東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

「江川式部」の記事一覧です。

2015年度海外調査 雲南調査⑤(2015.07.01)

2015年8月 9日 (日)

雲南調査記⑤

71日(水)曇り

700朝食。800ロビー集合、出発。昆明市街を北へ向かい、途中雲南農業大学の正門前を通る。昆明植物園は昆明市の北の郊外、雲南農業大学に近い黒龍潭にある。850昆明植物園(正式名称は中国科学院昆明植物園)到着。入園料は西園10元、駐車料金5元で、西園の西門から園内に入ると、すぐに青紫色のセージの花壇が目に入った。創建は民国時代の1938年である。現在の総面積は44平方キロメートル、樹木園・杜鵑(シャクナゲ)園・木蘭(モクレン)園・茶花(ツバキ・茶)園・単子葉植物区・百草区・裸子植物区・薔薇区・温室群・珍稀瀕危(希少)植物遷地保護区などがある。


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百草園は、日本各地にも同名の薬草園があるように、そのむかし神農氏が百草を鞭打って初めて医薬を作ったという故事(『捜神記』)に由来をもつ。ここ昆明植物園の百草園には、神農本草区・滇南本草区のような古本草書に基づいて薬草を集めた区画や、民族薬用区のような少数民族の間で伝統的に使われてきた薬草を集めた区画など、さまざまな区画がある。雲南特産の、三七、冬虫夏草、金鉄鎖、淮山薬(山薬は山芋のこと)、芍薬をまとめた草区には、現在こうした貴重な薬草が乱獲により絶滅が危惧される状態にあること、それゆえ保護の必要性が高いことを記したプレートもあった。産地でのこのような状況は、雲南市内の漢方薬剤を扱う店舗の多さからも推測はできるが、中国における生薬の需要拡大のなかで、山間部その他の生育地を保護していくことは極めて困難だろうと思われた。

1020西園を出て東園へ。東園は西園に隣接しているが、園区が異なるため、車で移動した。入園料は両園別料金となっており、東園は5元である。東園の創園は1938年で西園より古く、岩石園・山茶(ツバキ)園・水景園がある。岩石園・水景色園には雲南に生育する多くの竹が集められており、人口池にはスイレンの花が咲いていた。また山茶園には、ツバキ・サザンカ・チャなどの中国各地のツバキ科の希少種が多数植えられている。写真はちょうど開花していた広東原産の「杜鵑紅山茶」。


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東園には、雲南植物学の大家であった蔡希陶(19111981)の碑と、生誕100年を記念して、201012月に植樹された雲南山茶花「獅子頭」がある。蔡希陶は浙江東陽の生まれで、上海華東大学を卒業後、民国21年(1932)に雲南に入り、10万種類を超える植物標本を集めた。1938年に雲南農林植物研究所(現在の中国科学院昆明植物研究所)を設立し、1958年には中国で初めての熱帯植物園となる中国科学院西双版納熱帯植物園を建設、その第一期の園長となった人物である。雲南におけるタバコとゴムの生産拡大にも貢献した。中国では現在、タバコの生産はすべて国家が行っているとのこと。

東園にはまた、天然石に刻された郭沫若の詞碑がある(上写真)。1961年に中国科学院主任院長として、昆明植物研究所を視察した際に作成された題詞である。内容は以下のとおり。

 

奇花異卉、有色」有香、怡神悦目、」作衣代粮、調和」気候、美化風光、」

要従地上、建築」天堂                      ※ 」は改行

 

1105見学終了、昆明空港へ向かう。

≪終≫






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2015年度海外調査 雲南調査④(2015.06.30)

2015年7月19日 (日)

雲南調査記④
630日(火)昆明:晴れ

 700朝食、830フロント集合、出発。鳥山先生と佐藤先生は、8時頃に雲南農業大学へ向かわれ、江川は田さんたちと雲南省博物館へ。途中かなりひどい渋滞にあい、省博に着いたのは9時半少し前であった。入館料は他の国内の国立・省立博物館と同様に無料、ただし身分証明書(外国人の場合はパスポート)が必要である。いちど館を出ると同日中の再入場は不可とのこと。雲南省博物館は、今年5月18日に郊外の新館に移転開業したばかりで、旧館の面影はまったくない。1階は絵画美術と企画展(当日は「金色中国―中国古代金器大展―」が開催されていた)、2階は先史時代・青銅器時代・有史~魏晋南北朝時代までの雲南の考古文物、3階は南詔・大理時代以降の考古文物と雲南陶磁器が展示されている。

