東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

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研究室ダイアリー

3/11(金)、14:46から今日まで、その6(4/2)。

2011年4月 2日 (土)

 3/26に、その5を記してから、1週間がたちました。以前から比べれば、ずいぶんと仙台市内の環境も整いつつあるのかもしれません。あらたに研究室には、仙台から近い場所にある、須藤くん、藤岡くんが新しく顔を出してくれました。宇都宮、盛岡方面の情報も入り、そちらの方でもかなり生活事情は改善しつつあるものの、3/11以前からはほど遠いようです。他の研究室メンバーからは、mailで連絡を頂いたり、mailでのやりとりで仕事をお願いしたり。ほっとしたり、助かったり。やっぱり、研究室にいろいろな方々いることが大切なのだと言うことを、改めて実感しました。

 仙台市内だけですが、それも自転車で行ける範囲に限れば、物流は少しずつよくなりつつあります。ただ、いつもであれば、何でもあるコンビニ。24hrいつでもというのが、ありましたが、昼頃にあいて、夜中前には閉まるというパターンです。それでも、ほとんどあいていなかった、先週から比べれば、場所と時間にもよりますが、以前のコンビニにあった様なパンとおにぎりを買うことができました。あまりのうれしさに、明日の朝ご飯と言うことで、getした次第です。食糧がこれほどうれしいことと思うのは、やはり、こういう危機的な状況に置かれたからだと思います。コンビニには普通にあると思われる週刊誌などの雑誌は、ほとんどない状況です。新聞はそれなりに入ってきつつあるようです。

DSCN5372.JPG 研究室の方は、これからが春の花のシーズンであり、イネの作付けを考えなくてはいけないシーズンです。どうすれば、これを達成できるのか、そうしたことに頭を悩ませ、研究室に顔を出している学生さんとは、どこに出張して、震災から復帰をするための実験をやるのかという話をできるようになりました。できるだけ、研究も前を向いて、上を向いて歩けるようになりたいと思います。

 1週間がたち、福島原発が良い方向に大きく、あるいは少しでも良い方向に改善されているかと思いましたが、仙台での放射線量は少しずつ減りつつありますが、環境への汚染が広がりつつあるのは、農学を学んだものとして、何とも言えず、悲しい思いです。生物濃縮が陸、海で広がることを考えると、未来に亘って不安を残すことになるような気がしてなりいません。。。世界中の全知全能を使って、この状況を画期的に改善することはできないものか、日々、思うのでした。

 今週、出前講義でお世話になっている先生方から、連絡を頂き、近くの先生とはお互いに心配し、特に、福島原発から、半径20-30kmにいらっしゃる先生のことはずいぶんと心配しておりました。福島県の浜通りは想像を超える事態になっていることを直接伺えました。また、HPに食糧不足と言うことを見た方からは、支援のmailも頂きました。ありがとうございました。日にち薬ではないですが、卵、肉類など、戦後すぐであったり、国内自給だけであれば、卵などはほとんど食べれないというような状況からは脱しつつあります。様々な交通路が良くなり、物流が改善されているからだと思います。


 わたなべしるす

 PS. オープンラボの予定がどのように変更されるのか、以前は、4/23とお知らせしましたが、現時点の交通事情などからは、無理と思っております。この予定変更についても、来週にはお知らせできるのではないかと思います。

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2011年度を迎えるにあたって。。(4/1)

2011年4月 1日 (金)

 このHPが公開され、数時間たつと、未曾有の東北関東大震災から、ちょうど3週間になります。まずは、この震災でなくなられた多くの方々を追悼して、黙祷したいと思います(黙祷)。あれから、3週間もたつのかというのと、これからどうなるのだろうかというめどが何か立ったかというと。。。。と、言わざるを得ない。時は流れており、今日から、新しい年度、2011年度が始まります。ある方が、「今日はエープリルフール、これが夢であってほしいと。。」。まさに、そんな4/1を迎えたのは、45年で初めてだと思います。

 新しい学生さんを迎えるのは、今の状況では今月末近くになります。そのときに、今の様々な環境がどれだけ好転しているのか、何とも不透明で仕方ありません。震災の復興、福島原発・放射線問題等々。しかしながら、非情にも時間は流れていきます。これを絶対に達成するというような年度目標をあげることができないような不透明な状況ですが、その苦難を研究室のスタッフ、学生さんたちと乗り越え、10年たったとき、あのとき、この決断をして、この教育研究をして良かったと、歴史に評価いただけるよう、努力したいと思います。


