東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

献血、昔の卒論実験、努力。。。(2/4)

2013年2月 4日 (月)

 初めて献血をしたのは、学部の1, 2年の時。水産の友達に誘われて、学内にいた献血車で。幼稚園の頃までは、月一で熱を出しては、小児科にいって、注射をした。そのおかげか、今でも苦手である。不思議と献血は、何故か続いて、100回を超えている。ただ、検査と採血の時に針を刺すときには、歯を食いしばって、気合で我慢する。針を刺す前に、刺すことを言ってもらって、刺すところを見ることもできない。聞くところによると、リラックスしている方がいたくないらしいが。。。いつも、採血をしてくれる看護師さんに不思議がられ、大丈夫かと言われるが、続けている。100回というのも、1回を除いて、200ml献血である。申し訳ないと思うが。。助手の頃だろうか、400ml献血はどうですかと言われて、気が向かなかったのだが、はいと。。ところが、300mlを超えた頃から、変な感じで、400mlの採血が終わったら、かなり。。そのまま、ソファーに横なって、。。血圧も下がり。1hrほど、横になっていた。針を刺すことは気合と根性でがんばれても、この400mlはこたえた。。。進められたとはいえ、決断は自分なので、自己責任と言えば、そうなのかもしれない。身長・体重的には十分なのであろうが、それ以降は、この経験から、どんなにすすめられたり、お願いされても、無理と。。。あと、成分献血も。科学力の推移を集めて、血液を分けるのであろうが、一度外に出たものが戻る。。。。。これも無理であった。あと、時間がかかることも。時間だけは、お金で買えないと言うことも要因なのかもしれない。

DSCN5026.JPG こんなに血を見ることが苦手なこともあって、生き物の中でも、植物・作物を扱っている。もちろん、植物の様々な部分を集めて、解析する。植物の側からすれば、もちろん、我慢しているとかでなくて、いたいのかもしれないが、現時点の科学力ではその声が聞こえないことも幸いしている。ところが、卒論実験で行ったのは、マウスを利用した抗体作成と特異性の調査。最初はあり得ないと思った。。。1 week考えても。。。でも、教授に説得され。。というか、最後は自己責任なのだろう。やることにした。マウスに免疫するというが、腹腔内に抗原を注射する。。。注射が嫌いな自分が。。。どう考えてもあり得ない(マウスをいじめている気持ちになったのかもしれない。。。。)。まず、きちんとマウスを押さえることができず、何度も持ち直し。。。注射をする手元も震える。。。そのたびに、実験を教えてくれていた先輩が、「びしっ」と、指導。実験の都合上、解剖したことも。。。。(頭の中では、すべてあり得ないと思っていても、これが卒論だと思って、。。気合で。。)。クリーンベンチの操作もあり、ピペット、ピンセット、解剖道具の手元の先がクリーンベンチから少しでも出ると、先と同様に、「びしっ」と。こうしたことを言われ続けて、1年間で、何とか、マウスの扱い、クリーンベンチの操作もできるようになったというか。すべての基本操作の基礎ができたのかもしれない。ただ、やっぱり、解剖したマウスをそのまま、アルミホイルに包み、凍結して、ということでよいと言われたが、たえられず、農学部の隅に穴を掘って埋めて、棒をたてて、お線香を供えて、手を合わせた。ここまでやって、何か妙に落ち着いたような記憶がある。心の問題かもしれないが。。。

DSCN5162.JPG こうして覚えた技術も、大学院生の頃までは使ったものの、それ以降は使わずじまい。。ただ、指導してくれた先輩からの「びしっ」とした、厳しい指導があったからこそ、次につながっている。1日に何時間もクリーンベンチに座ることができるようになったことから、他の実験も同じように、長時間でも耐えることができるようになったと思っている。日本人が得意な手先の器用さと言うことも、できるまでやるという繰り返しと、先輩方からの厳しい指導があってこそ、こうして継承してきたものではないだろうか。10回でできなければ、さらに。。。というような、「気合いと根性」と「努力」が、mm単位、いやそれより小さなところでの完璧な仕事を可能にしたような気がしている。それらをもう一度思い出し、サイエンスに精進したいと思った、土曜日の献血であった。。。


 わたなべしるす

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QIAstella(キャステラ)届きました。

2013年2月 1日 (金)

