東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

2015年度海外調査 雲南調査②(2015.06.28)

2015年7月14日 (火)

628日(日)昆明:曇り 元陽:晴れ

600起床。日本との時差は1時間だが、日の出はかなり遅い。700朝食。米粉を使った麺「米線」をいただく。


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805ホテルを出て元陽へ向かう。途中の個旧の手前まで高速道路が伸びており、左右にカルスト地形を眺めながら9時過ぎには石林を通過、10時過ぎにはブドウ畑の拡がる弥勒県に入った。赤い土と緑の畑が続き、所々に見える高々とした白銀の枝葉はユーカリとのこと。葉からオイルを採取し、日本にも輸出しているのだそうである。いま日本で人気のユーカリ・アロマオイルがそれであろう。11時頃開元の街に入ったところで、警察のパスポート・チェックを受ける。のんびりと車窓の風景を眺めていたのだったが、国境地帯であることを思い知らされた。高速は開元までで、この先は一般道となる。イスラム教の信者が多い沙甸を過ぎ、ちょうど12時頃に個旧に到着して、清真(ムスリムの)レストランで昼食をとった。レストランでは数種類のアブラナ科の野菜が食材として提供されていたこともあり、佐藤先生は日本から持参された「べったら漬」や「切り干し大根」を店主にみてもらい、こうした加工食はないかと聞き取り調査をされていた。「べったら漬」は初めてだったようで、味はどうなのかなど、逆にあれこれ質問をされていたようである。またおろし金を使って、生の大根をすりおろす料理法はないかとの質問には、これも見たことがないとのことであった。

 13時、個旧の街を出発して元陽へ向かう。道中棚田の風景が見えてきたところで、いちど車を止めて写真を撮らせてもらった。段々に連なる耕地をよくよく見てみると、一番下は蓮池、中段部分は水田、山頂に近いところはバナナの畑になっていた。佐藤先生のお話では、昔は水田の棚田であったものが、経済効率のよい果樹や野菜などの畑に次々と変わってきており、このため平水面を必要とする棚田が急速に消失しているとのこと。


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1345トイレ休憩。道端に果物を販売する露店が並ぶ。モンキーバナナ2ふさ(約1キロ)7元(170円)、手のひら大のマンゴー1個1元(25円)、蘭州在住の田さんが驚くほどの安値で、しかも品が良い。道中のおやつに、少し買い入れた。車は、昼食をとった個旧から山間の登り下りを繰り返しており、棚田を撮影した場所は涼しいくらいだったが、露店が並ぶ場所は立っているだけで頭から汗が噴き出す蒸し暑さであった。この高低差と多様な気候こそが雲南独特の風土なのだと実感する。

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1515元陽到着。世界遺産区域に入る際、1180元(約4000円)の入場料を事務所に支払う。事務所から、入り口の箐口村までは車で15分ほどである。民族衣装を着た女の人たちが巷街のあちこちで洗い物やら染色やらの手作業をしていた。放し飼いのニワトリの親子がわらわらと足元を駆けまわる中、ひよこを踏まないよう用心しながら村をぬけ、棚田の拡がる山谷へと足を進めた。

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 途中、農作業中の方に話を聞くことができた。写真の家屋は農作業用の仮小屋で、夜は泥棒除けのために番犬と一緒に泊まりこむこともあるらしい。作業小屋のまわりには、サトイモ・トウガラシ・ナス・ダイコン・トウモロコシ・大豆等の野菜畑もあり、地味の豊かさが感じられた。水田では主に在来の赤米を作っているとのことで、収穫量は決して多くはないが、土地に合った種であり、代々作り続けているそうである。畦にはドクダミやウツボグサ、ヨモギ・コブナグサなど、日本でもなじみの深い野草が見られた。

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山道を歩きながら足元をみると、畦脇の所々に1メートル大ほどの水溜りがある。水牛の水飲み場らしく、おおきな蹄の跡が無数に残されていた。山間部での農作業で機械も入れられず、よって昔ながらの水牛耕作が続けられているのである。この先で出会った水牛は、やはり大きく、立派な角を重そうにしながら、もさりもさりと草を食んでいた。


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 棚田の途中には湧水があり、棚田大のため池が作られて、そこから各水田に水が引かれている。ため池ではカモやガンが飼われていて、糞などは有機肥料としてそのまま下の稲田に流れ込む仕組みであるらしい。このほか水碓小屋や水磨小屋なども見学した。

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箐口村に戻り民俗博物館の中の農具等の展示をみた後、日没まで少し時間があるということで、棚田全体が見渡せる唄達という所に行くことにした。箐口村から車で15分ほどと近く、二か所の展望台も作られている。天気もよく、夕日を受けて青々と影を伸ばす棚田を遠くまで望むことができた。下から上まで何段くらいあるのだろう?ということになり、鳥山先生が数えておられたが、200段は下らないだろうとのことであった。この地域の棚田は、治水の役割も果たしているため、年中水を張っておかなければならず、いったんその手が止まれば三年とたたずに田は土砂で埋まる。この風景が人の手で代々作られ続け、維持され続けて千年余、と考えると気の遠くなるような眺めである。

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 山に陽が落ちると急に気温が下がりはじめた。1945に唄達を出て、元陽旧市街にある宿泊先の雲梯大酒店に到着したのは20時半であった。ホテルのレストランで遅めの夕食をとって解散。




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