東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

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研究室ダイアリー

【出前講義、伺えず。。】仙台市立七北田小学校・卒業式。。(3/25)

2011年3月25日 (金)

 仙台市立七北田小学校で、NSPの活動をしており、また、学校評議員を務めていることもあり、昨日の卒業式に招待されておりました。しかしながら、仙台市地下鉄が台原駅までしか運行しておらず、また、ガソリンは2hr以上ならばないと買えない状況から、いくとしたら、自転車ということになりました。また、研究室の片付け、年度末などの報告書にも追われ、ぜひ、参加したかったのですが、伺えないということで、代わりにお手紙を校長先生宛に送ったのでした。

 ところが、この震災によるmail serverの手違いで、今日という1日遅れで到着したことの連絡を校長の内藤先生から頂きました。NSPの講義で、5回以上顔を合わせている子供さんたちでしたこともあり、内藤先生のご配慮で、小学校のHPに掲載頂きました。ありがとうございました。

DSCN0367.JPG 震災から、2週間。あっという間というのか、長かったというのか、やはり、体内時計が狂っているようです。。。この体内時計が元に戻るには、まだもう少し時間がかかりそうです。。。。どうやれば、戻れるのか、ご存じの方、ぜひ、ご教示ください。


 わたなべしるす

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【お知らせ】日本植物生理学会仙台年会、および、「高校生生物研究発表会」の成立について(3/24)

2011年3月24日 (木)

 東北関東大震災から、2週間近くたとうとしています。本当なら、3/19-22に、東北大で日本植物生理学会の仙台年会が開催され、「高校生生物研究発表会」も開催される予定でした。それに向けて、年会会長の山谷先生をはじめ、多くの先生方、業者の方が準備をされておりました。中止になったことは、このHPでも記してあります。

 ただ、学会の方で、学会そのものは仙台で行われなかったですが、学会の方の判断で、発表の要旨などが公開できていることで、学会としては行われたことになりました。ここまで運営に携わったものとしては、ほっとします。もちろん、「高校生生物研究発表会」も成立したことは、その担当であったものとしては、何よりです。史上最高の70件の発表であっただけに、一堂に会することはできませんでしたが、渡辺が関わっている、SSHのダイコンコンソーシアムアブラナコンソーシアム科学者の卵で、できるだけ発表する機会を作りたいと思います。

DSCN0392.JPG 関東以西で、郵便事情が良いところは、近日中に、要旨集は、近日中に学会の方から、皆さんの手元に届くようになると思います。それ以外の表彰状、植物に関する本については、どこかの発表会の時に、お渡しできるように考えたいと思いますので。それまでお待ちください。

 発表要旨ですが、学会のHPからdownloadできます。少し重たいのが、通信が良くないところでは大変かもしれません。同じ学校の方は、学校が始まったら、お互いに譲り合ってください。

 皆さんの無事と健康を祈りつつ。。


 わたなべしるす

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3/11(金)、14:46から今日まで、その4(3/23)。

2011年3月23日 (水)

 その3を書いてから、あれこれあって、続きがかけなくなっていました。3/14(月)には、大学本部からの連絡があり、学生さんたちは、基本、実家に避難(疎開)ということが伝えられました。また、そのときには、福島原発の爆発もあり、どうなるか分からなかったので、研究室の換気をやめる、窓を開けないなど、RIを普段閉鎖系で使っている、生物系の人たちの迅速な対応と思いました。また、昔の遺伝生態研にある、ガイガーカウンターで、いつもバックグラウンドとどれくらいかというのが、話にのぼり、その当時で、何も起きてない時期の3倍くらいだったような気がします。3倍と聞いて、結構、こちらは、びびりました。どうも、RIは苦手です。。。

 研究室でその件を発表しつつ、山形、新潟経由での避難、疎開ルートを調べるために、高速netではないですが、パソコンで検索をして、どうすればよいかなどを調べ、テレビでの情報を集めました。また、学生さんたちとは、まず、携帯での連絡をするために、addressの交換をして、できるだけ早く、避難をということになり、解散でした。こちらは、別の件で、農学部まで出かけて、農学部長の山谷先生と学会がなくなったことなど、議論できたのは、有益でした。

 帰り際には、アルバイトをしている1年生の方が、小学校に被災しているというので、伺って、できるだけ早く実家に帰るようにと。そのときに、いろいろな話をしてもらい、地震がどれだけ心に痛みを与えたのか、つらい思いをさせたのか、痛感しました。お許し下さい。

