東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

2015年7月の記事です。

2015年度海外調査 雲南調査④(2015.06.30)

2015年7月19日 (日)

雲南調査記④
630日(火)昆明:晴れ

 700朝食、830フロント集合、出発。鳥山先生と佐藤先生は、8時頃に雲南農業大学へ向かわれ、江川は田さんたちと雲南省博物館へ。途中かなりひどい渋滞にあい、省博に着いたのは9時半少し前であった。入館料は他の国内の国立・省立博物館と同様に無料、ただし身分証明書(外国人の場合はパスポート)が必要である。いちど館を出ると同日中の再入場は不可とのこと。雲南省博物館は、今年5月18日に郊外の新館に移転開業したばかりで、旧館の面影はまったくない。1階は絵画美術と企画展(当日は「金色中国―中国古代金器大展―」が開催されていた)、2階は先史時代・青銅器時代・有史~魏晋南北朝時代までの雲南の考古文物、3階は南詔・大理時代以降の考古文物と雲南陶磁器が展示されている。

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3階で目を引いたのは、南詔・大理時代の仏教文物の数々である。金堂仏・水晶仏・各種仏具・梵文磚などが多数展示されていた。ただ、いずれの展示品も、由来が説明されていない。伝世品であるにせよ、どこにどのように伝わったものかがわからなければ、歴史資料としての価値を欠くことになる。また、石碑の展示もあるにはあったが、粗悪な模造品が置かれるのみで、真拓すら掲げられていないのは残念であった。

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陶磁器の展示室には、日本の常滑によく似た建水陶磁や、染付の一種で明代以後に出現する青花陶磁に加えて、南詔・大理時代の火葬罐が並んでいた。火葬罐とは、火葬された遺骨を納める高さ5060㎝ほどの壺のことである。中国では、唐代に西域からの渡来僧に対して火葬が行われることはあったが、祖父母父母から受け継いだ身体を焼却するという行為が伝統的な「孝」の観念に反するということで、在家仏教信徒の間に火葬が慣習化されることはなかった。しかし雲南一帯では、かつて南詔・大理時代に国を挙げて仏教が尊崇され、また密教の影響もあって、火葬の風習が民間に拡がり清代まで続いた。華北に比べて木材を入手しやすかったことも要因の一つであろう。このため、こんにち省下の各地から歴代のさまざまな火葬罐が出土しているのである。

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1253年、モンゴルのフビライ軍が大理国を滅ぼし、その約20年をかけて雲南各地の少数民族部落をモンゴルの支配下に組み入れていった。以後、元・明・清・民国時代を通して、中央から派遣された宣慰使司などの流官による統治に加え、在地部落の酋長を土司と呼ばれる地方官に任命することにより、各地域の諸民族統治が行われた。展示室にはこれら雲南土司に関わる、印章・文書・銀牌なども多数並べられている。また少数民族文字に関する希少な史料のほか、古い民族衣装・織物・染色や、銀・玉石・竹・牙角工芸などの展示もあった。

2階では、はじめに原人~旧石器・新石器時代の考古遺物を見学した。雲南は、陝西省の藍田人(約115110万年前)、北京市の北京人(約5025万年前)より古い、元謀人(約170万年前)の化石が見つかっており、人類史においても貴重な資料の宝庫となっている。とくに近年の開発に伴い、新石器時代の遺跡が多く見つかっているようで、永平新光遺跡(大理州永平県県城東、40003700年前)、石佛洞遺跡(耿馬県石佛洞)、大墩子遺跡(元謀県大墩子)から発掘された魚網・骨器・石器・陶器などのほか、木炭・竹炭や炭化米も展示されていた。

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有史以後では、滇国時代の銅鼓・貯貝器や玉衣・馬具・画像磚が多く展示されていた。また農業関係では、中原の出土品にも時々みかける水田模型(呈貢大営出土。後漢時代)があった。非常に精巧にできていて、下写真の、向かって右が水田、左がため池になっているが、両者には流水口があり、ため池から水田に水が流れ込む構造が表現されている。ため池のほうには、鴨・蛙・魚・蓮なども造形されていて、一昨日元陽でみた風景のミニチュアをみているようであった。

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1345博物館見学終了。田さんと外で昼食をとり、1430に博物館を出発してホテルに向かった。1450市内の官南菜市場を調査。午後の遅い時間であったため、すでに閑散としていたが、一軒の店棚の前で、雲南に来てから一番長い白菜を見つけた。