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3階で目を引いたのは、南詔・大理時代の仏教文物の数々である。金堂仏・水晶仏・各種仏具・梵文磚などが多数展示されていた。ただ、いずれの展示品も、由来が説明されていない。伝世品であるにせよ、どこにどのように伝わったものかがわからなければ、歴史資料としての価値を欠くことになる。また、石碑の展示もあるにはあったが、粗悪な模造品が置かれるのみで、真拓すら掲げられていないのは残念であった。

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陶磁器の展示室には、日本の常滑によく似た建水陶磁や、染付の一種で明代以後に出現する青花陶磁に加えて、南詔・大理時代の火葬罐が並んでいた。火葬罐とは、火葬された遺骨を納める高さ5060㎝ほどの壺のことである。中国では、唐代に西域からの渡来僧に対して火葬が行われることはあったが、祖父母父母から受け継いだ身体を焼却するという行為が伝統的な「孝」の観念に反するということで、在家仏教信徒の間に火葬が慣習化されることはなかった。しかし雲南一帯では、かつて南詔・大理時代に国を挙げて仏教が尊崇され、また密教の影響もあって、火葬の風習が民間に拡がり清代まで続いた。華北に比べて木材を入手しやすかったことも要因の一つであろう。このため、こんにち省下の各地から歴代のさまざまな火葬罐が出土しているのである。

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1253年、モンゴルのフビライ軍が大理国を滅ぼし、その約20年をかけて雲南各地の少数民族部落をモンゴルの支配下に組み入れていった。以後、元・明・清・民国時代を通して、中央から派遣された宣慰使司などの流官による統治に加え、在地部落の酋長を土司と呼ばれる地方官に任命することにより、各地域の諸民族統治が行われた。展示室にはこれら雲南土司に関わる、印章・文書・銀牌なども多数並べられている。また少数民族文字に関する希少な史料のほか、古い民族衣装・織物・染色や、銀・玉石・竹・牙角工芸などの展示もあった。

2階では、はじめに原人~旧石器・新石器時代の考古遺物を見学した。雲南は、陝西省の藍田人(約115110万年前)、北京市の北京人(約5025万年前)より古い、元謀人(約170万年前)の化石が見つかっており、人類史においても貴重な資料の宝庫となっている。とくに近年の開発に伴い、新石器時代の遺跡が多く見つかっているようで、永平新光遺跡(大理州永平県県城東、40003700年前)、石佛洞遺跡(耿馬県石佛洞)、大墩子遺跡(元謀県大墩子)から発掘された魚網・骨器・石器・陶器などのほか、木炭・竹炭や炭化米も展示されていた。

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有史以後では、滇国時代の銅鼓・貯貝器や玉衣・馬具・画像磚が多く展示されていた。また農業関係では、中原の出土品にも時々みかける水田模型(呈貢大営出土。後漢時代)があった。非常に精巧にできていて、下写真の、向かって右が水田、左がため池になっているが、両者には流水口があり、ため池から水田に水が流れ込む構造が表現されている。ため池のほうには、鴨・蛙・魚・蓮なども造形されていて、一昨日元陽でみた風景のミニチュアをみているようであった。

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1345博物館見学終了。田さんと外で昼食をとり、1430に博物館を出発してホテルに向かった。1450市内の官南菜市場を調査。午後の遅い時間であったため、すでに閑散としていたが、一軒の店棚の前で、雲南に来てから一番長い白菜を見つけた。


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1515ホテルに戻ると、すでに鳥山先生・佐藤先生も雲南農業大学から戻られており、夕涼みついでにホテル近くの青果の露店市を散歩することにした。すでに多くの露店が野菜や果物を並べている。仏手柑や造形瓜などの珍しい品も見られ、色とりどりの野菜や果物が並ぶさまは、さながら青果の見本市のようであった。

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1715ホテルに戻り休憩。1815ホテル敷地内の雲南料理店へ。雲南農業大学の李成雲先生と、雲南省農業科学院の和江明先生をお招きして夕食会。雲南省内の米の在来種のことや、白菜の発祥地が陝西省白水県蕓台郷といわれていることなどをうかがう。なお、陝西省白水県蕓台郷は、偶然にも田さんの故郷であった。21時半ホテルに戻り、解散。

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2015年度海外調査 雲南調査③(2015.06.29)

