東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

中間報告~多様な視点をもつ~(文:岡根史歩)

2022年11月23日 (水)

 近頃大学ではAOⅡ期の入試が行われていたようで、もう次の合格者が決まる時期かと驚いた...と言いますか、なんとも不思議な気分になりました。思わず大学生になってからの自分を振り返って、高校生の自分が思い描いていたような大学生にはなれていないと痛感しています。しかし"痛感"という言葉のチョイスも微妙です。もっと語彙力を磨かなければ。大阪のおばちゃんが飴玉を出すように、言葉をひょいと出したいものです。この講義に対する取り組み方にしても何にしても、総じて学びに対する姿勢をより良いものにします。そうしないと高校生の自分が泣いてしまいます。

 前置きが長くなりました。今回は本講義の中間報告です。

(1)ここまでの栽培において一番驚いたこと

 間引きをすると一気に成長が進むことです。仙台芭蕉菜の栽培の中で感じました。まずはこちらの写真ですが、11月5日、栽培26日目の仙台芭蕉菜の様子です。写真からわかる通り、葉は元気に成長していました。しかしまっすぐに植わっていないと言いますか、少々元気なく、直立することができない様子でした。この前にも何度か根本に土を寄せてみてはいたのですが、よろよろした様子のままでした。葉は成長し、葉同士が触れるようになってきていたため、このあと間引きを行いました。

DSC_0859.JPG4株から1株に間引き、栽培を続けました。すると、今までとは見違えるように直立し、葉のハリは強くなっていきました。特に水やりをしている際、じょうろからの水圧に動じなくなった様子を見て葉も根も強くなっていることを感じました。間引き後の仙台芭蕉菜の様子は3回目の投稿(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/11/11234146.php)をご覧ください。間引きの1週間後には写真の通りしゃっきりとしていました。

 この間、間引き以外に特別なことは何もしていなかったため、この変化は間引きによるものだと考えています。間引いたとたん成長のスピードが上がり変化していったことに、非常に驚きました。間引くという、この先のために取捨選択をする行為によって残された株が成長していく様子には、少し切なさも感じつつも、人間の成長に置き換えて考えることもできるのではないかと感じた次第です。

(2)参考になった記事

 1つ目は2020年度の受講生、小松澤亮晴さんによる記事です。小松澤さんは、野菜の観察の一つの方法として葉を触ってその感触を調べています。観察する一つの視点として面白いと感じたとともに、葉を触ることで野菜のコンディションを確かめることができる点が参考になりました。しかしながらまだ実践には移せていません。早急に取り組んでみます。

http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/11/02233621.php.

 2つ目は2021年の受講生である五十嵐大眞さんの記事です。温度の表記や天気の記入がされている点と、気になったことを自分で調べようという姿勢が参考になりました。環境の明示は教授やオガタさんや、その他記事を受け取る側のためにも大事なことだと感じました。

http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2021/2021/10/27112024.php

(3)参考になったコメント

 こちらは私の投稿に頂いたコメントです。水やりや間引き、さらに栽培環境の再現性についての内容で、直接的に観察に役立つものでした。栽培に精通していない者だと、目の前の野菜の観察に夢中になり主観的な視点から見ての栽培になってしまいますが、コメントを頂いてからは科学的な観察をするよう意識がけるようになりました。

http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/as-vegetable2022/2022/11/02233621.php

(4)双方向の講義の良かった点と悪かった点

 良かった点は、講義というものに学生側が主体的に臨むところです。学生側が時には私情や怠慢心と闘いながら自分で前に進めていく、自分から学びを得に行く仕組みは、講義を受ける場合と比べると圧倒的にやりがいや達成感を感じられていると思います。ただし人によって投稿頻度が落ちてしまうこともあり、そのことに対し催促などもないため、十分に学びを得られない状態になってしまうことがあるのは、悪かった点にあたるかと思います。また、投稿とそれに対するコメントという形式で、やり取りの頻度がどうしても下がってしまいます。記事を書いて、それからその記事に対するコメントが届く前にさまざまなことが起こっている、という状況が幾人かの受講生に起きているように思われます。これは悪かった点だと感じます。どのようにこの点を対処して進めていけばよいか、数年間この講義を開いてきてのポイントなどがあればぜひ教えていただきたいです。