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1515ホテルに戻ると、すでに鳥山先生・佐藤先生も雲南農業大学から戻られており、夕涼みついでにホテル近くの青果の露店市を散歩することにした。すでに多くの露店が野菜や果物を並べている。仏手柑や造形瓜などの珍しい品も見られ、色とりどりの野菜や果物が並ぶさまは、さながら青果の見本市のようであった。

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1715ホテルに戻り休憩。1815ホテル敷地内の雲南料理店へ。雲南農業大学の李成雲先生と、雲南省農業科学院の和江明先生をお招きして夕食会。雲南省内の米の在来種のことや、白菜の発祥地が陝西省白水県蕓台郷といわれていることなどをうかがう。なお、陝西省白水県蕓台郷は、偶然にも田さんの故郷であった。21時半ホテルに戻り、解散。

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2015年度海外調査 雲南調査③(2015.06.29)

2015年7月18日 (土)

雲南調査記③

629日(月)元陽:晴れ 昆明:曇り 

日の出は6時半頃と遅めであった。窓の外を眺めていると、坂の街に少しずつ光が差してくる。元陽は山上に位置する旧市街と、山を下りた谷沿いに新たに作られた新市街とがあり、行政機関や会社などは新市街に移されたが、住民の多くは気温・湿度ともに高く住み心地の悪い新市街を嫌い、狭くても気候の良い旧市街に住み続けているそうである。実際に6月末のこの時期、谷底の新市街と、山上の旧市街とでは、まるで別世界のように感じられた。7時に朝食、昨日棚田でみた赤米で作られた米線をいただく。色は赤みがかった灰色で、平打ち麺なので丸い中国箸を使っても滑らない。


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730、ホテル近くの朝市を見学に行く。既に売る人買う人でごった返しており、足元にはとれたての野菜や魚が並ぶ。人々の民族衣装も色とりどりなら、並んだ野菜もさまざまである。見たことのないものも多く、名前や食べ方聞きたくとも言葉が通じない。中国の他の市場では肉類や穀類・乾物も多いが、元陽の朝市では9割近くが野菜・果物を売る店舗であった。

アブラナ科の野菜では、ダイコン・カリフラワー・菜花・菜心・白菜(大きさや長さなど数種類)・キャベツ・葉キャベツ・青菜・水菜などがあった。水菜の生産はまだ日本だけだと思っていたので驚いた。アブラナ科野菜は高原で作られるものが多いが、元陽の市場でみられた種類の豊富さは高地ならではだろう。

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帰りに米穀店ものぞいてみた。元陽で生産された長粒の赤米や香米も売られてはいるが、東北地方で作られた短粒米も多かった。元陽の香米は1斤(500グラム)で5元(約120円)ほどと決して安くはなく、日本の米価とそう変わらない値段であった。

ホテルに戻って荷物をまとめ、845出発。1000昨日来るときに通った果物の露店街で休憩、田さんにジャックフルーツ(1個約550円)をごちそうになる。甘くておいしいが、食後は口回りにスプレー糊を撒いたような感じになり、水で洗ってもとれない。中国ではジャックフルーツの種も、生を栗のように湯がいて食用にするほか、干したものがナッツ類と並んで売られていたりする。30分ほど休んで出発、1200に昼食をとり、1310出発。高速道路に入り、15時すぎに通海市内に入った。

1515に通海金山蔬菜批発(卸売)市場見学。通海一帯は雲南でも有数の野菜生産地で、近隣で生産された各種の野菜がこの卸売市場に集められ、洗浄・整形されたのち各地に出荷されていく。種子や野菜苗、農薬・肥料の販売店も並ぶ。市場内は午後でやや閑散としてはいたが、それでも所々で30人~50人ほどのグループが、スティックセロリやネギ・キャベツ・白菜などの洗浄・整形作業を行っていた。これもアブラナ科のコールラビをトラックに積み込んでいる人たちがいたので話をきいてみたところ、ここから貴州省へ運ぶのだという。直径15センチ前後と、日本で栽培されているものよりかなり大きい。


