どうも。
青森県立青森高等学校のゲレンデがとけるほど恋したい男子代表、
新岡 昂也
(ニイオカ コウヤ) です。
冬がはじまるよ。
冬が全速力で、まるで今までの遅れを取り戻すかのようにやってきてしまいました。
雨は夜更け過ぎに、雪へと変わりました。
青森は大体、11月中旬には本格的な雪が降り始めるものですが、ことしは割と遅めで、11月後半~12月初週ぐらいでした。
ついこの前まではあったかかったのに。今では電気ストーブはともだちです。
冬というか年の瀬というか年末というか、この時期になると様々なことが忙しくなってくるのを強く感じます。地獄のミサワ状態です。あー2時間しか寝てねぇー
そのひとつとして、プロジェクト学習というものがあります。平たく言えば課題研究学習です。
そこで現在「SDGs」をテーマに活動しています。
SDGs。「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」
では、どんなことが「持続可能」なのか?
それは「行動しやすく、続けやすいこと」であると担当の先生は言っていました。
どんなに素晴らしい、完璧な解決策を練ったとしても、それをみなさんにやってもらえなければ、解決にはつながらない、ということです。
例えば、青森県の抱える問題のひとつに「短命」があります。要するに、平均寿命が他県と比べて低いことが問題視されているのです。
これを打開するために青森県では「元気!長生き!青森県!」をスローガンに様々な活動が行われています。
厚生労働省の最新のデータによると、平成27年度(2016)の平均寿命は以下の通りです。いくつかピックアップしてみました。
全国平均...男性:80.77歳 女性:87.01歳
男性1位...滋賀県:81.78歳
女性1位...長野県:87.57歳
男性47位...青森県:78.67歳
女性47位...青森県:85.93歳
だそうです。見事に青森県が(逆)1位を獲得してしまっています。
しかも、これは10年以上も前から言われていることなのです。ではなぜ解決しないのか?
それは「行動したほうがいいのはわかるけどやらない」からです。
例えば、青森では様々な「減塩レシピ」がTVなどいろんなところで紹介されています。
しかし、そうやっていちいち体に気を使って料理をするよりも、自分の食べたいものを(あまり考えずに)食べるほうが楽だし、たのしいと思う人は少なくありません。
そういう考えを持った人たちに、ただ減塩の有効性やレシピを紹介したとしても、理解はしてくれても、納得して、行動には移してくれないのです。
ではどうすればよいのか?
これまでの提案が「生物学的なアプローチ」なのだとすれば、それに加えて「心理学的なアプローチ」も行えばよいのです。
つまり「人の気持ちに寄り添った行動」の提案です。
最近流行っている「健康でいれば保険料が下がる」という「健康増進型保険」も、その一例であると考えられます。
そりゃあ、保険料でもなんでもサービスが変わらないのであれば、安いほうを選びたいというのは誰もが思うことです。
ではそれが「自分が健康になることで」そうなるのだとすれば?
日々のちょっとした努力で、安くできるのだとすれば?
保険料も安くなるし、自分は健康に過ごすことができる。
最初は保険料目当て(そんな人いるのか?)の人は、いつしか健康に過ごせることの大切さに気付き、モチベーションがさらに上がる。
最初から健康に過ごしていた人は、保険料が安くなることを追加のモチベーションとする。
消費者の気持ちに寄り添い、利用し(?)モチベーションを大きく増加させて、誰でも実行しやすく、また続けやすいような状況をつくる。
「持続可能」な行動の、良い例のひとつだと思います。
実際のところ、この商品の売り上げを私は知る由もないのですが、なかなかいいアイデアなのではないかな、と思います。
イソップ童話の「北風と太陽」にも通じるところがあるかもしれません。押してダメなら引いてみろ。
一方向からだけではなく、多方向から何かアプローチが出来ないかを考える。
そうすることで、誰もが続けやすくなり、また続けたくなるような「持続可能」に繋がってくるのです。
何か物事を進めたり、解決したりするうえで、誰かの力というものは必要不可欠です。
このアプローチも、おそらくそのために行う必要もあるのでしょう。
大きなプロジェクトになるにつれて、その人数も増えていきます。
それなのに、指示が適当だったり、無茶な内容を強制的にやらせれば、良好な関係が壊れ、誰からの力も借りることができなくなってしまいます。
いかに相手の気持ちに寄り添ったことができるか。今のうちから経験を積んでおきたいものです。
さて、卵に戻りましょう。
今回の講座は、
英語交流 サロン(留学生との語らい)
1.「ワタシとアナタのエネルギー問題~核融合炉がツナグ未来~」
2.「次世代素粒子研究施設:国際リニアコライダー(ILC)計画」
の三本立てです。
英語交流サロンは、私は諸事情により参加しませんでした。
しかし昼食からなんとなーく参加することができました。(話しただけ?)