 わたなべしるす

 PS. 震災後、どのようなことが起きたかを綴ってきたHPの記事を、出前講義を行った高校の先生が取り上げていただき、特別授業で、今の震災の現地を学ぶと言うことに使っていただいたという連絡と、生徒さんたちの心温まる手紙を頂きました。ありがとうございました。今の状況を落ち着け、そうした生徒さんたちとお会いできればと思います。ありがとうございました。

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2010年度を振り返って。。(3/30)

2011年3月30日 (水)

 未曾有の東北関東大震災から、20日近くたちます。外はそれなりに春らしくなっているのかもしれないですが、身の回りでは春らしいと言うことは、植物が花を咲かせようとしているくらいで、感じることができません。普段であれば、この時期に学生さんの入れ替えである、「卒業式」という大きなイベントがありますが、今年は、この状況ですので、「卒業式」はなくなりました。そこで、2010年度を振り返って、何があったのか、そのことを踏まえて、明後日から始まる、2011年度はどうするべきなのかを。。。

 4-6月の第1四半期には、1名のM1の方と、4名のアルバイトの1, 2年生の方をお迎えできました。4名のアルバイトさんのwelcomeをできたのは、8月にずれ込みました。なにより、新しいメンバーをお迎えできるのは、うれしい限りです。研究面では、Nature, PNASをはじめとする多くの論文発表を行いました。多くの出前講義、年度初めの恒例行事である、「オープンラボ」も行われ、多くの方々にきて頂きました。そうした方々の中でlabにきて頂けるようになった方には、この震災で、開始が遅くなること、お許し下さい。今年度は、スポーツ大会はあまりふるいませんでした出前講義では、肥料をたくさんあげすぎて、田植えをしたイネが枯れそうになり、ご迷惑をおかけしました。それくらい、「イネ」は塩濃度が高くなると、弱いものなのだと。今回の震災で大量の海水をかぶった水田の回復には、長い時間がかからざるを得ないことを考えると、余りに痛々しいものだと思います。この時期に行った出前講義では、20年以上お会いしていたなかった方々ともお会いできたりする機会もあり、そうした機会を設定頂いた方々に、感謝したいと思います。ありがとうございました。

DSCN4885.JPG 7-9月の第2四半期にも、Natureの論文発表ができました。学内では、大学で発行している「東北大学 Annual Review」をはじめとする、理学研究科、環境科学研究科など多くのHPに記事を公開できました。より多くのところで、研究教育面を評価頂いたことは、うれしい限りです。出前講義、研究室訪問も数多くあり、社会貢献もできたのではと思います。学内の「サイエンスカフェ」に参加できたのも有意義でした。学会発表も学生さんたちに行ってもらいました。渡辺も学会でワークショップを企画できました。植物だけでなく、広く動物の研究の方々にも興味を持っていただけた良い機会でした。

 10-12月の第3四半期では、論文発表、学会での「サイエンスイラスト」の重要性をお話しできる機会があり、良い意味での異分野交流になりました。また、こうした機会を持つことができ、より発展させることができればと思います。出前講義もそれまでの半年以上に活発に行い、いずれも好評でした。次年度にまたつながればと思います。出前講義も小学校、高校、その保護者、一般社会人など、対象に幅が持てたことも、うれしい限りでした。論文発表も共同研究でありました。

DSCN4072.JPG 1-3月の第4四半期では、これまでのアブラナ科植物の自家不和合性研究を評価いただき、「第7回日本学術振興会賞」を授賞しました。これまでスタッフ、学生、共同研究者として、ご協力いただいた方々に感謝したいと思います。もちろん、師である、「日向先生」に。出前講義も多く行いましたが、サイエンス中心の出前講義だったのが、「自分作り、キャリア教育」の方が多くなったのも特徴的でした。

 あとは、残すところ、JSTの未来の科学者養成講座・「科学者の卵」の発表会(3/12), その関連で、八戸港に入港していた海底掘削船・「ちきゅう」の見学会(3/13), 3/19-22に開催予定であった、日本植物生理学会仙台年会を残すばかりの3/11に「東北関東大震災」見舞われたのでした。。。。。研究室としても、6年目を終わろうとして、人的にも、研究教育面でも、これからという矢先でした。4月からは、4名のM1の方をwelcomeするところでした。

 人生、ここが踏ん張りどころなのでしょう。これまでお世話になっている共同研究の先生方、今まで以上に、お世話にならざるを得ないと思います。この数年では、解決できないかもしれない難関をなんとか乗り越えたいと思いますので、次年度もこれまで以上に、ご支援頂きますよう、お願い申し上げます。


