東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

  • TOP
  • 研究室ダイアリー

研究室ダイアリー

【更新履歴】過去ダイアリーの記事を移動

2011年11月21日 (月)

RIMG0008 (6)

過去ダイアリーの記事を、一部、現ダイアリーに移動しました。

2009年10月11月12月分まで。

 

2007年9月~2009年12月までのダイアリー、ニュースリリースを現ブログに移します。

現システム以前のダイアリーは過去システムに記録されており、多少閲覧しづらくなってます。

そこで、閲覧し易い状態にすべく徐々に現システムに移していきたいと思います。

蝸牛の歩みの如き速さだと思いますが。。。よろしくお願いいたします。

⇒のアーカイブ、2009年12月以前のものがそれです。

 

移しながら、2009年は大掃除と忘年会が12月7日だったなーとか思い出して感慨深かったです。

過去の自分の姿にも感慨深いものがあり、小一時間ひとり反省会をしました。

色々な方面にすいません。。。

 

今年は、11/24(木)に大掃除があります!

4月末に一回大きな掃除をやっているので、床関係は安心感があります。

細かい場所はこういう機会が無いとなかなか手が回りませんから、気持ちよく師走を越せるよう、頑張りたいと思います。

 

増子(鈴木)

ページの一番上へ

【出前講義】和歌山市立名草小学校・特別講義「まめのひみつ--どんなまめがあるかな???--」、「キャベツとブロッコリー--何が同じで何が違うの???--」(11/17)

2011年11月18日 (金)

 前の週は、市内の七北田小学校で、花を解剖して、ばらばらにして、観察をする出前講義でした。今週末にかけては、和歌山県和歌山市の小学校へお邪魔しました。和歌山県への出前講義は、2009年に和歌山県立日高高校に行って以来です。日高高校の先生、生徒さんたちとは、コアSSHのダイコンコンソーシアムで、毎年お会いはしているのですが。。

 今回の出張について、この小学校かを書き始めると、ずいぶん長くなってしまうのですが、しばらく紙面をいただきます。渡辺が大学院生、M2の時、はじめて、農水省の試験研究機関の1つである、「野菜茶業試験場(野茶試)」に伺いました。そのとき、アブラナ科植物を研究している育種部第4研究室の研究員をされており、その後、内地留学で、渡辺がD1の時に、日向研究室に来られ、それ以降、ずっと、アブラナのことを教えて頂いていたのが、釘貫さんでした。その後、いろいろあって、なんと、この4月から、今回訪問した、名草小学校の2年生の担任の先生に。渡辺もこれまで多くの出前講義をやってきましたが、小学校の先生方の大変さは、いつ伺っても、感じておりました。そんなところで、新たな出発とは。。。びっくりでした。

 そんなつながりで、今回は、2年生の2クラスでの特別講義と3年生3クラスでの特別講義となりました。3年生は、今年、仙台市内の七北田小学校、木町通小学校で経験していましたが、2年生は初めて。そんなこともあり、まず、1時間目は、2-2の釘貫先生の授業風景を拝見させて頂き、子どもたちの感触をつかんでからの、講義となりました。

DSCN1789.JPG 2年生の2クラスに、「まめのひみつ--どんなまめがあるかな???--」ということで、毎日食べているいろいろなマメ、ダイズ、ピーナッツ、モヤシなどを見てもらい、次に、西表島というか、石垣島で見つけた「モダマ」という50cmを超える大きなさやになるマメを見せると、「ほんもの???」という声が上がりましたが、順番に観察して、鞘を降って中にマメがあるのを音で確認したり。こんなマメを見たのは初めてだったようで、とてもうれしそうだったのが、印象的でした。

DSCN1741.JPGのサムネール画像 午前中の3, 4時間目は、4年生に「キャベツとブロッコリー--何が同じで何が違うの???--」ということで、アブラナ科植物のBrassica oleracea内の交配できるものだけど、形が違う。そんなものを見てもらってから、それを合体させたらという講義でした。いろいろな小学校でもやってきましたが、4年生でやるのは初めて。植物のでき方の基礎というか、葉っぱが出て、茎が伸びて、花が咲く。それを一連のものとして考えることができるか、ということなのですが、3-6年生で繰り返して、こうしたことを学習して、植物の成り立ちをtotalに理解できるのだと。その意味では、4年生には少し難しい課題だったのかもしれないですが、とても論理的に、説明したり、質問する子供さんもいて、よく考えているなと、感心しました。