 夜のうちに、学生さん、アルバイトさんから連絡があり、翌3/15(火)には、一部の学生さんをのぞいて、避難をはじめ、夜には自宅に戻れたという連絡を受けて、ほっとしました。このあたりでかなりほっとして、15日の午前、16日(水)は動けなかったような記憶があります。

 このあと、どうなるのか、それはまさに、福島原発がどうなるかと言うことについて、かなりの注目というか、気になりながら、少しずつですが、研究室の居室から、片付け始めたというか、並べ始めたというか。。。続きは、また、近いうちに。。。


 わたなべしるす

oleracea_全景_1.JPG PS. 今日もずいぶん、余震がありました。また、今日、3/23(水)には、水道から、放射性同位元素が、限界以上に検出され、また、農作物、それも、特にアブラナ科野菜に出荷制限が。。。アブラナ科作物を研究しているものとしては何ともいたたまれない状況です。。。。これまで、写真を入れるのが、つらかったのですが、アブラナ野菜の被害が出て、畑に埋められた野菜が哀れで。。

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風評被害のアブラナ科作物は、バイオエネルギーにというのは。。(3/22)

2011年3月22日 (火)

 福島原発の関係で、農作物が畑にすき混まれているのを見て、農学を学んだものとして、涙が出る。あそこまで作ることにどれだけのエネルギーがかかったのか。大変だったと思う。では、使い様が全くないのか。アブラナ科作物であれば、最後には花が咲いて、種ができる。その種をしぼると、油になる、いわゆるなたね油である。これは、バイオディーゼルである。こんな使い方はできないのだろうか。そうでなくてもエネルギーがないといっているのに。そうすれば、多少は、今の状況は回避される。

 また、他の作物も、糖に変換できれば、バイオエタノールになる。柔らかい分、使いやすいのではないだろうか。世の中が、パニックの状態なので、こんなことを考えても実現は難しいのかもしれないが、こんな時にこそ、こうしたことを考えるようにすれば、作物が太陽エネルギーを変換したものを効率的に利用できないのだろうか。

 そんなことをふと思った次第である。もしかしたら、豊作で出荷調整が起きたときに、同じようなすき込みがあったときにも思いついたのかもしれないが、そのときに書いておけばと。まさに、備えあれば。。。である。


 わたなべしるす

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HP・TOPに震災関連・リンクを追加しました

2011年3月22日 (火)

今回の東北・関東大震災に伴い、HPTOPに震災関連・リンクを追加しました。

大学としての対応は、東北大学HP他、各学部の臨時HPを参照頂きたく、お願いいたします。

現在メールサーバーが復活し、お問い合わせフォームが使用可能です。

当研究室へのご連絡・お問い合わせにご利用ください。

今後の研究室については、HPのTOPや渡辺先生のエントリなどでお知らせいたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

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増子(鈴木)です。

東北・関東大震災で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

震災の際、私は仙台の自宅におり、急いで机の下に隠れて難を逃れました。

電気ジャーが飛んできて、ピアノが動き、本棚が崩れ、食器がすっかり割れました。

しかし、家自体と家族には幸い被害がありませんでした。

その後、ラジオで津波の甚大な被害を知り、愕然としました。

停電復旧後、テレビで津波や原発の映像を見て、茫然としました。

 

私の地区は停電が3日間、断水が4日間続きましたが、現在は復旧しています。

震災後に撮っていた写真をいくつかご紹介します。

 

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11日、地震直後の自宅台所。

床には落ちた食器やガラスが散乱し、電子レンジが落ちて壊れました。

 

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12日、断水を免れた公園に並ぶ人々。

ちょろちょろしか出ない水道に3時間以上並んだそう(私は諦めて帰りました)。

震災後2~3日は市内の給水所も少なく、水を得るのが大変でした。

近所の建築会社さんがボランティアで水を山形から汲んできてくれ、とても助かりました。

 

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12日の某スーパー。朝から長蛇の列でした。

店員さんたちが散乱した店内から少しづつ商品を出して、一生懸命売ってました。

現在は店も片付き、だいぶ商品が入るようになりましたが、行列は変わりません。

 

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今回の功労者、電気がいらない石油火鉢。

停電の間、3日間これで暖を取り、煮炊きして過ごしました。

母が2000年問題の際に買ったそうですが、11年の時を経て大活躍。

 

仙台市中心部は少しづつ店が開き始め、物が巡りはじめています。

しかし、甚大な被害があった海沿いの市や町では。。。

どうか、被災地の復興に力を、心を下さい。

復興には長い時間がかかりますが、私も少しでも力になれるように尽くしたいです。

 

増子(鈴木)

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