東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

基地、灯台、境目(2/15)

2015年2月15日 (日)

 仙台はこの週末も雪だったとか。出張の関係で、愛媛に来ていたので、そんなことを知ったのは、新聞記事と科学者の卵養成講座の連絡網から。。。去年の科学者の卵も2月開催では、積雪と言うより、すごい雪であった。33cmだったろうか。その1/10の3cmですぐに溶けてくれたようだ。週明けに出張からもどっても、問題なさそうだ。こんな風に雪が降ると、冬に山というのは、仙台では難しいが、今治での子供時代は、野山というか、今の言葉で言うなら、里山というのだろうか。その中には、秘密基地も作っていた。今になる、その場所がどこだったのだろうかと。。。いずれ、山に登っては、いろいろなものを見つけていた。ただ、どんな植物種があったのか、覚えていない。覚えているのは、ウラジロ。茎の部分を追って、弓矢のように飛ばすことを、小学校時代・白石先生から教えてもらった。体育の時間に運動場でなくて、裏山を登っていた。どこから歩くと、どこに出るのか、と言うより、そうやって野山を歩いて、冬の遊び方も教えてもらったような。もちろん、ウラジロは、お正月のお供えモチの上に置いて、その上に、ダイダイをおいていたような。そんな草藪の中をあるいて、歩いて。。。ひたすら歩き回ることが、楽しかった。今なら、道ばたに咲いている菜の花を見つけて、いろいろなことを観察するのだろうが、その当時は、そんなセンスというか、興味がなかった。ただ、その時に野山を駆けずり回ったからこそ、自然と植物を見ていたので、今、観察して、何かものが見えるのだろうか。その歩いていた山は国道のバイパスができて、寸断されてしまったのは、。。。ちょっと残念だなと。

DSCN5993.JPG そんな子供時代。山だけでなく、海にも出かけた。いつの頃からだろうか。来島海峡にあった赤灯台が桜井海岸のどこかに引っ越してきた。つまり、子供の頃に山、海の両方を観察できたというか、遊ぶことができた。それくらい自然が豊かであった。ただ、この灯台、遠浅の瀬戸内の海でも、灯台まで泳ぐのは、遠くて無理だったか、何か理由があったような。。。思い出せない。。学校から近くの海岸沿いの所に、野球部のグラウンドがあった。今はどうなっているのか。また、マツクイムシにやられたクロマツは。。。出前講義にいくことはあっても、そうしたところがどうなっているのかを、後輩たち、先生方から聞くこともなく。。。失敗だなと。もちろん、学校、野山がどうなっているかは、出前講義の学校の移動中に少しは見えるが、歩きながら、ゆっくり観察しないとわからないことが多い。まさに、「灯台下暗し」。今治の中にも、意外なところに意外なものがきっとあるのだろう。もうすこし自分で歩いて、何がどの様になっているのか、観察してみないと。。。

DSCN6013.JPG ちょうど、山と海の境目に小学校というか、狭い平野があるのが、四国の平野の特徴。そういえば、海岸の近くには綱敷天満宮が。ウメの花も有名でこの時期には、学校から見学に行ったこともあったような。そんな場所もある一方で、田んぼ、畑の面積は、仙台というか、東北から比べると、ずいぶん狭い。ネコの額のようなところも。そんな狭くても、道の駅のような所に出荷して、農業というか、農家の経営も変わってきたと。大学時代の農業経営の酒井教授から、10年、その先、どうやって農家経営を維持するのか、と言うより、食料需給をどうするのかを議論して頂いた。よい方向に向かっているのだろうか。少なくとも農業だけでなく、それと可能な限り重なりを持つ領域とoverlapして、境界というか、隙間産業みたいなことを考えないといけないのだろう。たぶん、。。。そんな自然を見ながら、サイエンスの行く末というか、どうやって境界領域を発展させるのか、植物科学をどうするのかを、考えさせられた。そのモデルとなるのが、自然であり、これまでのトライから学ぶことなのであろう。たぶん。きっと。。。。

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 わたなべしるす

 PS. 来月の春の甲子園。愛媛県から2校が出場。30年前のイメージ、最近の戦績を見ていると、この両校の名前が並んでいるのは。。。何ともいえない、不思議な。。

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