東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

書き物、トレーニング、体裁。。。(11/7)

2011年11月 7日 (月)

 最近、いろいろな書き物をする。研究を行っているので、論文、それも英語でというのが、一番しないといけない書き物なのだろうが、どうも苦手である。では、日本語はといわれると、少しはかけるようになった気がする。何より、パソコンのおかげかもしれない。小学校の頃の書き物といえば、読書感想文。夏休みの宿題であり、何より苦手であった。最初のきっかけが悪かったのかもしれない。小学校1年生の時、読んだ本がたしか、「もちもちの木」だったような。どんな本かは忘れてしまった。子供心に、怖いイメージの挿絵だったような。そんなこともないだろうか。。。忘れた。どんな感想を書いたかも忘れたが、担任の先生は、職員室に呼んでくれたりして、一生懸命に指導してくれた。それが何を意味しているのかわからなかったが、あとから伺ったところでは、それなりにできていたようで、何かに応募するということだったようだが、最後の清書をしなかったおかげで、おじゃんになったらしい。。小学校1年生には、苦い経験だった気がする。それが逆に、悪い記憶になって、そのあとの読書感想文を書くのは、きらいになった。本を読んだとき、その中の人物と何か共有できる必要があるのだろうか。逆に、冷静にその本を解説するような、「書評」とまではいかないが、そんな方が書きやすかったような気がする。

 では、もし、清書をしていて、入選でもしていたら。。。。そんなifは、許されないかもしれないが、やっぱり、感想文は好きになってないだろう。最近、どのような書き物、それが、論文であれ、予算書であれ、マニュアルが登場しつつあるのは、よいことなのか、悪いことなのか。最初は、誰もかけないものだろう。でも、最初はやっぱり何かを書いてみようとしてみないと、かけないもののような気がする。最初に書いた英語の論文は、指導教官だった、日向先生にぼろぼろになるまで、直された。。。かなりのショックだった。自分の英語力というか。。。それをそう思わないで、運動と同じでトレーニングと割り切れば、もう少し前向きになれたのかもしれない。今でこそ、ブラインドタッチで、200-300文字/minでタイピングできるが、そこに至るまでにも、ずいぶんと練習をした。練習には、ゲーム世代ということもあり、ゲームの力を借りたような気がするが、できるようになれば、結果は同じかも知れない。スポーツで何かができるようになるのに、方法は1つでないのと同じだろう。

DSCN1650.JPG 論文も10個くらい自分で書いたり、学生さんのをなおしたりして、初めて、何かできるようになった気がする。といっても、nativeの方に英語は直してもらわないととてもでないが、見せられるものにはならない。そういう意味では、最後の体裁というか、きれいにすることは、書き物で大事になるのだろう。日向先生によく言われた言葉に、「書き物(論文)は、たくさんのひとに見てもらえば、もらうほどきれいになる」。。たしかにそうだと。。自分1人で書いていても、どうしても独りよがりになる傾向がある。。。書き物だけでなく、教育研究もより多くの人と共同する方がよいという気がしてきた。

 何かを書くときに、周りに見えるものを角度を見て考えるなど、工夫をすれば、きれいに見えることもある。これもトレーニングの成果かもしれない。何事も苦手といわずに、やってみることだろう。ただ、それにしても、読書感想文だけは、やっぱりかけないような気がする。。。。書評のような文章を書くのでもよいという宿題ではだめだろうか。。。。


 わたなべしるす


 PS. これらの書き物を体系的に教育することが、小さい時からあれば、読書感想文もかけたのかもしれない。。。今の子供たちに、出前講義の時に、聞いてみたいと思った今日この頃であった。。。

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