東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

2014年9月の記事です。

稲刈り 2014

2014年9月24日 (水)

増子です。今日は坂園さん、たぐち、なべもと、いわもとと一緒に農学部にイネ刈りに行きました。毎年、農学部に水田をお借りしており、10月くらいに狩りに行きます。今週末に台風16号が来る!という情報が入り、今年は倒伏前の天気の良いうちにやっちゃおう!ということになりました。しかし、それを今朝まですっかり忘れていた増子は、長靴を忘れて家に取りに帰ったため、ちょっと遅刻しました。みんなごめん。農学部に着くと、小さかったイネたちは、すっかりたわわに実る立派な姿に。実るほど頭を垂れる稲穂かな。いくつになっても謙虚な気持ちを忘れずにいたいものです。それはさておき。

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今日は学生バイトの小倉くんも手伝ってくれました。カマの扱いに慣れてるし、若い力は心強いです。刈ったイネをまとめ、脱穀にそなえます。どんどん刈って、渡しますよー。は~どんどん。は~まだまだ

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あっという間に刈られていくイネ。出来ていくイネの山。今年は早めのイネ狩りのため、倒伏も少なく、ネズミや鳥による食害も少なく、実入り良い印象ですね。豊作です。

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"ほら、怖くない・・・ね?"なべもとがバッタ相手にナウシカになったり、いわもとが伝統気功・華侘五禽戯の鳥戯の型(鳥の技は毛穴・皮膚呼吸を鍛え、型が表す季節は秋)をして気を練ったりして、一時間ちょいすると、すっかりイネが刈られました。いやあ、美しいですね。

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これを次は脱穀です。今年も脱穀機をお借りして、モミを外して持って帰ります(モデル・小倉くん)。年代物の脱穀機、今年もお世話になります。たぐちが脱穀機のご機嫌を伺いつつ、モミを外していました。

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しかし、脱穀のためには、余計な葉を取ってやらなくてはなりません。そのまま機械に突っ込むと絡んで不調の元になる可能性があるんですね。これが意外と手間で。モスバーガーをもぐもぐしつつ作業していると、全ての脱穀が終わる前に途中で雨に降られてしまいました。そこで残りのイネを片平に持って帰ることに。車に積み込んで積み込んで。。。

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結果、車の前にも後ろにもぎっしりのイネ。前のイネにはシートベルトをしました。いやあ、イネにシートベルトをすることになろうとは。素晴らしき哉、我が人生。エンジンをかけると、助手席で小刻みにカサカサ震えるイネ。見ようによっては、かわいらしいのかもしれない。。。思考が迷走しているうちに、片平へ着きました。

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残ったイネは温室に保管し、そのうち脱穀に行こうということになりました。脱穀の後は、モミを外しに例の精米機のところに行こうと思ってます。

 

ますこ

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【出前講義】愛媛県立今治南高等学校・園芸クリエイト科・特別講義「今治市立日高小学校・2年生との交流学習「野菜栽培指導」と日高農場での肥培管理」(9/24, 19:30、追記あり)

2014年9月24日 (水)

 このところ、愛媛に出張があると、近くに台風が来ていることが多いのは、何かあるのかと思うくらいです。おかげで日中の気温が少し上がり、週末、久しぶりに発熱でdownしたこともあって、また、仙台が涼しくなったこともあって、外での実習はこたえました。。。ただ、台風は昨日あたりまでかなりの被害を出したようですが、今日の夕方、夜には温帯低気圧に変わるというので、明日からの岡山での出前講義も大丈夫でないかと。本四連絡橋ができたとはいえ、風が吹けば、四国は孤立してしまうので。

