東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

最終報告~教訓を教訓とし目を逸らさず~(文:岡根史歩)

2023年1月27日 (金)

 何かの終わりに触れるとき、振り返ろうとなど思わなくても、次々にこれまでのことが浮かびあがるものです。もっとこうしたら良かったとか、こんな言葉をかけてあげたら良かったなどと思って、でももう元には戻れないから悲しいです。最終報告の冒頭の写真を何にしようかとカメラロールを眺めていたら、今セメにあったたくさんの出来事のその時々の感情すべて、濃縮されて倍速で再生されました。写真を見るとその時にジャンプして戻って、もう一回同じ時を経験することができるような気がします。ただし同じことしか経験できずに、こうしたら良かったと思う場面に戻っても変えることはできないから、もう繰り返したくないとか後悔したくないと思ったり、その時には気がつかなかった幸福に気がついたりもします。だからもっと写真を撮ろうと思います。過ぎた時間を振り返って、いろいろな感情になって、じゃあこれからどうしたいのか、どうなりたいのかを問いながらいたいです。冒頭は、今セメスターでたくさんつくったわら細工たちの写真です。

(1)想像よりも大変だったこと、意外とうまくいったこと

 想像よりも大変だったことは、いろいろな観点で観察をすることです。幸いにも野菜たちは順調に成長し、栽培している中で大きな問題は発生しませんでした。すると、文章を書く際のネタが見つからないときがありました。野菜の成長を見て、このように成長している、というような現状報告にとどまってしまい、なかなか面白味のない報告となってしまいました(単調な報告:http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/12/06120000.php)。それが渡辺先生から薄々指摘を受けていた文章の短さの原因にもなっていたと思います。他の受講生の記事を眺めていると、理学部の山本さんは自分でグラフを作成したり(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/12/27223920.php)、農学部の高橋さんは元素について表にまとめたり(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/11/15223650.php)食レポでも成分に触れたりしていて(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2023/01/05223033.php)、自分はそれを見て「これを取り入れるのはちょっと難しいな」と感じていました。しかしそうではなく、知識がないなら少しでも調べてみたら良かったし、渡辺先生やオガタさんに質問して教えてもらうでも良かっただろうと思います。そもそも同じことをしようとしなくても、文学部という自分ならではの視点で話題を膨らませようとする努力をするべきでした。このようなことは中間報告でも触れたことでしたが、仙台芭蕉菜について調べた記事を書くにとどまりました。

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 意外とうまくいったことは、野菜たちが元気に育ち続けたことです。これは野菜たちの生命力に助けられた部分が大きいのですが、徒長することもなく寒さにも負けずにすくすく育ちました。最初は水やりをしたら倒れてしまうような弱弱しい様子だったのに、毎日少しずつ強く大きくなっていました。収穫の際に芭蕉菜を鉢から外してみてわかったこの根の張り具合からも、一生懸命生きようとする生命力を感じました。

DSC_0932.JPG↑少しずつ強くなってきた芭蕉菜

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(2)他の科目への波及効果

 今セメスターは大学以外での活動が忙しく、寝るためだけに家に帰るぐらい家にいる時間が短かったです。そのため、家でしかできないことだけを家でやろうと考えるようになりました。家では水やりや施肥と観察をして写真を撮り、外出先で時間があるときには報告に使用する写真選んだり写真を見ながら報告に書く内容を考えたりして、家に帰ってきたら文章を書く、というような取り組み方が多かったです。

 このスタイルを身に付けてからは、他の科目の課題なども家にいなくてもできることと家にいないとできないことを判別して取り組むようになりました。例えば人文社会序論の発表スライドは家でパソコンを開いて作成するとしても、作成するために必要な事柄は移動時間にスマートフォンで検索し情報を収集できると考え、少しずつ進めることができました。

(3)毎日観察をすることで身についたこと、感じたこと

 毎日野菜たちの変化を観察することで身についたことは、自分の思考の範囲を超える出来事も受容して、なぜそうなったのかを考えることです。観察を始めたころは、野菜の変化を見てただその事実を報告していましたが、渡辺先生やオガタさんはその変化の根拠に迫るようなコメントを書かれていました。(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/11/17234239.php)なるほどと思って読んでいましたが、観察を続けるにつれて自分も野菜たちの変化の理由を考えてみるようになっていました。(芭蕉菜の変化の考察を少々:http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2023/01/23233059.php)

