どうも。
青森県立青森高等学校のサロンに遅れてきたルーキー、
新岡 昂也
(ニイオカ コウヤ) です。
講座が終わってから、初めて友達と仙台駅の駅ビル(名前知らない)でオサレな pasta 屋さん(名前忘れた)でナスのペスカトーレ(ペスカトーレだったかどうか記憶が定かではない)を食べました。
めちゃくちゃおいしかったです。トマトとナス!素晴らしい組み合わせでした。ピリリと主張しすぎないオトナなトウガラシとブラックペッパーがアクセントとなり、甘さや酸味を引き立て、味全体を引き締めていました。
ごちそうさまでした。
他にもオシャレなお店がいっぱいあったので巡ってみたいです。駅ビル構内に限らず良いお店を知っている方、もしくは僕とお食事に行きたい方はぜひご連絡ください。お待ちしています。
今回の講座は、
英語交流 サロン(留学生との語らい)
1.「英語能力獲得大作戦(プレゼンとE-learning)」
2.「がん制御へ向けてのChallenge ~分子病理学からのアプローチ~」
という豪華二本立て、いや三本立てでした。
まずは英語交流サロン。11:00から始まることは知っていたので(当たり前)10:50くらいに余裕を持って行こう!と当時の私は思っていました。そして予定通り10:50に到着しました。渡されたのは9番と書かれた紙。そして案内されたのは「1番」のテーブル。(すでに嫌な予感)
なんということでしょう。
サロンがすでに始められているではないですか!しかも和気あいあいと!
私は戦慄しました。社会人たるもの15分前行動、否!20分前行動が常識である、ということが身に染みて理解できました。
その後、留学生のお二人が「何か質問はありますか?」と言ってくれたので、「お二人のお名前はなんですか!」「今研究していることはどんなことですか!」と聞くことができました。最終的には、ワークシートはしっかりと埋めることができました。はぇ~すっごいひやひやしました。
振り返ってみて、初めてにしては、まあまあコミュニケーションはとれていたのではないかなと思います。確かに、怪しい文法やなんだかめちゃくちゃな英文はたくさん出てしまいました。
しかし、「相手に伝えたい」という気持ちは、(もちろん二人の優しさもあったおかげですが)留学生のお二人に伝えることができたし、そのおかげで、いろんな情報、いろんなメッセージをもらうことができ、結果として有意義な時間を過ごすことができました。
もしも私が最初からずっと黙って、アクションを起こしていなければ、このような有意義な時間にはなりえなかったと思います。フランス出身の留学生さんが言っていたのは、
「コミュニケーションは、相手がいてこそ成立する」
ということです。
確かにその通りだと思います。一人だけで出来ないのがコミュニケーション。しかし、たとえ二人以上いたとしても、アクションを起こさなければ、それは「一人」と同じです。今回、たどたどしくも、勇気を出してコミュニケーションを取った結果、普段ではなかなか得られないような貴重なフィードバックをつかみ取ることができました。
今回得られた感覚を、これから大事に、もっと大きく育てていけるように、「相手に伝えたい」という気持ちを忘れずに、めげずに努力を続けていきたいです。
ちなみに、昼食は留学生さんと食べるという貴重なものでした。納豆はなぜ外国人から嫌われるのか?納豆と合う食材は?またその特徴は?納豆は......と納豆を中心とした熱い議論が繰り広げられました。これは別の、カレーの列に並んでいるときの話ですが、隣にいた留学生さんに筋肉の増やし方について教えてもらうことができました。
「大きくなりたくば(鶏むね肉を)喰らえ!!!」
だそうです。(アメリカ出身留学生談)
そんな初めてのサロンをふまえ、一発目の講義は「英語能力獲得大作戦」でした。
「効率的な英語学習方法」
「アメリカ英語のアクセント」
がこの講義のテーマ。
やっぱり「型」って大事ですよねー。これも本質的には武術にも美術にも、ひいてはゲームのデッキ構築など身近なところのだいたいに当てはまることだと思います。
自分にしかできない表現を追求するにしても、まず今あるものから学びを得ないことには、何も始まりません。
武術だったら型、美術だったら表現技法、ゲームだったらテンプレデッキ............