 9/24(水)は、いずれも今治市内の高校での出前講義。午前は、愛媛県立今治南高等学校・園芸クリエイト科での肥培管理だけの予定でしたが、2年前にも出前講義で伺い、今年は冬期間中に出前講義をお願いされている、今治市立日高小学校へ訪問・交流学習。小学校2年生に「ジャガイモ」と「春野菜」の種播きなどの指導を、一緒にと言うことで。高校生と一緒に、小学生を指導するというのは、石川県立小松高等学校での実験指導以来でしょうか。栽培に使う土などは、高校の先生方が準備され、春野菜の種は、小学校の先生方が準備され。。。ジャガイモは、肥料袋に種薯を植え付けて。寒くなるまでに収穫できる早生品種を。西南暖地ならではのことだと。仙台だと、ナス科の作物は、秋にと言うのは、かなり難しいような。昔だと、縦の繋がりがずいぶんあったので、先輩からいろいろなことを習ったもの。良いことも悪いことも。。。でも、そんな繋がりが希薄になりつつあり、また、田舎であっても、野菜の栽培を知らないという子供さんも。知らない人に声をかけられても、話をしたりしないようにという指導であったり、子供から何をしているのかを聞かなくなったり。。。なかなか難しい時代となり、こうした野菜の栽培を通じて、小学校と高校とが交流というのは、よいことだと。伺ったところによると、15年近く続いていると言うことなので、さらに進化・深化して、連携ができれば、また、お手伝いができればと。

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DSCN3821.JPG お昼前の時間は、野菜の肥培管理。キク、ダイコン、トマトなどを対象に管理。メインは、キクの盆栽。以前に訪問したときは、ガラス室の中は、スイカ、トマト、メロンが栽培されていましたが、以前、記事にも書いたとおり、今はメロンだけが栽培され、スイカのように、上からつるす形での栽培を。これは初めて見ましたし、太陽光が当たりやすいという意味では、よいことだなと。昨年のこの時期に訪問したときにも書いたかも知れないですが、キクの栽培は立派なものがあります。枝を仕立てる、腋芽をのぞくなど、大変だと思いますが。大学ではできないようなしっかりした肥培管理で。。。こちらもこうしたことは学ばないといけないなと。。。6月に出前講義で伺ったときには、スイカの交配と果実の内部形態観察。その時に、最後はスイカを試食した訳ですが、その時に食したスイカの種子から、苗ができて、立派な果実になっていました。ずいぶん温度が違うからでしょうが、8月の終わりに交配して、この大きさまで生長しているのは、ハウスの中と言うこともありますが、ずいぶんと初秋は暑いのだと。。。仙台での生活がなれた渡辺には、今治での初秋の暑さを思い出させてくれたスイカの果実でした。

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DSCN3831.JPG 最後になりましたが、愛媛県立今治南高等学校・園芸クリエイト科の別府先生をはじめとする関係の先生方にはお世話になりました。ありがとうございました。次に訪問できるのは、冬のシーズンか、来春になると思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。


 わたなべしるす

 PS. 日高小学校の渡部校長先生は、これまで、日吉小学校の教頭先生として、長く出前講義でお世話になった方で。このようなところでお目にかかるとは、びっくりでした。日高小学校では、文科省の研究指定を受け、11/7(金)に文部科学人権教育研究指定校事業研究発表会を開催する予定とか。研究主題は「互いの人権を尊重し、共に学び支え合う児童の育成」。今回のような交流会において、小学生と高校生が一緒に活動することの教育効果は両者にとって大きいと。生命体(野菜)とかかわり、生命を育てていくことは、自分以外(他者)とのかかわりによって成立すると。友人との協力も欠かせない訳であって、さらに、栽培活動には感情が伴います。物言わぬ植物を思いやり・責任を持って育てるというのは、大事です。また、そのかかわりの中から自分自身の存在を確かめることができるというのが重要だと。。(自己効力感)。子どもにとって体験が大切であるが、なかでも野菜栽培は、生命とかかわりながら成功体験を積み重ねることができる絶好の活動であると、というのは、うれしいことだなと。。。。(19:30、追記あり)

