どうも。
青森県立青森高等学校のダークマター系料理男子、
新岡 昂也
(ニイオカ コウヤ) です。
といっても夏休み中に始めたばかりなんですけれどもね。夏休みの宿題のひとつ、自由研究。青森高校には「自由研究」はありませんが、それっぽいポジションの宿題がありました。
なんと「家庭科」なのです。(もしかしてほかの学校も同じ?)
青森高校の校訓のひとつに「自律自啓」というものがあります。要するに「自己管理をしっかりして自律(自立)した人間になろう!」という意味です。
やっぱり「自律する」にしても「自立する」にしても、「生活スキル」というものは必須ですよね。
これを達成するために、青森高校は割と家庭科に力を入れています。今回の課題もその一環として「自分の弱点を発見、克服する」をテーマにしたレポートが出されました。
せっかくなので、私もこの機会にオシャンティーもしくはもこみち系料理男子への一歩を踏み出すべく、日々真剣に料理に取り組みました。
テスト勉強などにも言えることなのですが、まず自分ができることの実態把握が重要だとあらためて感じました。できないこと、間違えたことは自分を変えるきっかけになる、という言葉の意味も深く理解できた気がします。
結局これを一番頑張らなければ、「指針」が見えてこないんですね。そうして結果的に目標もハリもない時間を過ごしてしまうんです。何にでも材料は必須。
結果、今ある料理を「進化」させていくことにしました。自分が出来そうなものから少しずつ広げていく。これも勉強にも当てはまりますね。いきなりもこみちLVをMAXにしようとて無理な話です。だからできることからはじめて経験値を積んでいくことも大事なんです。長続きもしますからね。
それと今回、「卵」の偉大さを改めて感じることができました。そう、「レポート作成」です。
「卵」で毎時間書くことになる修羅のような地獄のようなレポート作成によって培われた記述力、論理的思考力をフル活用させることで、レポートを高速で書ききることに成功しました。(テスト期間中のため)
こうやって自由に使える時間が作られていくことに、我ながら感心してしまいました。
この夏で私の料理スキルはかなり上がりました。そろそろメタル斬りなんかも覚えられそうです。
自分にできることから、目標と指針をしっかりもって行う。
この本質を実感することができた、良い夏休みにできたのではないかと思います。みなさんはいかがお過ごしでしたでしょうか。
さて、「卵」に戻りましょう。
今回の講座は、
サイエンスチャレンジ(サイエンスキャンパスホール)
1.「量子アニーリングと未来の情報科学」
2.「DNAと遺伝子組換え植物」
の三本立てです。
まずはサイエンスチャレンジ。インタイムでアライヴできました。やったぜ。
内容はなんと「ピンポン玉が載る最も高い建造物をつくる」というものでした。
材料:割りばし二膳、モール30本
のみです。
かなり大変だったのが「二膳しかない割りばしの有効活用法」を考えることです。いくら高いものを作っても、ある程度キープできなければ記録にはなりません。
耐久性と高度のギリギリのバランスを模索する、スリリングな競技でした。
私は主にピンポン玉を格納するための籠を作っていました。頭の中では完璧に役割を果たす籠のイメージがあるのに、それを現実世界に具現化できないもどかしさを常に感じていました。
最初はとても美しい形だったのに、だんだん不気味でグロテスク(?)な感じに成長してしまいました。(個人的には好き)
しかし、完成したときのあふれんばかりの喜びは、そういったもどかしさを吹き飛ばすことによって快感を生み出してくれます。
これがクセになってしまい、まるでかっぱえびせんのようにやめられない、とまらない。
止まるんじゃねえぞ......
ちなみに私は一昨年「科学の甲子園ジュニア全国大会」に出場したことがあります。科学の甲子園にもこのようなその場で考えて行動する実技試験のようなものがありました。
今回はそのときの経験を活用することが出来ました。というか慣れたので比較的落ち着いて物事を考えられるようになりました。成長ですね。
ちなみにちなみに他の班はピンポン玉を「挟む」物体を作っていました。その発想はなかった。こういうのがあるからみんなで発明することって面白いんですよね。
自分の価値観を伸ばすことも重要ですが、自分と違う価値観に触れることも重要だと考えます。結果的に自分の世界を広げることが出来ますからね。
だが......
しかし......
上位入賞は果たすことが
出来ませんでした......
