東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

3/11(金)、14:46から今日まで、その21(3/6)。

2013年3月 7日 (木)

 この記事を書き始めたのは、2011.03.17からであった。震災から、ほぼ1週間。netがつながり、web serverだけ動いていて、。。その前から、被害報告を求められていたが、netがないので、印刷もできない。。。もちろん、mailもという状態だった。それから、あっという間の24ヶ月がもうすぐ来ようとしている。前回これをつづったのは、ほぼ、1年前。その間に、劇的なことがあれば、きっと何かをと思ったのだろうが、スピードが大事なはずなのに。。。以前にも、鹿児島出張で、仙台空港での写真を掲載したこともあったと思うが、海の方を見て、松の木がないのが、何ともいえないというか、もの悲しい。。。

 来週の月曜日が、ちょうど、2年になるので、テレビでは、震災関連のことを見かける。自分自身では、昔行った奥松島とか、津波の被害が大きかったところには、どうしても足が運べない。もちろん、テレビでは見ることはあっても。仕事の関係で行くことのある場所、昨年、岩手県立釜石高等学校に出前講義した折には、津波被害を受けた建物なども見た。ただ、復旧、復興速度は遅いと。。。昨日も歴史関連のテレビ番組で、「富士山の宝永大噴火」の復旧・復興のことが。。。河川の土木工事が終わったのが、噴火から、75年ごとかいっていたような。。もちろん、時代と道具類などが違うので、ここまではと思うが、。。福島第一原発の問題も、予定通りという表現が使われていたが、福島にも何度か足を運んだものからすれば、また、新聞にある、各県庁所在地の放射線量を見ると、ゆっくりとという感は否めない。植物科学という、工学とは少し違う分野であるかもしれないが、同じ科学をやっているものとしては、何とかならないかと思うが、昔、放射性同位元素、いわゆる、ラジオアイソトープ(RI)を使って実験していた身からすれば、簡単になくならないことくらいは、想像できるが。。。それにしてもという感じがする。

DSCN5018.JPG 心の問題は、より複雑化しているように感じる。震災のモニュメントとして、被害を受けた遺構を残すのか、残さないのか。。。これに端を発して、その地域がまとまりを欠くようなことにならなければよいのだがと思う。今までの歴史を刻んだものとして、多様な遺構がある。それらも同じような歴史を背負ってきたのかもしれないが、その場所にあるのがよいのか、別の場所でもよいから、保存するのがよいのか、そうしたことを考えないと、復旧、復興の妨げになるのでは、どうかとも思う。もちろん、純然たる、心の問題は、より深刻化しているのかもしれない。。。

 こんなことを考えただけでも、24ヶ月、2年で何が変わったのか。もちろん、都心部は、ほぼ、復旧しているが、地下道を通ると、まだ、雨漏りがあったりする。あの日のままなのである。1日でも早い復旧、復興を祈りながら、少し早いが、2年目を迎える、3.11を前に、。。当日は、labでその時間、14:46に黙祷をすることにしたい。。。


 わたなべしるす

 PS. 震災後、研究室の壊れた被害を受けた備品は、ほぼ、全面的に入れ替えて頂き、実験ができるようになったと書いた。ところがと書くのは、どうかもしれないが、1ヶ月ほど前から、電子天秤が調子がおかしい。。。あのときに調べた時には、問題なかったので、もちろん、申請しなかったのだが、ここに来て、だめになるとは。。。冷静に考えれば、天秤にとって、大きな搖れがあるというのは、耐えがたきものだと思う。ただ、その時に、被害症状が出なければ。。。人間でも同じかもしれない。調べた時に問題なければ、異常なしと。実際にはそうでないことがというか、異常を抱えて2年近く動いていたのだと。。。何とも、不思議な巡り合わせと思いつつ。他に、こうしたことがないことを祈りつつ。

DSCN5187.JPG

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