その人は簡単に言うと、「コンピュータの物体の識別、認識」について研究しているそうです。
例えば人間であれば、机の上に置いてあるスマホを目で見て「これは自分ので、これはあいつのだ」とスマホを認識し、かつ識別もできます。
しかしコンピュータは、机の上のスマホをカメラでとらえても、「これはどれも同じ「スマホ」と呼ばれる物体で、それ以上でもそれ以下でもない」ということしか分からないのです。
技術の進歩で、この「物体」を「スマホ」であると認識できるようにはなりました。
次は「誰のスマホか」を「識別」できるようになれば良いのです。
しかし、「どこを見て判断するのか」ということをコンピュータにひとつひとつ、手作業で学習させることは、なかなか骨の折れる作業です。
そこで、その学習(ラーニング)に、AIを使って効率的に行ってしまおう、ということを研究しているそうです。
おそらくこの技術がもっと発達すれば、本質的には工場で生産された精密機械なんかに使われる部品の品質管理も、コンピュータによって、もっと楽に、効率的に、スピーディーになるのでは、と考えます。
ぜひとも実現されてほしいですね。
お昼を挟んで次の講義です。今回はソーーーーースカツ丼でした。うまーーーーーい。
さて一発目。
「ワタシとアナタのエネルギー問題~核融合炉がツナグ未来~」
です。
ユーモア精神あふれる笠田竜太先生による講義でした。
ちょくちょく(偶発的に?)息子さんの写真が出てきていました。すごい似てました。
「『核融合炉』の実用化のためには?」というのが今回のテーマ。
そもそも「核融合炉」ってなんじゃい!!!!
と思う人も多いかと思います(たぶん)
核融合炉とは簡単に言うと(簡単には言えない)、軽い原子である水素やヘリウムによる核融合によって発生するエネルギーと中性子を利用して発電する原子炉の一種です。
ガンダムやザク、グフ、ドム、アッガイ、アッグ、ゴッグ、ゾック、ズゴック、ゾゴジュアッジュなど、いろんなモビルスーツにも搭載されています。
ミノフスキー博士はすごいですね。
ちなみに、「原発」などとよく呼ばれている原子炉の正式名称は「核分裂炉」であり、これとは似て非なるものです。というか全然違います。
核融合炉を使うメリットは、
1.二酸化炭素が出ない
2.主に水素(の同位体など)を使う→海などから得られるので資源がほぼ無尽蔵
3.放射性廃棄物があまり出ない(放射化した交換する必要のある部品のみ)
4.核分裂反応のような連鎖反応が起こらないので、「暴走」が起こらず、また機能が停止したとしてもメルトダウンが起こらない
と、核分裂炉のデメリットがほぼ解決できています。もしこれが実用化されれば、各国のエネルギー問題は解決に繋がるでしょう。
しかし、まだ課題も残されています。
1.構造が複雑すぎるので、つくるのに莫大な予算がかかる
2.生み出すエネルギーが大きく、エネルギーができるときに超高温の熱が発生したり中性子が発生したりするので、いろんな部品が劣化しやすくなったり、放射性同位体となったりする(放射化)
核融合炉内ではおよそ100000000℃(1億℃)の熱を持ったプラズマが発生します。(ちなみに太陽の中心温度は1500万℃)
それを超電導磁石による磁場で閉じ込め、タングステン(もっとも熱に強い元素)で作られた壁で漏れ出てくるイオンや熱を受け流し、銅や鉄で中性子を止めてエネルギーを取り出す、という仕組みになっています。
そして発生した熱を利用してタービンを回して発電します。ここだけは他の発電法と共通しますね。
ただでさえ莫大な熱が発生するのに、これも莫大なエネルギーを秘めた中性子が動きまくります。つまり、装置自体に莫大な負担がかかってしまうことになります。
そしてその装置も、複雑な構造をしているので、莫大な費用もかかるわけです。
あとは、イメージの悪さですね。大体、原子炉って聞くと原発事故が連想されてしまうので。これもある意味デメリットだと言えます。
先生は、このことをある古語を引用して説明してくれました。
「天の時」「地の利」「人の和」
