東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

片平の遺跡-2(1/23, 追記あり)

2014年1月23日 (木)

 昨日から、生命科学研究科内の旧遺伝生態研究センターであった分野の博士論文の発表練習が行われている。渡辺は申し訳ないのだが、あれこれあって、うちの学生さんの分、自分が審査する分については、聞いてない。うちの学生さんには、博士ともなれば、自分で自分の発表をdefenseできないようではいけない、というか、できないといけないということで。。。自己責任というか。それが、「博士号」を持つという自覚の基に。。。実際、発表会に行っても、指導教員がコメントすることができなくないが、あまり格好のよいものではないと思っているのもあって。学会発表などでも、渡辺の指導教官の日向教授は、よっぽどのことがない限り、学生の発表をサポートしたり、コメントすることがなかった。そんなのを見ているからだろう。最後は、自分ががんばると。。。

片平市民センター2.JPG 前回は、「本多光太郎」先生の胸像の写真でした。で、今回は、その旧遺伝生態研究センターというのは、もとは、1940年にできた附属農学研究所。何かの書物で読んだか何かであるが、最初は農学部を設置しようとしたらしい。設置目的は、東北の冷害対策、三陸の水産資源開発、などがあったような。。。しかし、時局が戦時体制という時。。。ただ、一方で、農学部を設置したことによって、当時の帝國大学の周辺の農業環境というか、生産性というか、ずいぶんよくなったとか。そんなこともあって。(この1940年時点で、農学部があった帝國大学は、東京、京都、九州、北海道、台北であった。)。。その折衷案として、附属研究所で、部門数もずいぶん削減されての設置だったようだ。ただ、時代背景を考えれば、それでもそれなりの措置だったのかもしれない。で、その農学研究所の設置場所は、今の渡辺がいる建物ではなくて、これは、昭和40年代にここに引っ越してきたとか。。。では、その前は、どこにあったのか。。。今の「片平市民センター」の場所、片平地区から見たら、飛び地になるわけであるが。。。そこにあったらしい。渡辺より20級くらい上の先輩方は、その古い場所と、今の場所の両方を経験したとか、。。

片平市民センター.JPG 片平市民センターをあちこち探したが、その場所に農学研究所があったという遺跡は残っていなかった。。。今では、色々な催し物、体育館もあるとか。せっかくなので、卓球、バドミントンでもと思うが。。。なかなか。。農学部の時には、講堂に卓球台とバドミントンコートがあったので、便利であったが。。。2005年に引っ越してきた当時には、テニスコートはあったが。。。いつの間に。。。なくなった。。

片平公園 臥竜梅.JPG
片平公園 臥竜梅 説明書.JPG そんな昔の場所でしかないが、師匠である日向教授の前の前の教授である水島教授は、農学研究所で助教授をされていたとか。その前には、農事試験場で、育種をしている方なら、ご存じの「U's triangle」を作り上げた、禹長春博士のもとで、仕事をされていたらしい。そんな歴史があることを考えながら、昼からも仕事をすることにしよう。


 わたなべしるす

 PS. 片平市民センターの入り口から、長い孟宗竹の並木というのだろうか。これにも由来が。。。最近、田舎に行くと竹林が管理されていないのを見かける。確か、1平米に1-2本くらい出ないと、健全な竹林で、よいタケノコも生えないとか。そんなこともふと気になった。何でもそのままというのがよいのではなくて、必要に応じて、手を入れること、それも大事なのだと。。。

片平市民センター 孟宗竹.JPG
片平市民センター 孟宗竹 説明.JPG
 PS. のPS. 出前講義の関係で、高校の先生から連絡を頂いた。その中に、「平成25年度 文部科学大臣優秀教職員表彰式の開催について」というか、あちこちでお世話になっている先生が、表彰されると言うことを伺った。こちらが知り得た限りでは、宮城、福島、石川、和歌山県の高校の先生方の中に、お世話になっている先生のお名前を拝見した。普段のご苦労がこうした形で評価されるというのを見るのは、うれしい限りであった。。。連絡頂いた先生に感謝すると共に、表彰される先生には、おめでとうございます。と、これからもよろしくお願いします。ということで。。


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