2015年7月18日 (土)

雲南調査記③

629日(月)元陽:晴れ 昆明:曇り 

日の出は6時半頃と遅めであった。窓の外を眺めていると、坂の街に少しずつ光が差してくる。元陽は山上に位置する旧市街と、山を下りた谷沿いに新たに作られた新市街とがあり、行政機関や会社などは新市街に移されたが、住民の多くは気温・湿度ともに高く住み心地の悪い新市街を嫌い、狭くても気候の良い旧市街に住み続けているそうである。実際に6月末のこの時期、谷底の新市街と、山上の旧市街とでは、まるで別世界のように感じられた。7時に朝食、昨日棚田でみた赤米で作られた米線をいただく。色は赤みがかった灰色で、平打ち麺なので丸い中国箸を使っても滑らない。


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730、ホテル近くの朝市を見学に行く。既に売る人買う人でごった返しており、足元にはとれたての野菜や魚が並ぶ。人々の民族衣装も色とりどりなら、並んだ野菜もさまざまである。見たことのないものも多く、名前や食べ方聞きたくとも言葉が通じない。中国の他の市場では肉類や穀類・乾物も多いが、元陽の朝市では9割近くが野菜・果物を売る店舗であった。

アブラナ科の野菜では、ダイコン・カリフラワー・菜花・菜心・白菜(大きさや長さなど数種類)・キャベツ・葉キャベツ・青菜・水菜などがあった。水菜の生産はまだ日本だけだと思っていたので驚いた。アブラナ科野菜は高原で作られるものが多いが、元陽の市場でみられた種類の豊富さは高地ならではだろう。

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帰りに米穀店ものぞいてみた。元陽で生産された長粒の赤米や香米も売られてはいるが、東北地方で作られた短粒米も多かった。元陽の香米は1斤(500グラム)で5元(約120円)ほどと決して安くはなく、日本の米価とそう変わらない値段であった。

ホテルに戻って荷物をまとめ、845出発。1000昨日来るときに通った果物の露店街で休憩、田さんにジャックフルーツ(1個約550円)をごちそうになる。甘くておいしいが、食後は口回りにスプレー糊を撒いたような感じになり、水で洗ってもとれない。中国ではジャックフルーツの種も、生を栗のように湯がいて食用にするほか、干したものがナッツ類と並んで売られていたりする。30分ほど休んで出発、1200に昼食をとり、1310出発。高速道路に入り、15時すぎに通海市内に入った。

1515に通海金山蔬菜批発(卸売)市場見学。通海一帯は雲南でも有数の野菜生産地で、近隣で生産された各種の野菜がこの卸売市場に集められ、洗浄・整形されたのち各地に出荷されていく。種子や野菜苗、農薬・肥料の販売店も並ぶ。市場内は午後でやや閑散としてはいたが、それでも所々で30人~50人ほどのグループが、スティックセロリやネギ・キャベツ・白菜などの洗浄・整形作業を行っていた。これもアブラナ科のコールラビをトラックに積み込んでいる人たちがいたので話をきいてみたところ、ここから貴州省へ運ぶのだという。直径15センチ前後と、日本で栽培されているものよりかなり大きい。


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1550出発。途中、甘酒の販売所で休憩をとる。甘酒は中国語で「甜白酒」という。近くにには10軒以上の甘酒専門店が軒を連ねており、長粒のもち米を使った甜白酒は、この地域の名産であるらしい。店内には、赤米を使ったものやナツメを入れたものなど、甘味と酸味のかなり強い自家製の各種甘酒がならぶ。

1645頃、道沿いの農地を見学。ブドウやトウモロコシ畑・稲田の間に、大豆・トウガラシ・キャベツ・チンゲンサイ・青菜・白菜・ナス・いんげん・フェンネル等の野菜が植えられている。畦にはこぼれ咲きのアブラナも見られた。畑に植えられていた白菜は、手のひらほどしかない超小型の「娃娃菜」で、元陽の朝市でも大型の白菜はほとんど見かけなかったことを思い出した。中国でも、料理店で使われる大型のものと、一般家庭用の小型のものとに、品種が二分されているのだろう。


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1710出発、研和から高速道路に入り昆明へ。19時頃ホテルに到着し、敷地内にある地元料理のお店で夕食をとる。雲南は野菜料理が中心で、味付けもあっさりしているので、日本人にはありがたい。食事のあと、飲料水などを買いに出て、2045ホテルに戻り解散。