戦略というものは、この三つがそろって初めて成功する、という故事成語です。
「天の時」:タイミング
「地の利」:有利な状況
「人の和」:人との協力
もちろん、核融合炉が技術的に成立している状況でなければ(地の利)、そもそも成功させることは出来ません。
技術の進歩で、核融合炉は成熟し始め、その実用性は現実味を帯びてきています。
しかし、それはよいタイミング(天の時)なのか?
タイミングを間違え、未成熟のままで実用化することは様々な意味で危険です。
また、人々は、社会は核融合炉の実用化を求めているのか?
そして、核融合炉を実現できるのは誰なのか?
様々な人々の理解、納得、協力がなければ、成功させることは出来ません。
核融合炉は科学技術の統合体だと表現されています。つまり、すべての分野の「本質」が結集されているのです。
そのためにも、様々な人々の理解、納得、協力がなければ、成功させることは出来ません。
例えばさっきのイメージの悪さにしても、「わからない」ことが不安につながり、不安がイメージの悪さに直結するのであれば、それを解決すればよいのです。
つまり、私たちは、もっと他の人に、それも科学を知らない人にでも分かりやすく、分かるまで説明する義務があるんじゃないかな、と、ふと考えました。
大学なんかでやっているような高度な研究は、パッと簡単に説明することはほぼ不可能です。そして、その内容を瞬時に理解することも不可能です。
もしかしたら、同じ大学の、同じ研究室にいる人を相手にするならばそれで通じるので問題ないかもしれません。
しかし大きなプロジェクトの成功のためには、もっともっと多くの人の理解が必要になってきます。
むしろここを疎かにしてしまったほうが、後にいろんな悪影響が出てしまいます。
だから、わかりやすい説明は義務なのではないかと思うのです。
シンプルにまとめて説明することは、逆に長々と書くことよりもかなり難しいことであると強く感じます。
肝心かなめの部分はどこか?どこが理解してもらう上で邪魔になるか?もっと短い文でハッキリ表すには?なかなかキリがありません。大変ですね。
また、人数が多くなるほど、例えばある方針を全会一致で決めることは不可能なものになっていきます。
よって多数決になるのですが、ここでもう一つ大事になってくることがあります。
それは「多数決のアフター・ケア」です。
要するに多数は、少数の意見もある程度尊重して決定するべきだ、ということです。
まあ当たり前といえば当たり前ですよね。そうやって少数を抑圧してしまったほうが、その人達の貴重な力を借りられなくなり、かえって自分の首を絞めることに繋がってしまうからです。
また少数も、ある程度の妥協の心も持たなくてはなりません。多数の気持ちをある意味、ある程度くみ取ってあげることも必要だと思います。
この二つの本質は「相手の気持ちに寄り添う」ということです。
相手の気持ちに寄り添うことができれば、おのずとこれらは満たされると考えます。
一人で達成できないからこそ、相手と行動する必要がある。
自分と相手との間に亀裂があれば、成功させることは出来ません。
現在、「ITER」と呼ばれる核融合実験炉で様々な実験が行われてきています。
それにはアメリカ、ロシアをはじめとした国々が、政治的な葛藤も超えて、この技術を実現させるために協力してこの実験を進めています。科学のあるべき姿のひとつに思えます。
やはり科学者の卵に参加して様々な話を聞くと、共通してくるのが「協力」であると感じます。
国と国という大きなものから、自分と隣の誰かという小さなものまで。これからの私たちにはこれが求められているのだと感じます。たったひとりで出来ることなど、たかがしれています。
そのためには、他者との上手なかかわりが不可欠となってきます。
今のうちから、相手と良好な関係を築くための力を育てていきたいものです。
最後。
「次世代素粒子研究施設:国際リニアコライダー(ILC)計画」
です。カッコいい計画名ですね。
佐貫智行先生による講義でした。熱意がハンパない。
突然ですが、「サイエンス」とはなんでしょうか?
