東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

3/11(金)、14:46から今日まで、その23(3/11)。

2014年3月11日 (火)

 今日であの地震から3年となった。あの日と変わっていたこと。午前中はあの日よりも暖かかったような気がする。地震があった時刻には外は曇っていたような。ここ数日、大きく揺れると言うことはないが、数日~10日に1回くらいは、本棚が揺れている。というか、鋭敏な本棚なのだろう。揺れるとすぐに気がつく。最近は、M5-6クラスの搖れは久しいような。。。それでも余震として、M7クラスのがあるとか。。。エネルギー的に、あの地震(M9.0)より、桁違いに小さいので、そのぶん、ほっとできるが。。。もちろん、8日くらい前に、沖縄県、鹿児島県の島嶼部がM6クラスの搖れになったというのを見たが、netで。ただ、ニュースにはなってない。とおもった。もちろん、それ以上に大きいニュースがあったからかもしれない。研究室の中にいたり、仙台市内というか、町中にいれば、震災の傷跡というか、そんなことも余り見なくなったような。。。この前の海外出張の時、仙台空港に電車で行ったとき、がれきはなくなったが、水田の区画整備をしていた。今年の作付けは可能になるのだろうか。。。一方で、ニュースでも話題になっているが、10m近い堤防のようなものがつくられているのと、その内側に、何を植えているのかわからないが、防風林の植栽が始まっているとおぼしきものを見ることができる。何を植えているのかわからなのは、木が小さいからで、震災前の防風林の状態になるのは、かなりかかるであろう。

DSCN1842.JPG ここ数日、震災当日の様子が様々な形で見ることがある。テレビ、新聞、net等々。渡辺の周辺のように、ある程度もどったところは、。。。。ただ、そうでないところは多い何より、津波被害のあった沿岸部。なにより、福島第一原子力発電所から放出された放射性物資。この3年間で何がどこまで進んだのか、どこかに一覧表でもあれば。また、当初計画とどれくらいの差異があるのか。。。そうしたことがあって、これからもっとここのところに力点とか、考えられるようになるのではと思う。言い換えれば、研究、実験をしていても、予定よりどれくらい進んでいるのか、逆に送れているのか。そのために、どこを加速させないといけないのかなど、明確になる。と言うか、そうすることが何より大事だと思う。なにより、そうした日々の変化が小さくなったからであろう。この記事を書くのは、ちょうど1年ぶりとなる。もちろん、心の中に気になっていても、変化がよい方向に進んでいるというニュースなどを聞くことがあまりないからかもしれない。もちろん、放射性物質には、半減期があるので、また、除染作業の効果だろうか、3年前よりは、各地の線量計の値は小さくなっているが、局所的にはまだまだのところもあると。

 仙台市内でも、長町の昔の貨物駅などがあったところに、仮設住宅を見かける。新幹線でも在来線からでも。それらが減っていれば、よい方向なのだと思っているが。。。貞観地震から確か、1,200年だが、その間にもかなりの津波が来ているという記事も見たことがある。と言うことは、その度に被害が出ている。もちろん、昔と今では様々な環境が違う。昔はどれくらいで復旧したのだろうか。あるいは、三陸で経験している津波からどれくらいで復旧したのだろうか。そんなことがわかれば、もう少しいろいろなことの方向性が見えてくるような気がする。そういえば、複雑な思いであるが、農学部がある雨宮キャンパスは青葉山に引っ越す。それを思うとき、雨宮キャンパスへの思いはひとかたならぬものがある。もといた場所、ふるさとを離れると言うことは、そういうことなのかもしれない。

DSCN1831.JPG 3年目の3/11, 14:46を迎えるに当たり、そんなことを思った。この大震災でなくなられた多くのみなさまに哀悼の意を表し、14:46にあわせての黙祷であった。黙祷。


 わたなべしるす

 PS. 明日からは、国公立大学入試後期試験とか。前期試験で希望を叶えることができた方、そうでなかった方。さまざまであろう。残された後期試験でできる限りの力を出してほしいと。。。仙台から、祈っています。あと少しです。夢を達成するための1つのハードルが。。。もちろん、その先にもたくさんのハードル、決断は待っていますが。。。

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