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1550出発。途中、甘酒の販売所で休憩をとる。甘酒は中国語で「甜白酒」という。近くにには10軒以上の甘酒専門店が軒を連ねており、長粒のもち米を使った甜白酒は、この地域の名産であるらしい。店内には、赤米を使ったものやナツメを入れたものなど、甘味と酸味のかなり強い自家製の各種甘酒がならぶ。

1645頃、道沿いの農地を見学。ブドウやトウモロコシ畑・稲田の間に、大豆・トウガラシ・キャベツ・チンゲンサイ・青菜・白菜・ナス・いんげん・フェンネル等の野菜が植えられている。畦にはこぼれ咲きのアブラナも見られた。畑に植えられていた白菜は、手のひらほどしかない超小型の「娃娃菜」で、元陽の朝市でも大型の白菜はほとんど見かけなかったことを思い出した。中国でも、料理店で使われる大型のものと、一般家庭用の小型のものとに、品種が二分されているのだろう。


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1710出発、研和から高速道路に入り昆明へ。19時頃ホテルに到着し、敷地内にある地元料理のお店で夕食をとる。雲南は野菜料理が中心で、味付けもあっさりしているので、日本人にはありがたい。食事のあと、飲料水などを買いに出て、2045ホテルに戻り解散。









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2015年度 雲南調査備忘録(5) 「よく見かける白菜の置物」

2015年7月16日 (木)

 通海は野菜の産地と聞き、金山蔬菜批発(卸売)市場を見学した。ネギ・スティックセロリ・キャベツ・白菜・コールラビなどの選別作業と出荷を行っていた。市場の種子店・農薬店で白菜の置物が置いてあった。Hakusai Okimono.jpg空港や市内の売店でも、白菜の玉細工をよく見かけた。中国人はどうして白菜の玉細工を好んでつくるのか、西北農林科技大学で質問したところ、「白菜」には「百財」「遇(玉)百財」という意味があり、また玉には長寿の意味がある。さらに「菜」には「才」の意味もあるため、たいへん縁起が良い。との答えであった。確かに写真の台座に「財」の字が見える。アブラナの領域融合的研究も「白菜」にあやかりたい。

(鳥山欽哉・佐藤雅志・江川式部)

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2015年度 雲南調査備忘録(4) 「大根の漬け物」

2015年7月16日 (木)

日本から米麹を使った「大根のべったら漬け」と「干し大根」を持参して、イネの起源地であるとも言われてきた雲南で「大根の漬け物への米糠や米麹の利用」について聞き取り調査した。

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昆明から元陽の途中に昼食に立ち寄った個旧の食堂のおばさんからは、「干し大根」はみたことあるが、「大根のべったら漬け」はみたことないとの回答を得た。亜熱帯地域ではあるが標高1700メートルを超える元陽の青口村の広場で会った農夫からは、大根を薄切りや細かく切ってから半乾燥状態にして、塩、砂糖、山椒、トウガラシをまぶして漬け物を作るとの回答を得た。一方、棚田で作業をしていた農夫からは、「干し大根」は冬場の食材として作ること、「べったら漬け」のような大根の米麹漬けを作っているとの回答を得た。彼は「ミャオ族は糯米の発酵したものを用いて大根を漬ける。ミャオ族は日本人の祖先だからね」とも言っていた。

元陽の朝市では日本に劣らない立派な大根が露天に並んでいた。

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また、元陽から昆明への帰り道で立ち寄った通海近郊のみやげもの屋では「甘酒」が特産品として売られていた。「米糠」や「米麹」などの、発酵物を利用した大根の漬け物が雲南の少数民族で食べられてきたことがうかがわれた。聞き取り調査の件数が少ないため検証が必要であるが、興味深い情報であった。

(佐藤雅志・鳥山欽哉)


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2015年度 雲南調査備忘録(3) 「元陽のハニ族のタネ屋も一代雑種(F1ハイブリッド)のハクサイを販売」

2015年7月16日 (木)

元陽の朝市で、少数民族ハニ族の人がハクサイなどの種子を販売していた。棚田で有名な伝統的農業を維持してきたハニ族の村では古い在来種が見られるのではないかと期待していた。しかし、ほとんどの袋のラベルに「一代雑交」「一代良種」の文字が見える。いわゆるF1種子である。収量が多く揃いの良いF1品種が普及するにつれ、在来種が消えていくのかと思うと、在来種の系統保存をする必要性を強く感じた。

(鳥山欽哉・佐藤雅志)

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