DSCN1762.JPG 午後からは、校長先生とこれからの連携、取組、等を含めて、いろいろなことがおはなしできたのは、うれしい限りでした。校長先生は「本物」を大切にされていて、それは、自然の中にある、様々な本物を見ることにもつながるのだろうと。近くには野山があり、自然も豊かです。是非、そうした自然の変化を観察することで、科学の目を持つ未来の科学者が育つのだろうと。。。
 最後になりましたが、お世話になりました、山本校長先生、教頭先生、4年生担任の宮本先生、2年生担任の釘貫先生をはじめとする多くの先生方にお世話になりました。これをきっかけによりよい連携ができればと思います。ありがとうございました。


 わたなべしるす

 PS. 学校に入ったとき、二宮尊徳の像を見かけました。今の小学校では珍しく、渡辺の通っていた今治市立桜井小学校にもなかったような、そんな気がして、懐かしさというか、やっぱり、小学校にはと思いました。

DSCN1723.JPG





ページの一番上へ

【出前講義】仙台市立七北田小学校・NSP科学クラブ「花を解剖して、花の構造を理解しよう!!」(11/10)

2011年11月14日 (月)

 渡辺が小学校の頃には、学校の帰り道に花をばらばらにするとか葉っぱをばらばらにしながら、道草を楽しんだのを思い出しいます。ところが、最近の子どもたちは、あまりそうしたことをしない、また、したら、近所から怒られるなど、環境の激変もあるのだと思います。つまり、解剖するという実体験がないまま、高校、大学になって、植物をやるということが多くなったのではと思います。そんなことを打破するために、今年最後の七北田小学校NSPは、4, 5, 6年生で構成されるクラブ活動である、「科学クラブ」で、花、葉っぱ、茎を解剖して、それを並べてみたり、顕微鏡で観察してみたりということを、顕微鏡という科学の力と、やっぱり、手作業の重要性を実感してもらいながら、実験を行いました。

DSCN1715.JPG

 キク、バラ、ユリなどの花を持ち込み、ピンセットで解剖を始めました。今年のクラブの子供さんたちは、とても意欲的で、キクの花びらをきちんと紙の上に並べてみて、300枚以上あったのを数えてみたり、分解もそこそこに、顕微鏡の下で観察をしたり。顕微鏡といえば、今回の震災に伴って、神戸大の理学部の先生から、寄贈された、大型の顕微鏡もあり、いつも顕微鏡とは違うんだな、すごいという声を上げて、観察していたのが印象的でした。葉っぱの表面の気孔を観察している子供さんもいて、教科書で習ったことをきちんとしているのは、感動ものでした。

 こうしたいろいろなものをばらばらにしてみることが、科学への最初なのかもしれません。植物だけでなく、いろいろなものを是非、ばらばらにしてみてください。

DSCN1718.JPG

 科学クラブの椎名先生、お世話になりました。ありがとうございました。NSPも今年度は、年明けの環境お話を6年生にすれば、最後になります。楽しみですね。


 わたなべしるす

 PS. 講義の前に、前回のNSPでヘチマのことを学習した4年生もいたことから、沖縄ではヘチマを食べているということを示すために、沖縄で手に入れたヘチマを刻んで食べてみました。好きな子供、においがだめな子供さんもいて、盛り上がりました。

DSCN1710.JPG



ページの一番上へ

11月にはいり

2011年11月11日 (金)

 
朝晩は指先がかじかむような寒さになってきました。
 
先月末が誕生日で、ラボのM1のみなさんがケーキを買ってくれました。
どうもありがとうございました。嬉しかったです。
最近毎日が早くて早くて。あっという間に1年経ってしまいました。
もしあのときこうしていたら、とか、分かれ道の向こう側に残してきたものはいつまでたっても懐かしいのでしょうね。
 
暇ができたら本が読みたいです。SFが好きでよく読みます。
SFの醍醐味は未来を考えることでしょうか。
物語は数百年とか数千年とか未来の話ですが、実際何年か後には自分は世界から居なくなり、その後のことはわかりません。
 