 その自分自身の変化の理由についても考えてみると、毎日毎日野菜たちを見続けて成長を見守ることで愛着が湧いたからなのかなと感じます。このブログの題名にもしたように、野菜たちが大きくなったりいきいきしたりしている様子はかわいくて、ひとりベランダで「かわいい」と声に出した日もありました。今思えば、頑張っている野菜たちの姿は忙しい日々でも自分も頑張る励みになっていたし、癒しになっていたと思います。いつの間にか大事な存在になっていました。そんな存在に起きた変化に対して、どうしてそうなったのか気になることは自然なことかもしれません。これはきっと野菜栽培に限った話ではなく、例えば人間関係においても同じことが言えると思います。一緒に過ごす時間が多くなっていくうちに相手の変化に気がつくようになって、なにかあったのかな、悩んでいるのかななどと考えます。大事になればなるほど、相手のことは知りたいと思うし、相手のことに思いを馳せるようになるものです。野菜たちに対してそうであったように、身近な人が自分にとって大事であることを心に留めて、より一層相手のことを考えようと思います。

(4)文章を書くことを通した自分の変化

 もともとこの講義を履修した理由の一つが、将来は文章を書くことを生業にしたいから、ということでした。わくわくしているとも初回の投稿で書きました。しかし結果的にはわくわくしながら文章を書くことはできませんでした。むしろそろそろ投稿しないとなという思いに追われていたように思います。自分の性格からしても、のんびり考えてつらつらと書くことが好きではありますが、生業にするとなったらそうはいきません。何を伝えるべきかを考えて、スピード感をもって文章を書くことが求められます。この講義でも、生育の報告の速報性が欠けると、せっかく助言となるコメントを頂いてももはや後の祭りとなってしまいます。

 この講義での文章を書くという経験を通し、将来を考えるとまだまだ研鑽が必要であると気づけたことは成果であり講義を受ける前との変化です。

(5)客観的に物事を捉えたり、自然科学的なものの見方をしたりできたか

 客観的な物事の捉え方および自然科学的な物事の捉え方は、この講義を通して自分の課題であり続けたことでした。どうしても理系的な考え方には苦手意識があって、他の受講生をまねてものさしで長さを計ってみることはしたものの、それでは科学的なものの見方には程遠いです。

 同じ文学部の恵利さんはその点、観察の仕方が上手でした。他の理系の学生に比べたら自然科学的な知識に長けているとは言えなくても、野菜を見て素直に感じたことを書いたり、サケや心臓の話など自分の知っていることと関連付けて考察したりしていました。わからないならばわからないなりの見方ができたはずです。わからない、苦手だからといってそれを怠っていたのは自分の弱い部分です。難しいと思ってしまうことほどあえて難しく考えずに、素直な態度でそれを表現することが大事なのだと思います。これは今後の自分の教訓とします。

(6)コメントの意義と活用

 渡辺先生とオガタさんからのコメントは、毎回読むのを楽しみにしていました。それは自分の野菜たちの生育が良い状況にあるのか悪い状況にあるのかはっきりとわからない不安や自信のなさによるものだったと振り返ってみると思います。全体を通して、基本的に野菜の生育状況は良い傾向にあり、野菜に関してのコメントは「順調ですね」といったものがほとんどで安心していました。

 しかし本当に大事で意義があったのは野菜に対してのコメントではなく、自分や自分の取り組み方に対してのコメントでした。特に渡辺先生からのコメントは淡々とした文章であることも相まって、毎回のごとく心に来て、耳の痛いこともありました。例えば仙台芭蕉菜の施肥の記事(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/12/28111203.php)ですが、更新がご無沙汰になったその理由であったり文章量の少なさであったり他の人の記事を参考にすることであったりと、すべて耳の痛いことでした。ただしそのようなコメントをしていただけることは自分にとってはプラスのことです。やるもやらぬも自分次第である状況に置かれると、多少粗末にしてしまうなどどうしても甘えが出てしまいます。自制心をもつという言葉が渡辺先生からもありましたが、それが本当に大事で、この講義を通してずっと問われていたところでした。けれど、コメントを読んで耳が痛いと感じ、それを直そう、次に活かそうとできていたかと言われるとできていませんでした。わかっていても目を背けてしまっていたと思います。自分自身の成長のチャンスでもあったのに、しっかりと向き合わずに流してしまっていたことは、反省しなければなりません。コメントを寄せてくださっている渡辺先生にも失礼なことです。湧き出てくる甘えに打ち勝つためには、自分の成長を願う周りの期待もあることを自覚する必要があります。

