東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

2011年3月の記事です。

3/11(金)、14:46から今日まで、その4(3/23)。

2011年3月23日 (水)

 その3を書いてから、あれこれあって、続きがかけなくなっていました。3/14(月)には、大学本部からの連絡があり、学生さんたちは、基本、実家に避難(疎開)ということが伝えられました。また、そのときには、福島原発の爆発もあり、どうなるか分からなかったので、研究室の換気をやめる、窓を開けないなど、RIを普段閉鎖系で使っている、生物系の人たちの迅速な対応と思いました。また、昔の遺伝生態研にある、ガイガーカウンターで、いつもバックグラウンドとどれくらいかというのが、話にのぼり、その当時で、何も起きてない時期の3倍くらいだったような気がします。3倍と聞いて、結構、こちらは、びびりました。どうも、RIは苦手です。。。

 研究室でその件を発表しつつ、山形、新潟経由での避難、疎開ルートを調べるために、高速netではないですが、パソコンで検索をして、どうすればよいかなどを調べ、テレビでの情報を集めました。また、学生さんたちとは、まず、携帯での連絡をするために、addressの交換をして、できるだけ早く、避難をということになり、解散でした。こちらは、別の件で、農学部まで出かけて、農学部長の山谷先生と学会がなくなったことなど、議論できたのは、有益でした。

 帰り際には、アルバイトをしている1年生の方が、小学校に被災しているというので、伺って、できるだけ早く実家に帰るようにと。そのときに、いろいろな話をしてもらい、地震がどれだけ心に痛みを与えたのか、つらい思いをさせたのか、痛感しました。お許し下さい。

 夜のうちに、学生さん、アルバイトさんから連絡があり、翌3/15(火)には、一部の学生さんをのぞいて、避難をはじめ、夜には自宅に戻れたという連絡を受けて、ほっとしました。このあたりでかなりほっとして、15日の午前、16日(水)は動けなかったような記憶があります。

 このあと、どうなるのか、それはまさに、福島原発がどうなるかと言うことについて、かなりの注目というか、気になりながら、少しずつですが、研究室の居室から、片付け始めたというか、並べ始めたというか。。。続きは、また、近いうちに。。。


 わたなべしるす

oleracea_全景_1.JPG PS. 今日もずいぶん、余震がありました。また、今日、3/23(水)には、水道から、放射性同位元素が、限界以上に検出され、また、農作物、それも、特にアブラナ科野菜に出荷制限が。。。アブラナ科作物を研究しているものとしては何ともいたたまれない状況です。。。。これまで、写真を入れるのが、つらかったのですが、アブラナ野菜の被害が出て、畑に埋められた野菜が哀れで。。

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風評被害のアブラナ科作物は、バイオエネルギーにというのは。。(3/22)

2011年3月22日 (火)

 福島原発の関係で、農作物が畑にすき混まれているのを見て、農学を学んだものとして、涙が出る。あそこまで作ることにどれだけのエネルギーがかかったのか。大変だったと思う。では、使い様が全くないのか。アブラナ科作物であれば、最後には花が咲いて、種ができる。その種をしぼると、油になる、いわゆるなたね油である。これは、バイオディーゼルである。こんな使い方はできないのだろうか。そうでなくてもエネルギーがないといっているのに。そうすれば、多少は、今の状況は回避される。

 また、他の作物も、糖に変換できれば、バイオエタノールになる。柔らかい分、使いやすいのではないだろうか。世の中が、パニックの状態なので、こんなことを考えても実現は難しいのかもしれないが、こんな時にこそ、こうしたことを考えるようにすれば、作物が太陽エネルギーを変換したものを効率的に利用できないのだろうか。

 そんなことをふと思った次第である。もしかしたら、豊作で出荷調整が起きたときに、同じようなすき込みがあったときにも思いついたのかもしれないが、そのときに書いておけばと。まさに、備えあれば。。。である。


 わたなべしるす

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HP・TOPに震災関連・リンクを追加しました

2011年3月22日 (火)

今回の東北・関東大震災に伴い、HPTOPに震災関連・リンクを追加しました。

大学としての対応は、東北大学HP他、各学部の臨時HPを参照頂きたく、お願いいたします。

現在メールサーバーが復活し、お問い合わせフォームが使用可能です。

当研究室へのご連絡・お問い合わせにご利用ください。

今後の研究室については、HPのTOPや渡辺先生のエントリなどでお知らせいたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