― 無限の昔から、世界は〈私〉なしに存続してきた。わずか数十年(長くてせいぜい百年)の例外期間を過ぎて、世界はまた〈私〉なしに存続していくであろう。(永井均)
 
近代的な科学の発展というのは、人間的なものがどんどんと物質に還元されていく過程ですが、そのなかで人はいかに人間性を保ってゆくのかという思考実験としてSFはたいへん面白いです。
 
M1 山村

ページの一番上へ

書き物、トレーニング、体裁。。。(11/7)

2011年11月 7日 (月)

 最近、いろいろな書き物をする。研究を行っているので、論文、それも英語でというのが、一番しないといけない書き物なのだろうが、どうも苦手である。では、日本語はといわれると、少しはかけるようになった気がする。何より、パソコンのおかげかもしれない。小学校の頃の書き物といえば、読書感想文。夏休みの宿題であり、何より苦手であった。最初のきっかけが悪かったのかもしれない。小学校1年生の時、読んだ本がたしか、「もちもちの木」だったような。どんな本かは忘れてしまった。子供心に、怖いイメージの挿絵だったような。そんなこともないだろうか。。。忘れた。どんな感想を書いたかも忘れたが、担任の先生は、職員室に呼んでくれたりして、一生懸命に指導してくれた。それが何を意味しているのかわからなかったが、あとから伺ったところでは、それなりにできていたようで、何かに応募するということだったようだが、最後の清書をしなかったおかげで、おじゃんになったらしい。。小学校1年生には、苦い経験だった気がする。それが逆に、悪い記憶になって、そのあとの読書感想文を書くのは、きらいになった。本を読んだとき、その中の人物と何か共有できる必要があるのだろうか。逆に、冷静にその本を解説するような、「書評」とまではいかないが、そんな方が書きやすかったような気がする。

 では、もし、清書をしていて、入選でもしていたら。。。。そんなifは、許されないかもしれないが、やっぱり、感想文は好きになってないだろう。最近、どのような書き物、それが、論文であれ、予算書であれ、マニュアルが登場しつつあるのは、よいことなのか、悪いことなのか。最初は、誰もかけないものだろう。でも、最初はやっぱり何かを書いてみようとしてみないと、かけないもののような気がする。最初に書いた英語の論文は、指導教官だった、日向先生にぼろぼろになるまで、直された。。。かなりのショックだった。自分の英語力というか。。。それをそう思わないで、運動と同じでトレーニングと割り切れば、もう少し前向きになれたのかもしれない。今でこそ、ブラインドタッチで、200-300文字/minでタイピングできるが、そこに至るまでにも、ずいぶんと練習をした。練習には、ゲーム世代ということもあり、ゲームの力を借りたような気がするが、できるようになれば、結果は同じかも知れない。スポーツで何かができるようになるのに、方法は1つでないのと同じだろう。

DSCN1650.JPG 論文も10個くらい自分で書いたり、学生さんのをなおしたりして、初めて、何かできるようになった気がする。といっても、nativeの方に英語は直してもらわないととてもでないが、見せられるものにはならない。そういう意味では、最後の体裁というか、きれいにすることは、書き物で大事になるのだろう。日向先生によく言われた言葉に、「書き物(論文)は、たくさんのひとに見てもらえば、もらうほどきれいになる」。。たしかにそうだと。。自分1人で書いていても、どうしても独りよがりになる傾向がある。。。書き物だけでなく、教育研究もより多くの人と共同する方がよいという気がしてきた。

 何かを書くときに、周りに見えるものを角度を見て考えるなど、工夫をすれば、きれいに見えることもある。これもトレーニングの成果かもしれない。何事も苦手といわずに、やってみることだろう。ただ、それにしても、読書感想文だけは、やっぱりかけないような気がする。。。。書評のような文章を書くのでもよいという宿題ではだめだろうか。。。。


 わたなべしるす


 PS. これらの書き物を体系的に教育することが、小さい時からあれば、読書感想文もかけたのかもしれない。。。今の子供たちに、出前講義の時に、聞いてみたいと思った今日この頃であった。。。

DSCN1689.JPG


ページの一番上へ

« 263 | 264 | 265 | 266 | 267 | 268 | 269 | 270 | 271 | 272 | 273

ARCHIVE