東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

3/11(金)、14:46から今日まで、その3(3/20)。

2011年3月20日 (日)

 3/12(土)、朝の出勤時間も忘れました。さほど、寒くなかったような。地震の被害がテレビで報告され、被害の大きさがどれほどのものか、わかってきました。あり得ない大きさであることがわかってきて、現実が何なのか、わからない、そんな朝だったような気がします。

 その日あたりか、前日の夜あたりから、仙台で翌週の土曜日、3/19-21で開催される、植物生理学会がどうなるかということの対応に追われていました。今考えれば、仙台空港は、この秋頃まで復興ができない、東北新幹線の那須塩原-盛岡間の復旧にはめどが立っていません。今日現在。もちろん、町の中での食事もほとんど不可能です。明らかに開催は不可能でした。でも、そんなことも状況がわからず、対応に追われていたのを思い出します。この電話で、携帯の電池がなくなり、研究室のノートパソコンの電池から、携帯に充電をしていました。あの充電がなければ、本当に、どこにも連絡ができない、陸の孤島になるところでした。ノートパソコンに電池を置いてくれていた学生さんたちに感謝です。

 それから、3/10-11にかけて、4月からPDとして、研究室に来て頂く方(お名前はまた、後日に。。)が、いらしていました。10日お会いして、先の学会のことなどに対応していて、PDの方がどうなったのかなど、頭から抜けていました。朝、現在のlabの方から、近くの小学校に被災していることを伺い、急ぎ、迎えに行ったのを思い出します。もちろん、きてもらったからといって、何か特別なものが、研究室にあるわけでもないわけですが。。。遠くから来てもらい、一晩ではあったかもしれないですが、つらい思いをさせたことは申し訳なく思っております。遠く離れた場所での被災、考えただけでも。。。

 この日あたりから、津波被害のテレビが流れるとともに、福島原発のことも注視されるようになり、「メルトダウン」というのが、あたまをよぎったのを思い出します。電気はいつ来るのか、水はいつ来るのか、大学の中での炊き出しのようなことは、いつ終わるのか。トンネルの中からいつ抜け出すのか。

 そういえば、炊き出しでは、いくつかの研究室の方々にお世話になりました。おいしいカレーも頂いたような気がします。ありがとうございました。人捜しで空腹も忘れていたような状態でしたので。そんな炊き出しを必死でやっていた方々を踏みにじるようなことがあったのも事実でした。あの状態で必死で生きることを考えている学生さんたちに対して、きわめて失礼極まりないと。。。。というより、情けなかったです。。。。

 午後からは、町中で携帯などの充電ができるというので、パソコンの充電をして、Internet上にある情報をとるようになりました。もちろん、大学のweb, mail serverは落ちているので、別の通信手段を使いました。それのおかげで、テレビ以外の情報もわかるようになりました。

 その日の夜の寒さは厳しく、ガラス室の暖房用にあったストーブを持ち込み、暖をとりました。それがあることに気がついてくれたスタッフの方、感謝の限りです。その日の帰りも、23:00すぎだったような。。

 3/13(日)、さすがに疲れ果てていて、昼過ぎにlabに電気が来たという連絡をもらいました。一方で、日本植物生理学会の仙台年会を中止にするということを、会頭に連絡することが、ポイントになってきました。あわせて、地震当日の15:00すぎに、4月から、東北大・農学部に入学が決まっている高校生と面接することを思い出し、無事にその高校生は帰ったのか、。。日中は研究室の少し歩く場所が確保できる程度に、片付けを始めました。多くの院生の方に手伝ってもらいました。ありがとうございました。疲れていたと思います。にもかかわらず。。。研究室はめちゃくちゃといいましたが、実験台は、天井のコンクリートに固定していたにもかかわらず、振り回され、元の場所とは、違う場所に。丸2日と待った冷凍庫のサンプル、低温室もぐちゃぐちゃ。蛍光顕微鏡、in situ hybridizationの機械など、多くのものが落下していました。ガラスもたくさん割れていました。とても片付ける意欲がわくようなものではありません。。。。

 夕方には寒くなり、早めに戻ってもらったような気がします。そのあたりから、電気、水道が自宅に来はじめたような気がします。ガスはプロパンガスは、使えたようですが、都市ガスは、もちろん停止。今でも復旧のめどが立たないそうです。

 その日の片付けのあと、思い出した、高校生の自宅を探しに、。真っ暗な中で、数人のヒトに助けてもらい、避難所などを訪ねて、自宅に無事、当時仕えられたことを伺い、涙が止まりませんでした。ずいぶん遠いところだったので。つらい思いをして、大変なところに戻ったのだと。心配をさせてしまったと。4月から、大学生ですが、いつ大学が始めることができるかわかりませんが、研究室の復旧後には、ぜひ、また、お手伝いのアルバイトに来てもらえれば、幸いです。

 今日はこのあたりにします。


 わたなべしるす

 PS. 今日は、スタッフの方のところが、all電化というお宅ということで、お湯を頂きました。ありがとうございました。それから、亡くなられた方々に追悼の意を込めて、頭を丸めました。亡くなられた方々に黙祷したいと思います。(黙祷)

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