東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

2011年5月の記事です。

【出前講義】福島県立福島高校・SSH「アブラナ科植物を利用した研究指導」(5/10)

2011年5月12日 (木)

 連休も明け、通常であれば、出前講義、科学者の卵の活動という、「アウトリーチ活動」もあちこち始まっているところですが、3/11の大地震があったこともあり、スタートがかなり遅くなりましたが、ようやく、あちこちからの依頼も始まりました。来月には、新しいSSH校の運営指導員も仰せつかり、また、新しい発展が楽しみです。

 なんと言っても、アブラナ科植物はこの時期が開花と言うこともあり、遺伝学の交配実験、形態観察のポイントなど、実際の植物が植えてある、プランタ、畑を観察しました。100個体を超える植物を管理している生徒さんも、震災直後に、学校が休みとなり、しばらく観察しないと、あっという間に抽苔して、開花していたことに驚いていました。地震がなく、福島原発の影響がなければ、毎日観察して、どの様に抽苔するかをみることができる大切な時期を逃したことを残念がっていたのが、とても印象的でした。それまで手塩にかけて育ててきた、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーなどが、ちょっとみない間にこんなになるとはと。それくらい大事に思って栽培してくれていた生徒さんがいたことを感動するとともに、ぜひ、SSHの活動でその思いを発展させ、遺伝学実験、形態観察などを行ってもらえればと思います。前回の4/12の訪問時には、新幹線もなく、在来線での福島へと言うことで、時間もかかりましたが、新幹線も開通しました。ぜひ、東北大での実験、研究指導での訪問も継続したいと思います。なにより、地震、放射能という大きな被災地ですから。

DSCN0227.JPG 以前にもこのHPで記したように、アブラナ科植物には、セシウムを吸収する能力が高く注目されています。そうした話にもなり、今回のことが放射性セシウム137のことを研究するというか、放射能、放射線と言うことを今まで以上にSSHの活動として、考えることができるのだと痛感しました。

 ただ、今回の活動を通して感じたこととして、放射性物質はいわゆる、「管理区域」という閉鎖された部屋の中で使い、その外では一定以下になると言うのが、RIを利用することだったような。つまり、現状では、部屋の中が管理区域外になっていて、外が管理区域という逆さまというか、何とも不思議な状況でした。と言うか、こんなことが、放射性物質の取り扱いという点から、法律上、問題はないのでしょうか。RI取扱主任者でれば、分かることなのでしょうか。少し調べないといけないと。。。。

 科学者の卵の受講生の方々ともお会いでき、この3月にできなかった「発表会」のことを残念がっていましたが、夏休みに開講されると言うこと、表彰状などは、すでに受講生のところに届いていると言うことで、その点を喜んでいただいたのは、こちらもうれしい限りでした。また、何より、今年のこうした状況で、「科学者の卵」があるんだと言うことが励みになっているのを感じ取れたのは、うれしい限りでした。

 今後もよりよい連携ができ、アブラナ科植物を利用した研究指導だけでなく、それをベースとした、生物学、科学、物理学との融合の研究を発展させることができればと思った次第です。

 最後になりましたが、様々な面でお世話になり、また、研究状況のお話を頂いた、福島高校・橋爪先生、原先生、秦先生をはじめとする多くの先生方にこの場を借りて感謝します。ありがとうございました。


 わたなべしるす

 PS. 新幹線からの風景では、宮城、福島県内でも、水田を作り、田植えの準備が進んでいたのは、ほっとする風景ですが、これを記している5/11には、神奈川県の「お茶」から、基準値以上の放射性セシウムが検出されたとか。そんな遠い場所でと思うと、宮城、福島のことが心配になるのは、農学部を卒業したものだからでしょうか。。。

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はじめまして

2011年5月10日 (火)

新しくポスドクとしてメンバーに加わりました坂園です.仙台から遠く離れた九州の福岡から移ってきました.今からすでに冬を無事に越せるか心配です.

このたびは,東日本大震災でお亡くなりになられた方々に深く哀悼の意を表しますとともに,被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます.復興には長い年月が必要になるかと思います.私もできることから始めたいと思っています.
私は地震当日,偶然にも仙台に滞在しており,夕方の便で福岡へ帰るために仙台空港へ向かおうとしていたところでした.結局帰ることができたのは1週間後だったのですが,仙台滞在中は渡辺先生を始め,多くの方々に大変お世話になりました.この場をお借りして改めてお礼申し上げます.
あの1週間は人の温かさを改めて実感した期間でもありました.被災1日目にひとりきりで避難した小学校では,見知らぬ私に食べ物や毛布を分けてくださり,そばで一緒に過ごしてくださった方々もいました.今回の被災時に限らず,困ったときにはいつも誰かに手を差し伸べてもらっているなあと感じることが最近多いのですが,ではどうやってそのお返しをすればよいのかと考えると...なかなか難しいです.

ともあれ,仙台にできた新たなご縁を大切に,自分にできることを精一杯していきたいと思っております.どうぞよろしくお願いいたします.

