こんにちは。山形県立米沢興譲館高校の鈴木悠世です。今回は4回目の講座について振り返っていきます。4回目の講座は大学生の先輩方をパネリストとしたパネルディスカッションと渡辺先生による自家不和合性についての講義の二本立てでした。
パネルディスカッションでは、大学生の先輩方をパネリストとして様々な問いに対する意見や考えを聴くことができました。そのひとつひとつが深いもので、僕自身も深く考えるいい機会になりました。その中で特に印象的だったものを取り上げていきます。
まずはコミュニケーションについてです。 「Google翻訳などの翻訳機能が向上してきているため、英語の勉強をしなくてもいいのではないか。」という問いに対する意見で、「英語に関してだけでなく、他言語を学ぶのはツールとして使う為だけでなく、相手の国やコミュニティに興味・関心があるのだという意思表示をする為だ。」という意見がとても納得しました。僕が通う高校は、台湾の高校との交流があります。もちろん会話のほとんどは英語ですが、挨拶や些細な言葉掛けは台湾語を使っています。この小さな気遣いや相手の国の言葉で意思伝達しようとする思いが友好的な交流を生み出しているのだと気付きました。
次に研究についてです。「大学の研究と高校の研究の違い」という題の話が派生していった時に大学生の先輩の1人がおっしゃった「研究は誰かや何かの犠牲の上に成り立っているもので、だからこそ研究者はその犠牲を社会に還元しよう努力しているのだ」という意見が心に残っています。僕自身は今研究をしているのですが、研究を始めるときに1番重視したのは、自分の研究が何の役に立つのかという点です。しかし、そのときはサンプルに生物を扱うことについて深く考えず、研究の有効性のみにフォーカスを当てていました。そのため、今回お聞きした意見を自分のこととして受け入れ、もう一度その犠牲の面にも目を向けて研究を続けていきたいと思います。
最後に幸せについてです。ディスカッションの中でもわかるように幸せの定義は人それぞれなうえ、人の欲は更なる幸せを求めます。そのため、今までもこれからも全ての人が幸せになることは不可能でしょう。しかし、これは幸せになることをに受け身になっているからではないでしょうか。インターネットの普及や移動の合理化、バリアフリーの取り組みによって外部から提供される幸福は多くなりました。もちろんこの幸せも大切ですし、科学技術によって生み出された幸せの1つと言えます。しかし、僕達はこの幸せに対して受け身になっており、当たり前のものとして生活しています。この生活が決して当たり前ではなく、科学技術が土台となっていること、そして、それによって生み出された新たな人間同士の関わりの大切さに気づいていくことが、合理化が進む現代社会でより多くの人が幸せを感じるために大事なことだと思います。
渡辺先生の講義では、高等植物の自家不和合性について学ぶことができました。植物はそれぞれの環境に合わせて、それぞれの種の保存方法を確立していることを深く理解できました。自家不和合性は、植物が持つ自他識別機構の性質の1つで、奇形を生む確立を下げ、安定した種の保存を可能にする為の技術であるということを知りました。しかし、植物が老化したり、環境が急変したりした時には、種の保存の為なら自家和合性になるということはとても興味深かったです。変えられない環境なら、自身を変えるという植物の進化に感銘を受けました。ヒーローの出現についての研究や、リンゴの接木についてのお話など、自分が知らない世界が多く、また1つ視野を広げることができたと思います。
今後も様々な学問に触れたり、様々な立場の人々の意見を聴くことで、自分の視野を広げ、自分の価値観を確立させていきたいです。
投稿者:山形県立米沢興譲館高等学校