まずは先人たちが作り上げたものから何かを学び、それらをいろいろなものと組み合わせるなど活用することでようやく「自分にしかできない表現」を追求できるのだと私は思います。
巷では「英語は単語さえ並べればできる!!」とよく言われています。確かに、コミュニケーションとしては(一応)成立する可能性もあるわけでもなくはないです。単語も英文を作ったり、理解したりするうえで必要不可欠であることは事実です。
しかし、このような英語ではあっという間に伝えられる内容に限界がきてしまいます。もしも大学で研究をする際、専門的な英語で書かれた論文が読めない、わからないというのは致命的な事態です。だからこそ、英文法という「型」を高校生のうちにしっかりマスターすることで、その後の「聞く」「読む」「話す」「書く」といった英語の学習をスムーズに進めることができる、ということでした。
もちろん、文法だけとか単語だけなど、ただ一点にのみ集中してやってればいいってものでもありません。橘先生が念を押して強く言っていたことは、
「インプットの量が多いほどアウトプットも強くなる」
ということです。
私の場合、
問題が解けない(=アウトプットができていない)→なのにさらに多くの問題を解く→問題が......
という無限ループに陥ってしまい進むものも進まないほどグルグルと同じところにいました。
これではちっとも前に進むことができません。
だから、「基礎に戻ってやり直す」というある種の勇気も必要なのではないかと考えます。戻ることは進むこと、というのは違和感のある響きですが、少し難易度が低い問題に戻って多くの文章、単語などなんでもたくさん再インプットすることは、つまづきから立ち直るきっかけとなり得るのではないかと考えます。インプットには量も大事。
結局のところ、英語は積み重ねが一番大事である、ということが分かりました。今回学んだ効率のいい勉強法を実践する前に、まず変なプライドは捨てて、コツコツ黙々粛々と英語に取り組んでいくという前向きで強い姿勢、気持ちづくりをしたいです。
お次は中国出身留学生 ラカンさんによる「アクセント講座」。
やっぱり、英語というものも一つの言語です。お互いにじーーーっと見つめ合いながら英文を見せ合ってコミュニケーションをとるわけにもいきません。しゃべってナンボなんです。
でもやっぱり......発音が不安!
相手にうまく伝わらなかったらどうしよう、とか
変なイントネーションで笑われたりしないかな、とか考えてしまう。そうすると積極的な会話なんてできなくなってしまうのです。
そんなちっちゃいことは気にしないで堂々と会話をするための、今回のアクセント講座。ゆってぃっていたよね
そもそも、日本語と英語は言語の種類が違うそうです。
簡単に言うと(簡単には言いづらい)、
日本語が常に一定のリズムで発音するとすれば、英語は伝えたい部分を強く、長く発音するので日本人から見れば(聞けば?)少し独特なリズムとなっているそうです。
そういえば父は洋画は字幕派でした。(ちなみに私は吹き替え派です)
父は「いかにも洋画を見ている感じがするから」とそのわけを言っていました。たしかにリズムが違えば、同じ映画でも吹き替えの雰囲気とはなんとなく違うものを感じますね。
他にも、日本語の発音の中にないので出しづらい(たぶん環境依存文字なので発音記号はブログにも出しづらい)英語の発音の練習もしました。
ネイティブスピーカーになった気がしてなんだか楽しかったです。
最近、音読というか声に出して読む勉強法の有用性が実証され、カリキュラムが少し見直されつつあるらしいです。ドラゴン桜でもやってましたね。ウロウロ音読法。
私もこれを機に、ラカンさんのように、声に出す勉強法を実践してみたいと思います。そしてこの勉強法を英語だけにとどめることなく、社会や国語など暗記が必要とされる科目でも試してみたいと思いました。
めざせ暗記の達人。
そしていよいよ最後の講義
「がん制御へ向けてのChallenge ~分子病理学からのアプローチ~」
テーマはもちろん、
「がんの治療法」です。
何を当たり前のことを、と思う方もいるとは思います。例えば、これまで治療に使われてきた薬は「増殖細胞皆殺し」ともいえるようなものでした。無制限に「増殖」するがん細胞には良く効きますが、効き目が強すぎる反面、髪の毛をはじめとした害のない、増殖の速い細胞までも殺してしまうという、副作用がとても強いものでした。
しかし近年、新たな種類の薬が開発されようとしています。その名も「分子標的治療薬」。 がんの種類によらず、がんのもととなったさまざまな遺伝子(変異遺伝子)にピンポイントで作用するので、従来のものよりも副作用が小さく、体への負担も減るというこれまでのものより使い勝手が良くなった薬です。
そしてもう一つ、新たなジャンルの治療法が増えました。キーワードは「免疫」です。
「PD-1」などというのを聞いたことがある人も多いと思います。要するに、がん細胞はキラーT細胞の機能停止スイッチを押すことで天敵から逃げていましたが、「抗PD-1抗体」などを使うことでそのスイッチをそもそも動かなくさせることができるようになりました。確かにスイッチが壊れたら、押せないですよね。押されなければ、止まることもないわけです。
「押されなければどうということはない」
という考え方ですね。止まるんじゃねえぞ...