 わたなべしるす

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とっさの決断、食糧不足、戦略作物。。(3/28)

2011年3月28日 (月)

 地震があったときに、とっさの決断がどれだけ大事かというのは、様々なことを見ていて、ご理解頂けるのではないだろうか。実際に今回の地震でも、3回の搖れの重なりであったが、決断できた方は、きちんと机の下に隠れることができている。渡辺は普段から、何かあったら、机の下にと言っていたのに、そんなことはできず、呆然とものが落ちるのを見ていることしかできなかった。そんなとっさの決断の重要性について、昨日のテレビ、今日の農学部のでの会議の席で話を聞くことができた。地震から津波が来るまでに、数分から、数十分しかない。その間に、津波が来る海に船が流されないようにするために、津波に向かって、船を出したというのである。まさにとっさの判断であり、決断である。それも船を波に対して直角にしないと、船は流され、かえって危険である。その大波を乗り越えて、農学部の水産実験施設の船は無事だったらしい。建物は、もちろん動けないので、津波の被害をもろに受けたらしい。この様なとっさの行動は、歴史を見てもその行動が評価されることが多い。呆然としないで、とっさの決断ができるようにならないとと痛感した。

 農学部での会議の行き帰りに、仙台の町中を通った。ガソリンもつきて、自転車で。町の中には、いくらかの活気がもどりつつあるが、やっぱり食糧不足というのは否めない。冷静に考えると、救援物資で頂いた、卵をこの2週間ほどで、6つほど食した程度で有る。乳製品となると、今日、初めて、コンビニで見つけて飲むことができた。まだ、仙台の町は、この様な状況である。もちろん、津波の災害があったところから比べれば、ずいぶんとまともな食事なので、その点は、感謝しなければならない。

DSCN2757.JPG このお米と少しの野菜しかないような状況を考えたとき、戦後の食糧難のようなことを思い出し、また、今の日本の食糧自給率だけということを仮定した食事例が、農水省のHPにある。そこには、朝晩は白ご飯。昼は焼き芋。リンゴ少し。夜にはサカナの切り身。卵は1週間に1つ。牛乳も同じくらい。肉も。。。この様なことがもし起こったら、大変なので、ぜひ、日本の作物の増産を行い、食糧だけでなく、エネルギー、食の安全なども考えるプログラムを提案した。まさに、食糧を戦略的に考えるというテーマであった。残念ながら、その教育プログラムは、不採択になったが、この様な形でその重要性を思い知らされるとは思わなかった。そのスライドを見て、審査員からは、失笑が漏れたが、誰もそんなことが起きるとは思わなかったのだろうが、現状は限りなくそれに近いものである。

 今の東北地方はまさに、戦後すぐの状態なのかもしれない。この試練をどう乗り越え、安心、安全の食糧供給を考えるかは、これからのわれわれに残された大きな問題であろう。


 わたなべしるす

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3/11(金)、14:46から今日まで、その5(3/26)。

2011年3月26日 (土)

 17日(木)には、web serverが復帰しました。それに伴い、学内のLANが学外とつながりました。通じた最初の頃は、不思議なことがいくつかありました。ハブを使って、何段かに分岐させていて使っていましたが、それらのハブが使えなくなりました。今週になって、その一部は使えましたが、その理由はよくわかりません。やっぱり、電気の世界は、よくわかりません。さらに不思議だったのは、この日だけだったのか、夕方には回復したのか、学外からはlabのHPを見ることができるのに、学内からは見えない。研究室のパソコンからは、自分のlabのHPが見えないという不思議なことが起きました。

 この週のうちには、自分の本棚をある程度元通りに復活させ、並べ直してみながら、やる気を探ろうとしていたのかもしれません。年度末の報告書の書類などがありましたが、そのままでした。

 18日(金)の14:46はちょうど1週間でした。テレビではなくなられた方に対して「黙祷」という場面があり、それにあわせて、黙祷しました(黙祷)。

DSCN4634.JPG 19日(土)~22日(火)は、本当であれば、東北大の川内キャンパスで、日本植物生理学会のはずでした。この数日間に仙台に残っていた研究室関係者の2名が実家に避難し、仙台が実家であるものを除いて、避難が完了したのでした。19日には、mail serverが夕方に復帰しました。迅速な復帰に努めてくれた、server管理の方に感謝します。ありがとうございました。mailerをあけてみると、100通を超えるような安否確認のようなmailを頂きました。国内外から。ありがとうございました。