チキンさが過ぎて三回しかない計測チャンスを使い切ってしまったことも敗因の一つと考えられます。かたじけない。
でも芸術点が二兆点ぐらいあるので優勝だと思っています。やったぜ。
私は割とこういうのが好きです。美術部だったこともあり、モノを作ることを通じて自分の考えを具現化させることが好きなんです。
しかし高校生活はやることがなかなか多く(当たり前)そういったことにゆっくりと取り組んでみる時間がありませんでした。
だからこのサイエンスチャレンジで、久しぶりにクリエイティブな精神と知的好奇心を呼び覚ますことができてうれしかったです。
機会があったらまた考えを張り巡らせていく快感を味わいたいです。
お昼を挟んで次の講義です。担々麺うまし。
さて一発目。
「量子アニーリングと未来の情報科学」です。
" なんでもできる。なんでもなれる。
輝く未来を抱きしめて。"
という言葉の通り、大関先生には様々な肩書があります。
あるときは教授、あるときは先生、そしてあるときは社長、作家、イラストレーター、などなど......。
そんな大関先生が高校生の時に作った文化祭のオープニング映像から、講義は始まりました。
初代PS好きの私にはドストライクでした。
某タイムクライシスと某スリルドライブと某FF7が繊細なバランスで織り交ぜられたようなニオイのする素晴らしいOPでした。
一年後、つまり高校二年のときに作られたものも上映されました。某FF7がFF8に進化していました。
割とレトロフリークな私は大興奮でした。
テーマは「二次関数の応用」です。
要は「本質は」二次関数と同じ、ということです。
私はまだ物理はそんなに習ってはいませんが、さすがに物が下に落ちていくことくらいはわかります。
実は、量子アニーリングとはこのような考え方でできているのです。
万有引力の法則を発見したのはアイザック・ニュートンです。
しかし、それを「創造」したのは誰か?
そう、「神」です。
つまり自然界で起きる事象は、全て神がパソコンでプログラミングしたものだったのです。
我々人間がスーパーコンピュータを使うときは大抵、プログラミングをしてから数値を入力します。
しかし地球上には、神が創造したプログラムがすでにあります。その一部を利用して考案されたのが、まさしく「量子アニーリング」なのです。
ルートを最適化する(√じゃないよ)といえばその最短距離を求めるというように、「最適化する」という言葉には「最小値を求める」という意味もあります。
つまり、" 関数の最適化=関数の最小値を求める "ということなのです。
そして、どんぶりの内に沿ってビー玉を転がせば、そのビー玉はどんぶりの底、つまり関数の最小値に到着します。
つまり、二次関数というどんぶりを式で作ってしまえば、あとは自然というプログラムにまかせてビー玉を落とせばよいのです。
これが「量子アニーリング」の基本的な考えになります。
しかし、現実には二次関数ほど単純な問題はありません。三次、五次関数でも済まない場合がほとんどです。
それを様々発見された現象を活用して、いかに現実世界に応用させるか、というのが醍醐味なのです。
量子アニーリングは「組み合わせ最適化問題」つまり「どっちにしようか迷っちゃうなあ問題」に使うことができます。
しかし応用の幅はすさまじく、「どこに組み合わせの要素が入ってんの?」みたいな問題もいっぱいあります。
「巡回セールスマン」「避難時の最適ルート構築」「RPGにおける装備」などが、具体例として挙げられます。
量子アニーリングが適用できれば、今までの計算タイムを大幅に縮めることができます。またそのことによって、現実世界への応用の幅も広がってきます。
実用まであと一歩というところまで迫ってきています。ぜひ今後に期待ですね。
当時まだ少年であった大関先生にはやりたいことがたくさんありました。
それを早い段階でひとつに絞る必要はないのです。やり方、なり方なんてものはいくらでもある。だから「やろうと思えば何でもできる」なのです。
だからといって、目標のない生活を送っても良いというわけでもありません。この話には続きがあります。
ただこれもそれもあれもとなったままでは、どれ?と結局自分のやりたいことを
見失ってしまいます。
大切なのは、自分の興味のあることを続けること。そして、自分の信念を貫くこと。
大関先生は興味のあった物理学の勉強を続けてきました。そして、自分の研究している「量子アニーリング」で社会に貢献する、という信念を貫いています。
そのための「教授」「先生」「社長」「作家」「イラストレーター」なのです。あくまでも「目的」ではなく「手段」なのです。
また、続けることも貫くことも、容易なことではありません。生半可な、「逃げ」の気持ちが入ったまま続けても何も変わることはできません。
勇気と覚悟がなければ、将来をつなぐことはできないのです。
私も将来就きたい職業がいっぱいありすぎて、決めることができていません。周りがどんどん将来なりたい職業を決めて言っている中、私は大きな不安を感じています。
今こうして考えてみると、結局未来の自分はどうでありたいのか?ということを考えることが先決なのではないかと思います。
そこから逆算していけば、自分のこれからの目標、そして達成のためのビジョンがおぼろげながらも見えてくるのではないでしょうか。
人生における目的を見つけるきっかけとして、様々な価値観にどんどん触れていきたいと思います。
「 科学者なんだよ、キミたちも。」
ラスト。
「DNAと遺伝子組換え植物」です。
お子さんがハイテンションな伊藤先生による講義でした。なんか顔とか似てる気がする。
テーマはもちろん「遺伝子組み換え」です。
そもそも、遺伝子組み換えとはなんでしょうか?
