからよかったのですが、何かトラブルがあると、〆切に間に合わないことになります。せめて1日くらい前には投稿して、不備がないかなどcheckする余裕を持つこと。大事なことです。次年度以降、是非そうした取り組みにして下さい。しっかりした文章を書くこと、また、読み手を意識した文章という点では興味を引く構成になっていたと思います。また、文字数が10,000文字というのもこれまでのこの講義の歴史の中ではじめてのことかと思います。改めて、正確に数えてみて下さい。大事なことです。こうした文章を定期的に書くことを支えたことに「家族」の力があったのはよいことですね。これまでの先人の何名かおじいさんと同じ種子を別々に栽培したり、栽培のことを聞いていたり。何かを励みにがんばることは大事なポイントかも知れないですね。

DSCN4067.JPG最終報告を読みながら、こうした点は評価できる、別の点はもうすこしだということ考えながらこちらはコメントしているのですが、(1)を読んだ段階で、ずいぶんたくさんのことを学んでいるのだなと思っています。全てを書こうとすると、恵利さんの文章と同じくらいの文章になるように思いますので、これがトピックというような点を拾い出して、評価というか、コメントにしたいと思います。まず、失敗の原因を考えるという習慣はよいことです。一方で習うより慣れよ、経験と勘というようにトライアンドエラーを繰り返すことで学びにつながるという側面もあります。どちらがよいということでなくて、どちらも身につけることが大事なのだと思います。そうしたことを支えるものとして「計る」ということが第一歩でしょう。物差しを当てることができていたのに、温度計、湿度計の導入がもうすこし早ければ、・・。次からの反省事項として下さい。

ここ一番の大事なところで、何故か失敗する。よくある話です。まさに、お天道様は見ているというのが適切な言葉なのだと思います。渡辺もこのコメントを「秀丸エディタ」というので書いています。段落を変えるときなどにdesk topに保存しています。たくさんのソフトを一度に開いていて、メモリが足りなくなってくると動作が遅くなり、ぼちぼちやばいかなという感覚は持っています。そんな時は冷静に書きかけのものは保存して、再起動すると、不安定さは消えるというイメージです。こんなことを心がけると、お天道様に見放される回数は減ると思います。ただ、それでも吹っ飛ぶことはあるわけです。そんな時のために危機管理という概念があるのだと思います。「危機管理の基本は、悲観的に準備し、楽観的に対処すること」といったのは、佐々淳行という方です。最悪の事態を想定して準備して、何かが起きたとき、慌てずに対応すること。そのためにも締め切りに追われるのではなくて、〆切を追いかけるくらいでという気持ちで物事に心がけることを覚えるべきです。今ここで休めたら、今子ここで寝ることができたら、という気持ちがあっても、その大きな仕事を越えておくと、問題が生じても大丈夫と対応できるはずです。

DSCN4164.JPG栽培を始める前に先人の知恵である過去ログを読んだことは高く評価できます。文理を問わず、「先行研究」という自分の研究の前にどのような歴史があったのかを理解することは大事です。そうしたことから、これからの2年次移行の学びでも学ぶこととの歴史、先人の知恵を大事にして下さい。太字で書かれている「適切な時期を逃さない」というのは、1つ前の危機管理と重なる部分かも知れないですが、やるべき時にやる。それを逃したら、もしかするとはじめからやり直しかも。ということは得てして多い事象なのだと思います。最初から比べると、読み手を意識するようになったのは、パソコンというツールを使いこなせるようになった。だから、考えることを入力することに時間がかからなくなったということかと思います。よい方向に連動できたのでしょう。あとはkeyboardを見ないで入力するようになれること。今年の受講生にもそうした方がいたと思います。そんなことができるwebのfreeソフトもあるかと。是非、この春休みに習得してみて下さい。

講義にせよ、活動にせよ、始めるときの動機・きっかけがあるはずです。それをどこまでkeepできるかということも大事なことです。確かに、教員など大学にいる人たちは知識と研究を職としているので、それらをどのように活用するのか。その活用の仕方で毎日の学習も変わるでしょうし、自分で何を学ぶのかということを考えることになると思います。また、そうした講義を行っている教員からの宿題、課題を「好き好んでできるようになる」というのは大事なことです。このコメントを書く時間、本当はzoomで兵庫・豊岡との交流のはずが、雪でできず。その資料の中に、「努力を努力と思っている時点で、好きでやっているヤツには勝てない。 by イチロー」と言う言葉を見つけて、その境地なのだろうと。これでも書き足りないくらいのことを学んでいると思います。この後の食レポ、もちろん、楽しみにしています。残っている種子でまた栽培して、心のオアシスを作るのもありです。そんな時、記事をuploadして下さい。コメントしますので。

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わたなべしるす