関係各所で今年はカステラ!?どら焼きじゃないの!?と話題のQIAstella(カステラ)、当ラボにも届きました。

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QIA-シリーズは、DNA抽出キットでお馴染QIAGEN様の名物お年始であります。

例年焼印入りのどら焼きで、非常に有難く頂いていたんですが。。。

今年はまた、素晴らしいクオリティです。

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保証番号も、9(キ)8(ヤ)K(カ)S(ス)10(テ(ン))R(ラ)。

因みに去年は、9(キ)8(ヤ)10(ド)R(ラ)Y(ヤ)9(キ)でした。

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中身は、焼印入りのカステラでした。焼印が綺麗で切るのが勿体ない。。。

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皆で分けて、頂きました。ありがとうございました。

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増子(鈴木)

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アナログ・デジタル、環境変動、文字(1/30)

2013年1月30日 (水)

 アナログ・デジタルというと、今はテレビのイメージかもしれないが、いろいろなものが昔のアナログから、デジタルになっている。会議のメモも、鉛筆で何かを書いていたのが、パソコンでメモをとると言うことも。絵を描くのができないのが、今は、ペン入力というか、そんなことをできるタッチパネルだったり。結構便利になった。新聞もwebで簡単に概要だけなら。deepに見ようとすると、やっぱり、新聞を広げてみる方が。。。どっちもどっちなのかもしれない。お金がアナログデジタルというのは変かもしれないが、紙幣とかコインというのと、電子マネー。電子マネーも最初は抵抗があったが、いざ使い始めると、なくてはならないものになってきている。。

 もちろん、環境が変われば、デジタルが使えないこともある。アナログの鉛筆書きであれば、基本いつでも可能である。デジタルになれば、電源が必要となる。環境変動に耐えにくいかも知れない。もちろん、環境は変化して、少しずつ対応するのであろうが。電子マネーもそうかも知れない。いずれ、想定される環境変動に合わせて、練習というか、それが本物だと思って、行動することが、適応力は格段上がるであろう。実際の練習も、練習でなく、それが実践と思うのと、そうでないのでは、適応力は違ってくる。

DSCN5048.JPG 環境変動への対応は、いろいろあるだろう。昔であれば、一子相伝のように、書物に記すことなく、何度も繰り返して覚えるというのがあった。囲碁将棋の世界は、今でもそのようなものかも知れません。将棋であれば、師匠がさした手順をみて、考え、学ぶのであろう。ただ、囲碁であったであろうか。netで指導というのを聞いたことがあった。デジタルでこそ、なせる技かも知れない。ただ、「孫子の兵法」でないが、後世の誰もが分かるように、文字に残しておくのも大切なことである。これであれば、師匠の教えをみて学ぶこともできる。アナログであろうと、デジタルであろうと。その環境への適応のためには。。。


 わたなべしるす

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つれづれなるままに

2013年1月28日 (月)

新年が明け1か月がたとうとしています。
あっという間で、街中では早くもバレンタイン商戦が始まってきていますね。
ぜひ当研究室宛にもチョコレートをお送りください。
住所はHPトップに記載されております。
誰宛でも結構ですからね。

話は変わりますが、最近の出来事として

本年度は卒業するM2が三名もおります。
そのM2達、先日、審査員の先生方に論文を提出し発表練習を終えました。

彼らが入学してきて、あっという間に修論発表です。
就職活動などもあり、2年間丸々という訳ではありませんが、彼らの研究の集大成です。私も実験等を教えた身として、感慨深いものがあります。

彼らの入学時は私も博士課程1年であり、
Drとして、初めて教えるMrであるので、その思いも一入です。

3人のうち2人は卒業し、就職してしまいますが、
この研究室で学んだことは決して無駄にはならないはずです。
残りの2ヶ月間、すべてを教え、研究室としてのismを継承していきたいと思います。

私自身、Drとしてまだまだ未熟な部分があります。
計画的に物事を進め、より効率よく研究を進められるように努力する所存です。

以上


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書くこと、見せること、同じこと(1/24)

2013年1月24日 (木)