これを語源からたどっていきたいと思います。
サイエンス「science」
←scientia「知識」(ラテン語)
←scire「知る」
←scindere「切る、分ける」
つまり、サイエンスとは、「切る、分ける」ことなのです。
これが今回のテーマ。
分析すること、分けることは科学の源です。
ハンバーガーって何で出来ているか分かりますか?
まあ大体わかりますよね。パンと野菜とハンバーグ。パンは小麦粉とイースト菌と水から出来ている。
じゃあ、「水」は何で出来ているのか?まあ、水分子ですよね。
じゃあ、「水分子」は何で出来ているのか?まあ、水素原子と酸素原子ですよね。ここまではまあいいんですよ。
じゃあ、「水素原子」と「酸素原子」は何で出来ているのか?
..................?
そう、こうやって幾度となく分けることを繰り返していった果てにあるもの。
それは、あらゆるものの素となる粒子。これこそが「素粒子」なのです。
その中でも「電子」「アップクォーク」「ダウンクォーク」の3種類が主に物体を構成しています。
つまり、ハンバーガーもサンドウィッチもライスバーガーも何でも、この3種類の素粒子から出来ているのです。
しかし、どうやって構成されているのでしょうか?マッチの家を建てるにも、マッチだけで構成すればバラバラになってしまいます。
そうならないためには、接着剤を使って、マッチとマッチを繋げることで、しっかりと構成することができる。
ん?
接着剤?
じゃあ、素粒子にとっての「接着剤」とは?
それが、力を伝える粒子「ゲージ粒子」と呼ばれるものです。おもに光子、ウィークボゾン、グルーオンの3種類です。
これらが先ほどの3種類の物質を創る素粒子(アップクォークなど)と結びつき、物質が出来ているのです。
このことを通じて、あることが研究されています。
「宇宙」です。
地球は何で出来ているのか?まあ、ぶつかり合った隕石からですよね。
じゃあ、その隕石はどうやってできたのか?
じゃあ、宇宙はどうやってできたのか?
すべてのものが素粒子から出来ているのであれば、これら3つも素粒子から出来ていると考えることができます。
しかし、素粒子がわかったからといって、この広い宇宙に存在する全てが直接解明されるわけでもありません。
例として「ダークマター」や「ダークエネルギー」が挙げられます。失敗した料理もダークマター
それを直接解明して宇宙の真理に迫る(これもものすごい大事)よりも、比較的手軽(?)な方法があります。
無いものは作ればいい。
手元に宇宙がないのなら、
宇宙をつくってしまえばいい
宇宙は、ある小さなところに大きなエネルギーを集まったことがきっかけではじまっていきます。
この原理を利用すれば、私たちにも宇宙がつくれてしまうはずなのです。
ではどうするのか?