 ということで、たぶん、2月になると思いますが、出前講義に伺いますので。楽しみにしております。

DSCN3819.JPG PS.のPS. 日高小学校の校庭の片隅で「ヘチマ」の栽培を見つけました。この前の仙台市立木町通小学校では、花も咲いていませんでしたが、こちらは、暑い分だけ、大きなヘチマもありましたが、ちょうど開花した雌花も2つほど発見。遺伝学をやっていると、ついつい、交配をしたくなるもので。。。雄花を見つけては、たくさんの花粉をかけておきました。うまく大きなヘチマができるのではと。。。

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現実、理(ことわり)、同志、秩序、保護、堕落、聖域、緩衝、完璧、始祖、逆転の発想(9/22)

2014年9月22日 (月)

 どこかで記したが、この4月で大学に入って30年目。というか、31年目がスタートした。30年前には、入学式もなく、オリエンテーションで、先輩たちから大学とはというか、単位はこうやってというようなことを習ったような。。。担任の先生というのがいて、びっくりした。大学になっても担任というのがと思ったら、今日会うのがたぶん、最後だからと。。。確かにそうであった。そんな不思議な現実を見た。というか、自分たちで何でもやるんだなと。。。そんな教養部でのオリエンテーションの翌日(たぶん。。)が、農学部のオリエンテーション。すでに学科が決まっていたので、農学科の教授の方々が1番教室の前に座って。。。挨拶を頂いたような。座長は誰がされていたのか、思い出さない。高校の時に「謎のコメが日本を狙う」と言う番組を見て、品種改良、育種をと思っていたので、植物育種学の日向先生が話された「統計学をしっかり学んでくるように」というのが、第壱の印象であった。今でこそ、平均、分散、検定と言うことで統計学の重要性は理解しているつもりであるが、その当時は。。。いずれ、統計学はちゃんと学んだような気がする。研究室に配属になる前から、何度も日向研には出入りしていた。自主ゼミの先輩がいらしたり、サークルの先輩がいたのもあったが、意外と日向先生と会うことはなかった。ただ、いらっしゃるときには、不思議と飲み会をしていて「また、飲みに来たのかね?」と言って頂いたような。。。飲むのが苦手な渡辺には、何ともいえないお言葉であった。それが第弐の思い出かも知れない。そんなこともあって、日向研への配属を目指していたこともあり、3年の夏休みには、イネの葯集めのアルバイトもした。月曜から土曜は朝から夕方まで、日曜が半日のアルバイトであったが、今なら、ハードと思えるバイトも、花粉集めの掃除機を開発したり、楽しい思い出であった。高校野球のラジオをつけて、圃場の小屋で仕事をしていた訳だが、音量が大きくて、先輩に怒られたことも。七夕の前には、大雨が降って、水田、小屋が水没したことも。。。そこまでしても、日向研への配属と言うことだったのだろう。学部の3年の最後になると、研究室配属になる。どの研究室か、全体で26名の同期のメンバーで悩んだ。ただ、なんとか、がんばって、日向研への配属というのがかなった。テーマ決めの時に、「組織培養」と「自家不和合性」で悩んだ。最終的に決める前の夜の風呂の中で、イネの葯集めのアルバイトをしたのだからという理由で「アブラナ科植物の自家不和合性」のテーマを選んだ。ただ、マウスを飼育して、抗体を作ると言うことで、悩んだが、気がついたら、理学部・生物の竹内研でモノクローナル抗体を作ることになって、日向先生の車で青葉山に行き、竹内先生に紹介され、動物細胞の培養を始めていた。最初にやろうとしたことと、違うなと思いつつ。でも、これも現実なのだろうと。。。これが、第参の思い出