(7)中間発表で立てた目標がどれぐらい達成できたのか

 中間発表では、大きく2つの目標を立てていました。一つ目は科学的な視点で観察をすること、二つ目は自分の学びを大きくしようという意識をもつことです。

 一つ目に関しては、(5)でも取り上げたことと重なりますが、未達成でした。文系の自分でも工夫できたであろう点として、直近の芭蕉菜実食回が挙げられます。(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2023/01/23233059.php)漬物を2種類作ったのですが、なんとも作り方が感覚的でした。塩は適量、味どうらくも適量。しかし試食してみると味どうらくが濃すぎたため適量除く、というようなことをしました。全く科学的ではないし、読者にも全く参考になりません。理学部の山本さんは漬ける際の塩の量も計算していました。(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/12/22182906.php)このようにすべきでした。

 二つ目に関しては、野菜栽培をもっと自分の興味関心と結びつけて様々なことを学ぼうというものでしたが、これも未達成と言えます。(1)でも触れましたが、仙台芭蕉菜の背景などを調べるにとどまりました。情けないですが、どのようにして自分の興味関心と結び付けたらよいか思いつきませんでした。渡辺先生から書籍のご紹介もあり、読んでみたらさらに面白くなったかもしれません。しかし多忙につき、読書が好きであるにも関わらず今セメスターでまだ一冊も読み切れていない状況で、植物の本を読んでみようというのは少々ためらいがあったのが正直なところです。

 そうなると、そもそも自分は目標を達成しようという気があったのか、という話になります。中間報告でこのような目標を立てていながらも、その後の日々で何か工夫をしようという動きはできていませんでした。目標を達成することへの意識が欠けていました。やろうと思い立ったこと自体は良いものの、結局行動に移さなければ意味がありません。口だけになってしまっていました。なんでそうなってしまったのか、これは(6)でも触れた自分の甘えが大きいです。決して自分一人でやっているものではなくて、先生やスタッフの方がいて、一緒に受けている学生がいて、読者がいるということに、盲目的になっていたと思います。

(8)この講義で得たことを、これからの日々にどう活かすか

 この講義の中で自分が良い方向に成長できたことはほぼありませんでした。しかし結果的に、自分の弱いところがたくさん見えて、学びや教訓を得ました。大事なのはこれからの日々に活かすことです。時間がなかったということを書きましたが、そんなことはこれからの人生を考えたら何度も起こることです。時間がない中でも時間の使い方を考えて、優先順位をつける。難しいな、と気持ちが向かないことでも、何が自分や周りの人にとって大事なことなのかを考えます。そうしたら、苦手なことにも逃げないで取り組んで、好きな読書をする時間だってとれるようになるはずです。限られた時間の中で何を優先とするかは、これは聊か壮大すぎるかもしれませんが、どう生きるかなのかなと思います。

 収穫していない作物はありません。大事な存在だった野菜たちがいなくなって鉢だけが玄関に残っていて、寂しいです。土がまだ余っていますし、せっかくなのでまた何かを育ててみようかと思っています。今年は自炊もできるようになっていきたいと思っているところです。春夏の野菜、おすすめがあったら教えてください。

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コメント

文学部 岡根さん

育種の渡辺です。最初のわら細工の写真が印象的ですね。民俗学のようなことに詳しくないので、食用に栽培したイネを米として収穫したあと、こうした「わら細工」のように加工して飾るのは、日本に特徴的なのだろうかと。渡辺は高校生までは年末に近所の友達とお正月の飾り物を「わら」で作っていました。懐かしいですね。というか、こうしたことを使って講義を設定できるのであれば、開講したいと思ったくらいです。もちろん、イネの栽培、わらの加工くらいは講義で来ますが、民俗学の部分をどうすればよいか、頭を抱えますね。前置きが長くなりましたが、4番目の最終報告、〆切に4hrくらいの余裕を持っての行動、大事なポイントです。〆切を守るのはこれから先の専門教育、社会に出てからはシビアになりますので、これ以外の講義でもしっかり対応して下さい。

