東北大学・探求型「科学者の卵養成講座」(グローバルサイエンスキャンパス協定事業))

東北大学・探求型「科学者の卵養成講座」(グローバルサイエンスキャンパス協定事業)

平成30年度 活動ブログ

平成30年度 活動ブログ養成講座の活動を記録しています

2018.09.19

介入する事

こんにちは。立教女学院高等学校の金子悠夏です。1ヵ月ぶりの科学者の卵であったあの日は、期末試験2日前......。正直ぶっ倒れそうでした。もうそろそろ会場内も賑わってくると思いきや、休み時間も始まる前も驚くほどの沈黙。普段大声を上げて笑いながら喋る自分には不慣れな場所で、場違い感がありました。もっと仲良くなりたいな〜!交流系のイベント楽しみです!!

さて、前半のパネルディスカッションの中で気になったことを少し。
まず、英語についてです。"日常生活の中で必要な英語力ではなく、相手に意欲を示すための英語力"が大切というのが、とても心に響きました。その考えは今まで全くなく、ただ「英語なんて滅びてしまえ!」と常にいいながら勉強していたので、意思を伝えるためのものと考えると俄然勉強をしないといけないという気持ちが湧いてきました。
正直、先程述べたように英語なんて滅びてしまえ!論でいうと「世界中同じ言葉なら良かったのにな」と私はいつも考えていました。ですが、違う言語だからこそ、お互いを理解しようとする努力が生まれて、協力関係になれるのかなと思いました。言語って凄いですね。

次に、私が驚いたのは「みんな高校の時点で化学部だとかに入ってんの?!」ということです。ダラダラと吹奏楽を続けてはや7年目。学校にある化学部なんて存在すら知らないレベルでした。やっぱり頭いい理系の人はそういう部活に入っているのかな......と思いました。変える気はないんですけどね。
部活から学ぶことは沢山あるから、なるべく続けた方がいい、という言葉を胸において、色々なことを学びたいなと思っています。
この科学者の卵で仲良くなった人も、化学部やら何やらに入っていたりして、やっぱすごいなって思います尊敬してます


さて、後半の講義についてです。
教授からの質問が沢山ある中、生物がどうも苦手な私は何もわからず、唖然としたまま意識を集中させることだけに気を置いていました。自家不和合性?花粉管が伸びる?ナニソレワカンナイって感じでした。まあ皆さんはそんなことないんでしょうけどね〜(苦笑)
いや、知ってはいるんです。一応授業でやった(はず?)ので。でもそれが何に繋がるかが分からない!

つい最近読んだ本にはこうありました。「生物に介入することは出来ない。介入する事で起こることは計り知れない。人はただ、この生物がどのようなものなのかをただ述べることしか出来ない。してはならない。」とありました。確かにそうだな、と思いました。

今回の講義でも、そうだと思いました。決して生物学が限られているものだと言ってる訳ではありません。ただ、生物について述べる時には人間には被害が分からないことをしながら実験し、結果を述べる。そうしないと行けないのです。一回実験で細胞をいくら殺しているかも分かりませんしね。
そう考えると、生物の実験は怖いなと思いました。やはり、そこを恐ることでただ述べることしか出来ない状態になるのでしょうね。
この難しさが私には合わない!生物わからない!



今回は精神と肉体どちらもやられながらの回だったので、ブログもなんだかふわふわしてしまった...。次回はもっと楽しみたいなと思っております......。この講座に出る度に、自分がどれだけ何もやっていないか、脳が働いていないかを思い知らされます。

そういえば余談なのですが東北の人はみんな歩く速さがあまりにも早くて驚きなんですが、いくら早歩きしても追いつきませんどうしてですか。それとも東京民が遅い......??
毎回あの坂道で10人くらいに抜かされてる気がします。ではまた。

see you again!!