(5)今後の講義に向けて

 現状として、私の主眼は"野菜を栽培してその内容を投稿する"ということに限られています。温度表示や日照時間の表示、写真にものさしも映すなどといったことを通し科学的な視点でも取り組んでいきたいと、参考になった記事・コメントをまとめる中で感じました。

 投稿の頻度は10月は非常に良くないものでしたが、11月に入ってからはまずまずの頻度でできているのではないかと思います。しかしながら投稿することが目的のようになってしまい、投稿するとき以外の野菜に対する意識はあまりもてていません。水やりをするときに様子を見て、育っているな、と感じる。ただそれだけになってしまっています。なぜこのような成長を見せているのかについて考えてみたり、ただ受け入れるのではなくてちょっとしたことでも興味をもって調べてみたりしていきたいです。私が現在育てている仙台芭蕉菜は、どうやら仙台の伝統野菜のようです。そういった野菜がもつ背景や文化的なことなど、文学部である自分自身の興味関心と結び付けていくことで、野菜を育てて様子を文章で書き表し伝えるだけでなく、さらに有意義なものにすることができると感じています。野菜を育てる。そしてブログに投稿する。そんな少し特殊で貴重な機会を得られる講義を受講しているからこそ、自分の学びをもっと大きくさせていかなければと思います。

 自分からさまざまな工夫をしたり気になったことを調べたり、双方向の授業だからこそ自分でたくさん学びを得ようという意識をもって今後もがんばります。よろしくお願いします。

コメント

文学部 岡根さん

中間発表を拝読しました。10月中の投稿が少なかったのが痛恨ですね。1回目の講義の時にどれだけ「自制心」を持ってこの講義に注力できるのか、ということをいったかと思います。また、同様のことを渡辺の記事にも記しています。そこがこの講義の「ミソ」だと思っています。自分の限られた時間資源をどこにどのように注力するのかということです。また、最後のところに今後に向けてのところに書かれているように、受講している学生さんたちの学部、興味はそれぞれ異なります。そうしたことを踏まえて、芭蕉菜が仙台伝統野菜であれば、その背景などを文学的な観点から記すというのはおもしろいチャレンジかと思います。図書館に書籍があるかどうか、調べたことはないですが、アブラナ科植物を題材とした文理融合の書籍を渡辺も記しています。参考になれば読んでみてください。

自制心、主体性ということを求めているのは、高校までは「生徒」といわれます。一方で、大学生になると「学生」です。英語では区別なく、「students」でしょうか。この漢字2文字に興味深いコメントをくれた先生がいました。渡辺が学生の頃。生徒は「徒に生きる」ということに対して、学生は「生きることを学ぶ」と。高校生と大学生の間に違いがあるのだと。今は大学の講義は授業と言われていますが、渡辺の頃は講義でした。その先生曰く、授業は「生業を授ける」、どうやって生活するのかという基礎を教えてくれる。それに対して講義は「義とは何かを講ずる」と。正義など「義」がつく言葉は多いかと思います。ここでも両者の違いを話してくれていました。高校でももちろん、主体的な取組はあったかと思いますが、それ以上に何をすべきかself-controlができる人になってほしいと思っています。

適切な時期にコメントがもどってこないということを気にされていました。こちらの対応が適切でないというのは否めません。ただ、受講生の方も、植物の生長がおかしい、どうしたらよいのかというようなときは、1週間に1回出なくて投稿してほしいですね。主体性を持って。そうすると、双方向性は高まるのではないでしょうか。

間引きをすることで大きくなるという、植物の不思議に気がついたのはよいことです。これまでの受講生も色々な角度から観察して、色々な気づきを得ています。栽培している植物をどのように活用することで岡根さん自身が進歩するのか、そんなことを是非、考えて見て下さい。そうした投稿が後半戦に多くなることを楽しみにしています。

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わたなべしるす