 大学では今が、卒業に関わる論文作成の時期。今年は3名の修士論文を書いている学生さんが。それぞれベースが異なることもあり、また、まとまった50 page前後のものを仕上げると言うことは、初めてのことだろう。自分が同じ年代だった頃、どうだったか。昔の先輩の論文を見て、アブラナ科植物の自家不和合性の遺伝学の基礎を作ったのは、A. J. Batemanという方なのだなと。。。。もちろん、Nasrallahという、その後、追いかけなくては行けないアメリカの研究者も。。。ただ、これだけまとまったものを書こうとすると、初めてだと結構大変だったのを思い出す。渡辺が卒論を書いた頃から、「一太郎」というワープロが。。。いまや、MS-Wordになって。。。そんな中でも、渡辺は、日本語作成には、未だに、一太郎を使っているのだが。。。ワープロがあっても、それまで書いていたのはレポート程度、。多くても、数ページ。それが、普通の論文のように、緒言、材料および方法、結果、考察、要旨、謝辞、引用文献。それも通常は英語の論文形式を読んでいるので、日本語ではとなると、また別物。もちろん、強者もいて、英語で卒論、修論、博論を書くということも。博論を書く頃には慣れてきているので、多少は可能かもしれないが。。。いずれ、それなりの大作を作るのは、大変なこと。練習をすることはできないので、いきなりぶっつけ本番というのも。。。何より、時間がどれくらいかかるかを考えるのも一苦労。。。今だと、文章を直すのも、ワープロに直接と言うこともでるが、昔は教授の文字の判読から。。。結構読めなくて。考える時間の方が長かったり。そんなことをこの季節になると思い出す。

DSCN5080.JPG 見せることと言うか、プレゼン。昔はあきれるくらいへただった。とある大学の先生に学会でのプレゼンを見て、「大学の講義を聴いているみたい」。。。たぶん、機械がしゃべっているような感じだったのだろうという気がする。さらに、博士論文の発表の時、そのときは、今のようにPower pointなどなく、35mmのスライドを作る。今の学生さんたちにはあまりなじみがないものかもしれないが。。。ただ、卒論の頃は、ほとんど、青バックに白抜き文字のスライドで説明(ジアゾフィルムと言っていたような。。。)。カラースライドを使うなんて、。。夢のまた夢。。。修士論文の頃にようやく、カラースライドを使ってもよくなって。。。ところが、現像に2, 3日かかるので、かなり前から準備をしないと。作り直しになると、とんでもないことに。。博士論文の頃もほぼ、同じ状況。その後に、パソコンで作った画面がスライドになる機械が登場して。。。でも、スライド。ところが、このころから、半日待てば、現像して、スライドになる。というような店舗も登場。おかげでこのあたりになると、頻繁に作り直し。よいことか、悪いことか。。。作るための気合が違うというか。。。それが終わった後に、OHPのシートを使うと言うことになり、今のPower pointでのプレゼンに。。。OHPでも、当日に直すことはできず。。。今のPower pointでのプレゼンでよいのは、プレゼンの直前までプレゼンをいじれること。慣れた先生方は、発表の直前まで修正していたのか、作成していたのか。。。でも、そうなると、プレゼンの練習は。。。練習と言えば、学部生の頃の大学院生は、とても厳しく、ゼミでの発表前後には、延々と練習をさせられて。。。もちろん、終わった後残って、会議室で。。。寂しかったのを思い出す。

DSCN5190.JPG 話を戻して、博士論文の発表の時には、日向先生にこれでもかと言うくらい怒られた。。。。というのを思い出す。博士論文に使った図表をそのまま、撮影して使ったら。。。。「論文で読み物としてみせるものと、プレゼンで、話しながら見せるものは質が違うもの。」、「文字は大きくないと見えない。」、「スライド1枚で1min」。ちょうど、昨年末に書いたプレゼンのことで言われていたようなこと。。。今でも忘れられない。。。そう考えると、時代は変わって、書いたり、プレゼンしたりする道具は、変わったのかもしれないが、書くこと、見せることの本質は同じなのかもしれないというか、同じであろう。それがどれだけ便利に。。。不便になったのか、そのあたりが、よくわからない微妙な不思議な感覚である。。

DSCN5263.JPG わたなべしるす

 PS. とある新聞をめくっていたら、日本人大リーガーがこんなことを。。。「日本選手の武器に、一番は繊細さ。細かいところに気付いて、それを実現できる力がある。」と。確かに手先の器用さは、うちでも共通しているかなと。。。

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