PD さかぞの

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心の問題、眠っているdata、風が吹いたら、。。。(5/9)

2011年5月 9日 (月)

 先週末、とある学会の評議員会で東北大、仙台、東北地方の東北関東大震災に伴う被害などについて、報告する機会がありました。昔と違って、mailなどがあり、それで返事が来るので、それなりに復活していると思われる方もいれば、まだ、これからという点を話すと、継続的なサポートの声を頂いたり。その中でも議論になったのですが、3/11のM9.0というのはとてもすごい搖れでした。3Fという場所でさえ、かなり揺れました。もっと高層建築の建物にいれば、もっと大きかったと思います。場所によってもかなり違います。そのときから比べれば、余震はあるものの、小さくさほどでもありません。ただ、これは、人の心の感じ方の問題です。渡辺は大きな搖れにひたすら耐えてと言うか、何もできずに立っていました。天井が落ちるなどが起きなかったおかげか、特に恐怖心は植え付けられませんでした。ので、搖れがきても、さほどという感じです。一方で、RIを使わないで、遺伝子実験をやった世代でもあることから、放射性物質の飛散には頭を抱えるというか、そちらの方が恐怖の塊でしかありません。いずれ、こうした「心の問題」で、仙台に帰ることができない学生がずいぶんたくさんいると言うことを伺っていました。本当は、そうなんだけど、それが言えないという方も多いのではと危惧しております。そんなとき、共同研究が例えば、関西方面などであれば、また、違った雰囲気で実験できるでしょうし、共同研究ベースがなくても、新しくそうした方々を受け入れてくれると言うことを学会として、とりまとめていただけると言うことを聞き、ほっとしております。頭では分かっていても、心の問題はそれとは違う反応をしますので。。。

DSCN0498.JPG そういえば、出張先で「放射線遺伝学」に造詣のある先生とお話しする機会がありました。今も農水省には、放射線育種場というのがあり、gamma線照射により、新しい品種が出ています。自家和合性に変異した、「おさ二十世紀」梨というのもあります。そうしたpositiveな面は、学生の頃の「植物育種学」で習ったのを思い出しました。ところが、この様なことが確立するまでには、放射線が生物に対してどのような影響があったのか、動物、植物を交えて様々な研究があったようです。植物でも、trickyな系を使って、低線量の放射線が与える影響というのを調べた方がいたというのを伺い、今の状況を想定していたかのようで、驚きと感動と感謝の気持ちになりました。渡辺の方でも十分に咀嚼できてない部分があるので、また、改めて、このことは記したいと思います。お時間をいただければと思います。ここで思ったことは、植物、生殖、遺伝というこの別々のことを見ても、渡辺の知らない眠っているdataがたくさんあり、それらを死蔵しないように、利活用できるようにしなければ、なんのために、それが積み上げられたのか、ということを思い知らされたような気がしました。これを機に、昔の本を探してめくってみるだけでも、考え方がずいぶんと変わるのではと思いました。

 心の問題も、古いdataも、こうした事態が起きたので、考えるようになったのかもしれない。まさに、「想定外」とも言えることと言うか、「風が吹いたら桶屋が儲かる」みたいな関連がないようなことを関連づけるしか、これからの社会全体を考えるのしかないという気がする。社会だけでなく、サイエンスもかもしれない。ありきたりのことでは、このあと大きな発展は見込めない、そんな気がしてならない。。。。


 わたなべしるす

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前田です。

2011年5月 7日 (土)

はじめまして、渡辺研新M1の前田です。

 

この度の東日本大震災において被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。

もう2カ月がたとうとしていますね。当時は、山形県の日本海側、庄内にいました。

あちらも揺れはしたのですが、住んでいた日本海側とテレビ越しに見る太平洋側とではまるで世界が違うようでした。

引っ越しなども遅れ、GW直前にようやく仙台にくることができました。

あのような大災害にも関わらず2カ月足らずで不自由なく住めるようになっていて、仙台の方々のパワーに圧倒されています。

しかし、まだ避難所生活をしておられる方がいるのも事実で、何か自分にもできればいいと思います。

 

GWは部屋の片づけや足りないものを買いに行っていたのですが、仙台の街は賑わっていました。

東北魂、底力を感じました。

1日でも早い復興、1人でも多くの笑顔を願っています。

 

また、ラボのみなさんはとてもいい人たち、熱い人たちで感動しました。

そのメンバーとしてしっかりしていきたいと思います。

 

前田。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その10(5/3)。

2011年5月 3日 (火)

