研究室でその件を発表しつつ、山形、新潟経由での避難、疎開ルートを調べるために、高速netではないですが、パソコンで検索をして、どうすればよいかなどを調べ、テレビでの情報を集めました。また、学生さんたちとは、まず、携帯での連絡をするために、addressの交換をして、できるだけ早く、避難をということになり、解散でした。こちらは、別の件で、農学部まで出かけて、農学部長の山谷先生と学会がなくなったことなど、議論できたのは、有益でした。
帰り際には、アルバイトをしている1年生の方が、小学校に被災しているというので、伺って、できるだけ早く実家に帰るようにと。そのときに、いろいろな話をしてもらい、地震がどれだけ心に痛みを与えたのか、つらい思いをさせたのか、痛感しました。お許し下さい。
夜のうちに、学生さん、アルバイトさんから連絡があり、翌3/15(火)には、一部の学生さんをのぞいて、避難をはじめ、夜には自宅に戻れたという連絡を受けて、ほっとしました。このあたりでかなりほっとして、15日の午前、16日(水)は動けなかったような記憶があります。
このあと、どうなるのか、それはまさに、福島原発がどうなるかと言うことについて、かなりの注目というか、気になりながら、少しずつですが、研究室の居室から、片付け始めたというか、並べ始めたというか。。。続きは、また、近いうちに。。。
わたなべしるす