電子という素粒子と陽電子という電子と反対の性質をもつ反粒子を、超加速させて衝突させるのです。
そうすることによって、電子と陽電子はぶつかって無くなります。しかし、そこには大きなエネルギーが生まれます。
こうして宇宙ができます。(宇宙ができて素粒子ができるのか、素粒子が瞬時に構成されて宇宙になるのかはわかりませんが)
そしてこれを行うための装置(施設?)が、
「ILC(International Linear Collider)」(国際線形衝突器)なのです。ようやくタイトル回収ですね。
リニアコライダー(線形衝突器)は長い筒のような形状をしています。しかし、ただの長い筒ではありません。
その長さはなんと50㎞。仙台~山形間、私の家~十和田湖間、そしてバチカン市国14周とちょっと。すごい長さです。
そしてこのリニアコライダーの狭い空間の中に、100億個の電子を詰め込み、その塊同士を双方から衝突させます。
これが難しいのです。その難しさは1月と7月の地球の位置からピンポン玉を打ち出して正面衝突させることに匹敵します。もはや何が何だか分からなくなってきますね。
ILCもなかなか大きなプロジェクトのひとつです。これもITERと同じくたくさんの協力なしでは成功させることは出来ません。共通してくるところですね。
今回、非常に興味深い話を聞くことができました。
簡単に言うと「信念のある者同士の争い」です。
何について争っているのか?
今回の「卵」では、ふたつの、国際協力が求められる、実験施設が登場しました。
それが「ITER」と「ILC」です。
どちらも国際的プロジェクトなだけあって、二足のわらじ、なんてことはできないのです。
ITERを選べばILCは消え、ILCを選べばITERは消える。どちらもこの国にとって重要な施設、重要なプロジェクトです。まさに究極の選択。
(結局、ITERは他の国に建設されることになりましたが............)
相反するふたつの意見が出たとき、そこには少なからず争いが発生します。
しかし、争いだからといってわざわざコロニー落としからの一年戦争を始めるわけにもいきません。
平和的に解決しなければなりません。
では、何をもって「平和的解決」と言えるのか?
それは「双方の納得」が生じたときです。
研究者とは、基本的には自分の研究対象が最も価値が高いと思っている生物である、と笠田先生は教えてくれました。
そんな彼らの本音だけをぶつけ合うのみでは、いつまでたっても解決にはつながりません。
一度、相手の意見に落ち着いて耳を傾けてみる。全てはそこから始まります。
次に、相手の立場でも一度考えてみる。これもある意味、相手の気持ちに寄り添った行動であると言えます。
あとは、相手の状況をある程度くみ取ってやることも重要です。これがなければ永遠に終わりません。
また、これは研究者:研究者に限った話ではありません。研究者:市民 でも、市民:市民 でも、何にでも当てはまることです。
私たちは私たちとは違う人たちと社会生活をしています。それぞれ自分の考えや、自分の信念をもっています。
これから先、たくさんの人と出会って社会生活を送っていく上で、こうした衝突というものは避けられないものになってきます。
私たちは話し合いをしている最中、相手が自分の意見をどうしても聞き入れてくれないと、段々その相手のことを「敵」だと認識したくなってきます。
しかし、その人はおそらく敵ではありません。おそらく双方の目指していることも、その対極に位置してしまった人々の全面的な協力がなければ成功しないものだと(半ば勝手に)思います。
私も実際、あることについて議論している最中、その議論が白熱してきて、「どうしてわからないんだ」と段々ただの口喧嘩になってしまった、という経験があります。
そうではない。私たちのするべきことはただの話し合いではなく、「対話」なのです。相手の気持ちに寄り添う「対話の精神」が必要なのです。
その後、その相手とは和解、というか仲直りをしました。
今では情報だったり意見だったりを交換することで互いを高め合うことのできる、よい仲間となったと(半ば勝手に)思います。
これは、仮に私がその相手をずっと「敵」だと認識していれば、起こらなかっとことだと感じます。
本質的には、国際交流も、仲間との交流も同じものです。
そしてこれは数学などのように、「こうすればよい」という明確な答え、方法は存在しません。
私たちはこの多感な時期にこそ、相手との関わり方について深く学ぶことを通じて、自分なりの「対話の精神」を形成しようとするべきなのではないか、と私は考えます。
その積み重ねは、これからの社会、そして今後の人生において確実に役に立つものだと思います。
長い年月が経てば、人の考え方というものは大きく変わってしまいます。
事情も変わってきます。
それは当然のことであり、おかしくもなんともないことです。
しかし、この「対話の精神」だけは、ずっと変わらないでありたいものです。
投稿者:青森県立青森高等学校