投稿者:立教女学院高等学校 |個別ページ

2018.09.19

第四回講座を終えて

仙台青陵中等教育学校2年の小川祐奈です。少し遅くなりましたが、定期テストも無事終了したので改めて振り返っていきます。投稿しようしようと思いつつなかなかできず、今回が初めての投稿となります。以前の講座についても追い追い投稿していきたいと思います! 今回の企画は京都大学の大学生さんとのパネルディスカッションと渡辺先生の講義の2つでした。 パネルディスカッションのテーマは「キミの現在と未来、そして、科学者を語ろう!!」で、これらはいま科学者を目指している私にとってとても面白く、役に立つものでした。 大学、大学院は大学受験を控えている私にとってまだ想像のつかないものです。私は漠然と大学に行ったら何をするのか考えていましたが、ほとんどのパネラーの方々が大学、大学院は自由で高校とは全く違うとおっしゃっていました。私が何をしたいのかというのをしっかりと考えていないと大学生活はすぐ過ぎてしまうので、大学に行ってからの短い期間を将来にしっかり活かせるよう、今のうちにビジョンを持つことが大切だと思いました。 また、私は高校で運動部に入っており、研究活動を行ったことはありません。そのためなかなか大学での研究の詳しいところが想像できませんが、研究内容を講義で聞いたり、資料を頂いたりしながら自分が興味を持て、世の中に役立つような研究ができればいいなと思っています。 今回のテーマの中で最も大きいものは科学は社会・世界を幸せにするか?だと思います。4人の方々の意見を聞いて、どのような研究を行っているかによって世界を見ている切り口が異なり、全ての意見に共感できました。私は、科学は社会・世界を幸せにできると思います。なぜなら、やりたいと思ったことをできる社会が出来上がったからです。科学の進歩の原動力はやはり当時できなかったなにかをやりたいというところから来ていると思っていて、それが出来上がってきているというのは素晴らしいことだしそれによって出来ることがもっと広がっていくと思います。 渡邉先生の講義は高等植物の''自家不和合性"についてでした。私は今まで自家不和合性という言葉を聞いたことがなかったのですが、同じ植物という括りの中でも何種類もの受粉システムがあり、それは自分たちが進化する中で最も有利な方法を取ってきたからだということを知りました。植物の"彼氏"と"彼女"は結ばれるべくして結ばれていたんですね...!! 生物という科目を学んでいくにつれて、生きているもの全てが存在しているシステムは様々ですがすべてそれぞれの個体に利益になるようになっている、そんな"進化"は素晴らしいなと毎回思わせてくれます。もっとたくさん学びたいと思わせてくれる奥深い世界を少しでもいいから多く知りたいと思っています。 科学者の卵に参加してみて、なにを将来したいのかというリアルなものを掴むことができました。まだ講義に参加するという受け身な形でしか活動できていませんが、より多くのことを得られるように生かしていきたいです。 最後に...1番印象に残ったのは地震などの災害を研究なさっている学生さんのお話で、その研究には災害を経験した方々の傷に触れることも多く、周りから心無い言葉をかけられることもあったそうですが、災害で命を落とす人がいなくなってほしいという強い思いで行っているそうです。自分も強い意志を持って世の中に還元できるような研究を行いたいと改めて思ったし、研究者さんたちの見えないところでの努力で私たちの生活が成り立っているのだなと思ってそれを、もっと世の中に伝えていきたいなと思いました。 次回の分野は自分のかなり興味のあるところなので楽しみにしています。また多くのことを吸収したいと思っています!長文ご覧いただきありがとうございました。

投稿者:仙台市立仙台青陵中等教育学校 |個別ページ

2018.09.09

第四回講座「京都大学コラボ企画・パネルディスカッション及び講義」

 こんにちは。岩手県立盛岡第一高等学校の金澤青空です。今までと同様に簡潔にまとめようと思うのですが、今回はなかなか厳しいところです。なぜか?今回は京大生の方々と会えるということで、東北大学に行く前からとても興奮していました。それで、書きたいことが膨大な量になってしまいそうなのです。なぜ、そんなにも興奮していたのか?それは今回のこのブログを読み進めて行く中で明らかになることでしょう。

 

 前回と今回の科学者の卵は1ヶ月の期間があり、「みんな、お久しぶり。」という感じでした。そのため、今回の講座では1ヶ月ぶりに科学の刺激を受けることができました。地元の岩手(盛岡)だと、科学に興味のある人(いわゆる科学オタク)は数えるくらいいるのですが、自分のような物理屋さんの卵(いわゆる物理オタク)はクラスの中はもちろん、学校の中を捜索しても発見できないのです。自分で自分のことを物理オタクと言っている点はともかく、自分と話の合う人が近くいないことはほぼ確実であり、それはとても寂しいものです。自分にとって最大の刺激となるのは物理学だ、と断言できます。それゆえに、日常で他人と会話をしていて刺激を感じることはほとんどありません。しかしながら、月一回の科学者の卵の講座があることによって、自分は科学への意欲を高い状態で保つことができるのです。