DSCN2861.JPG大変だったこととして、長い文章を書くこと。苦労されたようですね。受講生には文系、理系の多様な学部から参加します。植物に近い方も遠い方もいるわけです。栽培している植物はそれぞれ違いますが、ある程度似かよったアブラナ科植物です。観察する点はいわれるとおり、それぞれのある種の個性に依存してきます。それと同じことを期待しているわけではなく、観察できることは普段の文章くらいかも知れないですが、文学部の岡根さんらしい調べ物として、アブラナ科野菜、植物、その歴史など多角的に取り組んでよかったのだと思います。同じ文学部のもう1名の受講生の方はそれに近いトライをされていたと思います。あるいは、他の講義での学びとこの講義を連動したような文章などもありだったと思います。短い時間で自分の考えなどをまとめて、表現できることがこの講義の目標でもあるわけです。最初に書かれてあったように、時間は流れてしまったので、この反省を次年度からの講義に活かして下さい。

課外活動をactiveにされていて、寝る時間だけ家に戻る。渡辺が大学院生の頃、実験が忙しい農繁期を思い出しました。写真だけを撮影して、外部で文章を書くことはもちろん可能だと思います。ただ、実際に植物を見ながら考えることとは観察、考えることの深さが違ってくることは是非、意識して下さい。もちろん、様々なことをやりたいことは理解できます。一方で、われわれに与えられた時間は24hrで同じです。多様なことを広く、あるいは限られたことを深くというように学び方も多様です。次年度以降、是非今回のやり方が適しているのかを考えて見てはどうでしょうか。結果は10年あるいはもっと時間がたったときに分かることかも知れないですが。

DSCN2904.JPG毎日の観察から植物への愛着だけでなく人間関係の相手の変化に気がつくようになったのは大きな発展だと思います。相手の気持ちに思いを馳せることは共同研究等、色々な面で重要になってきます。是非、残った種子を春以降にも栽培されて、植物への思い、愛着をさらに磨きをかけるのはどうでしょうか。そういえば、文章を書くことを生業にしたいと。そんな思いで受講するとあったのは記憶にあります。言われるとおり、連載のような文章を書くと、時間に追いかけられることになります。渡辺も11年前に新聞に5週に1回のコラムを書いていましたが、1年間11回の掲載が終わったときにはほっとしたのを思い出します。また、昨年10月に出版しましたが、2年間かかりました。まとまった書籍を書くことへのたいへんさも実感しました。今回の岡根さんのこの講義でチャレンジが、生業につながることになればと思います。

投稿回数が間延びしていたり、文章量が少ない点、自制心などの言葉がちゃんと届いていたのだとほっとしました。書かれているとおり、成長するチャンスをみすみす逃してしまったことを、是非、来年からの講義に活かして下さい。仏の顔もなんとかと言いますし、人生、何とかされている間が華というような言葉もあるとおり、コメントをくれたり、こうしたらといってくれるのは数えるほどなのでしょう。学生だからということではなくて、その先の社会人を見すえて、今回向き合うことができなかった自分の弱さの部分の克服にして下さい。そうすると、小言を書いた渡辺も浮かばれますので。また、今回学ぶことができなかった「科学的な視点」も同じように他の受講生から学ぶチャンスがあったと思います。この先の講義でも苦手だなと思うことはあると思います。そんな時、今回の失敗を思い出して乗り越えて下さい。最後の(8)に書かれてあったように、限られた時間をどのように生きるのか。まさにその通りかと思います。

これから栽培するのによいもの。芭蕉菜は3月くらいに播種すれば数ヶ月で収穫できると思います。それ以外にはトマト、ナス、ピーマンとかでしょうか。種子からの栽培は少し大変なので、DIYなどで苗を手配するのはどうでしょうか。もちろん、そんなことを始めたら、このHPに書いて下さい。一緒に学んだ受講生が記事を書いてくるかも知れないです。もちろん、渡辺やスタッフのオガタくんも対応しますし、読者は楽しみにしていると思いますので。

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わたなべしるす