DSCN3775.JPG 研究室に入ると、英語のゼミがあった。何をやればよいのか、そんなこともわからない。図書館の新館コーナーで、J. Immun. というのの中に、何かの花粉症のモノクローナル抗体を用いた解析のようなのがあった。今なら、J. Immun. が医学系の雑誌というのがわかっているが、その当時はわからず、ほかのideaもなかったので、読んだが、さっぱりわからず、はちゃめちゃな最初のゼミであったら、普通なら、日向先生から「はい、来週やり直し!!」と言う言葉が出るところが、それも出ずであった。未だに理由はわからないというか、聞いたら、やり直しと言われそうで、聞けないままだった。ゼミでも、研究でもそうであったが、物事の理(ことわり)というか、「君のlogicはね。。。おかしくないかい。。」と言うのをたくさん耳にした。論理的に考えることの大切さを伝えようとしてくれたと思う。これが第肆というか、ずっとかもしれないが、重たい言葉であった。そんな渡辺も大学院に進学することを決めたが、当時は、専門が3科目、英語、ドイツ語とあった。中でも語学は苦手であった。そのため、英語、ドイツ語を勉強していたためか、専門は、だめであった。堕落した夏休みを過ごしてしまったような。。院試が終わって、当時の園芸の助教授の尾形先生に「渡辺、どうしたんだ、できてなかったな。。。」と言われる一方で、農業経営・教授の酒井先生には「育種の割には、よくかけていたよ。」と言ってもらった。では、当の日向先生からは、面接の時に「物事を知っているかも知れないけど、論理的な文章でなかったね。。。」と言うようなイメージのことを言われて、院試はだめだったのかと思ったが、なんとか、残ることができた。抗体を作る実験で精製したS糖タンパク質(SLG)が必要になった。当時、共同研究をしていた東大・農学部の磯貝先生のところへ、凍結した柱頭を持ち込み、精製したSLGをもらってくるようにと。農学科で習う講義のほとんどが、農作物のどちらかというと生物学的側面。化学的面はあまりなかったこともあって。高校時代は化学が好きであったこともあって、楽しみであったが、訪問するときに、ちょっとしたことが、。。「精製したSLGがないと、抗体の力価がはかれないので、精製したSLGが必要と、山の上で言われたのですが。。。」と。。。「だったら、東大の磯貝先生のところへ行って、もらってくるしかないね。電話で連絡してあげるから。」と、日向先生が言われて、当時は、直通の電話でなく、交換手がいた電話だったので、教授室の電話から「・・ということで、渡辺君にいってもらうので、よろしく。。」と言うようなやりとりだったような。で、そのあとであった。「渡辺君、東大、わかる、行ったことある??」、「はい、農学部は正門からなら入ったことあります。」と。「だったら、入ってすぐ左の建物が農芸化学の2号館なので、そこの3階(??)のこのあたりが、磯貝先生の部屋なので。行く前の日に、ドライアイスを購入しておいて、冷凍庫の柱頭を入れたお弁当箱を持って行って、かえりに、SLGをもらってくる」ようにと。東京には高校時代の友達もいたので、何度も行ってはいたものの。。。「で、日向先生も一緒に行かれるのですよね??」といったら、「東大までの場所がわかっていたら、2号館の建物と、地下鉄の乗り換えをおしえたら、1人で行けるよね。」と、笑って言われた。学生の自主性というか、過保護にしないで、責任を持ってやらせると言うことが第伍に教わったことだろう。実際、地下鉄にラッシュの時間に乗ると、とても大変で、また、磯貝先生の部屋の重たい扉を開けて、「東北大の日向教授の所から来た、渡辺と申します。磯貝先生はこちらでしょうか??」といったら、奥の方から「はい、磯貝です。どうぞ。」と言って頂いたような。当時、精製を担当されたいた、院生の塩澤さんに「12mM(??)のリン酸緩衝液くらいだと思いますね。この液クロのチャートから見たら。。。」といわれて、そうなんだというか、なぜそうなるのか、わからないまま、もらって帰ったような。。。抗体を使った実験で、SLGに類似した構造を持つものを葯の中に発見した。今にして思えば、おかしな実験をしている訳であるが。。。実験をしていた1980年の終わり頃は、それでよいと思っていた。1遺伝子座の上には、1つの遺伝子しかないという発想であったので。どうやって、違うものをそれぞれ雌雄で作り出すのか、そんな理屈を考えることもなく、まず、ひたすらやってみたら、偶然、見つかった。もちろん、未だに、それが何なのかは、不明であるが。。。その実験の再現性であったり、近縁植物での多様性であったり、今にして思えば、そうしたことをすると自分でも思うが、当時はそんなことも思わず、ひたすら実験をしては、週末の土曜日の午前中に、その週の実験内容を日向先生と議論していた。ただ、日向先生もタンパク質のdeepな面まではfollowできないので、「これだったら、東大の磯貝先生のところへ行って、議論してくるかね。。。」といって、数ヶ月に1回くらいだろうか、実験の相談に伺った。もちろん、渡辺1人で。。。今なら、プレゼン資料は、Power Pointのppt fileであろうが、当時は、電気泳動、抗体で見つけたタンパク質のバンドなどを白黒写真で撮影・現像して、ケント紙にはり付けて資料作りという、原始的なものであった。結構、大変であった。それを作っては、議論してきた。それが、日向先生がよく言われていた「餅は餅屋」という専門性を大事にて、それが一番よくわかる共同研究をしている方々というか、同志に話を聞いてきなさいということだったと思う。第陸の教えとでも言えばよいのだろう。