 雨とともに、放射能汚染された雨が降るのではと、かなりびびった生活をしていたのを覚えています。そんなときに見つけた、理学部・物理系の先生のHPには少し心救われたものがありました。何より正確な情報に基づいて行動することが、サイエンス同様に大事であることを実感しました。

 22日(火)からは、復興に向けたという点かもしれないですが、研究室で使えなくなった備品類の調査が入りました。急ぎの調査ということで、周りの方にお手伝い頂きながら、まとめることができました。また、温室の止まっていた水道も復帰し、水をほしがっていたBrassicaの仲間に水をあげることができました。また、非難されている皆さんと連絡でき、帰省先で安全に生活しているということ、また、研究室のこと、実験のことを気にして頂いていることに、感謝でした。皆さんが戻ってきて頂けるようにまた、環境を整えたいと思います。また、復旧にお手伝いいただければと思います。

DSCN4076.JPGのサムネール画像 23日(水)~24日(木)には、高田くん大坂くんがlabの方に来てくれ、植物を植えていたポットがこぼれて土まみれになった研究室が、割れたガラスが取り除かれ、ずいぶん、きれいになりましたが、実験台は地震で大きく降られて、天井のコンクリートに打ち込んである太さ1cmくらいの鉄の棒が、天井に大きな穴を開けていました。それに伴い、実験台は、左右に振られて傾いていました。渡辺の方が年度末の書類などに追われていた中でしたので、心強い限りでした。高田くん、大坂くん、ありがとうございました。

 25日(金)頃になると、疲れがピークになり、作業効率が落ちるだけでなく、どうも何をやろうとしているのかなど、ふと気がつくと、ボーとしていることが多くなりました。土日は少し休んで、来週に備えたいと。この週あたりからは町中に出ると、ガソリンスタンドに長蛇の列ができ、一方で、開いている店、食堂も少しずつ増えてきました。ちょうど2週間です。ただ、交通量は少なく、早めに消灯するところが多いのも事実でした。

 25日(金)あたりから、公共交通機関、ガスの復帰のめどの話が流れ始めました。普通となっている東北新幹線、那須塩原と盛岡間も1ヶ月くらいだと。ガスも1-1.5ヶ月くらいだと。地下鉄は、5月の終わりには。少しずつ、何とかなりそうという気がしますが、このあたりになっても安定しないのは、福島原発。仙台での放射線量は、通常の3倍くらいですが、今まで閉鎖系で使っていた放射性同位元素が、外の解放系に存在するという違和感には、未だになれない状態です。どうしてもガイガーカウンターの音が、頭の中で鳴ります。。。。

 そうです。この週の前半には、西日本の方々から、とある方法で、援助物資を頂きました。とある方法はここでは、企業秘密ということでお許しください。昔は「逓信」と呼ばれていた公的機関だったところのものを使えばよいということくらいで。。。送って頂いた方に、感謝します。ありがとうございました。おかげまで、毎日の食生活が支えられています。

 夕方には、出前講義などでお世話になっている宮城第一高校の小松原先生が訪問され、研究室の惨状を見て頂いたり、次年度に向けた打合せなどもできました。同じタイミングで、SSHで講義などを小なっている福島高校の橋爪先生からも電話頂きました。福島市内の放射能汚染が高いのが気になっていましたが、物理の先生が計算してくれたらしく、少しずつ減衰しているので、大丈夫と。それでも気になるような高い値だと。くれぐれもご自愛ください。


 わたなべしるす


 PS. 実験、研究を含めて、すべてのことには、あらかじめそれに気がつくような事象、警告があるものだと思います。それに気がついて対応するのか、それを無視して、それが結果として大きな問題につながるということがあるということを思い知らされたような気がします。「想像を超える」という言葉では片付けられないという気がします。サイエンスの発展の時にも想像を超えるということは、当たり前のような気がしますので。そんなときに、昔見た、歴史番組で、「万が一の時になって、思いをめぐらすのではなく、常日頃から非常の事態に備え、一生懸命にわが身を生かす心構えを養うべきである。」という言葉があったのを思い出しました。いつ頃の誰の言葉かわかりませんが、今回、思い知らされたような気がします。
 
 それぞれの本質が起きる前に起きる予兆的なことに気がつくことができれば、研究ももう少しよくなるような。というか、それが、経験と勘というものなのかも知れません。こうしたら、こうなるというような勘が働くことがあります。あるいは先のような歴史が物語ることもあります。それらを大切にして、これからに活かすのが、サイエンスをやる上でも、人生でも大事なのだろう。

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