この二つの治療法は、がんが治るだけでなく、治す過程で起きる苦しみも軽減できるというスグレモノです。ぜひとも今後のトレンドになってほしいものです。
ちなみに、私は6月に一回、「生本庶」を見たことがあります。
弘前大学創立70周年記念式典の記念講演会になんと、本庶先生が来てくださったのです。
そのとき私はたまたま前から二番目の列の席でした。
そこから大迫力の生本庶を拝むことができました。やったぜ。
(あと来賓の方々とすごい近い席だった。目の前。)
思ったよりもお茶目な感じ(失礼)で面白かったです。
この講演会でも、「PD-1」などに関する話題が出ていました。
今回の講義は、ここで得られた知識が非常に役に立ちました。何でも参加してみるものです。
さて、講義の中で、いくつか面白い話を聞くことができました。
一つ目は、「抑制させる薬はあっても促進させる薬はない」という話です。
がんの仕組みの説明中に出てきた話です。がんになってしまうプロセスを、がん遺伝子を「アクセル」がん抑制遺伝子を「ブレーキ」と考えたとき、アクセルを抑制する薬はあってもブレーキを促進させる薬はない、ということです。
ところで、みなさんは「バイオハザード」というゲームを知っているでしょうか。このゲームのカギを握る、「T-ウィルス」という架空のウィルスがあります。
それは、「急激な細胞の新陳代謝」を「促進」させるものです。
その結果、食べても満たされない、ターンオーバーが過ぎて皮膚がなんかすごいことになるという通称「ゾンビ状態」になってしまうのです。
作中では、
「T-ウィルスが開発された当初は、主に先天性の免疫異常や末期がんといった難病治療に応用する試みがなされていた。だが、投与されて間もないうちこそ劇的な回復がみられるものの、投与が長期に及ぶと肉体の著しい変性や脳細胞の変質などを引き起こす」
とあります。ちなみに映画版では、T-ウィルスと同時に抗ウィルス剤を投与してウィルスをコントロールすることで、登場人物の一人は筋ジストロフィーを食い止めていました。
もし「促進させる薬」が現実に開発されたらどのようになるのでしょうか。
まさか街ひとつが消し飛ぶ、なんてことはないとは思いますが。
ぜひうまい具合に開発されて欲しいですね。
もう一つは、「英語と生物は本質的には同じ」という話です。
堀井教授は、「機能は文法で、部位は単語だ」と言っていました。
まさか文系の「英語」と理系の「生物」が同じだなんて、と私は大きな衝撃を受けました。
もし本当に同じだったら。または同じであるとはいえないまでも関係性が深いとするならば、やはり偏りなく勉強をしていったほうがより将来につながると考えます。
確かにそうですよね。そういえば「数学が苦手ならまずは国語を勉強しろ」ともよく言われます。数学の証明問題などに限らず、あの難しい言葉がいっぱい並んだ問題文を瞬時に理解するためにも、国語は必要です。
他にも、社会で習った用語が現代文の助けにもなったり、理科の用語と英語で習った単語が、スペルも意味も似ていたので両方覚えることができた、など「学びのコンビネーション」の威力は計り知れません。
理系を学んで文系を深める。文系を学んで理系を深める。
むしろこういった区別をつけることなく、コツコツと勉強をしていきたいです。
勉強というものは、テストのためだけにするものではないと思います。(もちろんテストも大事)
勉強で深められるのは、勉強だけではない。なんでも学んだことは自分の生活をより豊かなものにしてくれます。さっきのバイオハザードの話も(自分の中では)そうだと思います。
何事にもチャレンジして新たな「学び」をたくさん得ることで、自分の中の多様性を広げていきたいと思いました。
投稿者:青森県立青森高等学校