 その9を記してから、10日近くたちました。前回の記事を書いたときには、揺れない時間帯というか、時期になっていましたが、また、よく揺れるようになりました。慣れるというよりは、搖れ始めたら、研究室のテレビをつけて、地震情報を確認するのが多くなりました。地震情報のHPを見ていると、今回の地震があったところ周辺で、10-20回は1日に揺れているようです。大きい小さいはあれ。M4くらいでしかないので、研究室に被害が拡大するということは、ほとんどないのではと思います。現時点で一番大きな問題は、放射能汚染でしょう。これは、東北・東日本全体の問題というより、日本全体での深刻な問題となっています。それに伴った「風評被害」もいれると、Four disasterというしかないのかもしれません。。。。科学雑誌Scienceでは取り上げる記事が減ったような気がしますが、Natureでは、毎週何らかの記事が出ています。最近は、日本語のサイトもあるとか。

s-DSCN2687.jpg では、研究室はというと、この連休を前にして、今年度のメンバーがすべてそろいました。何よりだと思います。お互いの無事を確認でき、また、一緒に仕事を始めることがみんなそろってできたのは、本当にうれしいことです。3/11のあの時、本当にどうなるかと思ったのですが、。。。研究室には学生さんたちの声がするのが何よりです。また、そろっているメンバーの方々が、大掃除をして頂き、気分一新のlab環境ができたのも、これからの励みになりました。ありがとうございました。

 ただ、被災した実験器具が多く、この時期は、イネの作付け、アブラナの花のサンプリング、そして、アブラナの花の花粉、めしべの遺伝子型、表現型を観察が重要な時期になります。ところが、この震災で蛍光顕微鏡が墜落して、鏡筒は折れ、システムが破壊される大破でした。。。。さすがに頭を抱えていたのですが、20年近く前の学生の頃の古い蛍光顕微鏡を発見し、写真撮影はできないものの、何とか使えそうということが判明しました。何とか、この春は最低限ですが、乗り越えることができるような気がします。

 連休中にどこかに出かけることもあまりなかったですが、震災直後から比べれば、町中の人でも多くなりました。ただ、上記のような余震が続くこともあり、瓦葺きの大学創設当時の建物は、そのたびに被害が大きくなっているような気がします。そういえば、この10日間に、工学部での「科学者の卵」の会議の時に、工学部の被災現場を見せてもらうことができました。震災直後のNatureにも東北大のことが記事になって出たようですが、その記事の写真の現場を見ることができました。エレベーターは落下し、柱、梁が折れ、壁が落ち、という惨状でした。ちょうど、東北出身の国会議員の方がいらしていましたが、その方も、これは立て直しですねというようなレベルでした。それくらい大きな被害地でした。そんな中、建物の真ん中には、戦前の電波通信の基礎をつくられた「八木秀次先生」の胸像がありましたが、もちろん、被害はなく、なにをか言わんやという感じであったのが印象的でした。

DSCN0483.JPG 青葉山の被害が、片平、雨宮地区よりひどいというのは、実際に建物を見て、そう感じることができたのは、この10日間のそれぞれの地区での会議などで実感できました。これは感覚の問題かもしれないですが、渡辺が居住している片平地区がもちろん、建物が低いこともあるかもしれないですが、建物そのものには、さほどの被害はありません。中は、ぐちゃぐちゃでした。。。その理由として、片平は、江戸時代に「片平丁」と呼ばれる旧町名があり、昔からのしっかりした地盤であったのだろうと。それに対して、青葉山は、戦前には、旧日本軍(?)か何かの施設があり、亜炭坑が採掘されていたとか。完全に炭化した石炭でないことから、柔らかい、また、地中のあちこちに坑道が張り巡らされているとか。そんな山の上に建物があったのも被害が増大したのかもしれません。そう考えると、より安全な地盤に建物を建てるということの大切さを実感させられ、将来に対して、どうすればよいのかというコンセプトをもらえたような体験でした。

 この間のよいニュースは、落下した設備品や大きく降られて移動した「実験台」を交換したり、修理をするような予算が動き始めるのではということでした。これで何とか夏前までには実験をする体制が整えられ、その体制ができあがるまで、全国の大学で共同研究をしている方々から、一時的な実験引き受けを提案されているので、それで何とか、研究をさほど止めることなく、進めることができそうです。

 連休も折り返し。この連休で少しでもlabの皆さんの心身ともリフレッシュして、5/9からの新学期開始に様々な面で、よい方向に進んでくれるのではと思っております。


 わたなべしるす

 PS. 今日から出張ですが、宮城、福島ではほとんど田植えの準備もできておらず、栃木まで来ると、田植えの準備が進捗していたのは、今回の震災、福島原発放射能汚染が影響しているからだと思います。「直ちに健康に影響はない」という言葉をたくさん聞きました。震災以来。ただ、多くの放射能物質が空気中に飛散し、土壌表面、土壌中にあるのは事実だと思います。これがどれくらい土壌に残るのか、植物に吸い上げられるのか、このような異常環境になったことがないので、誰にもわからないことかもしれません。だからこそ、この時期に、植物科学を志すものとしては、水田をつくり、畑作をするということを今年こそ、しないといけないのだと。出張では、パソコンを打っていることが多いのですが、今回は、回復間もないこともあり、通常のような280km/hrの走行ではなく、徐行していることもあり、ゆっくりと風景を観察できたのも貴重でした。

DSCN1700.JPG それから、この地震を「東日本大震災」というようですが、通常、東北・仙台は北日本のような。。。その点では、「東北・関東大震災」という方が、しっくり来るというのを、改めて実感しているのでした。もちろん、命名する人にはそれなりの意味と心を込めてだと思いますが。。



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