 

 自分の話で一段落も埋めてしまいました。さて、今回は「京大生と東北大生によるパネルディスカッション」と「講義」の二段階で行われました。京都大学と聞いて興奮していた自分は京大生の方は複数人いらっしゃると予想していたので、一人だと知った時は少々残念に思いました。しかしながら、パネルディスカッションをしていた四人の方々のみならず、東北大学の先生方からも自分にとって有益な情報を得ることができたと思います。例えば、自分が最も印象に残ったこととして、自分の予想以上に大学は自由すぎるということです。大学が自由ということは前々から知っていたのですが、それでも時間割は自分の好きなようにできるということぐらいの自由だと思っていました。自由すぎるがゆえに自分には少々懸念していることがあります。それは友人関係です。なぜなら、自由すぎるとかえってクラス内での交流があまりなくなってしまうのではないかと思うからです。ただでさえ、声が小さく、人間にとって最も聞き取りにくい周波数の声を出しているような自分ですから、いわゆるコミュニケーションというものがなかなかスムーズにならず、仲の良い友人とでもよく自分の言ったことを聞き返されるものです。それならば、今のうちに友人をちょっとずつ作っていけばいいのではないか、と思うかもしれません。自分が通っている盛岡一高は多くの東北大学合格者を出しています。もし、自分が東北大学を目指していれば学校内で多くの友人を作ろうとするでしょう。しかしながら、これは"もしも"の話です。自分の志望大学についてここで明言すると、自分は京都大学に入学を志望しています。ですから、将来は西日本で過ごすかもしれないわけです。まあ、東北大学に行くにしても友人を作ることに専念できるくらいの余裕はありませんが。

 

 前半のパネルディスカッションで「科学は社会・世界を幸せにするか」ということが中心として議論が展開されました。この問いは中々単純に「〇〇だ。」と答えることができません。なぜか?それは「幸せ」という言葉があまりにも抽象的すぎるからだと思います。例えば、「科学は我々人類に多くの知識をもたらすか」という問いに対してはほとんどに人が「はい」と賛成の意を表すと考えられます。しかし、抽象的なゆえにその議論は白熱したものになりやすいです。この段落ではこの問いに対しての自分の意見をまとめようと思います。まず、自分のこの問いに対しての回答は「科学は社会や世界を幸せにすることに役に立つ」です。本来、この問いの表現からして回答は"yes" or "no"ですが、そのように明確に回答できる問いではないと思います。今回のパネルディスカッションの四人の方の中であれば、京都大学の井上さんに最も近い意見だと考えます。つまり、「科学」だけでは社会や世界を幸せにするのはとても難しく、実現できるものではない、ということです。ディスカッション中では政治が科学以外に必要なものの一つとしてあげられました。自分は、科学の真反対にあると言える"文学"や"芸術"も社会や世界を幸せにするために必要だと思います。なぜなら、それらは我々の精神状態を操作できるものであるからです。それらを上手く用いれば幸せをもたらすことができるでしょう。そのような意見とは反対であった東北大学の徳永さんでしたが、自分は徳永さんの意見が最も印象に残りました。それは「科学は社会・世界を幸せにするが、幸せにはならない」という趣旨の意見です。言い換えると、「科学を用いれば我々はより幸せに近づくことができるが、決してその"幸せと幸せでない状態の境界線"は越えることができない」ということです。自分はこの時「カオス理論」という言葉を思い出しました。詳しくはまだ知らないのですが、「未来は、現在のことが正確にかつ複雑に絡み合って生み出されるものであるから、完璧に予想することは不可能である」といった内容だったと思います。徳永さんも「幸せというものは様々な条件が複雑に絡み合って生み出されるものであるから、完全に幸せになることはできない」と考えたのでしょう。では、徳永さんはなぜこのように考えたでしょうか?自分なりに考えてみると、その理由として、我々は科学が発達すると同時に「幸せのレベル」が上がるからだ、と思いました。竪穴住居で幸せな人がいることから「幸せのレベル」というのは人それぞれによって異なると考察できます。自分は以上のことから、社会や世界を幸せにする方法の一つとして次のようなことを結論付けました。「我々人類の幸せの基準を下げることによって社会・世界は幸せになる」と。