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増子(鈴木)です。

東北・関東大震災で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

震災の際、私は仙台の自宅におり、急いで机の下に隠れて難を逃れました。

電気ジャーが飛んできて、ピアノが動き、本棚が崩れ、食器がすっかり割れました。

しかし、家自体と家族には幸い被害がありませんでした。

その後、ラジオで津波の甚大な被害を知り、愕然としました。

停電復旧後、テレビで津波や原発の映像を見て、茫然としました。

 

私の地区は停電が3日間、断水が4日間続きましたが、現在は復旧しています。

震災後に撮っていた写真をいくつかご紹介します。

 

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11日、地震直後の自宅台所。

床には落ちた食器やガラスが散乱し、電子レンジが落ちて壊れました。

 

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12日、断水を免れた公園に並ぶ人々。

ちょろちょろしか出ない水道に3時間以上並んだそう(私は諦めて帰りました)。

震災後2~3日は市内の給水所も少なく、水を得るのが大変でした。

近所の建築会社さんがボランティアで水を山形から汲んできてくれ、とても助かりました。

 

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12日の某スーパー。朝から長蛇の列でした。

店員さんたちが散乱した店内から少しづつ商品を出して、一生懸命売ってました。

現在は店も片付き、だいぶ商品が入るようになりましたが、行列は変わりません。

 

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今回の功労者、電気がいらない石油火鉢。

停電の間、3日間これで暖を取り、煮炊きして過ごしました。

母が2000年問題の際に買ったそうですが、11年の時を経て大活躍。

 

仙台市中心部は少しづつ店が開き始め、物が巡りはじめています。

しかし、甚大な被害があった海沿いの市や町では。。。

どうか、被災地の復興に力を、心を下さい。

復興には長い時間がかかりますが、私も少しでも力になれるように尽くしたいです。

 

増子(鈴木)

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マルチタスク、今できること、社会貢献。。。。(3/21)

2011年3月21日 (月)

 地震の後のことを記していましたが、どうも、思い出せない、あるいは、おいたものをどこに置いたか、すぐにパニックになる、という状況です。もちろん、いつもと違うものの配置であること、同じ研究室でも、まだ片付いてないことなど、いろいろあると思いますが、今まで、いろいろな仕事を動じ並行的にやる、つまり、パソコンのマルチタスクのようなことができていたのが、あの地震の時のショックで、マルチタスク機能が欠落したようです。そのため、仕事が滞りがちですが、研究室を片付けるということと、毎日の生活をするための食糧確保など、考えることは多いですが、今日はこれと言うようにやってみることしかないのかもしれません。そうしているうち、1つが、2つに、というように増えるのだろうと。

 つまり、今できることをまずは、やってみようとすることしかないと思います。その点で、共同研究を行っているみなさまには、ご迷惑をおかけすると思いますが、お許し下さい。研究室の復旧に併せて、できるだけのことをしたいと思います。まず、今できることを、やるしかないのだと思います。

 そんなできることをやるという意味で、東北大理学部の物理系の先生が発信されている、「仙台市青葉区の放射線量」というHPを見つけました。渡辺自身も、昔、radio isotope(RI: 放射性同位元素)を使ったことがあり、ガイガーカウンターがなる中での実験が、どうも苦手です。そんなこともあり、今の空気中が見えない放射能でどの程度、汚染されているのか、プロの方が計ってくれるのは、うれしい限りです。また、研究科のserverのお世話を頂いている方の旧友という方が、地震で水没したHDの復旧のお手伝いをお願いされ、serverでお世話になっていることもあり、この様な環境下ですが、お手伝いをさせてもらっています。今までの出前講義のような社会貢献とは違うかもしれないですが、水没したHDがもどれば、消えてしまうかもdataが元に戻るかもしれないという点では、大きいと思います。このことを書いているときに、HPにも記している、旧農学研究所の水島先生が、農水省の研究所に勤めているときの室長の禹博士のことを思い出しました。博士論文を書いてあったのに、提出前日に火災で全部消失したことを。戦前の話ですから、もちろん、実験のやり直しだったわけです。そのようなつながりのあるdataの重要性をここで、お役に立てるのは、うれしい限りです。

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 わたなべしるす


 PS. 科学者の卵を一緒に運営している、久利先生からも、mailをいただき、HPでいくつかのことを記されていると。ご覧いただければ、幸いです。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その3(3/20)。

2011年3月20日 (日)

 3/12(土)、朝の出勤時間も忘れました。さほど、寒くなかったような。地震の被害がテレビで報告され、被害の大きさがどれほどのものか、わかってきました。あり得ない大きさであることがわかってきて、現実が何なのか、わからない、そんな朝だったような気がします。