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2015年度海外調査 雲南調査②(2015.06.28)

2015年7月14日 (火)

628日(日)昆明:曇り 元陽:晴れ

600起床。日本との時差は1時間だが、日の出はかなり遅い。700朝食。米粉を使った麺「米線」をいただく。


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805ホテルを出て元陽へ向かう。途中の個旧の手前まで高速道路が伸びており、左右にカルスト地形を眺めながら9時過ぎには石林を通過、10時過ぎにはブドウ畑の拡がる弥勒県に入った。赤い土と緑の畑が続き、所々に見える高々とした白銀の枝葉はユーカリとのこと。葉からオイルを採取し、日本にも輸出しているのだそうである。いま日本で人気のユーカリ・アロマオイルがそれであろう。11時頃開元の街に入ったところで、警察のパスポート・チェックを受ける。のんびりと車窓の風景を眺めていたのだったが、国境地帯であることを思い知らされた。高速は開元までで、この先は一般道となる。イスラム教の信者が多い沙甸を過ぎ、ちょうど12時頃に個旧に到着して、清真(ムスリムの)レストランで昼食をとった。レストランでは数種類のアブラナ科の野菜が食材として提供されていたこともあり、佐藤先生は日本から持参された「べったら漬」や「切り干し大根」を店主にみてもらい、こうした加工食はないかと聞き取り調査をされていた。「べったら漬」は初めてだったようで、味はどうなのかなど、逆にあれこれ質問をされていたようである。またおろし金を使って、生の大根をすりおろす料理法はないかとの質問には、これも見たことがないとのことであった。

 13時、個旧の街を出発して元陽へ向かう。道中棚田の風景が見えてきたところで、いちど車を止めて写真を撮らせてもらった。段々に連なる耕地をよくよく見てみると、一番下は蓮池、中段部分は水田、山頂に近いところはバナナの畑になっていた。佐藤先生のお話では、昔は水田の棚田であったものが、経済効率のよい果樹や野菜などの畑に次々と変わってきており、このため平水面を必要とする棚田が急速に消失しているとのこと。


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1345トイレ休憩。道端に果物を販売する露店が並ぶ。モンキーバナナ2ふさ(約1キロ)7元(170円)、手のひら大のマンゴー1個1元(25円)、蘭州在住の田さんが驚くほどの安値で、しかも品が良い。道中のおやつに、少し買い入れた。車は、昼食をとった個旧から山間の登り下りを繰り返しており、棚田を撮影した場所は涼しいくらいだったが、露店が並ぶ場所は立っているだけで頭から汗が噴き出す蒸し暑さであった。この高低差と多様な気候こそが雲南独特の風土なのだと実感する。

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1515元陽到着。世界遺産区域に入る際、1180元(約4000円)の入場料を事務所に支払う。事務所から、入り口の箐口村までは車で15分ほどである。民族衣装を着た女の人たちが巷街のあちこちで洗い物やら染色やらの手作業をしていた。放し飼いのニワトリの親子がわらわらと足元を駆けまわる中、ひよこを踏まないよう用心しながら村をぬけ、棚田の拡がる山谷へと足を進めた。

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 途中、農作業中の方に話を聞くことができた。写真の家屋は農作業用の仮小屋で、夜は泥棒除けのために番犬と一緒に泊まりこむこともあるらしい。作業小屋のまわりには、サトイモ・トウガラシ・ナス・ダイコン・トウモロコシ・大豆等の野菜畑もあり、地味の豊かさが感じられた。水田では主に在来の赤米を作っているとのことで、収穫量は決して多くはないが、土地に合った種であり、代々作り続けているそうである。畦にはドクダミやウツボグサ、ヨモギ・コブナグサなど、日本でもなじみの深い野草が見られた。

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山道を歩きながら足元をみると、畦脇の所々に1メートル大ほどの水溜りがある。水牛の水飲み場らしく、おおきな蹄の跡が無数に残されていた。山間部での農作業で機械も入れられず、よって昔ながらの水牛耕作が続けられているのである。この先で出会った水牛は、やはり大きく、立派な角を重そうにしながら、もさりもさりと草を食んでいた。


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 棚田の途中には湧水があり、棚田大のため池が作られて、そこから各水田に水が引かれている。ため池ではカモやガンが飼われていて、糞などは有機肥料としてそのまま下の稲田に流れ込む仕組みであるらしい。このほか水碓小屋や水磨小屋なども見学した。

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