仙台二華高等学校1年、佐藤雄大です。第五回講座の感想を書きたいと思います。
フリースを羽織り、13年使っても未だに迷う仙台駅を抜け、改札を通ってからどちらの道を選べばいいのか未だに分からない青葉山駅を抜け、枯れ葉を踏みながら工学部への坂を上り、第5回卵が始まりました。
第二回英語サロンは、第一回よりもグループの人数が少なく、始まる前の雑談も留学生との会話も、他人任せにしていると盛り上がらない環境だ、と思いました。自分はよくしゃべるので前回とあまり変わりは無かったのですが、何も考えず話すゆえに、敬語を使わずに話した後で相手が先輩と発覚する、という事態は今回も発生してしまいました。あの気まずさといったらありません。そして英語サロンが始まり、やってきたのはOh! Manuel! 前回と同じマヌエルさんでした。んっ、待てよ。前回と同じ自己紹介をしてもしょうがない。前回は数学、特にトポロジーが好きということをアピールした。今回は何を。そう考えて、今回は整数好き、素数好きをアピールしました。やはり素因数分解の一意性や素数に関する未解決問題はロマンにあふれています。数学好きアピールだけは外せません。
今回は、前回と違って「留学生が何を研究しているか聞く」というテーマがありました。マヌエルさんは、がん細胞の分裂時の染色体の動きを研究しているそうです。がんの発生する場所によって染色体の動きに違いはあまりないようですが、胃がんは健康な細胞の分裂時の動きに似ている、という話が面白く、また不思議だと感じました。 今回の英語サロンでは、前回よりもスムーズに会話することができ、机の上では得られないものを強く感じました。
いつものようにセンターの特等席に陣取り、一つ目の講義、「自然を正しく理解する-やってみても分からない-」が始まりました。そこでは、僕の中の「常識」「確信」がガラガラと崩れ、「思い込み」に過ぎなかったことを衝撃とともに知らされました。「人は無意識に光は上から差すものと思い込んでいるので、たこ焼きの鉄板の写真を180度回転させるとくぼみが出っ張って見える」という話で、ふつう光は上から差すということに初めて気がつきました。たしかに、光が下から差すのは野外活動で懐中電灯の光を顔の下から当てて遊ぶときくらいでしょう。カンやビンの分別、また、放射能の拡散についても僕たちは激しい「思い込み」を持っています。二週間ほど前、福島原発事故での風評被害対策として、韓国や台湾のブロガーなどを招き船上で生のカキを食べてもらうというイベントが催されたというニュースを見ました。「福島の食べ物は汚染されている」という思い込みのもとに、どれだけの安全な食品が捨てられ、どれだけの人が泣いたのでしょう。思い込みは、ときに残酷でさえあります。また、教科書でさえ間違っていることもあるのです。数学に話をおいても、たとえば「三角形の内角の和は180°」「凸多面体のオイラー数(頂点の数-辺の数+面の数)は2」などは、本当なのでしょうか?実際に、球面上の三角形の内角の和は180°以上になります。一般化に、曲率が正のときは180度より大きく、曲率が負のときには180度より小さくなります。また、オイラー数についても、(貫通している)穴の数が0個の場合は凸多面体でなくてもオイラー数は2になります。穴の数(種数)がnの場合、一般にオイラー数は2-2nとなるのです。なぜ教科書は中途半端なところで議論を終えてしまったのでしょう...?(当日のレポートの問題3であまり書けなかったからだとかそういう理由ではないのですが長めに書いてしまいました...)
ここで、太陽、月、地球の関係について、月は地球の衛星ではない、ということは分かったのですが、だとすると月はどのような軌跡を描くのだろうと、復習している間に疑問を抱きました。インターネットによると、地球-月を連惑星系と見たときその重心は地球の中心から月側に4624kmのところにあり、地球-月連惑星系の経路はその重心が規定するそうです。太陽と月の間の重力は地球と月の間の重力の約2倍であること、また、月は約30日を最短周期として満ち欠けすることから、配付資料の「THE TRUE MOTION OF THE MOON」にあるような、地球の軌道と12回交わる、太陽に関して常に凸な曲線が月の軌道であると考えました。 今回の講義で、灯台もと暗し、自分の持つ固定観念に気づくということの難しさを実感しました。「見てきたことや聞いたこと 今まで覚えた全部」は、もしかしたら「でたらめ」なのかもしれません...。定量的にものごとを理解する、そのために疑ってかかる、そのために関心を持つ、ということが大事だと感じました。
二時間目は、がん、病理学についての講義でした。僕は医師のなかでも臨床医になりたいと思っていて、そちらは「病気を知り治療を行う、そして患者さんと接する」、病理学は「病気の原因を解明する」という違いがあります。言うなれば、明確に分けることはできないにしても病理学は「病気を『わかる』ための科学」、医師は「病気を『知り』治療する技術」を学ぶのだと思います。しかし、治療とは関わらないにしても、病気を知っているだけで全く分かってはいない、そんな状態で手術室に向かうのはあまりにばかばかしいです。かけ算の意味は知らないが「くくはちじゅういち」だけは覚えているのと同じように感じます。そのため科学を学ぶ必要があるのだと思っています。がんの進行、転移にはさまざまな遺伝子の異常や変異が関わっているということは今日初めて知り、マヌエルさんの専門分野の話とも関わっているのか!と感動しました。
今回の卵で、机の上にはないもの、人と接しなければ得られないもの、写真を見ても分からないもの、気付かないものを感じました。定量的な理解によって、世界は全く違った色で見えてきます。自分の想像する、思い込みの上に建てられた世界とは全く違う世界が、箱庭の外には広がっているのです。頭を固くして机にがっちりと向き合うよりも、口笛を吹いて散歩することが、意外にも箱庭から出る階段なのかもしれません。
余談)10月21日に科学の甲子園宮城チャレンジ2017に参加してきました!問題等について書くことはできないのですが、仲間と協力し一つのことに必死で取り組むということの楽しさを知ることができました!
投稿者:宮城県仙台二華高等学校