DSCN3781.JPG 科研費の研究集会にも早くから連れて行って頂いた。筑波大の原田先生が領域代表をされたときの発足会議から、4つあった班のうちの生殖を担当された日向班の発表会にも。最初の会議は秋田市内であった。M2の秋から冬にかけてであったような。その秋の育種学会で先の偶然見つけた葯タンパク質の話をして、それと同じことであったが、偉い先生方の前で、渡辺もしゃべることを仰せつかった。他の大学の先生方の所も同じように院生がしゃべるのだろうと思っていたら、渡辺だけであった。。。それを知って、かなりびっくりすると同時に、渡辺で大丈夫なのだろうかと思った。もちろん、前日までかなり練習をした。原稿なしでしゃべれるようにはなったものの、質疑に耐えることができるのか。とても心配であった。それを日向先生に伺ったら、わかることをこたえればよいのだと。若いうちからプレッシャーのかかる中でしゃべることの大切さをおしえてくれたのが、第漆の教えである。その関係だろう、自分も学生さんたちになるべく若い時代から、いろいろな人の前でしゃべるようにしてもらう。実験がある程度まとまれば、論文を書くようになる。ところが、英語が苦手な渡辺には一筋縄ではいかない。いろいろな論文を読んで、こんな場合は、こんな表現をするのだというのを学びながら、論文を書いたが、跡形もなく、日向先生に直された。まるで、4塩基認識の制限酵素でゲノムを切ってしまったように。。。ただ、直された英語を書いてみて、また、論理的に考察を構築することを理解できた3つ目当たりの論文からくらいだろうか。少しまともになってきた。「論文はね、。。まず、実験をしながら、材料と方法、結果を書くんだよ。それができたところで、自分の結果は、自立できないでしょ。他の周りのこれまでのdata、結果とすりあわせて、周りから添え木をするから、立てる訳だよ。そうして、考察ができるんだよ。そうしたら、その結果、考察がきれいにかっこよく、論理だって見えるように、イントロをつける訳。最後に、どんなタイトルをつければ、多くの人が見てくれるか、そう考えれば、論文ができる訳さね。。。」と、教えていただいたが、実際は簡単ではない。ただ、それでも自家不和合性だけでなくて、いろいろな分野の論文を書くことができた。もちろん、この教えに従って。。。それから、大事なこととして「◎△と論文は、他の人に見てもらうほど、きれいになる」と。◎△については、想像をして頂ければ、幸いである。たくさんのプロと共同研究をしている訳なので、異分野の方々に読んでもらってから投稿できた。これが第捌の教えとなった。アブラナゲノムというか、植物育種・遺伝学の講義には、1920~30年代くらいのゲノム解析というのがある。異種植物間での染色体の対合パターンから、同祖性の染色体を探し、それぞれの植物のゲノムの関係を理解するものであった。アブラナゲノムで有名なのが、U's triangle(禹の三角形)。この禹博士の博士論文の由来も。最初は、アサガオの研究で実験をして、博士論文をと思っていたのが、提出前夜の出火で全てが消失。その時に、サポートしたのが、日向先生が自家不和合性の研究をするきっかけとなった水島先生だと。作物育種学講座の始祖ともいえる初代教授であり、渡辺が今いる研究所のoriginである、附属農学研究所の助教授であった方。この水島先生と後に九大・農学部の育種学の教授となる永松先生が禹の三角形の実験を支援したと。。。禹博士のことがあったからこそ、水島先生がアブラナ科植物のゲノム解析をされ、そのつながりで、自家不和合性の研究を始めた日向先生。そうした禹博士のようなことが起きないような注意力と一方で、そうしたことがあったか、自家不和合性研究をしているという不思議をおしえてくれたのが第玖の教えとなろう。