 その日あたりか、前日の夜あたりから、仙台で翌週の土曜日、3/19-21で開催される、植物生理学会がどうなるかということの対応に追われていました。今考えれば、仙台空港は、この秋頃まで復興ができない、東北新幹線の那須塩原-盛岡間の復旧にはめどが立っていません。今日現在。もちろん、町の中での食事もほとんど不可能です。明らかに開催は不可能でした。でも、そんなことも状況がわからず、対応に追われていたのを思い出します。この電話で、携帯の電池がなくなり、研究室のノートパソコンの電池から、携帯に充電をしていました。あの充電がなければ、本当に、どこにも連絡ができない、陸の孤島になるところでした。ノートパソコンに電池を置いてくれていた学生さんたちに感謝です。

 それから、3/10-11にかけて、4月からPDとして、研究室に来て頂く方(お名前はまた、後日に。。)が、いらしていました。10日お会いして、先の学会のことなどに対応していて、PDの方がどうなったのかなど、頭から抜けていました。朝、現在のlabの方から、近くの小学校に被災していることを伺い、急ぎ、迎えに行ったのを思い出します。もちろん、きてもらったからといって、何か特別なものが、研究室にあるわけでもないわけですが。。。遠くから来てもらい、一晩ではあったかもしれないですが、つらい思いをさせたことは申し訳なく思っております。遠く離れた場所での被災、考えただけでも。。。

 この日あたりから、津波被害のテレビが流れるとともに、福島原発のことも注視されるようになり、「メルトダウン」というのが、あたまをよぎったのを思い出します。電気はいつ来るのか、水はいつ来るのか、大学の中での炊き出しのようなことは、いつ終わるのか。トンネルの中からいつ抜け出すのか。

 そういえば、炊き出しでは、いくつかの研究室の方々にお世話になりました。おいしいカレーも頂いたような気がします。ありがとうございました。人捜しで空腹も忘れていたような状態でしたので。そんな炊き出しを必死でやっていた方々を踏みにじるようなことがあったのも事実でした。あの状態で必死で生きることを考えている学生さんたちに対して、きわめて失礼極まりないと。。。。というより、情けなかったです。。。。

 午後からは、町中で携帯などの充電ができるというので、パソコンの充電をして、Internet上にある情報をとるようになりました。もちろん、大学のweb, mail serverは落ちているので、別の通信手段を使いました。それのおかげで、テレビ以外の情報もわかるようになりました。

 その日の夜の寒さは厳しく、ガラス室の暖房用にあったストーブを持ち込み、暖をとりました。それがあることに気がついてくれたスタッフの方、感謝の限りです。その日の帰りも、23:00すぎだったような。。

 3/13(日)、さすがに疲れ果てていて、昼過ぎにlabに電気が来たという連絡をもらいました。一方で、日本植物生理学会の仙台年会を中止にするということを、会頭に連絡することが、ポイントになってきました。あわせて、地震当日の15:00すぎに、4月から、東北大・農学部に入学が決まっている高校生と面接することを思い出し、無事にその高校生は帰ったのか、。。日中は研究室の少し歩く場所が確保できる程度に、片付けを始めました。多くの院生の方に手伝ってもらいました。ありがとうございました。疲れていたと思います。にもかかわらず。。。研究室はめちゃくちゃといいましたが、実験台は、天井のコンクリートに固定していたにもかかわらず、振り回され、元の場所とは、違う場所に。丸2日と待った冷凍庫のサンプル、低温室もぐちゃぐちゃ。蛍光顕微鏡、in situ hybridizationの機械など、多くのものが落下していました。ガラスもたくさん割れていました。とても片付ける意欲がわくようなものではありません。。。。

 夕方には寒くなり、早めに戻ってもらったような気がします。そのあたりから、電気、水道が自宅に来はじめたような気がします。ガスはプロパンガスは、使えたようですが、都市ガスは、もちろん停止。今でも復旧のめどが立たないそうです。

 その日の片付けのあと、思い出した、高校生の自宅を探しに、。真っ暗な中で、数人のヒトに助けてもらい、避難所などを訪ねて、自宅に無事、当時仕えられたことを伺い、涙が止まりませんでした。ずいぶん遠いところだったので。つらい思いをして、大変なところに戻ったのだと。心配をさせてしまったと。4月から、大学生ですが、いつ大学が始めることができるかわかりませんが、研究室の復旧後には、ぜひ、また、お手伝いのアルバイトに来てもらえれば、幸いです。

 今日はこのあたりにします。


 わたなべしるす

 PS. 今日は、スタッフの方のところが、all電化というお宅ということで、お湯を頂きました。ありがとうございました。それから、亡くなられた方々に追悼の意を込めて、頭を丸めました。亡くなられた方々に黙祷したいと思います。(黙祷)

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