 

 パネルディスカッション全体で自分が思ったことをまとめると、「やはり科学を語り合うのはとても楽しい!」ということです。科学はある意味、人類という船を歴史という大海原の中でどう動くかを左右する舵のような存在です。今回のディスカッションでも話題になりましたが、科学者の責任をいうものはかなり大きなものであると思います。自分も将来は科学者と名乗って生きていこうと思っている身ですから、責任を持った行動を心がけたいものだ、と改めて思いました。

 

 後半は渡辺教授による講義でした。自分の感想を簡潔にいうと「身近な内容だけど、様々なことが絡み合って複雑だなあ」という感じです。生物を習っている中でよく思うことの一つとして、植物が動物のように思考して行動(反応)しているように見える、ということが挙げられます。今回の講義中での花粉管が伸びる映像を見ていても感じました。何かしらの化学反応が起こっているのだろうとは予想しましたが、地球で初めての生物が誕生した時から考えると、かなり複雑ではないか、と思いました。生物学の基礎中の基礎を学んでいるような自分ですから、根拠がほぼ自分の直感に委ねられているのですが、人間を含めた動物の身体の仕組みというものはかなり複雑ではないでしょうか?40億年という年月がかかっているというのは十分理解していますが、単細胞という単純な構造の生物からどのような経過を辿れば現在の生物の身体の仕組みが出来上がるのか、自分には想像し難いです。

 

 以上が第四回講座で考えたことのまとめです。想定していたよりは短くまとまったようです。次回の第五回講座では倫理教育というものがあるようです。中々面白そうです。今までの講座から学び、今回の講座を頭の中で整理し、次回の講座に対して期待を持ちます。この科学者の卵の講座の中で最も大切なことは、講義中に何も疑問を持たない状態に陥らないことです。第五回講座でも様々なことを思考していこうと思った第四回講座でした。

投稿者:岩手県立盛岡第一高等学校 |個別ページ

2018.09.09

~孵化への道~第4回講座を終えて

初めまして。宮城県仙台二華高等学校1年の早川美衣(はやかわみい)です。早くも第4回講座が終了しました。毎回興味深いテーマで楽しく参加させていただいています。東北大学青葉山キャンパスに行くのもだいぶ慣れてきました。ブログを書くのは人生初めてで少し出遅れてしまいましたが第4回の講義について書きたいと思います。

今回は2つのテーマがあり、まず1つ目は京都大学コラボ企画・パネルディスカッション「キミの現在と未来、そして、科学を語ろう‼」についてです。4名の方の5つの話題について聴講しました。どれも興味深いものばかりでした。特に「翻訳機能が発達している現在、英語を学ぶ意味があるのか」という話題については深く考えさせられました。私は中学2年生が終わる春休みにシンガポールへ短期のホームステイに行きました。3歳から英会話を習っていたもののホームステイは初めてだったので、何度もつまづきながら会話をしているうちに、私は「伝えようとする心」の大切さを実感しました。パネルディスカッションでもあったように、会話をしようとする意欲が大切なのです。確かに翻訳ソフトなどを使えば正確に会話をできるかもしれません。しかし、例え正確な英語ではなくても伝えようと努力をすれば、外国の方と心からの交流ができることを体験しました。また、「科学は社会・世界を幸せにするか?」という話題も深く考えさせられました。科学は誰かを幸せにすれば、他の誰かが傷つく。科学は個人を幸せにしても、世界を幸せにするのは難しいという意見に納得しました。誰かの幸せの裏では誰かが傷ついているということを忘れないようにしなければいけないと思いました。