それは「ある生き物の遺伝子を他の生き物に入れること」です。まあ当然といえば当然ですよね。
では「どうやってそれを行う」のでしょうか?
それにはある一つの「バクテリア」が関わっています。
そう、「アグロバクテリウム」です。
アグロバクテリウムは自分の遺伝子の一部を入れ、遺伝子を組み換えることで、自分専用の栄養分を植物に作らせることができます。
つまりこの能力こそが、遺伝子組み換えなのです。
確かに遺伝子を「入れる」だけであれば人間にもできます。しかし、「組み換える」ことは、人間にはまだ難しいです。
今ある遺伝子組み換え植物は、人間がアグロバクテリウムに目的の遺伝子を入れ、組み換えの部分をアグロバクテリウムに任せることでできていたのです。
この技術は食品にも使われています。大豆などがその一例ですね。
ちなみに、サツマイモはアグロバクテリウムが「自然に」行った遺伝子組み換え食品だそうです。
不思議。
そして、この技術はなんとエネルギーにも活用させることができるのです。
そう、「バイオエタノール」です。
バイオエタノールは、稲わらを糖化させたものを発酵させることでできています。
しかし従来の稲では、糖化させても多い量の糖は得られませんでした。
ここで遺伝子組み換えの出番です。
糖化させるうえで弊害となるセルロースを、セルロースが脆い個体のものと組み換えします。
そうすれば、糖化させたときにより糖が出てくるようになり、結果的にエタノールの産出量が増えるのです。やったぜ。
これがさらに進めば、世界のエネルギー問題がより解決に近づきます。
バイオエタノールは化石燃料に代わることができるようになるのでしょうか。
今後の研究に注目です。
しかしこの遺伝子組み換え技術はまだ、多くの問題を抱えています。
それは「遺伝子のバグの発生」です。
万物が神によってプログラムされたものなのであれば、「遺伝子」もそのひとつだと考えられます。
つまり遺伝子組み換えとは、「プログラムの編集」と同義なのです。
しかし、神によってつくられたプログラムとは完璧なものです。
完璧なものを編集する、つまり「完璧を崩す」ことに繋がってしまいます。
ひとつ具体的な話をすると、組み換えによって入れられた遺伝子というものは、本来はいらない遺伝子なので作動しないものです。
よって、「プロモーター」という起動システムも組み込む必要が有ります。
このプロモーターが厄介で、なんと目的ではない遺伝子をも起動させてしまうのです。
望ましくない遺伝子が起動してしまった結果、植物が毒性を持ち、人間に害を与えてしまう、ということがあるのです。
それを防ぐために、例えばプロモーターを時間経過で動かなくするようにプログラムするなど、様々な工夫が進んでいます。
また、神のつくったプログラムにない生物を生み出すので、生態系の破壊も懸念されています。
これを阻止するために、遺伝子組み換え技術は法によって規制されています。
しかしこれには「人為的な」遺伝子組み換えのみが対象となり、アグロバクテリウムのような生物がやったものには適用されないのです。
そのため「アグロバクテリウムによる遺伝子組み換えも法の規制を受けるべきだ」という意見が生まれています。
その一方で「アグロバクテリウムだって自然の生き物なのだから規制する必要はない」という意見も生まれ、対立しています。
遺伝子組み換え技術はこれから多方面で活躍していくでしょう。この技術を応用すれば、社会はより発展していくでしょう。
しかし、それと同時に起こる問題についても、これからの私たちは深く考えなくてはいけません。
物事の利点だけをとらえて、問題点を考えないことは決してあってはならないと考えます。
問題点をどう分析し、いかに改善につなげるかということが、これから先重要になっていきます。
そして、「問題点を主体的に探す力」も必要になってきます。
与えられた問題を解決するだけでは、全問題の解決はできません。まだまだ問題はそこらじゅうに眠っていますからね。
そうやって問題点をひとつづつ解決していくことが、持続可能な社会への発展へとつながってくると考えます。
「文章題が与えられる立場から
文章題を探す立場への変革」
これが私たちがなすべきことであると、大関先生は教えてくれました。
遺伝子組み換えに限らず、答えのない問題というものは多く社会の中にあります。
これから社会に出る私たちは、答えのない問題と格闘していくことになります。
そのためにも、問題の解決策を考える思考力と、問題の本質をとらえる洞察力を、日ごろから鍛えていきたいと思います。
未来はすぐそこに。未来は僕らの手の中。
投稿者:青森県立青森高等学校