DSCN3786.JPG 書くことを続ければ、まだまだ書き足らない。と言うか、思い出されることはもっとたくさんあると思う。そんな研究をする上で、日々、生活をする上での大切さをおしえてくれた日向先生が2014年9月13日(土), 14:30になくなられた。ちょうど、科学者の卵養成講座を工学部で運営していた頃であった。いつだったか、こうしたアウトリーチ活動を評価してくれたことがあった。だから、そんなことをしているのをよしとして、こちらは高校生への教育をすることができたのであろうと思うと、感謝と涙が浮かぶ。ただ、最終講義のあとにも、こちらが仕事というか、研究をし続けることをよしとして、定年のイベントにかかわらず、実験するようにと、そんな親心というか、それが今回のと言うか、最後の配慮であり、第拾の教えだったのだろう。これらの壱から拾の教えを大事にし、完璧に遂行し、これまでの秩序、聖域と言われたものの中に、逆転の発想で、新規なものを見いだしていくことが、弟子としてのつとめであろう。。。とおもった、2014年、秋のお彼岸であった。。。

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 わたなべしるす



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食べすぎー遊びすぎーで、ぐったりーなアラサーの夏休み。

2014年9月22日 (月)

こんにちは、M2の辺本です。

何もしないまま、あっという間に夏休みが過ぎてしまうわーと悲しい気持ちになっていたところ、
友達が仙台に遊びに来てくれるというので、ちょっこり夏休みをとってきました。

まずは、お決まりの松島へウミネコと戯れに・・・・ではなく、
(ウミネコへの餌付けは今年春から禁止になっちゃったのよねー)
海鮮を食べに!自分で焼いた笹かまを食べながら、市場まで歩くのがおすすめ。
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久しぶりの海鮮丼、今回は「伊達政宗海鮮丼」を食べました。
牡蠣の食べ放題も始まっていたので、海鮮丼の後に余裕があったら・・・
なんて考えていましたが、海鮮丼だけで満足満腹でした。
あー牡蠣も食べたかったな。

満腹で動きたくないという体の指令を無視して、松島をぶらぶらしながら円通院へ。
いつもは瑞巌寺へ行くのですが、たまには違うところへという私の我が儘を通しました。
円通院に入って早速、恋みくじを引き、きゃっきゃしながら
政宗の嫡孫である光宗の霊が祭られた三慧殿(さんけいでん)へ。
その厨子の中にはバラ、水仙の他、ダイヤ、クローバー、ハート、スペードが描かれている・・・
ということで、2人で必死に探しました。すぐ隣に、説明ボードがあることも知らずに。
どおりで必死に探す人が誰もいなかったわけか!
恥ずかしい思いをしました。でも自分たちで探し出そうという気持ちも大切ですよね。
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円通院ではしゃぎすぎて咽が渇いたのでアイスクリームを。(逆効果だったが。)
私は日本酒のアイスクリーム。他にもクラゲとか、シラスとかもありましたよ。
挑戦したい人はぜひ食べにいくといいよー。

