東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

道草、時間、注意力(6/26)

2012年6月26日 (火)

 出前講義で「キャリア教育」を講義するとき、小学校の頃の「道草」について話をする。季節折々でいろいろな道草があった。春から夏にかけては、できることがたくさんあった。自然の中で。春先には、「カラスノエンドウ」を使ってのマメ笛。これは道ばたの雑草。田植え前には、むぎぶえ。ムギはもちろん、農作物。今考えても、よくないことだと思うが。。でも、カラスノエンドウのマメ笛より、むぎぶえのほうがずいぶんと難しかったような。。。今日の新聞に「桑の実」をみつけた。食べると、いろいろなものが紫に。食べるとすぐばれる。自宅に帰ってから。。。。イネが出穂、開花すると、そのうち中がふくらんでくる。つぶしたら、どうなるのか。。中から、白い液状のもの。大学の作物の講義で、デンプンが固まる前の時期に「糊熟期」というのがあると。あれのことなんだ。。他にも、道草ではたくさんのことをやった。王冠を靴の下に置いて引きずる。冬の暖には欠かせない。何のことはない、「摩擦熱」。花の蜜の甘さ。じゃんけんをしての鞄持ち。今にして思えば、道草で学んだというか、拾ったというか、そんなことはたくさんあったような気がする。

DSCN2968.JPG 今、道草をするというのは、「安全」等の面で、無理があるようである。また、そんな時間もないのかもしれない。ただ、詰め込み教育といわれた時代だったから、道草くらいだったのかもしれない。そう考えれば、今でも時間はあるのかもしれないが、道草をして、少しきょろきょろしてみると、意外なものを見つけることがある。逆に言えば、きょろきょろしているから、危ないことに気がつくこともある。どこかの軒先にアシナガバチの小さな巣を見つけたり。時間は誰にも平等に流れる、「物理量」なのかもしれないが、そうは思えないこともある。最近はどうも1日が短い気がする。

 やっぱり、年をとったのかもしれない。十分に注意してきょろきょろしているつもりが。安全が担保されてないことも。あれと思うが、。。。年といえば、それまでかもしれないが、きょろきょろすることで、見えないものが見えたり、おもしろいものをふと見つけたり。少しでも時間を見つけて、少しの道草で、高い注意力を発揮できれば、今まで見えないものが、見える形になるのではと思う今日この頃である。

 そういえば、来月の東北大・サイエンスカフェ・「エンジョイDNA~よくわかる遺伝子組み換え植物~」ということで、農学部の鳥山先生(通称・トリキンさん)が、お話しを。ひさしぶりにみちくさでもしてみようかなと。。。


 わたなべしるす

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