次に2つ目の「進化論を唱えたダーウィンも注目した高等植物の自家不和合性」~花粉と雌しべの細胞間コミュニケーションとその分子機構~についてです。今まで考えていたこと以上により深くまで考え、どれも面白いものばかりでした。特に興味を持ったのは、チャールズ・ダーウィンがマルバアサガオで発見した「ヒーロー」という現象です。なぜ途中までは自殖弱勢が現れるのに6世代目で他殖個体より大きくなるのか不思議に思いました。他殖性の植物が自殖へ適応できると知り、生命の強さを感じました。

最後に、講義をしてくださった先生方や関係者の方々、ありがとうございました。この科学者の卵を通して、多くの他校の方々との交流も楽しみの1つにしています。次回の講座も楽しみです。

投稿者:宮城県仙台二華高等学校 |個別ページ

2018.09.09

卵の殻、四破り目。

岩手県立花巻北高等学校1年の佐久間結菜(さくまゆうな)です。 科学者の卵第4回に参加しました。今回は、京都大学とのコラボ企画 パネルディスカッション「キミの現在と未来、そして、科学を語ろう!!」と、講義「進化論を唱えたダーウィンも注目した高等植物の自家不和合性~花粉と雌しべの細胞感コミュニケーションとその分子機構~」東北大学大学院生命科学研究科植物分子育種分野 渡辺正夫(農学博士) という内容でした。 パネルディスカッションでは、5つの話題に沿ってのディスカッションを聴講しました。中でも「科学は社会・世界を幸せにするか?」というテーマについては、幸せにする派と幸せにしない派で別れてとても興味深かいものでした。特に幸せにしない派の新家さんの意見の中で、「全ての人が幸せになることは不可能である」という意見に共感しました。私の意見としては、「幸せの基準は人それぞれだから一概には言えないけれど、幸せにする」と思っていました。なぜなら、我々が今の時代を生きていられるのは科学で食べ物が作れて、家が作れて、薬が作れて、電気が作れて...出来ているからで、それがなければ「今」に生きている私たちは対応力に欠け、もう死んでしまっていると思うからです。しかし、この新家さんの意見を聞いて、ある組織に対して幸せなことは、そのほかの組織には幸せでないことが多々ある、そしてそれは必然的であるから、全員が全員幸せになるのは不可能だという意見に納得しました。それに対しては、バランスが必要で幸せの度合いを1箇所に集中させてしまうと、不平等になるので、いかに多くの人を傷つけない世界を形成するかが大切だと思いました。そのためには、一人ひとりの幸せはそれぞれだからそれらが認められる「多様性」の世界が必要だということも分かりました。 講義では、自家不和合性について学びました。自家不和合性とは植物における自他識別機構のことで、自己の花粉では受精に至らず、非自己の花粉で受精を成立させる現象のことと知りました。なぜ自家不和合性なのかというと、近しい間柄で交配することによって、劣性の要素が溜まっていき、例えばキャベツだとするとサイズが小さくなってしまったり、雄しべがなくなってしまうなど、後世に悪影響を及ぼすことになるからでした。しかし、常に自家不和合性を発揮する訳ではなくて、例えば、『カラスが一粒だけブロッコリーの種をつまんで、森の中に落としたら、そのブロッコリーは一粒だけになる。しかし自家不和合性をずっと発揮したままだったらそこで息絶えて子孫は残せない。そこで息絶えるよりかは、自分の花粉でもと思って受粉をしてしまう。』らしいのです。結局は、生き物であり、危険に陥りそうなときは、生きることを優先するのは植物も人間も変わらないのだということに改めて気付かされた瞬間でした。そして、生き物ってやっぱり面白いなと思いました。そして、講義の最後の方に、リンゴの品種改良についてのお話を頂きました。教授の素朴な問いかけに会場が静まり返りました。「カエルの精子と卵子から受精卵が出来て、やがてカエルになる。じゃあ、ふじのリンゴに王林の花粉を受粉させて出来たリンゴは『何』?」カエルの話から言うと、受精卵にあたるのが種子です。じゃあ、果実は??.....母親(ふじ)のからだです。だから、王林の花粉を与えても所詮ふじのリンゴなのです。腑に落ちた瞬間で、今日いち気持ちがよかった瞬間でした。日頃から行われている品種改良や接ぎ木にこんなに知らないことが利用されているのだなと思いました。

投稿者:岩手県立花巻北高等学校 |個別ページ

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