仙台に帰ってきてからは、満腹ーと言いながらもホヤを食べてみたいという友達のために、
夜も海鮮を食べに国分町へ足を運ぶのでした。美味しかったー。
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2日目は主に仙台市内を観光してきました。カメイ美術館瑞鳳殿仙台城跡など。
仙台城跡では、前に曽根さんが引いていた獅子舞が踊りながら引いてくれるやつを引きましたよー
カメイ美術館には、絵画やこけしの展示があるのですが、中でも蝶の標本に感動。
亀井さんが中学の頃から60年以上にもわたって収集したコレクションしたんだってー。
すごいよねー。世界に3頭しかいない標本なども展示されていました。
蝶の翅で宇宙をイメージした作品があってねー、あれは感動ものでしたよ。

咽の渇きを潤すためにずんだシェイクを飲み、(これまた逆効果)
お昼は無理矢理、利久で牛タン定食を食べーの、
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夕方からはオクトーバーフェスト!今年も早速行ってきちゃいました。
28日までなので、まだ行ったことのない方がいれば是非~。
お金がない学生は、ラーメン屋などで少しお腹を満たしてから行くのがお勧めです。
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3日目は、みちのく公園へ。お花が綺麗でしたよ。
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ちょうど保育園児たちの遠足だったようで・・・後ろから襲ってくる子供の集団にぞっとしました。
子供たちが公園の遊具で遊ぶ中、20代半ばの私達は古民家が並ぶふるさと村で、
漬け物食べたり、昔話を聞いたりして、ぐーたら過ごし、
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子供たちの元気が半分になった夕方頃、遊具で遊んできました。
変形自転車や足こぎボートで遊び、なかなか出来ない体験をしてきました。

と、こんな感じの夏休みを過ごしました。
去年から色んな友達が遊びに来てくれるおかげで、色んな方向から東北を楽しめています。
いやー、友達に感謝ですね。次はどんな楽しい旅ができるかな・・・
今回も久しぶりの外出で、気分もスッキリ!
しかし日頃しない遊びをしたせいで、筋肉痛。あと笑いすぎて、腹筋が痛いです。
筋肉痛と闘いながら後期も頑張りたいと思います。


M2 ナベ

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【出前講義】仙台市立木町通小学校 5年生「花の不思議な世界--りんごの花からリンゴができるまで??--」(9/18)

2014年9月18日 (木)

 今年は秋が早いこともあって、リンゴの色づきもよくなるのではないかと。今朝も、それなりに寒かったと。。。空もずいぶんと秋空になって。一方で、寒暖の差異も大きいので、普段の生活をする方も体調管理が大変で。。。ただ、湿度が下がってきたのは、しのぎよいのかなと言うもあって。。。写真を撮る時間がありませんでしたが、今年の夏の気象条件がよくなかったからだと思いますが、ヘチマの葉っぱの生育はよかったですが、花があまり咲いてなく、来月の「ヘチマの仲間」の講義で大丈夫かなということで。。。ヘチマも沖縄などでは食べる作物なので、作物の栽培はやっぱり難しいなと。。。一方、建物に入ろうとしたときに、「博士、教授!!」と、窓から声をかけてくれたのは、うれしいですね。また、この木町通小学校では、いつも小さな黒板にwelcomeを書いてくれています。ありがとうございます。いつもうれしく拝見しています。

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DSCN3756.JPG そんな中で、久しぶりの木町通小学校の5年生に「花の不思議な世界--りんごの花からリンゴができるまで??--」。5月に「キャベツとブロッコリー」を講義して以来です。3クラスが教室に入ってくれたところで、この学年なのだなと。。。思い出しました。最初は、いつものように花を見て、名前を知っているかな??ということ。5つあったうち、ガーベラは難しかったですが、それでもわかる方が。たいしたものでした。また、ヒルガオの理由として、影があるからというのも。では、花を構成している、がく、花びら、雄しべ、雌しべの順番は???となると。その後は花粉管伸長の動画と電子顕微鏡での雌しべの先端の観察。10,000倍以上に見えるというのは、かなり不思議な世界のようでした。

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DSCN3763.JPG ここまでの花のイントロのあと、では、リンゴの花からリンゴができるまでを知っていますかというと、知っていると。なんと、福島市内におじいちゃんのおうちがあるとか。ちゃんと観察しているのだなと。。とても感動でした。リンゴだけでなくて、多くのバラ科の果樹を栽培していて、色々なバラか果樹を知っているもすごかったです。。。恐れ入りました。では、そのリンゴにはいくつかの不思議があって。。。その1つが「自家不和合性」。なぜ、自分の花粉がきらいで、他人の花粉が好きなのか。。。ずいぶんとみんな考えてくれて、多様な子孫を残すことができると。。。よく考えてくれたと思います。遺伝的多様性の従生の一端を理解してくれたのでは。。。もう1つは、リンゴの下のへこんだ部分には、がくと雄しべ、雌しべがミイラのように乾燥していると。それを実際に観察をしてもらい。。。給食前の時間なので、おなかがすいていたのでしょうか。しっかり観察していました。最後は質問の時間。たくさんの質問をくれました。まだ、十分でなかったと思います。お手紙で送って下さい。お待ちしております。

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DSCN3766.JPG 木町通小学校で恒例なのは、講義のあとに、一緒の給食。今回は、午後から会議があったり、また、後述しますが、。。。そんなことがあって、今日は給食も校長先生との話もできず、申し訳ありませんでした。次回のヘチマ、ヒマワリの時には、ご一緒できると思いますので。よろしくお願いいたします。最後になりましたが、今回の講義でお世話になった、校長先生、教務の熊谷先生、5年生の担任の先生方、ありがとうございました。これからも科学の芽を育てるために、緊密な連携ができればと思います。

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DSCN3770.JPG わたなべしるす

 PS. いつもは単純に最後は、がんばろうねという形で終わるのですが、いつも白衣姿で講義をするときに、何も言わず、本当はあまり、そうしたことを人前ですることでもないと思ったのですが、喪章の代わりのものをつけて。。。なぜ、このようなことをしているのか。それは、渡辺に今日の話をした「自家不和合性」のことを教えてくれて、その研究をすることを導いてくれた日向先生が亡くなられ、今日がお通夜で、その場所が、木町通小学校であるからだと。1年くらい前だったでしょうか。日向先生と電話でおはなししたときに「出前講義をがんばっているんだね。」というような声をかけていただき。。。500回の出前講義を新聞で見てくれたからだったかもしれません。正確に覚えていませんが。。。そんなで、そんな日にこの自家不和合性の講義をできたことも、不思議なご縁だと。。。小学生の皆さんには少し難しい話だったかもしれないですが。。。きっといつか、わかってくれるときが来るだろうと。。。それをご了解頂きました、5年生の先生方、ありがとうございました。

DSCN3772.JPG PS.のPS. 1年前に木町通小学校で同じ講義をしたとき、こんなことを記していました。「師匠よりも優れたこととして、「青は藍より出でて藍より青し」ということわざが。。それが講義の合間で出てきて、ちゃんと知っている方も。。。感動の連続でした。。」と。。。。去年の同じ日の講義を見て、どれだけ師匠よりもちゃんとできているのだろうかと、この記事を書きながら、深く考えた1日でした。ありがとうございました。さらに精進したいと思います。

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